友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

衝撃と激震のエイプリルフール

2024年04月02日 17時31分45秒 | Weblog

 衝撃は大きく、最悪な日だった。昨日の夕方、私が創刊した地域新聞の現編集長から電話があった。喉を詰まらせながら、「タイムスが6月で廃刊になります」と言う。最近の新聞を見ていて、そんな予感はしていた。

 以前、彼女から「広告が集まらないんですけど、どうしましょう」と訊かれた。私が創刊した時のスタイルを続けて欲しいと思ったが、それでは情熱が湧かないだろう。「あなたが思ったように、やる以外に無いね」と答えてしまった。

 住民の顔が紙面の各所で見られることが、地域新聞の基本と私は思って作って来たが、最近は、同じ号の1面にも2・3面にも市長の写真がある。地域を歩いて、こんな人がいる、こんなグループもある、それを拾い集めなければ読まれなくなってしまうのに。

 「そうか、仕方ないね」と、私は彼女を労わって、出来るだけ明るく言った。少々落ち込んでいたので、井戸掘りのメンバーが足りないと、心配していた後輩のために一肌脱ぐつもりで、一緒にやって来た先輩に都合を聞いてみようと電話した。

 「土曜日に井戸掘りをやることになったけど、都合はどう」と話した。すると、「何であんなたが電話して来るんだ。あんたは卑怯だ。道具の撤去も知ってたんだろう。勝手に持って行って、何の話も無い。いつもそうだ。勝手なことばかりしやがる」と怒鳴られた。

 確かに先輩には相談していない。反省会をやる時も、旅行に行く時も、何も相談していない。彼は猛烈に激怒していたが、忙しい身を思って、結果だけを伝えて来た。彼にとっては軽く扱われているようで、面白くなかったのだろう。

 友だち付き合いの仲、そんな型苦しい建前はいらないだろう。そう考えてしまうのは、思慮の欠けることだった。気配り、目配りが大切だと分かっていても、勝手に自分の目盛りで判断してしまっていたことを後悔した。

 「あんたでは無く、代表が来い。そう伝えておけ」と彼が言うので、代表を務める先輩に経過を話した。ふたりが話し合えるとは思えないが、私もこれ以上付き合いたくない。電話を聴いていた時、私は、彼と刺し違えて自分も死ぬしか解決は無いとまで思った。

 人の心を推し量ることは難しい。衝撃と激震のエイプリルフールだった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする