緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

日々の発見と思いのあれこれなど

ヒェ~~!! スズメバチの巣がベランダに

2020年07月31日 | 日記
ベランダのアケビの実にカメムシが付くので、ブロ友のてちこさんに教えられたミントスプレーを吹きかける方法というのを試してみました。
家にハッカスプレーがあったからです。

その時、近くに奇妙な物があることに気づきました。
これです。

分かり辛いので露出をあげて撮影するとこんな感じ。

ハチの巣じゃないのかと思い、真下から、露出を上げて、中がよく見えるように撮影しました。
やっぱハチの巣です。

でも蜂なんか見かけないよ。
作りかけで放棄したのかなと思い、ネットで調べてみました。

するとスズメバチの巣で、作り始めのものだと分かりました。
女王蜂だけだから見かけなかったらしいです。

ど、ど、どうしよう(´;ω;`)


我が家の“食い尽くし系”

2020年07月28日 | 話題
最近、ネットを見てて“食い尽くし系”なる言葉を知りました。
ネットスラングの一つみたいですね。
意味は、ある特徴を持った人々。

私が最初に知ったのは、読売新聞の有名な悩み相談サイト「発言小町」です。
ある女性の相談で、彼氏と別れたい、どう言って別れたらよいかというようなものでした。

その別れたい理由なのですが、その女性の彼氏は一緒に外食すると、超速で自分のものを平らげ、その後、その女性の食べ物を食べたがるからだそうです。
欲しいというのを断ると不機嫌になり、嫌味をいうのだそうで、彼との外食が楽しくなく、それで別れたくなったそうです。

回答は「私が食べているものまで取ろうとするから」とはっきり言えばよいというものや、別れるのに理由をいちいち言わなくても良いというのが多いです。
それはまあ、そうだと思います。

回答の中に一つ「その彼氏は食い尽くし系だ。ネットで検索すれば同じようなことをする人の例がたくさん出てくる」というのがありました。
で、興味を持って私も食い尽くし系ーもしくは食べ尽くし系ともいうそうですがー、について検索し、調べてみました。

正直、こんな人達っているの?って感じでした。
有名な例は東日本大震災で避難所にいたある男性の行動で、彼は配給されたおにぎりを妻子の分まで食べてしまったらしいのです。

食い尽くし系の人の特徴とは、まさに人の分まで食べる、食べようとするということなのです。
別のある男性は奥さんが作った赤ちゃんの為の離乳食(リンゴのすりおろし)まで、「デザートだと思った」と言って食べてしまったとのこと。

他にも自分の皿の料理を「ちょっと貰っていいか」というので「いいよ」というと、半分くらいゴッソリと持っていった人や、冗談めかして人の皿に箸を伸ばしメーンの料理を持っていってしまう人。

大皿料理の場合は特に酷く、取り皿に取ることもなく直接ゴッソリと食べてしまう人。
取り皿で取っても、まだ取っていない人の分まで取る人。
とにかく人の分を残しておくという配慮がなく、自分だけで美味しいところを全部食べようとする人達なのだそうです。

家族にそういう人がいる場合は悲惨で、ちょっと食卓を離れた隙にメーンのおかずを取られてしまったり。
まだ配膳が終わる前に、テーブルに置いた料理をどんどん食べていったりもするそうです。
冷蔵庫に作り置きしておいた料理もいつの間にか食べられていたりで、作り置きということができないらしいです。
当然のことながら離婚案件にもなります。

食い尽くし系の人達の心理や対策というのも色々と書かれていました。
発達障害ではないかとかですが、そのこと以外は普通の人で、ハンドルを握ると人格が変わる人みたいに、食べ物(美味しそうな物・好物)を見ると人格が変わる人みたいです。
いずれにしても彼や彼女たちは、自分が悪いこと・恥ずかしいことをしているという自覚が全くないので、どれだけ言ってきかせても止めないそうです。

