友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

家や風習に縛られない「相互扶助」

2024年04月12日 17時43分15秒 | Weblog

 昭和46年3月卒の子どもたちも、71歳になる。彼らが古希を迎える時、私は喜寿の歳だったので、「古希と喜寿を祝うクラス会」が開かれる予定だったが、あいにくコロナ禍で延期になってしまった。それで明日、私の傘寿と彼らの古希を祝って、クラス会が栄のホテルで開かれる。

 私が教員になって2年目に、1年の担任となった時のクラスである。愛工高校のデザイン科は3年間同じクラスだから、青春時代を共に過ごしているので、結束は固く思い出も多いはずだ。私も教師とはいえ年齢も近く、共に作業したり、運動会で走ったりしていたから、仲間のようなものだったかも知れない。

 私が結婚した時は、祝いの会をデッサン室で開いてくれたし、新居だった江南団地にも遊びに来てくれた。ビートルズ世代の彼らは、実習室でギターを弾いて歌っていた。明日のクラス会で、今も音楽活動しているメンバーが新曲を披露するという。

 今朝、彼らと同じくらいの年齢(?)の、結婚した孫娘のピアノ教室の先生が、お菓子を持って来てくれた。私が脳梗塞になったことを心配して、元気でいるかと様子を見に来てくれたのだ。話していたら、今度行う「80歳の集い」の男性たちが、先生のファンであることが分かった。

 可愛くてちょっと子どもっぽいところが、私を含めて男性たちは放っておけないのだろう。ダンナはいないのだから、気軽に男性たちと付き合ってもよいのに、「何を言われるかわからないから」と、気を遣っている。女性の嫉妬が怖いのだ。

 私よりも歳上の、カミさんを亡くした男性が、親しくなった独り者の女性との結婚話を子どもたちにした時、息子は賛成したが、娘は「籍は入れないで、同棲ならいい」と言ったそうだ。入籍となると難しい問題も発生するが、同棲なら高齢者の恋愛も認められるかも知れない。

 家や風習に縛られずに、互いの気持ちを大切に出来る、そんな生き方が求められるだろう。凪良ゆうさんの小説に、「相互扶助」という言葉があった。明日と明後日、ブログを休みます。

 

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