緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

日々の発見と思いのあれこれなど

しだれ梅を見に

2021年02月26日 | お出かけ
「庭のしだれ梅が咲いたので見に来て」と友人に誘われ、川西市にある友人の家まで行きました。

川西市は兵庫県ですが、同じ兵庫県の私の家から行くには阪急電車で大阪府の十三まで行き、そこで宝塚線に乗り換えて川西能勢口駅まで行き、そこから能勢電鉄に乗って行かなくてはなりません。
つまり一旦は県境をまたいで、もう一度戻ることになります。

能勢電鉄はローカルな電鉄会社ですから関西人しか知らないかもしれません。
絹延橋、滝山、鶯の森、鼓滝(つづみがたき)と、床しい駅名が続きます。
正直、今私が住んでいる所より住みたい地域です。

友人は認知症になった母親を介護するために実家で二人で暮らしていましたが、結局母親は施設に入所しました。
その後、コロナ禍で夫のいる家に帰りそびれ、そのまま一人で川西市の実家に住んでいるのです。

駅で待っていてくれた友人と、まずは近くの料亭の個室でランチ。
その後、友人の家に行きました。

庭のしだれ梅です。家の中から撮りました。

近くから撮った写真。

この日、私は着物で行きました。
友人は着物が好きなのです。

コートを脱ぐとこんな感じの着物。安くで手に入れたカジュアルな紬です。
朝、自宅で撮りました。


友人の家の庭は手ごろな大きさで、樹木を数本植えているだけ。
我が家の庭も、あのくらいの広さなら随分楽だろうなと思いました。
茶道の先生の庭もこじんまりとしていて、隣の家の芝生は青いというか、他所の家の庭は狭くて羨ましいです。

この日会った友人は、最近キリスト教に入信しています。
私より一つ年上なのですが、なぜ60代も半ばを過ぎて受洗しようと思ったのか、分かりません。
ただ以前、彼女が感激した様子でキリスト教の教えについて語るのを聞いていて、ふと『その教え、浄土真宗と近いのではないの』と思ったことがあります。

その時に思い出したのですが、ある著名なクリスチャンの医師が、やはりキリスト教の教えについて話していると、その人の友人から「浄土真宗でも同じことを言っている」と言われたらしいのです。
でもその医師は、確かにそうかもしれないが、自分には救い主が阿弥陀仏という漠とした存在ではなく、イエスキリストという生身の人間だったことに意味がある、と思ったのだそうです。

正直、私はキリスト教も、浄土真宗も、よく知りません。
それこそ漠とした、知識ともいえない知識があるだけで、言葉で詳しく説明せよと言われても口をモゴモゴさせるだけしかできません。

でもまあ一応、家は浄土真宗で、仕事をやめた時点で帰敬式(おかみそり)という、以後は念仏者として自覚を持って生きる儀式を東本願寺で受け、法名をいただいています。
それが、現役生活を終えた私にとっての終活の第一歩だったわけです。
友人の受洗も、新たな一歩であり、一つのけじめだったのかもしれません。

この日は友人はキリスト教の話はせず、実家で自分がやった断捨離がどれほど凄かったか熱弁していました。
私達の世代は、親が溜め込んだ物を片づけるのに、異様にエネルギーを使う世代みたいです。
私も母の死後、大量の物を処分しています。
話を聞いていて、高価な物をゴミとして処分したことに、もったいないという思いもあるのですが、そうまで物に執着せざるを得なかった親達の心の在り様に何とも言えない思いを持ちました。

以前行っていた同じ年代の美容院の美容師さんも同じような話をしていて、母親が亡くなって片づけをしていたら、フライパンだけでも新品の物が10個ほど出てきたと言っていました。
友人も、母親が買った未使用の食器類が山ほどあったそうです。

親のそういうのを見てしまうと、何やら自分は物に執着したくないという宗教的境地(!?)への憧憬も、少なくとも私は生まれてしまいます。
てなことを言いながら私の物欲も相当なものなんですが(笑)

