そらみつ みそら file  ~To Provide You With Unity~

こころとからだについて、気がついたことを書いていきます。
『』の中の言葉は、見えない世界から伝わってきたものです。

『御用!』の顛末 5

2022-12-31 14:21:00 | Weblog

『御用!』と呼ばれた日。

『切り替わり』と伝えられていた日。

その神社で再生したのは僕にご縁の深い神だった。

それが原因だったのか、以来有用に動かされる感が強くなったように感じるのは、数ヶ月経った現在のことだ。

気持ちが軽くスパスパ動けるようになったのは明らかで、気のせいではない。


それに負けない強烈な切り替わりが何だったか、神社での事故の3日後に判明した。

アクシデント前日に大変お世話になった方が逝去されていたことを、ご子息からの電話連絡を受けて知った。

コンサルタントとクライアントという関係で始まった付き合いであったが、人情の懐深く他人との垣根がない方で、僕の方が学ぶ立場だった。

何日か前に、彼が僕の背中にのしかかるようにおぶさり、重さに耐えられず僕も一緒に潰れる夢を見ていて、僕は別れを覚悟していた。


その日は大阪で仲間の神社行に参加していたが、電話を受けて力が抜け放心状態になった。

外界の音は耳を素通りするようになった。

覚悟はしていても、別れは別れと分かるまで別れではなかった。

一人になりたいと願ったが、解散して一人になると胸の堰が切れて噴出した。


二日後、都内で告別式。

山梨も都内も晴れの予報なのに、電車が新宿に着く頃にはしっとりしめやかな雨模様に落ち着いていた。

ゆっくり故人に挨拶して、なんとか踏ん切りがついた。

彼のような温かな力強さを僕も人に向け続けなければいけない、と、ふつふつ自然に湧き上がった。

それ以外に自分の慰めよう、治めようはなかった。



その気持ちそのままに来年を歩みます。

皆様どうぞ、良い年をお迎えください。

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『御用!』の顛末 4

2022-12-30 16:27:00 | Weblog

季節外れの寒さの、乱気流にはまり込んだような一日が終わった。

B神社に祀られるある神の再生、ということだった。


ここの主祭神はウシ関係。

ウシを屠りウシのエネルギーの復活再生を歓喜するのはミトラの秘儀であることを僕は思い起こした。

本殿に鎮まるいのちはそれを求め、人間の慌てようをおもしろがって見ていたかもしれない。

見える世界に生きる我々はただ懸命に生きる。

鈴緒に登る勇猛な神事の途中で落下し怪我を負った彼は犠牲者ではなく、やはり再生を体現した者として、霊性の階段を登りゆくのかもしれない。

彼が幸い軽傷で済んだことは後日聞いている。


禍いの顔をした福。

そう思えるのは、僕に降りた言葉がSさんのご主人経由でB神社に伝わり、ありがたい話と神職に受け止めてもらえたと聞いたからであり、Sさん一家も神社の主祭神との深い縁を噛み締め、本家にあたる遠方の神社まで参拝に出るまでになったからである。

