緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

日々の発見と思いのあれこれなど

質問

2018年08月20日 | ボランティア
8月は暑くてどこにも出掛けませんでした。
たまに予定のあった日は台風が来たり雨が降ったりで中止。
当然、カメラの方もご無沙汰。

そんな中、先日、市の文化財収蔵館の昔の暮らし体験ボランティアの研修に行ってきました。
その日の研修は藍染。
暑さのせいか2人しか参加者がいません。(実際は、ずいぶん涼しく感じられる日でしたが誰もが出不精になってる?)

この日私が作った藍染のハンカチです。


もう一人の参加者は今年ボランティアに入った人なのですが、一方で個人的に市の許可をもらって公園で藍を育て、市民を対象に藍染体験をしてもらう企画を持っていらっしゃる。
ですから、学芸員に対し、レベルの高い質問を幾つも投げかけていました。
おかげで、藍染の知識の復習になりました。

ボランティアスタッフはイベントでよく質問を受けるので、ある程度の知識が必要です。
まして自分が主催者で企画するとなると失敗できないので万全の準備が必要です。
当然何でも知っていないといけないのです。

私は単なるスタッフなので、これまで、付け焼刃の知識をあたかも何でも知っているかの如く応えてきました。
参加者の中にはそういう疑問を持つのかと、ちょっと驚く質問をされる方もおられます。
たとえば藍染については。

藍染を体験してもらうには大きくわけて二つの方法があるのです。
一つは藍の染液の中に布を漬けて染めてもらう方法。
もう一つは藍の生葉を使う方法です。

具体的には、白や生成りの布の上に、摘んだばかりの藍の葉を置き、その上に透明なビニールかラップを敷いて、木づちで叩いて直接布の上にワンポイントの葉っぱの模様を染める方法。叩き染めと言います。
後者の方法は葉っぱの模様しかできませんが、藍の生葉さへあれば可能な、お手軽な藍染です。
多少やり方が違いますが、詳しく載っているサイトもありますね。⇒ここ

藍染の親子体験教室で後者をやった時のこと、一人の参加者に「藍以外のどんな葉っぱでも染まるのですか?」と聞かれました。
『いやいや、それでは藍染にならないでしょ』と思ったのですが、お手軽な方法でやるとそんな疑問も抱かれるみたい。

「いえ、他の植物の葉で同じことをしても染まらないです。藍の葉で青く染まるのは藍の葉の中にインジゴという成分が含まれているからなんです。インジゴというのは・・・」と説明しなくてはなりません。
実は藍の葉の中に含まれているのがインジゴというのも正確な言い回しではないのですが。(-_-;)
藍染って単純ではないので、詳しく説明するのは大変。

その人は、私がちょっと説明するとインディゴブルーという言葉を思い出したみたいで、それで納得されました。
自分では当たり前のように思っていても、人にとっては全然当たり前じゃないことがあるんだと思い知らされました。

今まで受けた質問の中で、どう答えようかと、一番パニクッたのは子供からの質問でした。
それは昔の暮らし体験でも藍染めではなく、弥生時代の暮らし体験の出張授業の時のこと。
小学5年生の子供達に、弥生時代の衣服の貫頭衣を着てもらったり、火熾ししてもらったり、市内で出土した土器を見せたり触ってもらったりします。
土器については最初に、収蔵館の学芸員が持ってきた土器が約2000年前の弥生時代中期のものだと説明しています。

私が土器の前にいると二人の女の子が寄ってきて私に質問しました。
「西暦は何年から始まるのですか?」
私は『ええーっ???