この日はとても寒い日で、家に帰って着物を脱ぐと静電気でバチバチでした。
着物は絹の筈なのですが、静電気対策を考えねばと思ってしまいました。



お外でご飯

2021年02月22日 | お出かけ
久しぶりに友達とお外でご飯を食べに行きました。

場所は大阪梅田のサウスゲートビル内の「うを佐」
食べたのは税込み2200円の“はなかご”です。

堪能しました。

その後は阪急グランドビル内の「英国屋」へ。
「英国屋」名物のシフォンケーキと紅茶をいただきながらお喋り三昧。
家族のこと、新年度からのお互いの計画などあれこれ。

窓の外はJR大阪駅近辺のビル群。


ちょっと食べ過ぎたかなと思いましたが、たまには良いでしょう。


今日、去年指摘されていた亜鉛と鉄分の欠乏を治す食生活の改善が上手く行っているかどうか、検査結果を聞きに病院に行きました。

努力のかいあって、数値は相当に上がっていましたが、まだ標準にはいたっていませんでした。
もう一押し、蛋白質と緑黄色野菜、そして水分と医者に言われました。


「ダラーっとしといて下さい」

2021年02月17日 | 日記
先日、眼科に2か月ぶりに行きました。
緑内障なので薬を貰わなくてはいけないのです。
いつもの先生はお休みで、初めて見る女性の先生に診てもらいました。

先生が診たところ、取り立てて変化はないとのことでしたが「何か気になることがありますか?」と聞かれたので、エイベリスという今の薬で白目部分が赤くなるのが嫌だと言いました。
実は以前にも、いつもの先生に同じことを言っていたのですが、どうしてもエイベリスを使って欲しいと言われていたのです。
思った通り、女性の先生もエイベリスを使ってほしいとの事でした。

目がいつも赤いのは嫌なんだけれど我慢するしかなさそうです。
そこでもう一つ、気になっていることを聞いてみました。

それは左目のみ、まぶたがしょっちゅうピクピクしていることでした。
まぶたのピクつきはよくあって、いつの間にか治まったり、また再発したりの繰り返しだったのです。
ですが、このところ、ずいぶんひどくなっていたのでした。

先生の話では、まぶたのピクつきは治療の必要はないそうです。
自分でまぶたの開閉をコントロールできないような、生活に差し支えるような症状の場合は別だそうですが。
それよりも、先生が言うには私は疲れているのだそうです。
まぶたがピクピクするのはそれが原因だそうです。

確かに、最近ダラーっとしているのは自覚してました。
ちょっと横になる起きたくないような。
そのように言うと、先生曰く「ダラーっとしたいのは体がそうすることを求めているから。ダラーっとしたい時はダラーっとしといて下さい」との事。

でも疲れているって、私そんなに仕事していないんですけどと、なおも私が言い募ると「今こんな状況で疲れていない人はいませんよ」と言われてしまいました。
コロナの状況は心身ともにボディブローのように人に痛手を与えているらしいです。

先生にお墨付きを貰ったので、私は昼寝したりなんだり、思いっきりダラーっとして過ごすことにしました。

     
               


話は代って森さんの事から。
森さんと言えば思い出すことがあります。
祖母のお葬式の時、ちょうど総理大臣だった森さんから弔電が届いたのです。

祖母は森さんの地元に住んでいましたし、親戚一同も森さんの地元の金沢です。
それで弔電が届いたみたいです。
地方都市ってそういうことがあるみたいです。
遺族は総理大臣から弔電が届けば悪い気はしませんし。

それにしても森さんの「話が長い」とか「わきまえている女性」とかいう発言はアウトです。
でも思い出してみれば、女性全般を指しての男性の謎のような発言は昔から珍しくありませんでした。
今から30年以上前のこと、婦人職業訓練校で簿記の教師から言われた言葉を私はいまだに忘れられません。
「女の人は正義感が強いので経理のような仕事は向かない」と女性ばかりの受講生の前で彼は言ったのです。

これはどういう意味だったのでしょうね。
経理の仕事では正義感は持ってはいけないと暗に言っていたのか。
具体的には、会社から二重帳簿を作れと言われても逆らってはいけないと言いたかったのか。
それとも女性が簿記の勉強を一生懸命にやったところで、そもそも女性には向いていないと言いたかったのか。
正義感が強いと持ち上げておいて、実際上の仕事はできないと巧妙にけなしたのか。

そもそも女性は男性に比べ正義感が強いと言えるのか。
その後、会社で経理や総務の仕事に就いて私が知ったのは、勤め先や取引先で横領は珍しいことではなく、例外なく男性がやっていたという事。