その参拝の旅の直後、夫婦でコロナウイルス感染、発症。

その結果、Sさんは長く気にしてきた味覚障害が治るという、通常のコロナ感染者と反対の道を辿った。

さらに、活性化はご一家全体に巡ると僕は見ている。


一つ、付記しておくべきことがある。

怪我人の介護に走ったSさんが「素人」と書いた。

これが僕の大いなる勘違いで、Sさんは結婚前に准看護師をしていたのだった。

神社関係者でも土地の者でも医療関係者でもないのに現場に乗り込んでしまった「部外者」は僕だけであった。

しかし、Sさんの過去の職業など条件が揃っていなければ、アクシデント的に僕がそこに入ることはなかった。

『御用!』と緊急呼出するだけあって、ことを現実化するための見えない世界の突破力はハンパないのだった。

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『御用!』の顛末 3

2022-12-29 15:43:00 | Weblog

僕は医療関係者ではないのでお呼びではない。

だが二度のアナウンスでも誰も動く様子がなく、気になってきた。

仕方がないな、という表情でSさんが小走りに拝殿に向かった。

人が困っているのを黙ってみていられないSさんだから、素人ながらできることをと考えたのだろう、よし、僕もと続いた。


怪我人は賽銭箱を背に横たわっていた。

頭部から流血し、顔を青白くして目を見開いていたが、一刻を争うような状況ではなさそうだった。

だが、どのように対処して良いか知れず、関係者が手を出せずにいる様子である。

そこへSさんが躊躇なく歩み寄り、かがんで男性を膝に抱く。

「目もしっかりしてるし大丈夫、足を温めてあげて。」

場が活気づいて、毛布を用意するなど人々が効率よく動き始めた。

医師免許を持っている男性がやってきて、Sさんの後を引き継いだ。

程なく救急車が境内に入ってきて、ストレッチャーに男性を乗せて出ていくと、皆が一斉に息を吐き出したかのように緊張が緩んだ。

僕はことの次第に戸惑いながらも、男性の回復と場の浄化を祈った。


拝殿ではバケツに水が用意されて、褌姿の男たちがデッキブラシでコンクリートの床を勢いよく擦り流していく。

本殿からは神職が拝殿に斜めに体を傾け、祝詞を唱えている。

次の神楽へと進む前に物心両面の清めが阿吽の呼吸で滞りなく進められていく。

空気が変わった。

ここまでを確認して、一通りことが終わったと肩の力を抜いた。

遅い昼食を買いにコンビニへ向かうか、と時計を見るともう14時を過ぎていた。

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『御用!』の顛末 2

2022-12-28 15:53:29 | Weblog

自分にとって区切りの日ならばと、時間があるのをいいことに僕は早朝6時から意気込んでホテルから山へ、次の山へと早歩きに巡礼よろしく参拝行して、Sさんには出向いた先で昼に車で拾ってもらうことにした。

誤算だったのは、14時ごろからと予報されていた雨が11時前には降り始め、強まっていったこと。

傘を持っていなかったので、足止めされた神社で雨宿りし、その後の散歩を諦め、迎えの場所を変更してもらってSさんを待った。

 

僕はSさんのご主人が奉納した社の写真は鮮明に覚えていて、それがB神社の本体だと思っていたのだが、それは勘違いで、奉納先は摂社だった。

そんなわけで、鳥居の前に立ったとき、神社の立派さ、のぼりが多数立つ祭りの規模にたまげていた。

長い参道の両脇に設営された出店は、弱まる気配のない雨で少し寂しいことになっていた。

足元はぬかるんでいて、白いパンツ姿のSさんは後悔している。

この雨のせいで、今日の本宮祭りは本来より短縮、縮小されて進行するという。

コロナウイルスのせいで3年ぶり開催となった祭りを楽しみにしていた方々には残念だが、それでも境内の熱中がどよめいて伝わってくる。

 

氏子は4つの地域に分けられ、それぞれが山車を持つのだそうだ。

社殿に順番に山車ごと入り、神事が行われる。

Sさんの地域が筆頭で、ちょうど拝殿の中に入っている。

大太鼓が轟き、掛け声が響く。

出てきた山車が勇猛に揺らされる。

 

Sさんのご主人がやってきた。

祭りに参加する他の面々と同じく鉢巻に褌姿である。

山車を引回す男たちは若い連中だが、氏子の男性は年配の方まで一様にその姿で気合を見せている。

 

次の組がやってきて、拝殿に入っていく。

違う色の鉢巻に飾りもので、組の違いが一目でわかる。

地域ごとに拝殿で受ける神事は違ったのだろうか。

定かではないが、手順は少し異なっているように思えた。

拝殿から出ると、山車は最初の組とは別の場所に控える。

 

