日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「『N1』の結果、悲喜交々」。「大学選び…何を学びたいのか」。

2010-09-13 10:57:28 | 日本語の授業
 東北地方や北陸は大雨という予報が出ていましたから、ここでも少しは影響を受けているのでしょう、行徳にも湿気を含んだ風が吹いています。日中は30度を超えるそうですが、もう猛暑日にはならないとのこと。ホッとしています。とはいえ、この「ホッ」が、こわいのです。学生達には、「秋口に(油断すると)、病気になりやすいから、気を張っていてね」と毎年繰り返しているのですが、今年は、特に力を入れて言っておかなければ。本当に、夏の暑さには、頑張ることが出来た学生達が、コトンと、風邪をひいたり、体調を崩したりして寝込んでしまうのです。

 「Aクラス」では、猛暑の中、一人が熱中症にやられました。「だるい。力が入らない」ということで、病院に行ったら「熱中症」と言われたそうで、ショックを受けていました。が、「スポーツドリンクを飲んだ方がいい」と渡しても、「嫌い…」と嫌がって、口を付けようとしません。塩入りの水で、乗り切るしかないのです。「良薬は口に苦し、好き嫌いを言うな」と言って渡しておいても、多分、私がいなくなったら、こっそり捨てるでしょうしね。

 先日、「日本語能力試験」の通知が来て、彼らに渡したときには、表面上、皆「そうか」くらいの反応にしか見えなかったのですが、これは不合格だった学生に気を遣ってのことだったようで、実際は、悲喜交々だったらしいのです。

 まず、「悲」から。
「私の6年間は何だったのでしょう」。失敗した学生の言葉です。日本語の試験はいくつかあるのですが、この「日本語能力試験」の結果が一番信用できるということで、日本の大学院でも、受験資格として「一級合格」を、あげているところが多いのです。

「私は、大学で6年間、日本語を勉強しました」
確かに、短大で三年、四年大で三年勉強しています。本人はごくまじめで、素直な学生で、才弾けたところがないにしても、コツコツと勉強していくタイプですから、ある程度の時間が経てば、こういう試験には合格できるはずです。ところが、合格できていないのです。

 内モンゴルでも、日本語能力試験に準ずる試験で、「二級レベル」には合格していましたから、来日して、三ヶ月で「N1」を狙っても少しも不思議ではないのですが…。

 本人も期する所はあったのでしょう(私から見ると、「無理だな」だったのですが。つまり、「漢字(文字語彙)」と「読解力」が弱いのです)。去年の4月に来日した学生のうち、四人(内モンゴル二人、朝鮮族一人、インド人一人)が合格していましたから、よけいショックだったのでしょう。

 私が中国の大学で日本語を教えたとき、大学の教育カリキュラムというのが、とても不思議でした。だいたい一年か二年程度で日本語の基礎(「「N1」レベル)が終わるところを、無理に四年に引き延ばしているという感じがしていたのです。当然のことながら、やる気に溢れていた学生も、飽きてしまって、やる気を失いがちです(やる気もあり、努力もする。しかもある程度の能力もあるという学生には、どんどん本人のレベルより、少し高いレベルのものを、内容を加味しながら与えていった方がいいのです)。

 ところが、そうではないのですから、(大学での勉強に)飽き足らない学生は、インターネットを利用して日本の映画を見たり、アニメーションを見たりして、自己満足に陥りがちです。ヒアリング力はつくでしょうが、それは、系統だった計画のない、つまり教育的配慮がなされていない独学でしかないのです。しかも、読解力というのは、母国語教育で獲得しておくべきものなのです(すでに二十歳は過ぎているわけですから)。子供達のように、それを日本語で獲得するというわけには、いかないのです。

 今、彼は必死です。今週、12月の「N1」の申し込みをします。私から見れば、もう一度、「上級」の教科書を学んだ方がいいのではないかと思えるのですが、それは(彼の)気持ちの上からは難しいのかもしれません。(今年の四月に来た)彼と同じような経歴を持つ学生がもう一人います。この青年も、一人で出来ることは皆しているようなのですが、内モンゴルにいる時には、「二級レベル」にも達していなかったのです。

 「一人で出来ること」というのは、「一級の文字語彙」や「一級文法」ひたすら、暗記することでしょう。せっかく日本に来ていながら、生きた日本語を学べる環境にあるというのに、内モンゴルにいたときと同じことをやっているのです。相変わらず、「(頼れる人がいないから)自分で何とかしなくてはならない」というやり方でやろうとしているのです。