私の身近にそんな人はいたかなと考えてみると、母がそれに近かったかもしれません。
我が家は一人一人別皿で食べて、大皿に料理を盛り付けることはありません。
母は食事を誰よりも真っ先に食べ始め、他の家族が皆食べ終わっても食べていました。
個別に配らないで皿に盛った漬物とか佃煮、塩昆布の類を、結局、残すことなく、お茶を飲みながら食べ尽くしていたのです。

父はよく「いい加減にしろ」と言ってました。
「お前は川流れの褌(ふんどし)のような女だ」とも。
意味は「食いにかかったら離れない」「杭にかかったら離れない」です。
昔は川で洗濯していましたからそういう言い回しがあったみたいです。
ただ母の場合、決して人の食べ物まで食べようとはせず、その点、食い尽くし系とは言えません。

友人で思い出すのは、20代の頃、一人暮らしのアパートに友達が来て、昼ご飯を食べていないと言うので、鍋に作ってあった関東炊きを「好きなものを食べていいよ」と言って出すと「美味しい、美味しい。みどりさんって料理上手」と言いながら、かなりの量の関東炊きを全部食べてしまった人がいたこと。
私も「もうそれ以上は食べないで」とは言えなかった・・・・。

でも私、「好きな物を食べていい」とは言ったけど「好きなだけ食べていい」と言わなかったのですが。
おかげで夕飯のおかずにするつもりの関東炊きが消えて無くなりました。
でも彼女も、一緒に外食することもありましたが人の皿のものまで食べようとはしなかったので食い尽くし系ではなかったようです。

もう一人、思い出すのは自然観察ボランティア関係のある男性。
同じボランティアをしている女性で、みんなで食べる為にいつも手作りケーキを持ってくる女性がいたのですが、彼女が事務所の冷蔵庫にケーキを置いていたところ、その男性が一人でケーキを全部食べてしまったと聞きました。
ちょっとびっくりな話だったのですが、食い尽くし系の場合、食べる人と食べられる人との関係性にキーポイントがある場合もあるらしく(要するにマウンティング)、その例だったのかもしれません。

過去のことではなく、よくよく考えたら今現在一匹食い尽くし系が我が家にいました。
この方です。
ラッキー嬢です。

カリカリ等の餌をやると、自分のをもの凄い勢いで食べ尽くし、すぐにハッピーの傍に行き、ハッピーが食べているのを押しのけてハッピーのものを食べます。
ハッピーが餌を食べられないので、私はハッピーが食べている間、ラッキーを押さえていなくてはなりません。

一見仲良さそうなラッキーとハッピーですが、ラッキーの目は『私のものは私のもの、ハッピーのものも私のものだわ』と言っているみたいです。

PCR検査はなぜ増えない?

2020年07月25日 | 話題
「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」という諺があります。
意味は、羹つまり熱い煮物で舌を火傷してしまったことに懲りて、膾つまり冷たい酢の物をフーフー吹いて冷まして食べようとすることで、一度失敗したことに懲りて用心しすぎることの例えだそうです。

ほかでもない、木曜の朝のテレビ番組、「羽鳥慎一モーニングショー」を見ていて頭に浮かんだのはこの諺でした。

その日、キャスターの一人の玉川徹は、なぜ日本でPCR検査は増えないのかという疑問を調べるべく、その答えの一つを取材していました。
私もPCR検査が増えないこと、増やそうという姿勢が為政者に全く見られないことに疑問を感じていたので、興味を持って観ました。

取材に答えた人は国のコロナ分科会の経済面でのメンバーである経済学者の小林慶一郎氏でした。(以下敬称略)
小林慶一郎はコロナ禍の元、同時に経済を回すには広範囲なPCR検査が不可欠という立場です。
要するに経済活動優先か、活動を自粛して感染抑止かという2項対立で考えるのではなく、広範囲に検査し、陽性者を隔離した上で陰性者で経済を回していくという考えです。

私もその考えには賛成で、話題になっているGoToキャンペーンも、安心感抜きにキャンペーンを行っても、陽性者が多い都市部では、まともな人が旅行に行くとは思えません。
そんなこと構わない、旅行に行くという人は注意していない人であり、そんな人が旅行に行っても地方で歓迎されるとも思えませんし、結果的にコロナを広めることにもなりかねません。