これはたぶん、女性は多額の横領可能な役職にまでいけないことも理由の一つでしょう。
それとも女性はバレないように巧妙に横領するのでしょうか。
いずれにしても、正義感の強弱に男女は関係ないように思います。

ただ、私が知る限りの現実は、男性による横領の方が多いにかかわらず、メディアは女性による横領を好んで事件として取り上げています。
企業も、男性社員の横領は会社の評判等を気にしてか内々に処理して刑事告訴まではしないのかもしれません。(今は違うかも)
どっちにしても、人の上に立つ男性やメディアは昔から女性をディスっていたのでした。



気持ちの良くない話を書いたので、最後に野鳥と花の写真です。

この前、淀川の河川敷で撮りました。
カワラヒワです。風で頭の羽が逆立っています。

たくさんいたツグミ。

草叢の中にもいました。

この日も、ちょっと疲れて帰ったのでした。

庭のスミレは今が旬です。


ボツボツと庭仕事

2021年02月14日 | 庭の植物
我が家の庭は、庭師の方に来てもらって樹木の方はスッキリと剪定されました。
松が2本もあることもあり、樹木はほぼプロに任せています。

草花のほうですが、茶花シリーズで入手した花の大半が芽が出る前の2,3月に株分けやら植え替えをしないといけません。
そういうわけでボツボツと作業を始めました。
芽が出る前といっても、もう芽は出ているんです。

買って2年くらいは安全策で鉢植えにしていたのですが、水遣り等の手を抜けるように、そろそろ地植えにしたいのです。

まず株分けして植え替えたのはフジバカマです。
鉢から株を抜くと長く伸びた根が鉢の中でグルグル巻きになっていました。
なんでもフジバカマは、地植えにする時は地中に仕切りを設けないと、どんどん伸張して勢力を拡大し、大変なことになるらしいです。

その根を見て思いつきました。
今、チューリップを植えていて触れない花壇が一面あるのですが、そこは春ともなればドクダミがワヤワヤと生えてくる場所。
ドクダミは知っている人は知っての通り、地獄から生えてくると言われるほど、一度そこに根を下ろすと地下で根がどんどん伸びて行って、駆除することは難しい植物。

フジバカマも性質が似ているのなら、ドクダミといい勝負するかもしれません。
フジバカマが地植えでも育つようなら、来年はその花壇にフジバカマを植えてみても面白そうです。
それともドクダミとフジバカマの根が、くんずほぐれつ絡み合って無茶苦茶になるかしら。
とりあえずは、フジバカマの株は鉢植えと地植えにしました。

これは地植えにしたフジバカマ。

もう芽がたくさん出ています。
棒状の茎は去年のもので、放っておけば取れます。

株は真ん中辺りはゴチゴチに固まっていましたので、ほぐすにほぐせませんでした。
周辺部分の芽が確認できた株は大きめの鉢に植えました。

こちらは同様に地植えにしたホトトギス。

こちらも株が固まっていてほぐすのは無理っぽい。

ほぐせたものは鉢植えにしました。

小さいのが三つ、うまく育たなくても一つくらい生き残れると思います。

キョウガノコも同様にしました。
固い根茎で、それを割って増やすみたいなのですが、うまくいくかは疑問。

庭の花はまだ少ないです。
白いクロッカス。

水仙。

梅の花。

クリスマスローズもしっかり蕾をつけています。


庭は間もなく賑やかになるでしょう。


友情が終わる時

2021年02月08日 | 話題
最近、ほとんど出掛けず、コロナ疲れか鬱っぽいです。
実際にはコロナは関係ないのかもしれません。

私は5年連用日記を書いていて、今4年目なのですが、この頃は前年も前前年も鬱っぽいと書いていますので、季節的なものなのかもしれません。

新聞記事でもイヤーな気分のするものを目にしてしまいます。
これです。⇒ ここ
このような相談自体、「そういうこともあるかな」で特に嫌な気分になるものではないです。

問題は有料会員でないとネットでは読めない回答のほうです。
回答は、友人は相談者の力量や性格を知っていて、相談者に恥をかかせたくなくて代表に推挙しなかった。それこそ友情だ。今からでも遅くはない。友人のように人に尊敬されている方の、せめて立居振舞でも真似て勉強したらどうか、というものでした。

