11月22日は北九州の響灘、女島に向けて祈れと伝えられていた。
8月5日に降りてきていたことだ。
3ヶ月以上先の話なので、頭に残すに留めておいた。
8月31日に夢を見た。
体育館のような建物の中、中央のスペースを囲んでロの字にパイプ椅子が配置されていて、どこに座るのも自由らしい。
前方中心には贅沢ではないが飾られた肘置きと背もたれのある立派な大きな椅子。
そこにはローマ教皇が座ることになっている。
クリスチャンの知人の導きでその場に連れてこられた僕は、一旦はローマ教皇の後ろ側に座ろうとした他の知人についていこうとしたが考え直し、少し離れた場所から見ることにした。
なんということもない夢だったが9月上旬にローマ教皇フランシスコの来日が発表されたのだから、予知夢として扱えばいいということなのだろう。
11月24日に長崎に来場ならば、22日の北九州も含めて予定を組むのは簡単なことだ。
混雑を予想してさっさと長崎市内のホテルを予約した。
夢の様子からして、僕はローマ教皇と同じ空間にいることを求められていない。
来場少し前に会場入りし、待っているのだ。
ホテル確保、飛行機予約までは速かったがその後は行動が遅かった。
長崎の爆心地公園でのスピーチ、午後の県営球場でのミサという予定は把握しつつアクションを起こさなかったので、ミサの申し込みはとっくに終わっていた。
13時半からのミサには参加しようかと考えていたが、僕はクリスチャンではないので多少気がひける部分もあり、あっさり諦めた。
それで良いのだろう。
博多から長崎へのバスを予約したのは前日。
出来るだけ早いバスと考えもしたのだが、指定されたのは9時半過ぎに長崎駅前に到着するものだった。
それ以外の予定を練るのは実際にバスに乗車してからになった。
当日の教皇の行動をウェブで調べ、イベントが行われる場所をグーグルマップでチェックする。
教皇は9時20分に長崎空港に到着する。
長崎空港は市内から離れていてJRでのアクセスはなく、中心部に入るには高速道路を利用するのが普通である。
博多からのバスと同じルートを辿るから、僕の乗るバスは教皇の乗る車より少し早く同じ道を通過することになる。
インターを降りると一定の間隔で白のレインコートを着た人が立っていて一目で警備とわかる。
写真でもわかる通りかなりの雨だった。
(これは想定外。。)
その辺りで気付いたのだが、バスはイベントが行われる爆心地公園の前を通り、長崎駅に向かう。
爆心地公園の前には停留所がありバスを降りられる。
当初終点の長崎駅で降りて徒歩で近い西坂公園に向かえば、そこで行われる二つ目のイベントにちょうどのタイミングかと思っていたのだが、直前の判断でバスを降りた。
沿道はすでに多くの人だかりで車でやってくる教皇を一目見るにはそこそこ後列になる。
人混みが苦手な僕はそこを諦め、爆心地公園をスーツケースを引いたまま一回りすることにした。
公園裏側に回るとイベント会場がモロ見えだった。
こちらにはほぼ人がゼロ。
ゆっくり歩いていると警備の人がやってきて、あと5分でここは立ち入り禁止になるとのこと。
で、その裏手の丘を上る。
若干遠くなるだけで見通しは良い。
この場所は時間を追うごとに混み始めた。
雨は相変わらず強い。
コンバースの中はもうびしょ濡れだし、リュックも傘で隠しきれていない。
スーツケースもチャックから水が侵入しているかもしれない。
その時にはもう僕がここに来させてもらった意味はすでに終わったらしきことを伝えられていた。
と、長い長い雷鳴が轟いた。
いつまでたっても低い音が響いて終わらない。
近くに落ちそうとか心配させるものではなく、教皇到着を飾る自然の演出に思えた。
稲妻も光るようになった。
白バイ3台とパトカー、赤色回転灯を光らせた黒いセダンに先導され入ってきた車の後部ドアが開き教皇が降りられたのがはっきりと見えた。
(静止画では今一つ残念な結果だ)
入り口で出迎えた人と少し言葉を交わした教皇を囲む一団はイベント会場奥に進んでいった。
『Farewell, scoundrels』
今回の訪日は不要なものが地上から取り除かれていくきっかけの一つとなるのだろうか。
雨はそこまでだった。
イベント終了を待たずに僕は長崎駅に移動し、スニーカーと靴下を買って外に出るとそこからは傘要らずだった。
ミサの行われた午後には雲一つない晴天となったのには驚いた。
多くのものが浄化されたのだろう。