友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

本末転倒

2017年01月18日 18時13分21秒 | Weblog

 姉の見舞いに行って来た。今日は穏やかな日だったけれど、姉も穏やかな顔をしていた。車イスの生活だが、以前より少しふっくらしている。「少し肥えたねえ」と言うと、「そんなことない」と否定する。帰りの車の中で妹が「姉さんの方が長生きしそう」と言うが、本当にそんな感じだった。姉には娘がひとりいるが、聞けばもう59歳になると言う。3人の男の子はまだひとりも結婚していない。

 新年早々に離婚の話をいくつか聞いた。結論から言えば、子どものまま結婚してしまい、生活の仕方が分からないのだと私は思う。結婚してもそれぞれが自分の好きなことをやり、相手と一緒にいるのは苦痛だと言う。じゃーなぜ結婚したのかと思うけれど、「都合がよかった」という答えにはビックリすると同時に、正直なのはいいが、「好き」とか「愛している」という感情はないのかと呆れてしまう。

 結婚して40年も50年も一緒に暮らしてきたなら、相手が「空気のような存在」と言うのも分かる。目に見えないが必要不可欠ということだが、気持ちは理解できるが何か寂しい。上野千鶴子さんが言うように、「ひとりの人だけを一生涯愛し続けるなんて不可能」と私も思う。目移りもするし、心を奪われることもある。だからと言って、「もう心がここにないから」と別れるのは短絡過ぎる。

 神奈川県小田原市福祉課で、生活保護受給者の支援を担当している職員たちが「保護なめんな」と読めるジャンパーを着用していた。英文だから読めない人が多いだろうが、「私たちは正義だ。不正が発覚した時は追及する」とか「不正受給はクズ」とか書いてある。助ける側にいるのに取り締まることに躍起になっている。トランプ次期大統領もそうだけれど、権力を持つ人はいっそう相手に優しくなければならないのに、なぜ本末転倒になるのだろう。

 最近、この世は思うようにならないと痛感する。悲しいことが多いし、腹の立つことも多い。一見するとどんどん理想から遠ざかっているような気がする。次のステップへの試練の時なのかとも思う。「なるようになる」。きっとそういうものなのだ。

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ミステリーツアーの最後は銀世界

2017年01月17日 18時09分29秒 | Weblog

 いやはや驚いた。昨日、パソコンが動かなくなった。どうやってもダメで、パソコン教室を開いている卒業生の所へ持って行き、再生してもらった。知識がある人はありがたい。

 さて、誕生日会のミステリーバス旅行の2日目は、朝から強い風が吹いていた。南部のホテルを出て最初に寄ったのは白浜の『とれとれ市場』だった。クジラやマグロなどが並べられていたが、先輩が「高い」と言う。ここを出るとバスはさらに南下し、本州最南端の潮岬へと向かった。展望台に上ると目の前は海また海。風は強く吹き、飛ばされそうだ。「45キロ以下の人は飛ばされますよ」と冗談を言うと、周りの女性たちが「あら、それなら大丈夫だわ」と言い、大笑いした。

 展望台の下のレストランで早めの昼食をとり、東へと向かう。どうやらミステリーツアーは紀伊半島1周の旅のようだ。紀伊半島は山が海に迫っていて平地が少ない。陸地も岩ばかりで農業に適さない。海岸線に沿って人家が点在するが空き家が目立った。次は那智の滝だ。一度は見てみたいと思っていただけにちょっと感激だ(写真)。よく晴れていたから、滝がきれいに見える。社務所の前に大きな木筒が置いてあり、皆さんが木筒を抱きかかえて振っていた。

 おみくじである。その時、「そうだもう一度おみくじを引いてみよう」と思った。木筒はかなり重いが、一振りしただけで棒が出てきた。18番とある。巫女さんに番号を告げるとおみくじがもらえた。『第18番 大吉』である。「物事の出発点を誤たないようにせよ。仕事を始める場合は周到に用意して大局に目を注げ、成功は疑ひなし」。「待人/約束は違へぬ」「金運/途中で変心せず進め、叶ふ」とよいことばかりだ。年の初めに引いた「おみくじ」も、那智大社の「おみくじ」も神様は私のことをよくご存じと改めて思う。

 那智勝浦の補陀洛山寺を見学し、さらに東へと進む。長いトンネルを抜けると吹雪だった。最後の観光地は宮川の上流、度会郡大紀町の瀧原宮だった。伊勢神宮の内宮の別宮で、内宮に移る前のものらしい。知らないことを教えてもらうバスの旅だった。関を出る頃から雪はいっそう多くなり、愛知県に入ると銀世界になった。

