晴れ。きれいな青空です。白い雲が一片、ゆっくりと流れていきます。
「ジンチョウゲ(沈丁花)」の花が咲きました。香りが漂っています。窓を開けて、インド人学生に見せますと、直ぐに彼は故郷のことを思い出したようです。故郷の街では、春になると、街中がある花の香りで、むせるようになるのだそうです。身振り手振りよろしく、如何にその花の香りが素晴らしいかを語ります。
こういう愛国心はいいですね。インドに関する悪しきニュースも、日本には届いていますが、花の香りで街を語り、その愛郷心を伝えられると、フッとその美しさが心に残ります。拳を突き上げたり、喚いたりするのよりも、よっぽど、その人は故郷を愛しているのだということがわかります。
さて、昨日は卒業式でした。
事前に教員が電話連絡をしていたからでしょうか、ほぼ定時に学生達は集まり、計画通りに終わりました。
最初に、東日本大震災の犠牲者に向けて、皆で黙祷を捧げ、それから式を始めます。教員達の話に、この2年間の自分を重ねていたのは、何も学生達だけではありません。私たちもこの二年のことを静かに思い出していました。
とはいえ、学生達のことです。これは、お国柄だねなどと笑ってすませられるようなことではなく、彼らの想像力が日本の社会に追いつけないでいるからか、あるいは、金銭感覚が鈍いからなのか、来日後、二年近くたっていても、まだお金の計算ができないのです。
アルバイトで、月に13万くらいを手に入れると、もうそれだけで、お大尽気分になってしまうようなのです。これも、物価が違いますから、最初はそうであってもまだわかるのですが、二年近く日本にいても、まだ、(お金をたくさんもらっているから)どうにかなる意識が抜けきらないのです。
これだけのお金では、日本では何もできないということが、なぜわからないのでしょう。勿論、学校でも幾度となく説明をしていますし、個人的にも説明を加えているのですが。
それに、学校が寮費とか光熱費の払いを要求すると(言わずもがなのことながら、寮費は毎月決まっています。毎月アルバイト料が入ったら、最初に引いておけばいいのです。日本人はそうします。また光熱費は自分たちが使った分です。日本では高いといっても、給料だって高いのです)。
多分、彼らも、いつも言われるのは嫌でしょうが、私たちだって言いたくないのです。
ベトナム人学生には、(私たちとてもやりたくないのですが)もしかしたら、他の国から来た学生達とは別のルールを考えておかねばならないのかもしれません。
以前も(何十年も前のことですが)、似たような中国人が大挙して来ていた時期がありましたが、それでも彼らは、私たちが説明した後、きちんとお金の計算ができましたし、光熱費も、1月の分の請求が翌月に来るというのが理解できていました。ところが、このベトナム人学生達(全員ではありません)は、なかなかそれが理解できないのです。それどころか、「言っているのが先生だから、まあ、わからないけれども払ってやるか」式の態度を取ることさえあるのです。これはガス会社に払う分であったり、電気会社に払う分であったりするだけで、私たちとは全く関係がありません。
「もう、自分たちでやらせよう、電気が止まって初めてわかるのだろう。止まったら可哀想だからと、お金がないと言えば貸してやっていたこちらのやり方も間違っていたのかもしれないし」ということで、4月からは、自分たちでやらせることにやり方を変えていこうということにしました。
勿論、ただ放り投げるというのではなく、部屋毎に責任者を決め、お金を払う人を順番に決め、然る後に、自分たちでやらせるというのです。これは新学期から、つまり4月からということですが。
これで、私たちも、少なくとも、光熱費の問題は彼らが自分たちでやるということで、イライラが減ります。アルバイトはしていますし、それだけのお金は手にしているはずです。節約をしなければ何もできないということが、本当にわからない人達なのです。だいたい、日本にいて、あれっぽっちの金で遊べると考えている方がおかしいのです。一年あまりを日本で過ごしていて、まだこのレベルなのですから。
お金にルーズな人は、日本社会では受け入れてもらえません。こんなこと、日本ではなんていわなくても、どこの社会でも同じであると思うのですけれども、ベトナムはお金を必要としていない、物々交換の国なのかしらんと思うことさえあります。
お金のことについて知識が足りないのです。物であれ、形にならない知識や技術のようなものであれ、それを持っている人について学ぶしかありません。それにはそれに相当するだけ金銭が必要になります。まだそれが理解できない社会なのでしょうか。知識のある人とない人の区別がつかないのでしょうか。
(以前、中国でも、そういうことがあって、「ああ、これが、いわゆる『共産主義』とか、『社会主義』とか言われるものの『悪平等』であるのだな。能力のある人もない人も皆同じ。働く人も、ボウッとしてしゃべっているだけの人も皆同じ。同じ給料なんて」と思ったことがありました。今は資本主義社会の理屈が少しは入ってきているようですが、ただ、この国はまだまだ「裏口から入る人」が大部分のようで、それが中国にいたことのある人間としては悲しいところなのですが)。
けれども、もしかしたら、彼らは日本に来たかっただけ、日本に来てアルバイトすれば儲かるし、簡単に大学に行けるという話を聞いて、日本に来たかっただけ…なのかもしれません。
お金を貯めるまでになるには、かなり働かなければなりませんし、日本語もうまくなっていなければなりません。それに体力も必要になります。勉強しなければ、どの道も鎖されたままであるということを、いつになったら理解できるのでしょうか。
