友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

娘と孫娘の幸せを祈る雛祭り

2024年03月03日 17時56分45秒 | Weblog

 私には2つ年下の妹がいる。昨年の夏の親族の集まりに、妹夫婦は体調不良で参加しなかったから、2年間も顔を見ていない。妹夫婦のところも、子ども2人は女の子で、結婚して家を出たから、我が家と同じ夫婦ふたりの生活である。気にはなるが、どうすることも出来ないので、連絡も取っていない。

 妹が生まれ、縁側にたらいを置いて沐浴させていた光景は覚えている。でも、雛人形は家には無かった気がする。末っ子だからというのか、母が40歳になる時に生まれたからか、とにかく母に甘えていたし、母も可愛がっていた。母が勉強のために名古屋へ出かける時は、駅まで泣いてついていった。

 小学生になると友だちもでき、友だちの家にも行くようになった。けれど、中学生になる頃から母は寝たっきりになり、私が高1、妹が中2の夏に亡くなってしまった。父も2年後に亡くなったが、兄貴のおかげで高校には通った。その兄貴が店を潰して夜逃げをしたので、妹は名古屋の姉のところで暮らすことになった。

 姉がやっていた喫茶店に出入りしていた夫と結ばれて、ふたりの女の子も生まれた。私たち弟妹は姉に本当に世話になった。その姉も亡くなってしまった。私は妹に、「あなたが頼れるのはダンナしかいない」と手紙を書いた。薄情な兄で申し訳ないが、何かあっても私にはどうすることも出来ないと知らせておきたかった。

 兄弟姉妹は大人になってしまうと、他人と同様な存在である。親子でも、別々の家庭だから助け合える範囲も限られている。一緒に旅行に行ったり、食事をしたり、お祝いをしたりすることはあっても、それ以上のことは出来ない。夫婦はもう少し違うと思うが、それでも相手のことが全て分かっている訳では無い。

 カミさんが「雛祭りらしい夕飯にするね」と張り切っている。ちらし寿司を買って来て、白ワインを冷やし、カキのバター焼きとハマグリの吸い物を用意している。子どもたちや孫たちの幸せを祈って、雛祭りを祝う。


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