7月5日、茨城県の大生神社で、
『最後に破壊を生み出すのは人間。
おさめるカードを切れ。
神と対話せよ。
白山の森。』
と伝えられました。
そう言われても現時点で石川県の白山に行く感覚は出てきません。
しばらくそのままにしておいて一週間ほどで、明け方に突然ビジョンが見えました。
『長野県南部の山!』
と言われて見えたのは秀麗な山容で、頂上付近が赤く染まっていました。
白山、長野県南部となると6月6日に行った飯田白山神社が思い浮かびます。
その日に行ったのは里宮ですが、本宮は風越山頂上付近にあります。
ウェブの写真をチェックしてみると、わたしが見たビジョンそのままのかたちをしていますし、拝殿が燃えるような赤色でした。
7月15日に時間を確保し、前日にルートを確認しました。
飯田市民が一度は登る山と言われていて、コースも安全なようです。
信仰の山としてひらいたのは加賀白山同様、泰澄です。
雲一つない晴天は気持ちよいのですが、木に遮られない日なたでは灼熱となり、体力を奪われます。
スタートが10時近くともう暑い時間帯に入っていたので、体の動きを最小限にして歩き続けました。
今回は足元の重い登山でした。
2時間弱で白山神社に到着。
ところが
『白山の森で対話』
のつもりがなかなか声が聞こえません。
祈りの後も休憩がてらしばらく仮眠をとりましたが、その場で聞こえてきたのは、
『悪霊は退散する構え』
『ま~るくおさまる』
の2つの言葉だけでした。
この山で悪霊のイメージはつかめなかったのですが、後日報告した友人から、
「最近世間のニュースでも、世に蔓延っていた隠蔽気質の悪霊の、
闇の衣が剥がれてきた感じですね。
少しずつ、少しずつですが良い方向に動いている気がします。」
というメールをもらい、その考え方にわたしも納得できました。
『最後に破壊を生み出すのは人間』
を思い出しました。
なお、翌日には今回の神事を、
『ピンポイントでいい感じ』
と伝えてきました。
ただ一人黙々と山を歩き続けることが、自然との対話だったのかもしれません。