友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

余りにも淋しい様子

2024年04月11日 18時21分17秒 | Weblog

 私たちが井戸掘りをするきっかけは、1995年に起きた阪神淡路大震災だった。仲間で宴会をしていた時、大震災の後、救援活動で神戸に出向いた者が、「飲み水はすぐ自衛隊が運んで来たが、顔を洗ったり食器を洗う水が無くて、大変だった」と話した。

 井戸掘りを経験したことのある仲間が、「この辺りなら水はすぐに出るから、井戸を掘ったらええ」と言う。それならみんなで、井戸掘りをやろうということになり、酒の勢いから「NPOにしないとダメだ。すぐに立ち上げよう」と意気込んだ。

 NPOの法人手続きは面倒だったけれど、難しくは無かった。それから17年が経ち、引っ越した人もいたし、仲間も歳を取り身体が動かなくなった人もいて、昨年9月に社員総会を開いて、解散を決議した。解散手続きはメチャクチャ手間取った。余りに法務局は不親切だと腹も立ったが、何とか終えることが出来た。

 井戸の必要性を訴えて、市に上申書も出した。地域のイベントにも積極的に参加し、地域に貢献する団体として認めてもらった。それがみんなの遣り甲斐でもあったが、歳には勝てなかった。仲間と一緒にいる時は元気だったのに、独りになってしまうと横の繋がりは無くなっていく。

 人は独りで生きているのに、独り切りは寂しいようだ。家族と話が出来るうちはいいが、家族からすると鬱陶しいジイジになってしまう。家に居ても孤独な存在で、テレビしか相手がいない。人は繋がりのなかで、生きているのだとつくづく思う。

 権力を持つと、何を言っても許される気になってしまう人がいる。つい、本音が出て、「バカだ」とか、「牛の世話しか出来ん」とか、見下げてしまう言葉を使ってしまう。最近はスマホがあるから、何でも録画・録音されてしまう。謝っても、後の祭りである。

 私の居る部屋の北側に、いつもハトが2羽止まっているが、今日は1羽で鳴いている。余りにも淋しい様子に同情してしまった。振られたんだろうか?!


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