そ、その質問の意味は・・・?? なんかヒネリのある質問なのか。
まるで三角形は何角か聞かれているみたいな・・・。
西暦ならゼロから始まるに決まっているじゃん。
いやいや、紀元前もあるから・・・。
それとも西洋以外の別の文明の暦(たとえばマヤ暦)で何年かという意味なのか・・・。

でも私は平凡に「ゼロから始まる」と答えました。
すると二人は顔を見合わせ、すぐに2人して私に「ありがとうございました」といって去っていきました。
でも去り際、聞こえてきた2人の会話は「やっばり西暦18年に作られた土器なんだ」で。
「君達、それは違う」と叫びたいところだったんだけど、私は土器の傍にいなくてはいけなかったのでそのまま。

学芸員は約2000年前と言った筈ですが、2人には「約」という言葉が消えて「2000年」という言葉だけが残っていたみたいなのです。
それで西暦18年と。
なんというデジタル思考!!
出土した土器に18年くらいの年月は意味がないんですけどね。
私はアバウトなおばさんでアナログ思考なもんで、デジタル思考にはついていけない。

子供達の感性には、それ以外にも時代の影響を感じさせることは色々あります。
子育て経験のある他のボランティアも驚いているので、私だけの思いではないみたいです。

というわけで、どんな質問にも答えられるように日々研鑽(?)です。


                                             

最後に、最近ご無沙汰のみーちゃんの写真です。

哀愁漂う後ろ姿のみーちゃんです。






高齢者相手のボランティア

2018年08月16日 | ボランティア
書き始めていて、途中でしんどくなって、そのままになっていた記事を書いてみます。私がかつて1か月ほどやって辞めたボランティアのことです。
ある意味、挫折体験なのですが、当時、私でもできるようなボランティア活動を探していて、幾つか行った一つです。

私がやっていたのは総合病院に入院中の高齢者を相手にしたボランティアでした。
その病院は先進的な試みを行っていて、それもその一つでした。
そうした試みは先進国の病院でも行われているもので、日本でも幾つかの病院で行われているものです。

最初に、午前と午後のほぼ一日かけて、そのボランティアのレクチャーを受けました。
病院の担当者の話によれば、高齢者が病気で入院すると、入院の原因となった病気は治っても、身体や精神の様々な機能が低下してしまうことがよくあるのだそうです。
たとえば、よく聞く話ですが、入院前はそうでなくても退院する頃には認知症を発症もしくは悪化してしまうというような。

そのボランティアは、ボランティアする人が患者に働きかけを行うことで入院中の高齢者の様々な機能低下を防ぐものだったのです。
具体的にはお話相手になったり、その日の新聞や雑誌を読んであげたり、カセットを流して唱歌や童謡などを一緒に歌ったり、あるいは車いすに乗せて病院内を散歩に行ったりです。
病院の看護師さん達は忙しくて、とてもそこまでは手が回らないので、ボランティアがやるわけです。
もちろん、ボランティアは介護や看護に類する行為は一切やりません。

一日かけてのレクチャーはそれ自体、とても勉強になり、細かい事なので書きませんが納得できることばかりでした。
ただ、その日のプログラムの中にはリーダー格の先輩ボランティアの話を聞くこともあったのですが、それには引っ掛かりました。
話をされた女性は、絵に描いたように典型的な下町のおばちゃんタイプの人でした。
その女性曰く、自分はおしゃべりが大好きで、このボランティアではおしゃべりがいっぱいできる、楽しくて楽しくてしかたがない。うんぬんかんぬん・・・。

聞いていて私は『???!!!』でした。
私だっておしゃべりは嫌いではないのです。
でもそれは気の置けない友人相手の話。
入院中の高齢者相手にくっちゃべって楽しんで、それってどうなんだと。
今さっき聞いたレクチャーでは自分本位のおしゃべりはNGだった筈なのに・・・。

その日のプログラムは、実際に病院内を移動する車いすの扱い方やロールプレイもあって、てんこ盛りだったので、引っ掛かったことは、それはそれで終わりました。

そしていよいよ実践です。(もちろんレクチャーを受けた日とは別日)
最初の3回(3日間)は先輩ボランティアが付きますが、それ以降は一人でやってもらうという話でした。
看護師さんが選んだ6人くらいの患者さんの所に順番にお伺いします。
選ばれている患者さん全員を相手にする必要はありません。
患者さんの情報も最初に頂きます。
それを見ると最初の患者さんは私と同じ齢でアルコール依存症の人。
その時点で『ええーっ!?』って感じ。
このボランティアはアルコール依存症の人も対象にするの??