私はシニアカレッジに通っていたことがあり、そこでは全員に何かしらの役職が振り当てられます。
なかには重責と思える役職もありますが、皆さん、一応社会人としての経験がある方ばかりです。
不幸にしてジャンケンで負けて重大な役職についた人でも、役職が果たせないということは(認知症になりかかっているとか、そもそも全くやる気がないとか、際立って偏狭な性格というのでない限り)ないのです。

相談者は中間管理職として長年働いてきており、当然、OB会の代表ていどでできないということはないでしょう。
つまり、回答者の「力量がない」という指摘はあてはまりません。
(この点では作家である回答者の知見に疑問を持たざるをえません。)

考えられるのは、現役時代の役職の低さからOB会の代表にふさわしくないと見なされたことくらいです。
それもまた、下らないと言えば下らないことですが。

回答者はなぜ相談者の力量や人格まで貶めるようなことを書いたのか。
会って話でもしない限り、相談者の力量も人格も分からない筈です。
相談者はあの回答に随分傷ついただろうなと思いました

むろん、ここで友情に見返りを期待してはいけないという指摘もあると思います。
相談者は友情について大きな勘違いをしているのではないかということです。
ただそこでの相談者の悩みとは、見返りが得られなかったことではなく、友人が自分のことなんかまったく眼中になかったことの衝撃だったでしょう。

よく似た相談として、「発言小町」という、やはり読売新聞のネットの掲示板の相談がありました。
こちらは50代の女性で、高校時代からの友人との関係についてでした。

トピ主は友人からよくランチなどに誘われ、その度に友人を自分の運転する車に乗せて出掛けていたそうです。
そして、まだコロナが問題になる以前のこと、二人で観劇に行き、その時、行きしは二人で電車に乗ったのだそうですが、帰りには友人の夫が車で迎えに来ていたそうです。

みぞれ交じりの雨が降る寒い日だったそうです。
友人はさっさと車に乗ると「じゃあね」と言ってトピ主を置いて帰ったそうです。
友人と自分の家はそんなに離れてはおらず、自分の夫が運転する車に二人で乗ったこともあったという関係です。

その後ラインで、その日別れてから夫婦でどこかに行く予定でもあったのかと聞いたところ、予定はなく、そのまま家に帰ったそうです。
以来、友人はなぜ一言「乗って行かない」と声を掛けてくれなかったかとモヤモヤしているという相談でした。

この相談には掲示板ということもあり、たくさんの返答がありました。
いつも車を出しているという自分のやっている事の見返りを相手に期待するのがそもそも間違いというのも複数ありました。
自分の好意や親切に相手の見返りを求めてはいけないという考えです。

コロナ前の出来事ということから、1年もそんなことでグジグジと悩んでいるのかという、そのことに呆れる指摘もありました。

それ以外には、友人の夫が自分の車に家族以外の人を乗せるのを嫌がっているのではないかとか、友人は天然な性格で、気が利かず、トピ主を乗せることを思いつかなかったのではないかというような意見です。
一番多い答えは、その友人は非常識な人だから今後の付き合いを変えたらいいというものです。

夫が嫌がるというのはありそうです。
でも、もしそうなら私だったら、その後、ラインかメールで、乗せなかったことを「ごめんね、夫が嫌がるの」と言って謝り、一回のランチ代くらい奢ると思います。

気の利かない性格という点ではトピ主が否定していて、友人は賢明で人望もある人だそうです。
あれこれ考えると、やはりこちらも、友人は普段は都合よくトピ主を利用しているけれど、肝心な時にはまるで眼中になかったというのが正解みたいです。

50代の女性は、沢山の返答を読んで、自分のモヤモヤした感情は長年の友情を失った寂寥感ではなかったかと書き、その友人との付き合い方を考え直すとしていました。

70代の男性と50代の女性に共通するのは、共にそれまで相手をリスペクトしてきたということかもしれません。
世渡り上手で人望がある人、結果、いつもリーダー格として遇される人には誰しも憧れてしまいますが、そんな人が必ずしも人格者というわけではなく、権威主義的で計算高い場合もあることは心得ておかなくてはならないと思います。

若い頃からの友情が、相手の自分に対する思いを知ることで失ってしまうことは、輝かしい青春の記憶が汚されたようで、とても辛いことだと思います。
私にも苦い経験があります。
70代の男性が回答を気にせず、余生を前向きに生きられることを祈ります。