順調に次の組へ。

拝殿は、本殿に向けて真ん中に幅2メートルほどの通路があり、両側は膝上ほどに段が高くなっている。

通路で行われている神事を、一段高い両脇から観客が見守っている。

うろうろと拝殿の横に歩いてみたが、屋根がある拝殿スペースはいっぱいで、人が入る余地はあまり残っていない。

情景を見ながら、僕がここにいる理由はなんなのだろう、とわざわざ呼ばれたことを思い出したが何も思い当たらない。

神社全体の様子をぶらぶら眺めて、Sさんたちのいるところに戻った。

 

最終組が入ってきた。

山車が拝殿に同じように進み、準備を始めた。

時間が経過するが、拝殿はひっそりしていてこれまでと様子が違う。

少し妙だ。

「遅いですね」

と言ったか言わないか記憶は曖昧だが、そのぐらいの時間は経った。

と、柱に据え付けられたスピーカーから

「医療関係者の方、いらっしゃいましたら至急拝殿までお越しください。」

と異変を告げるアナウンスが流れた。

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『御用!』の顛末 1

2022-12-27 16:49:00 | Weblog

早朝ベッドでまどろんでいるところ、太字で黒々と書かれたメールの件名がビジョンで見えた。

<Aで御用! B

とある。

Aはある地方都市の名前で、僕がそのとき宿泊していた町だった。

Bは人の名前か地名と推測される。

そのメッセージの主張の強さに気圧され、モゾモゾとiPhoneに手を伸ばしてABを検索した。

Bは果たして、A市にある地名だった。

地図アプリを開くと、Bの地名を冠した神社が見つかった。

それを見て、そこの神社に建造物を奉納した写真を送ってくださった方があったことが頭をよぎった。

奉納の相談も受けたような気がする。

少しずつ記憶がはっきりしてくる中、まさに今日がその神社の年に一度の大祭の日だったことを検索結果に見出し鳥肌が立った。


奉納した方の奥さんはよく神事にもご一緒するSさんなので、連絡をとってみると、

「昨日と今日はお祭りです。」

と返信がくる。

昨日が宵宮、今日がメインの本宮だ。

前日、経営する店に山車がやってきて、上部先端がぶつかるギリギリまで自動ドアから入り、威勢をつけてくれた写真が添付されていた。

神社は店からすぐ近くなのだと言う。

時間があるなら今日そこにお連れしますよ、とのありがたい申し出に是非ともと応じる。


実は4日前に、今日が僕にとって『交替』の区切りの日だと伝えてきている。

何かが用意されているのだろうか、わずかな間に一気に整った。

都合の良いことに、直前のキャンセルがあったせいで予定が空っぽになり、どのように一日を過ごそうかと思案していたのだった。

不可解なスケジュールには必ず理由があるというこれまでの経験をさらに濃く裏付けた一日の始まりだった。

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習慣化

2022-12-26 16:26:00 | Weblog

50歳代女性からのメール。

2ヶ月おきに、これまで3回のセッションを受けてくださった。


〈みそらさんのセッションを受けてから体調もですが、精神的に以前より随分良くなってる事にフッとした時に気付かされます。

簡単に言うと人頼りだった色々な事が気付いたら自分の意思で決めていたり動いていたりしている事です。

人に対する依存心が薄れた様な気がします。

最近それに気付いて、自分でもビックリしました。〉


生活上の習慣の、それも意思という捕まえにくい精神的な部分での変化にはなかなか気づかずにいるものだ。

ポジティブな方へなら尚更だ。

自分の内側の細かな観察があって可能なことである。

変化も喜ばしいのだけれど、気づける細やかさに目が引かれた。


快活で人の面倒見が良く、決断、行動は自分でずんずん進める印象のある方だが、外からは見取りにくい繊細さと心細さが確かに同居している。

もちろん、それは人への絶え間ない温かな思いやりという揺るがない長所に地続きなのだけれど。


〈ご連絡感謝です。

人任せにせず自分で決めるように、自然に自分に促していること。

そしてそれが無理でなく、自然に決断できること。

これら、意味は大きいです。

それに気づいてビックリしたと書いていらっしゃいましたが、そのおかげで毎日が楽しくなっていることにはお気づきになっていませんか?