陽性者が多い都市部の人が旅行に行く際にはPCR検査を行って、少数の陽性者はそのまま隔離し、陰性者のみ旅行に行けば地方も安心で、誰も文句は言わないと思うのです。
どうせ多額の費用をかけるのなら、そういう検査に必要経費として費用をかけても良いと考えます。

GoToキャンペーンは一つの例で、他には被災地にボランティアに行く場合、行く人はPCR検査で陰性を確認してから行く、ビジネスや親族の冠婚葬祭等で地方に行く場合も同様にすることができる筈なのです。
そうすれば皆安心なのです。

ではなぜそうしないのか。
そもそも新宿で多数の感染者が出てきた時点で、なぜその地域限定でPCR検査を網羅的に行わなかったのか、それが分からなかったのです。

小林慶一郎は分科会のメンバーとなって気づいたこととして以下のように答えていました。
感染症に関しては、日本にはずっと以前から厚生労働省の医系技官や国立感染症研究所などの人達を中心とした専門家のコミュニティーがあり、彼らが何よりも気にしているのは、人を隔離することによる人権侵害なのだそうです。

その理由は長年のハンセン病を巡る施策でした。
ハンセン病は1950年代には有効な薬が登場し完治する疾病になっていましたが、日本の場合、「らい予防法」によって隔離政策が1996年まで続いていたのでした。
日本では、すでに隔離する理由が無くなっていたハンセン病に対する恐怖から、当時の世界の潮流に逆らっても強制隔離し、患者に対し断種や堕胎まで行っていた重大な人権侵害の歴史があったわけです。

この事実が感染症のコミュニティーにいる専門家の人々のトラウマになっているらしいのです。
もちろん彼らだって、人に感染させる高いリスクのある重大な感染症に罹っている人達を隔離しなくてはならないことは誰よりも承知しています。
しかしPCR検査の場合、中国のデータによると0.003%の擬陽性が存在してしまうのだそうです。
つまり本当は陰性なのに陽性と判断されてしまう人達がいるわけです。

すると、たとえどんなに少数であっても、隔離する必要のない人を隔離することは絶対に避けなければならないと彼らは考えるようです。
それが、はなから広範囲なPCR検査を彼らが考えない理由なのだそうです。
その発想が私には「羹に懲りて膾を吹く」という諺を思い出させたのです。

正直、私はそんなことが理由なんですかと、思わずのけ反りそうになりますが、もしそうやって擬陽性の人を隔離し、後に裁判で訴えられた場合、日本ではまず国は勝てないのだそうです。

たとえば麻疹の予防接種も、日本では強制ではありませんでした。
その為、欧米諸国から麻疹の輸出国として長い間非難されていても放置でした。
子宮頸がん予防の為のワクチンも、日本でも当初は積極的に接種が勧められていましたが、副反応が疑われるケースが出たことにより、他の先進諸国のような積極的な接種が行われていません。

つまり裁判で争えば負ける事柄については、他国では常識であっても日本では積極的ではないようなのです。
同様にPCR検査も、擬陽性の人を隔離してしまうので積極的に行う考えはないらしいのです。

小林慶一郎は、感染症のコミュニティーの人達が、隔離することに異常なまでにセンシティブになっていることを伝える一方、ではどうするかについては、国民がその問題について活発に議論することを提唱していました。

もちろん新型コロナウィルスのPCR検査についての議論であって、ハンセン病や、麻疹・子宮頸がん等の予防接種の議論ではありません。
擬陽性で隔離といっても10日間程度であり、PCR検査を行ったからといって副反応もありません。

私自身、擬陽性で10日間隔離されたとしても別に構いません。
但し、擬陽性だったと分かった場合、はっきりと擬陽性だったと告知してほしいとは思います。
働いている人にはその間の収入を保証することも必要だと思います。