日々是好日
「ジンチョウゲ(沈丁花)」の花が咲きました。香りが漂っています。窓を開けて、インド人学生に見せますと、直ぐに彼は故郷のことを思い出したようです。故郷の街では、春になると、街中がある花の香りで、むせるようになるのだそうです。身振り手振りよろしく、如何にその花の香りが素晴らしいかを語ります。
こういう愛国心はいいですね。インドに関する悪しきニュースも、日本には届いていますが、花の香りで街を語り、その愛郷心を伝えられると、フッとその美しさが心に残ります。拳を突き上げたり、喚いたりするのよりも、よっぽど、その人は故郷を愛しているのだということがわかります。
さて、昨日は卒業式でした。
事前に教員が電話連絡をしていたからでしょうか、ほぼ定時に学生達は集まり、計画通りに終わりました。
最初に、東日本大震災の犠牲者に向けて、皆で黙祷を捧げ、それから式を始めます。教員達の話に、この2年間の自分を重ねていたのは、何も学生達だけではありません。私たちもこの二年のことを静かに思い出していました。
とはいえ、学生達のことです。これは、お国柄だねなどと笑ってすませられるようなことではなく、彼らの想像力が日本の社会に追いつけないでいるからか、あるいは、金銭感覚が鈍いからなのか、来日後、二年近くたっていても、まだお金の計算ができないのです。
アルバイトで、月に13万くらいを手に入れると、もうそれだけで、お大尽気分になってしまうようなのです。これも、物価が違いますから、最初はそうであってもまだわかるのですが、二年近く日本にいても、まだ、(お金をたくさんもらっているから)どうにかなる意識が抜けきらないのです。
これだけのお金では、日本では何もできないということが、なぜわからないのでしょう。勿論、学校でも幾度となく説明をしていますし、個人的にも説明を加えているのですが。
それに、学校が寮費とか光熱費の払いを要求すると(言わずもがなのことながら、寮費は毎月決まっています。毎月アルバイト料が入ったら、最初に引いておけばいいのです。日本人はそうします。また光熱費は自分たちが使った分です。日本では高いといっても、給料だって高いのです)。
多分、彼らも、いつも言われるのは嫌でしょうが、私たちだって言いたくないのです。
ベトナム人学生には、(私たちとてもやりたくないのですが)もしかしたら、他の国から来た学生達とは別のルールを考えておかねばならないのかもしれません。
以前も(何十年も前のことですが)、似たような中国人が大挙して来ていた時期がありましたが、それでも彼らは、私たちが説明した後、きちんとお金の計算ができましたし、光熱費も、1月の分の請求が翌月に来るというのが理解できていました。ところが、このベトナム人学生達(全員ではありません)は、なかなかそれが理解できないのです。それどころか、「言っているのが先生だから、まあ、わからないけれども払ってやるか」式の態度を取ることさえあるのです。これはガス会社に払う分であったり、電気会社に払う分であったりするだけで、私たちとは全く関係がありません。
「もう、自分たちでやらせよう、電気が止まって初めてわかるのだろう。止まったら可哀想だからと、お金がないと言えば貸してやっていたこちらのやり方も間違っていたのかもしれないし」ということで、4月からは、自分たちでやらせることにやり方を変えていこうということにしました。
勿論、ただ放り投げるというのではなく、部屋毎に責任者を決め、お金を払う人を順番に決め、然る後に、自分たちでやらせるというのです。これは新学期から、つまり4月からということですが。
これで、私たちも、少なくとも、光熱費の問題は彼らが自分たちでやるということで、イライラが減ります。アルバイトはしていますし、それだけのお金は手にしているはずです。節約をしなければ何もできないということが、本当にわからない人達なのです。だいたい、日本にいて、あれっぽっちの金で遊べると考えている方がおかしいのです。一年あまりを日本で過ごしていて、まだこのレベルなのですから。
お金にルーズな人は、日本社会では受け入れてもらえません。こんなこと、日本ではなんていわなくても、どこの社会でも同じであると思うのですけれども、ベトナムはお金を必要としていない、物々交換の国なのかしらんと思うことさえあります。
お金のことについて知識が足りないのです。物であれ、形にならない知識や技術のようなものであれ、それを持っている人について学ぶしかありません。それにはそれに相当するだけ金銭が必要になります。まだそれが理解できない社会なのでしょうか。知識のある人とない人の区別がつかないのでしょうか。
(以前、中国でも、そういうことがあって、「ああ、これが、いわゆる『共産主義』とか、『社会主義』とか言われるものの『悪平等』であるのだな。能力のある人もない人も皆同じ。働く人も、ボウッとしてしゃべっているだけの人も皆同じ。同じ給料なんて」と思ったことがありました。今は資本主義社会の理屈が少しは入ってきているようですが、ただ、この国はまだまだ「裏口から入る人」が大部分のようで、それが中国にいたことのある人間としては悲しいところなのですが)。
けれども、もしかしたら、彼らは日本に来たかっただけ、日本に来てアルバイトすれば儲かるし、簡単に大学に行けるという話を聞いて、日本に来たかっただけ…なのかもしれません。
お金を貯めるまでになるには、かなり働かなければなりませんし、日本語もうまくなっていなければなりません。それに体力も必要になります。勉強しなければ、どの道も鎖されたままであるということを、いつになったら理解できるのでしょうか。
日々是好日