以前にもどこかで書いていることだと思うが、あらためて。
神社の性格はさまざまであって、祀られる神によって違うだけでなく、祀られる状況によっても違う。
大きさは関係なく清潔にされ心地よい空間が確保されていれば、そこにいる存在も気持ちよく我々を出迎えてくれる。
そうでない神社がたくさんあることは残念であるが、否定はできない。
そういった清潔か、心地よい空間か、というだけで判断できない中身もある。
祭神がさまざまな事情で入れ替わり、名前を変えられていることは歴史上いくらでもあることで、神の方で困惑していることも少なくない。
明治維新後の混乱期に多かったことで、混沌を急いで整理しようとして無理を通したせいだ。
感覚の鋭い方なら、拝殿前に立った時に違和感を感じた経験もあるだろう。
参拝すべきか否か、はその人の目的によって答えは違ってくるだろうけれど、呼ばれていると感じるならば足を踏み入れてみる価値はある。
整っていない場所に呼ばれるエネルギーが浄化のために必要とされることがあるのも全く不思議ではない。
気をつけておいてもらいたいのは、どこに行くにせよ、エネルギーはやり取りし合っているということだ。
自分だけが何かを得ているのではなく、差し出してもいるのだ。
だから、できるだけ清い気持ちにしていきたいのはもちろんのこと、もらうばかりでなく、気持ちよく感謝の気持ちを渡してくることを考えておきたい。
神社に限らずどこに行った際でも、場はこちらが持っている気持ちと共鳴するものであって、滞りのない晴朗な気持ちを渡してくるのならば、思わぬ悪い結果をもたらされることなどないものだ。
「何を感謝したら良いのか?」
と聞かれることもあるけれど、思いつかないのであれば
「ご縁をいただいたこと」
に集約してしまって良いと思う。
あとは、できるだけ何かを期待して行かない方が良い。
つまらないからだ。
全く予期しなかったところで、思わぬ言葉をいただいて驚いたり感激したりすることはあるけれど、それは案外予定せずに立ち寄ってみたところであることが多い。
僕にとってみるとこの間の今宮神社のケースがそれだ。
もう一つ。
よほど気持ち悪いと感じるならばわざわざ突っ込んでいく必要はない。
念のためだけれど。