病室に行ってもその人はいません。
病院の人に居場所を聞くと「〇×さんならさっき向こうで看護師さんに殴りかかっていたよ」という返事。
私は
先輩ボランティア(レクチャーで話した人とは別人)に「大丈夫なんでしょうか」と聞くと「大丈夫。私の亭主もアルコール依存症だったから」と 
確かに、会った時には興奮から覚めて反省していたのか妙に大人しかったですが。
そういうわけで、私は最初からイメージと違うことにモヤモヤ。

少しやってみて、分かったことは、高齢者へのアプローチの仕方が一緒に歌を歌うということにパターン化されていること。
人によっては、「足浴しませんか」と誘って、足を洗ってあげながらお話することもあるのですが、それって介護・看護に類することになるのでは、とそれもモヤモヤ。
もちろん、一緒に歌を歌うと、とても喜んでくれる患者さんもいました。
一方、明らかに不快そうで断る人もいました。

3回目から自分一人でやり始めたのですが、私が一番困ったのは、一回で6名くらいの患者さんが選ばれているのですが、内4、5名が眠っている事。
それも普通の眠り方ではなく、文字通り爆睡している事です。
少しくらい声を掛けても起きません。
仕方なく次の患者さんに移るのですが、それで良いのか悶々としました。

というのも、高齢の患者さんの場合、昼間寝てしまって夜眠れずに起きている人が多いのだそうです。
そうなると「ここはどこなの?」といった感じの譫妄状態に陥って、騒ぐ人もいるとか。
一人が騒ぐと周囲も起きてしまいます。
ただでさへ夜間は看護師さんが少ないのに、対応が大変な患者さんが何人も出てくることになります。
もちろん昼夜逆転は認知症の発症や重症化の契機にもなります。
このプログラムの何よりの目的は、高齢の患者さんの意識レベルが低下して譫妄状態に陥ることを阻止することなのです。

睡眠薬を使って夜眠らせるという方法もあるのでしょうが、睡眠薬は逆に酷い状態をもたらすこともあるようです。
(母の介護で経験がありますし、私は若い頃入院していて同室の高齢女性が睡眠薬の副作用で再入院したのも見ています)
私のやっていたボランティアは、昼間、そうした高齢者に介入して刺激を与えることで、夜に眠れるようにする意味が大きかったのです。

では実際に爆睡している高齢の患者さんを揺り起こして「さあ、一緒に歌を歌いましょう」と言えるかというと、少なくとも私は言えなかったのです。
爆睡している高齢者を顔も知らない他人が揺り起こしても、かえって混乱させることになりかねないし、そもそもボランティアを受け入れるかどうかは認知症であってもなくても本人の自由で、押し付けられることではないと考えるからです。
たとえば私が看護師で、患者に注射を打たなければならない立場なら、なんの躊躇いもなく叩き起こして注射するでしょうけど。

他の先輩ボランティアはどうしているか活動記録のノートを見ると、寝ている患者さんの傍で楽器を弾いて「聞いてくれてるようでした」などと書いています。
それに対する担当看護師のコメントは「きっと喜ばれていますよ」みたいな文面。
正直『ほんまかいな』です。要するにボランティアの自己満足ではないかと思えたのです。

その病院には、昼間ちゃんと起きていて、意識レベルもしっかりとした高齢の入院患者はいないのかというと、そういう患者さんももちろんいました。
ただ、そういう患者さんは夜間に問題行動を起こすこともないので、看護師さんはボランティアの働きかけの対象には選ばないみたいなのです。
実は最初のレクチャーの時にもらった冊子によれば、ボランティアの介入は早ければ早いほど良いとも書いてあったのですが、実際には状態が悪化してからでないと介入はされないようでした。
理由として、介入できるボランティアの数の問題もあったのでしょう。

私は寝ている患者さんにどう働きかけするのが良いのか、本当に悩んでしまいました。
先輩ボランティアのやり方には疑問がありましたし、私自身新参者で、あれこれ言える立場でもありませんでした。
考え続けて、その結果、私自身が夜眠れなくなりました。
ボランティアで眠れなくなるほど悩むなんて、私の本意ではありませんでした。
そこまで無理して続けるべきではないと思い、結局、そのボランティアをやめることにしたのです。
現金なもので、やめると決めると途端によく眠れるようになりました。