逆に今のように広範囲なPCR検査を行わないで、陽性の人達が自由に動き回っている状態は、罹りたくない人達は自発的に引き籠るしかなく、何をするにも安心感は持てず、大変な不自由を強いられてしまいます。
結果的に経済を回そうと思っても回りません。

感染拡大も収まらず、医療もひっ迫し、死者も増え、治癒した人も後遺症で苦しみ、あらゆることが手詰まりな状態になるでしょう。
そういう状況が、有効なワクチンなり治療薬ができるまで続くことになります。

小林慶一郎は裁判員裁判制度を例にあげて一つの考え方を示していました。
裁判員裁判で裁判員に選ばれた人は、時間も拘束され、当該の裁判について考える労力も要求されますが、それも国民の義務として受け入れています。
同様に、擬陽性で隔離されることになった人も国民の義務として受け入れられないか、ということです。

PCR検査が日本では増えないという理由は、小林慶一郎が分科会のメンバーとして知っただけのことではない、何か別の理由もあるのかもしれません。
いずれにしろ、一部のコミュニティーの人だけで悩むのではなく、国民全体で議論し考える必要のあることだと思います。
何しろ、国民一人一人の健康や経済、大げさでなく日本の未来がかかっていることですから。

恐怖の咳男

2020年07月18日 | 日記
関西では、神戸大阪間を同じように走っている電車でも、阪神電車の乗客より阪急電車の乗客の方が上品でマナーも良いと言われています。

でも何事にも例外があり(「それはお前だ」と言われそうですが自分の事は置いといて)、私の経験。
友人と会うために阪急電車に乗ったのですが、後から私の隣に座った男、途中から咳をし始めました。
なぜか、していたマスクも外し、立ち上がって扉付近に行き、その間ずっと咳込んでいて、手を口に当てるだけ・・・。

男の移動に合わせて、その辺りにいた人達は固まったり背を向けたり。
次の駅で降りるのかなと思っていたら咳の発作が収まったらしく元居た私の隣に戻ってきて、ちゃんとマスクを付け直しました。(それまで咳の間は外していた!!)

何なんや、お前はー

咳の間、マスクを外していたのは息が出来ずに苦しかったのかもしれません。
でも咳の間外していたのではマスクの意味がないです。

私は梅田で降りたのですが、後ろの方で咳の音がしてましたので、また咳の発作が始まったみたいです。(-_-;)

阪急電車の中でこういう咳男に会ったのは初めてではないです。
若狭に旅行に行って帰り、やはり梅田から電車に乗った時、私の隣に座った男。
彼もまた咳男でした。

途中からクシャミやら咳やらし始めましたが、しているマスクが鼻を覆っていない。
折り畳み式のマスクでしたが広げないで折り畳んだまま口の上にチョコンとのせているだけ。
要するにスカスカの状態なんです。
それでクシャミやら咳やら。
でもそれを苦にする様子もなくスマホに熱中してました。
私は席を変えましたよ。

私だって咳をすることがあるだろうから、咳男を嫌ったりしたらいけないのかもしれないけれど、マスクはちゃんとしてほしいです。
私だったら咳が出てきたら、マスクの上からハンカチで口を覆うくらいはすると思います。

にしてもなぜ私の隣に咳男が高い確率で座るのか。
私、そんなに電車には乗らないのに咳男が隣に座るんです。(´;ω;`)ウッ…


                         
 
雨がよく降ったのでミョウガの花が一気に咲きました。


採ったミョウガです。ミョウガの花、綺麗です。

別の角度から。

半分に切って、少し湯がいて甘酢に漬け込みました。
酢の物やサラダに使えるかも。


こんな時に若狭へ旅行(2)

2020年07月13日 | 旅行
旅行二日目です。

そもそも、このツアーには目的がありました。
お城巡りで、スタンプを押すためです。
もっとも私は単なる観光目的でしたが、お城巡りを目的に参加した人が多かったみたい。

日本城郭協会という公益財団法人が日本100名城と続日本100名城というのを選定していて、本も出版されており、その本の後ろのページにスタンプが押せるようになっているのです。
スタンプを押すには現場に行かねばなりません。