きっとそんな日常がこの先に続いています。〉

と返信したら、

〈はい。その通りです。

毎日、楽しく過ごしてます。

意識せずに、そう過ごせてる事に気付いて嬉しくなります。〉

と即座に返ってきた。


意識せずにそう過ごせている。

この言葉が、依存から離れる思考が習慣化して根付いたことを証明している。

おそらくこれまで持ち続けてきた苦しさ、弱さへの自覚があったことだろう。

何歳からでも変わることができる。

喜び溢れる日常に、今このままで切り替わることができる。

その実感に彼女も浸っていることと思う。

こういう人が人生の奥深さを語るのは、説得力あるものになるだろう。

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『もっと祝った生き方を』

2022-12-25 17:32:00 | Weblog

心身の不調を脱すると順調に職が見つかり、2ヶ月前には晴れて正社員に採用されたと笑顔で語ってくれた40歳代の女性。

2ヶ月おきに会うたびに嬉しいご報告を聞けていたのだが、今回は

〈最近はよく気分が落ち込んで少し無気力になることがあります。

腰痛も出てきました。〉

という。

僕には首がズンと重く感じられるのだが、彼女にはそれはめまいになる。


『周縁的な事柄』

と伝えてきた。

『いろいろなものと接して関わりがややこしい』

状態。

小難しい表現で始まったが、言葉を変えると、周りの人の辛さをもらって「受けて」いる状態だった。

彼女はそうと認識していない。

まずは、自分の痛みと深刻に捉えるのをやめるよう伝えた。

会社で周りに悩んでいる人はいないか尋ねると

「横に座っている人が悩んで泣いていた。」

との答え。

その人に対する簡単なアドバイスを伝えてあげたが、うまく届くかどうか。


『もっと祝った生き方をしなくてはいけない』

というのは、相談者の女性への言葉だ。

生き生きと喜んだ生活をし、周りで苦しむ人にそのエネルギーが流れ移るほどになれば何も言うことはない。

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陽への転換

2022-12-24 18:25:00 | Weblog

昨日は新月だった。

一昨日の冬至で日が長くなり始めるのと、月が最小から大きくなり始めるのとが一緒のタイミングで起こり、物事を新調していきやすい時だったのではないだろうか。

僕にとってはそうだった。


朝のうち、目を瞑ると神紋らしきものや寺にある天蓋のようなものが浮かんでいたり、カラフルな衣がゆらめいていたりと、ちょっと珍しいなあと面白がっていた。

新しいものと接点ができてきているのだろうか。


年の瀬でこれからスタートというものではないが、来年に向けて身辺を整え、何にでも対応していきやすく、働きやすい環境が整ってきつつある。

陰が極まって陽に転換する冬至と新月の連なりで、宇宙の呼吸に自然と調子を合わせさせられたか。


毎日を丁寧に、より精緻に過ごすことにより感覚は穏やかになり、穏やかになった感覚が行き届いて精妙な毎日をもたらす。

あらゆるものが恵みと、一瞬の欠けもなく信頼し続けられることをいつも祈る。


しかし、我々の迷いですらパズルの大事な一片だ。

宇宙には余裕も遊びもあるのに無駄はない。

過不足がない。

この驚異にはいつも節々で嘆息させられる。

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『要素はたっぷり揃っている』 2022年冬至

2022-12-23 16:05:00 | Weblog

早起き加減が以前よりずっと穏やかになった。

一時期は過激なほどに早起きだった。

さあ一日の始まりだ、と意気込んで起き上がるとまだ日付が変わっていない、ということが頻繁にあった。

そこまで早いときはさすがにもう一度布団に入っていたが、午前3時といえば季節を問わず行動を開始する時間だった。

今は一般的、模範的な早寝早起きという程度になり、場合によっては9時間もの睡眠を楽しめるようになった。