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紀州東照宮

2017年01月15日 18時18分28秒 | Weblog

 朝、雪景色でとても明るかった。我が家のルーフバルコニーも雪で覆われていた(写真1)。それでも陽が射し始めると薄紫色のビオラが顔を出してきた(写真2)。この寒さの中でよく花を咲かせていると感心する。午前中は降ったり止んだりしていたが、空気は冷たかった。この雪のため我が市で行われる予定だった『新春マラソン大会』は中止になった。

 昨日、和歌山の南部のホテルを出る時はとてもよい天気だったが、風が強く吹き始めていた。朝の天気予報ではすでに名古屋では雪が降っていたから、これは大変なことになりそうだと思った。けれど、不思議なことに一昨日も大阪辺りは雲が覆っていたが、南下するにつれて青い空が広がって旅行日和となった。誕生日会の旅行はバスでの「ミステリーツアー」だった。こんな天候だから南か東かとみんなで想像し合ったが、バスは名神を西へと向かった。

 大阪を通り過ぎて、最初の観光は和歌山市の紀州東照宮だった。日光と久能山の東照宮は知っていても、和歌山にあったとは知らなかった(写真3)。さらに南へ向かうので、白浜で泊まるか勝浦の洞窟温泉かと想像を巡らすが、田辺で自動車専用道路を降りてしまう。田辺は弁慶の出身地で、弁慶の父親は熊野水軍の頭だったと説明される。その弁慶と父親、2羽の闘鶏の像がある闘鶏神社を参拝する。赤と白との鶏を戦わせ、源平のどちらにつくかを神様に伺ったというのだ。そのため勝利を導く神社として参拝者に人気があるという。

 「努力した人に幸運をもたらす神様です」と力強く説明する神職に従い、カミさんは2月に国家試験を受験する孫娘のために合格祈願のお守りを買い、私に賽銭を渡して「二人でお願いしましょう」と言う。本人は必死でも、私たちは神頼みにならざるを得ない。続いてバスは山の方へと向かう。気絶峡という絶景を観る。確かに大きな岩が突出し、その下に祠があり堂が作られている。左手には滝があり、祠から滝つぼを見ると気絶しそうだ。

 田辺市の梅林を眺め、梅干館を見学した後、南部のホテルに。早速、温泉に入る。バイキングの食事を楽しみ、カラオケで歌い、さらに部屋に帰って飲み直し、おしゃべりをして過ごす。さてこの続きはまた明日。

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ハガキよりメール?

2017年01月12日 17時40分03秒 | Weblog

 年賀状の多くは印刷したものだが、そこに手書きで「元気にしています」とか、「すっかり髪が白くなりました」とか、「孫が3人になりバアバしてます」とか、何か添えてあるとそれだけで親しみが増す。私は宛名は印刷するが、裏面は手書きにしている。なのに、ボケたのか、何も書かずに投函してしまった年賀状があったようで、誠に恥ずかしい限りだ。年々縮小しているつもりなのに、また新たな知り合いが出来たりしてなかなか減らない。まあ、生きている証として続けるつもりだ。

 年賀状の中には差出人のないものが1枚か2枚必ずある。年賀状を送ってくれる人の中の誰だろうと探すのも楽しみだ。この街の同じ歳の人たちの「集い」を2月に行うが、その返信ハガキが代表の私の所に送られてくるが、返信ハガキの出し方にもいろいろな違いがある。出欠席にただ○だけの人もいれば丁寧にその理由を書いてくる人もいる。あるいは役員にねぎらいの言葉を添えてくれる人もいる。表の「行」を儀礼通り2本線で消す人もいればそのままの人もいる。

 「メールよりハガキ、ハガキよりも手紙」。そんな言葉がどこかにあったけれど、世の中はすっかりメールの時代になってしまった。私のところもEメールはなくなり、Cメールばかりになってしまった。文字数に制限があるから事務連絡だけになってしまい、気持ちを伝えることは出来ない。友だちが「Facebookやったら」と本まで貸してくれたが、家のパソコンで見るだけで精いっぱいだ。iPadに切り替えればよいのだろうが、ガラ系のケイタイでは無理で、しかも怠け者の私は皆さんのようにこまめに発信出来ない。