日本100名城の方は、そこそこ観光地で、一人でも行きやすいのですが、続日本100名城の方は、あるのは城跡だけで場所も行きにくい場所にあることが多いようです。
それでもスタンプを押してくれる施設があるだけ、続日本100名城の方は旧跡として保存されている城跡のようです。

訪れたお城は三つ。
続日本100名城の国吉城と福井城、そして日本100名城の丸岡城です。
国吉城と福井城は、正確には城址です。

午前中、まず訪れたのは国吉城。
山城とは聞いていたのですが・・・・。
行くのがあんなに大変だとは思っていなかった。

ここは若狭国吉城歴史資料館のある辺りです。
歴史資料館です。
歴史資料館を見学し、スタンプを押す人は押します。

国吉城は戦国時代、若狭の守護大名武田氏の家臣の粟屋勝久が築いた山城です。
越前の朝倉氏の攻撃を再三に渡って受け、何年も籠城して持ち堪えたという難攻不落の山城です。
最終的に織田信長の援軍を得て朝倉氏を退け、城を守った粟屋勝久や地侍達は、以後、信長の家臣となって活躍しています。

資料館の見学の後、私達は山の頂上の本丸跡まで登りました。
登り始めは大したことはなかったのですが・・。


「難攻不落」というのが曲者で、九十九折りの急な階段やガレ場の山道をヒーコラ言いながら登る破目に・・・。
途中で眼下を写真で撮りました。
九十九折の道が見えます。


山があまりにも急峻なので九十九折の道にならざるを得ないのです。
私一人とか、友達だけだったら途中で帰るところですが、ツアーだとそうはいかず、本丸跡まで登りました。
ですが、やはり途中で一人、引き返すと言った人がいたようです。
結局、その人も添乗員さんの手を借りて、最後まで登り切りました。

本丸跡からの景色。城下が一望できます。

登山は「登りは体力、下りは技術」と言いますが、下りはまた一段と大変でした。
ここで私が転んだら、私より下にいる人達も巻き込んで転がっていくしかないと思えるような山道ですので。
私は昔、六甲山で、急峻な下り道、私の目の前の人が突然転んで、あおむけ状態で頭を下にしたまま、道なりに滑落して行ったのを見たことがあり、色々と想像してしまうのです。

次は続日本100名城の一つ、福井城でした。
午前中は幸運(?)にも雨は止んでいて、山に登れたのですが、午後からは雨になり、雨の中のお城巡りとなりました。

福井城は国吉城とうってかわって都会の真ん中にあります。
JR福井駅の近くです。
内堀と石垣の一部しか残っていませんが、本丸跡に福井県庁が建っており、スタンプも県庁の受付のような場所で押すのです。
県庁で勤める人は堀を渡って仕事に行くことになり、登城って感じですね。

堀の風景。

県庁。


復元されたらしい石垣。


これは元からの石垣らしい。
福井大地震でも崩れなかったとか。


福井という名前の由来の福の井です。
井戸ですが、めでたい由来のある井戸だったらしく福の井と呼ばれていて、城の名も福井城となったとか。
今では県の名前も福井です。




ちなみに柴田勝家とお市の方が自害した北ノ庄城の跡も近くに残っているらしいですが、行きませんでした。
正続含め100名城には含まれていないのでしょうね。

最後のお城は日本100名城の一つ、越前丸岡城です。
ジャンボタクシーの中から見えた天守閣。


雨の止み間に、天守閣へ。


仰ぎ見る天守閣、といっても小さいお城です。


丸岡城の天守閣は最も古い様式を残しているそうですが、福井地震の時に一度倒壊しているそうです。

国吉城の本丸跡まで登って、もう登りは嫌だったのですが、垂直に近い階段を天守まで登りました。

天守からの光景。


昔の丸岡城の模型。


というわけで三つのお城を制覇しました。
後は一路関西へ。

旅行中のコロナ対策ですが、それなりに気をつけてました。
福井城址、雨の中、他の観光客がいなくてもマスクはバッチリ。


久しぶりに体を使った楽しい旅でした。