 今は、何を言っても聞こえていないようです。中国で、いい加減にやってきていた人だったら、却って説得できたのかもしれませんが、こういうタイプ(これまで、学校や教師に頼らず、一人でやって来た。それで、成功してきた。ここでも、同じやり方で成功できるはずだと思い込んでいる)には、今は、何を言っても無駄なのです。失敗してみて、初めてわかることなのかもしれません。

 去年来た内モンゴルの学生(大卒者、四人)は、母国では二ヶ月ほどしか日本語の勉強をしていなかったそうです。そのうちの一人は、来日したばかりの時、ちょうどこの学生と同じように、非常に頑なでした。頼りになるのは、うちモンゴルの友達のみ、といった感じで、何を言っても「でも、友達はこうした」とか、「でも、友達はこう言っている」を繰り返していました。

 「それで行けるものなら、この日本語学校で学ぶ必要はない。すぐに、その人が行っている大学院へ行ったらいい」とか、「友達(来日してまだ一年くらい)が、それで出来るというなら、言われたとおりにやってみろ。できっこないから」とか。あるときは「その友達が、日本人の我々よりも日本のことを知っているというのか。よく考えてみろ」と言って、よく遣り合ったものです。

 学校は、ビザの関係で出て来る(出席率)ものの、「(勉強は)おまえ等になど頼るか」という態度がありありとしていました。それが半年を過ぎる頃から、変わって来たのです。今では、何でも言いに来ますし、聞きに来ます。頑固ではありますが、「わかれば」、人は変わります。

 さて、この学生はどうでしょうか。日本に適応出来ぬまま、どれほど、損をしていくのでしょうか。普通の能力しかない人間にとって、独学で成功するというのは至難の業です。彼らのところでは、それでも成功できるかもしれませんが、日本では…難しいでしょう。速く頭を切り換えた方がいいのです。ただ、今は何を言っても無駄でしょうが。
   
 今度は「喜」です。
 朝鮮族の大卒の学生でしたので(朝鮮族の学生にとって、日本語はそれほど難しいことではありません。特に大卒者にとっては。それで、こういう人が「N1」に合格できても、私たちはそれほど「よかったね」と言って、共に喜んだりしないのです)、通知を渡し、「合格したよ」と言っただけで終わったのですが、本人はそれでは済まなかったようです。

 わざわざ、授業を抜け出し、他の教員の所へ、「訴え」に行ったのです。
「私はとても嬉しいのです。中国にいた時は、ずっと学校で勉強していたのに、「四級」にも合格できませんでした。駄目だったのです。それが、4月に来て12月には「二級」に合格し、この七月には「N1」に合格できました。私は本当に嬉しいのです」

 そんなに嬉しかったなんて知らなかった…。モンゴル族やインド人が「N1」に合格できたら、一言か二言(喜びの言葉を)付け加えたでしょうが、彼には、何も言ってやらなかったので、溢れる思いの捌け口がなく、他の人のところへ「訴え」に行ったのでしょう。

 さて、来年の三月には卒業せねばならぬ学生達のことです。来年、追い出される運命にあることがわかっていますのに、まだ進路を決めかねている人が少なくありません。中には、専攻すら決めかねている者もいます。これは、本来なら、論外というところですが、日本と中国では、大学のあり方がかなり違っているので、自身でオープンキャンパスへ行き、質問しながら、確かめていくしかありません。大学ごとに色も違いますし。

 日本では、経営学部に入ったのに、地元の学生で経営を希望する者が多かったからとか、そういった理由で、他の学部に回されることはありません。それどころか、大学で経営を学んだのに、大学院で他の学部を受験したいなんて言えば、皆が目を剥いてしまうくらい、専攻が重視されています。大学は学ぶところで、大学院は研究するところ。大学院では大学と同じことはしません。

 大学で、ある専門を学んだ学生ならいざ知らず、他学部の学生、しかも、その専門についてほとんど何も知らないし、学んだこともないという学生が、大学院で何を研究しようというのでしょう。独学で研究書を読みあさって論文を発表したり、研究会へ出席したことのある人なら別ですが、大学四年間、特に専門に分化してからの二三年というのは、それだけの重みがあるのです。

日々是好日

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