 アメリカの次期大統領のトランプさんは1日に4・5回ツイッターで自分の「思い」を発信しているが、あんな風に一方的な発信で「思い」が伝わるのだろうかと思う。「攻撃」には適しているが、「思い」を伝えるためにはある程度の文字数が必要と考えるのは古い時代の人間なのだろうか。明日と明後日は、誕生日会の仲間と一緒に「ミステリーツアー」に参加するので、ブログは休みます。

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鏡開き

2017年01月11日 18時05分02秒 | Weblog

 鏡開きの今日、お餅をぜんざいでいただいた。丸い餅を2段に重ね、上に橙を乗せて繁栄を祈るものだけれど、今では鏡餅の置物風のものがある。中に丸い餅が入っているが、決してカビが生えたり硬くなったりしない。私の家は材木屋だったから、年末に親族が集まって餅を搗き、祖母が見事な手さばきで鏡餅を作り、事務所の一番目立つところに置いた。ウラジロはもちろんだけど、橙だけでなくいろんなものが飾られていたように思う。鏡開きの時は祖母がぜんざいを作って食べさせてくれたが、餅が硬くて切れなかった記憶がある。

 成人式も私たちの頃とは大きく変わった。前日に中学校の友だちが我が家に来て酒を飲んでいて、そのまま雑魚寝だったので式場に向かった時は既に終わっていた。だから式典がどんなものだったのか、みんながどんな姿だったのか知らない。会場から戻って来る女の子の大半は着物姿だったが、男はどんな姿だったのだろう。私は大学の入学式は高校生の時の詰襟で、1年間は詰襟のまま通ったし、背広を買ったのは大学を卒業してからだから、いったい何を着ていたのだろう。

 成人式の日から何日も経ないうちに我が家は倒産し、兄貴たちは家を出ていき、私は姉に妹のことを頼んで大学の先生の家の書生になった。近所の子の家庭教師は無くなったが、別の所で子どもたちに絵を教える仕事が舞い込んできた。授業料免除と奨学金とアルバイトで生活に困ることはなかった。苦労した覚えもない。自分が他の学生と比べて特別な境遇に置かれていると思ったこともなかった。

 先日、ピンチヒッターで大学の教壇に立つことになったが、学生の殆どは寝ているかおしゃべりしている。「いくつ?」と聞くと、「19」と答えてくれたから、今年の成人式に参列しているだろう。「何時に家を出てきたの?」と聞くと、「5時」と言うから眠いはずだ。長女も看護師を辞めて途中から大学へ通ったけれど、下宿するより通った方がお金がかからないからともっと早く家を出ていた。若いうちは何でも出来る。何が自分に向いているかは分からない。やるしかないのが人生のようだ。

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葬儀

2017年01月10日 17時45分47秒 | Weblog

 椿が咲いて、冬を実感した今日、カミさんは友だちのダンナの葬儀に出かけていった。ダンナは知らないが、友だちの方とは私も古くからの知り合いだ。記憶が定かではないが、彼女は中学で英語を教えていたのに芸大で音楽を学び、音楽を教えるようになった。それだけでなく創作和太鼓を発表し、今では地域に根付いた和太鼓楽団となっている。

 ダンナの方は会社員で、ふたりは小・中学校が同じだったが、それぞれ別の人生を歩いてきた。それが定年の時のクラス会が縁となり、結婚することになったのだから人生は不思議だ。彼女は結婚することなく仕事に打ち込んできたが、ダンナの方は妻を亡くしていた。どういういきさつで結婚を決意したのか私の知るところではないが、ダンナは彼女の家の姓となった。

 昨年の夏、ふたりの画集を頂いた。かなりお金をかけた立派な画集で、表も裏もダンナの作品を掲げている。目立ちたがり屋と思っていた彼女が引いて、ダンナを立てていることがよく分かった。表紙の絵は吹雪の中を歩く人の絵で、奥に灯の燈る家が見える。必死に家に向かう姿から、彼には家が温かな帰るべき場所と推測できる。

 定年を迎え、彼はアルトサックス、詩吟、囲碁、ゴルフ、テニスと楽しんだようだ。「一流といえるまで道を究めた」と語るところなど、同じ歳だからよく分かる。勉強して一流企業に勤め、我武者羅に働いて、終わったのだから自分がしたかったことをしようと意欲が湧くのだ。最ものめり込んだのが水墨画で、高じて東京まで学びに出かけている。「やるならとことん」が口癖だったというが、これもよく分かる。私たちはそんな風に生きてきた。