ではそこでは、自分がレクチャーを受けて、納得して思い描いていたような活動はできなかったのかというと、一度だけ当初のイメージ通りの活動ができたことがありました。
それはホスピス病棟の患者さんへの働きかけを頼まれた時です。
(ホスピス病棟の患者さんを相手にすることが稀にあることは最初に聞かされていました。)

ホスピス病棟の気持ちの良い応接室で、私が「若い頃、どんなお仕事をなさっておられたんですか」とお聞きすると、その方は生き生きとした様子で若い頃の仕事の話をされました。
私は時折相槌をうって聞くだけでした。
その方のお話や様子は今でも私の脳裏に残っています。

後にこの話を友人にしたところ、「みどりさんは〝傾聴〟のボランティアの方が向いていたんじゃない?」と言われました。
そうだったのか、たまたまの偶然だったのか分かりません。
その病院でのボランティアは、私には荷の重すぎたボランティアだったとしか言いようがありません。

入院中の高齢者への働きかけ自体は、とても重要なことだと思います。
このボランティアの後に兄が難病で入院しました。(私がボランティアに行った病院ではありません。)
その時につくづく働きかけの重要性を感じました。
働きかけをするのが家族では、患者がわがままになったり遠慮なしに感情を出してしまったりであまり良くはないのです。
ボランティアでなくても患者の友人や知人のお見舞いでも良いのです。
普通に気を遣うくらいの関係の人とのやり取りが、社会性を目覚めさせ、患者の意識レベルの低下を防ぐ助けになります。

兄の時は、同じ病室の入院患者全員がカーテンを締めきっていたこともあって、半数くらいの見舞客が来た事をメモ書きで残すこともなしに帰っていたことを後に知って閉口しました。
寝ている患者に話しかけることは本当に難しいらしいのです。


好きなヒーロー カムイとデビルマン

2018年08月07日 | 話題
暑いのでどこにも行かず、ブログのネタがないです。
そこで自分が好きだったテレビアニメのヒーローについて書いてみます。

2人いて、一人は「カムイ外伝」のカムイ。もう一人は「デビルマン」のデビルマン=不動明。

調べてみると、テレビアニメとして放映されたのはカムイの方が1969年でデビルマンの方が1972年から1973年にかけてだったらしい。
ただ2作とも何度も再放送されていて、私が観たのがいつだったかは分かりません。
そして2作とも漫画の原作があります。

「カムイ外伝」の原作者は言わずと知れた白土三平。
私の幼少期は貸本漫画の全盛期で、私は小学1年生の頃から「忍者武芸帳」や「サスケ」といった白土三平の漫画(というより劇画と言う方がふさわしい)を貸本屋から借りて読んでました。
何を隠そう、私は漢字をそういう漫画で覚えたのです。(漫画にはすべてルビがふってある!)

もちろん白土三平だけでなく、手塚治虫の漫画も読んでました。
偉いもので貸本漫画は山ほどあったのですが、小学1年の私の鑑賞に堪えたのは、やはり白土三平や手塚治虫だったのです。あと水木しげるですね。
ちゃんと後の評価に耐えるものを好んで読んでいたわけで、子供は馬鹿にしてはいけないんです。

貸本漫画というのは子供のお小遣いでも借りられますが、漫画雑誌は買えません。
だから貸本屋さんが近くになくなると漫画は読まなくなりました。
でもテレビアニメはよく観ました。

たくさん観ていた筈のアニメの中で特に好きで印象に残っていたのが上の2作だったわけです。
今でも主題歌が歌えます。

カムイはクールで陰のあるヒーローでしたし、各話のテーマも重く暗いものでした。
デビルマンは大人になった時、ノベル版を買って読んだくらい好きでした。
思い出すと、その時代の空気まで蘇ってくるようです。
今から思うと私も「時代の子」だったんでしょうね。