当日和歌山市からレンタカーを東に走らせる中、ナビ画面に「八坂神社」が表示されたので、ここに寄り道してみることにした。
紀の川市の八坂神社。
予習なくその地に入り由緒を見た僕は、その古さに目を見張った。
大同2年(807年)に最澄が京都の八坂神社から勧請したとある。
最澄が空海に先駆けて紀ノ川沿いを歩いていたとの情報が新鮮だったし、なぜ八坂神社を、との疑問も湧く。
もう一呼吸おいて、大同年間の京都の八坂からの勧請、との記述に違和感を抱く。
京都の八坂神社の縁起は、
〈貞観18年(876)南都の僧・円如(えんにょ)が当地にお堂を建立し、同じ年に天神(祇園神)が東山の麓、祇園林に降り立ったことにはじまる。〉
とある。
このように時間にズレがある。
御霊会で牛頭天王を祀った祇園祭を八坂の起源とするにしても貞観11年(869)のことだ。
さて、どのように解釈したら良いものだろうか。