 同じ歳の人が亡くなるは辛い。年齢順でもなく、死はいつかはやって来る。私はこれ以上恥をかきたくないから早く死が来て欲しいと願っているが、それでもこうして現実に死を突き付けられると心の準備が出来ずにいる。まだ整理が出来ていないことも心に引っかかる。2月にはこの街の同年の人たちの集い「シクラメンの会」を成功させなくてはならない。その次は‥、まだ井戸掘りが1件残っている。

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全国高校サッカー大会

2017年01月09日 17時30分30秒 | Weblog

 全国高校サッカー大会で青森山田が初優勝した。全国大会の決勝戦だからテレビ欄を見るが、どこにも載っていない。そんな馬鹿なと思ってよく見ると、「三重テレビ」欄に午後2時からとある。三重テレビなら我が家のテレビで見ることが出来る。全国高校サッカー大会は思い出でがある。私が卒業した高校は公立ながらサッカーだけは強かった。県大会でいつも中京に負けていたのに、私が生徒会長だった時、中京を破って全国大会へ出場した。

 全国大会出場の経験がなかったので、にわかに応援団を組織しなければならない。3年生は大学入試が迫っているから2年生が主になるが、幸いにも3年生の就職組の中に親しい先輩がいて団長を引き受けてくれた。市内のバス会社に行って、バスの手配をしたりしてひとりで準備した。その頃は確か、兵庫県の西宮のサッカー場だったと思う。正月明けに試合があり、サッカー部の活躍を祈って応援したが初戦敗退だった。次の試合のことを考えなくてもよくなって、私は安堵したことを覚えている。

 今日の試合を見ていて、こんなにレベルの高い試合ではなかったと思った。優勝した青森山田も負けた前橋育英も、選手の出身地は全国に散らばっていて、県の代表というより学校同士の戦いになっている。それだけサッカーは野球同様に人気が高く、プロへの道が出来ている。プロの選手になりたいと小学生の時から練習に励んでいるというから驚く。それくらいの覚悟がなければプロにはなれないということなのだ。

 私の高校はサッカーの名門校というので、体育の時間はサッカーをすることが多かった。走ることだけは早かったからサッカーは好きだ。けれど、ボールの扱いは練習しなければうまくなれない。スポーツはどれも練習しなしに成功することはない。何度も同じことを繰り返すことが苦手で、練習嫌いな私には向いていなかった。練習を重ねて上達が実感できればもう少しスポーツに励んだかも知れないが、手っ取り早く成果を得ようとする人間はスポーツ選手にはなれないと、今は分かる。

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油彩画展へ

2017年01月08日 17時46分19秒 | Weblog

 午前中はまだ雨は降っていなかった。今日はマンションの新年会で、中庭ではどんど焼きが行われ、子どもたちに焼き芋がふるまわれる。カミさんから電話が入り、「皆さんが、どうしているの?降りてこないの?と言ってるわよ」と言う。昼から一宮市の『もりのギャラリー』で行われている作品展を観に行く予定でいたので、お酒を飲む訳にはいかないから断った。そうでなくてもなぜか近頃、人前に出たくない。

 『もりのギャラリー』で行われている作品展は、私が勤めた高校の生徒たちによるものだが、その生徒は後輩の先生が教えた人たちである。私が教えていた時は授業では油彩を描かせたが、もっぱらデザインに主力を置いていたので、油彩に向かう生徒はいなかった。だから、どんな油彩画を描くのか興味もあった。しかも作品はどれも100号の大作ばかりとある。

 午後から雨が降ってきた。車に乗り、場所をナビで探そうとするがうまくいかない。冷えていたせいか、また脇腹が痛む。事故を起こさないかと恐怖が走る。多分この辺りだろうと思われる道を進むが見当たらない。引き返してもう一度、今度は後ろの車には申し訳なかったけれど、ゆっくりと周りを見ながら運転する。あった。通りに面しているとばかり思っていたが、道から奥に入り込んでいるし、とてもギャラリーとは思えない構えだった。

 会場には50代か60代くらいの男女が7・8人いるが、知らない顔ばかりだ。後輩の作品は相変わらずの風景画だったが、展示の中にはホォーと思える作品もあった。私はポスターカラーの時代の人間で、油彩はせいぜい50号くらいまでしか描いたことがない。先輩の作品展を観たのも、二科展に足を運んだのも、人の作品を観ることで自分も描きたくなるようにと望んだが、そんな意欲が湧いてこない。

 このまま終わることが悔しい気もするけれど、情けないがこのままでもいいじゃーないかとも思う。「事なかれ主義を守って平和にいきなさい」とおみくじにあったから、何もせずに終わっても罰が当たることはないだろう。