この方が自然で、脳も身体も滑らかに気張らない働きをする。

ショートスリーパーの頃はもっとせっかちだった。


そうは言っても、今の時期の日の出の遅さにはだんだん倦んでくる。

カーテンを開けたい、外に出たい、と思っても6時台ではまだ暗い。

そんな僕にとって冬至はまさに一陽来復。

これからだんだん日が長くなっていくのだと焦れが解け始めるときだ。


『今年の1222日は予定を空けておきなさい。』

と言われ、前後の予定からして関西でどこかに呼ばれるかなとゆったり構えていたら、113日に遠隔セッションを受けた方に、

「今年の冬至は、自分はどこかに呼ばれているようですが、どこでしょう?」

と質問を受け、淡路島の地名を降ろしながら、それは僕の行く場所でもあると直覚した。


神戸では雨に始まり、霧で見通しがない中をセンターラインを頼りにうねうね山道を登る。

淡路島の諭鶴羽山では、自分たちのいるのとそう変わらない高さを、乳白色の大きな雲の塊が、やすやすと強風に押し流され、背後の空の青の眩しさを目に焼き付けられるかと思うとまた追い立てられた雲が壁になる。

頭上では薄雲が、絹布が糸に分解されるように煽られ吹き払われていていく。

最後の先山千光寺では、山門の手前でだけ雪が粉と舞った。

微かすぎるしるしだった。


昨日の参拝行は気象の厳しさに反して暖かかった。

3年くらいそっちにいるよ』

と軽い表明をして加わってくれる存在。

その背後には、これから先を

『みんなで楽しみにしている』

と、団欒をしている複数の笑顔が見える。

別の場所では

『今からそっち行こう』

とざっくばらんに入ってきてくれる存在もあった。


今までもこうだったのだ。

歯を食いしばり気合を入れて進む道ではない。

持つ者ができることを請け負い、気遣い合いながら進もう。

人の自由のヒントが見えてくる2025年に向けて。







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「考える」と「悩む」

2022-12-22 17:46:00 | Weblog

仕事を辞めたいとか人間関係がとか、悩みとしては深刻なのは分かるのだけれど、まずは身体に目を向けてどうにかしましょう、と提案したい。

身体の不調のせいで気持ちも滞り、日頃の実力も気遣いの能力も思うように発揮できず、自己嫌悪に陥って逃げに入っているのではないのか。

まずは正常な思考を取り戻すことが先決だ。

身体を元通りにするだけで、思いのほか容易にそれは戻ってくることが多いのだ。

自分がどうあれば良いのか、そもそも悩むに足ることなのか、問題が違って見えてくることだろう。


具合が悪くなると、具合が悪いなりにしか頭は働かない上に、後ろ向きな思考ばかりを寄越してくる。

調子の良いときの考え方は再現できない。


体調は悪くないと思い込んでいた人が、身体のケアを通じて元に戻ったときに、ああ本当はこんなに軽いものだったか、と感慨に浸る。

人って器用にできていないものだと僕は思うのだ。


逆もある。

体調が良いと、悪い人の観点を自分のものにしにくい。

これも気をつけなくてはいけないことだ。


考えがまとまらないときは寝転んでしまう。

本を読んでいて頭に入らなくなったな、と気づいたらさっさと寝転がり身体を変えてしまう。

それが僕の日常のケアだ。

疲れ始めで気づいてあげて気の入れ替えをしてしまえば、おおごとに至らない。


食べるのは解決にならない。

気分転換にはなってもそれ以上のものではなく、かえって重くなる場合も出てくるし、食べるものによっては長期的には健康に影響が出てくる。


生産的な考え方ができないときにはいくら考えても前に進まない。

時間の無駄になるから、ほんの10分ほど寝転がって身体を変える。

生産的に考えられる時間が増えると、それが脳の自然な状態になっていく。


いつも良い状態にしておいてから考える、それだけだ。

そうせずに身体が重いまま頭を使うのは、「悩む」ということになる。

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