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ウワサ

2017年01月07日 18時38分51秒 | Weblog

 偶然は意外に起きるものだ。日赤の循環器科の受付になんとなく覚えのある男がいた。話し方で同じ街に住む昔の知り合いと分かった。相変わらず背広姿で、受付の女性にペコペコ頭を下げている。「久しぶりだねー」と声をかけると先程とは打って変わり、「正月早々、葬式続きだギャー」と言う。年末に街中で交通事故があり、2人が亡くなったが「隣りの家だ」と言う。その葬式の最中に重体だった人も亡くなり、葬儀が続いたというのだ。

 このところ立て続けに近くで交通事故死が発生している。「それだけじゃーないぜ」と人の名を挙げ、「あいつはもうアカンぜ」と捲し立てる。情報ツウというか、昔から人のウワサをよく知っていた。人の裏事情に詳しい人はどこにでもいる。人は他人の不幸が好きなのかも知れないが、テレビで大金持ちの生活を特集していたから、他人の不幸ばかりが好きなわけではないようだ。

 年末年始はテレビばかり見ていた。以前はみんながやって来たからテレビを見る余裕はなかった。だから「今年は紅白を観る」と言うカミさんに付き合った。久しぶりに紅白を観てガッカリした。全くのバラエティー番組ではないか。NHKは国民から料金を取って運営しているのに、どうして民放と同じことをする必要があるのだろう。NHKも電話や郵便と同様に、株式会社にして民営化した方がいい。

 そうすれば株を売って国家財政に寄与できる。公営放送の必要性など存在しない。もし、このまま公営を続けるなら、民放とは全く違う路線を行って欲しい。NHKはお金がジャブジャブあるから無駄な番組を作り過ぎる。新聞もテレビも人々への影響力はすこぶる大きい。ナチスの宣伝相のゲッペルスは「ウソも百回言えば真実になる」と言ったけれど、人は手を変え品を変え、同じことを何度も見聞きしていると「そうだ」と思うようになる。

 私はまた脇腹が痛むので、自分に「痛いのは幻想だ」と言い聞かせてみる。「痛いと思うのは脳であって、脇腹ではない」「脳で感じなければ脇腹に痛みはない」「人は痛みを感じなければ痛くない」‥等々。

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定期検診

2017年01月06日 18時13分02秒 | Weblog

 2.3日前から脇腹が痛む。正確に言えば、2・3週間前から右の脇腹が痛かった。昼間はあまり感じなかったけれど、就寝になると痛むのだ。それが昨夜は、左右の脇腹に加えて真ん中辺りも痛い。今日は日赤での定期検診である。カミさんは「診察の時に話したら」と言うが、そんな話ができる診察ではない。診断結果の封筒に看護師から渡され、「かかりつけの病院に出してください」と言われるだけだ。

 それでなくても循環器科はいつも混んでいて、私の前に座っていた老人は妻らしき人に「いったい何時間待たされるんだ」と怒っていた。70代の後半から80代と思うけれど、もし、私が先に呼ばれたなら代わってあげようと思っていると、呼び出しがあった。私の診察は3分もかからないが、その人が出てきたのは10分近かった。循環器科だけでなくまだ他にも診察を受けなければならない様子だった。

 もうそんなに活躍することもないし、これから先を期待されることもないだろうから、診察を待たされたところでどうってことはないはずだから、されるがままでよいではないかと、私は思う。景気が悪いのは、老人が増え、消費が伸びないからと指摘する学者がいるがその通りだろう。年金生活になってみると、ただ支出を増やさないようにするしかない。人口の多い年金生活者が消費を控えているのだから、景気が上向きにならないのは当然だ。

 昨日のニュースで、医学会が高齢者の定義を見直すべきだと提言していた。人数の多い団塊世代が75歳になるまではもっと働いてもらい、そうすることで年金の支給開始を伸ばそうという魂胆だろう。「1憶総活躍社会」は、老人も女性もみんな死ぬまで働けということ。みんなで支え合って社会は成り立ってきたのだから、社会の仕組みが変化するのは仕方がない。安らかに死を迎えられる社会であって欲しい。

 「不死」の研究が進んでいるそうだ。1%の富裕層が「不死」になったら、ますます栄華を極めるだろうが、社会の最下層で「不死」になったら、ロボットのように働くことになるのだろう。神の前で全ての人が平等でないような「不死」は、きっと別の「罠」なのかも知れない。

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