友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

オリンピックが近づいてきたが‥

2016年07月29日 18時10分02秒 | Weblog

 リオデジャネイロ・オリンピックが8月5日から始まるが、ロシア選手団のドーピング問題が連日取り上げられている。ドーピングってそもそも何?ドーピングは悪いと言われているけれど、ドーピングが何なのかが分からない。競技に勝つために使用する薬物ということだけれど、それが何かなぜダメなのか、競技者の健康を損なうと言うが、それなら薬物を使うとこんなことになるという結果を見せた方がよく分かるだろう。

 古代ギリシアでオリンピックのような競技が始まった時から、人は様々な方法で勝つために努力してきた。競技は楽しむためではなく、あくまでも勝つことが目的だから、競技者はどんな努力も惜しまない。今日も、競技者は身体を鍛え、技を鍛え、精神を鍛えている。そのために、必要と思われるものを食べたり飲んだりしているし、精神を集中する訓練も怠りない。その努力は、凡人の私から見ると異常なくらいだが、競技者たちは「もっと、もっと」と励んでいる。

 オリンピックは国家対抗ではないと言われているが、現実は国旗を掲げた国単位で選手団は入場してくるし、優勝すればその選手の国の国旗がはためき国歌が流れる。日本だけなのかも知れないがテレビや新聞は、「メダルの数と色」が常に話題になっている。「前回と比べて数がいくつか」と推測する番組ばかりだ。それは、いくら「参加することに意味がある」と言っても、実質は「メダルの数と色」こそが大事ということだ。

 本当にスポーツを通して世界の平和と友好を目指すなら、個人参加・クラブ参加にすべきだろう。サッカーやテニスのように世界大会があるのに、さらにオリンピックでも勝敗を求めるのは利権がらみとしか思えない。ドーピングを問題にする前に、国家対抗のようなメダル争いを無くすことだ。国家がスポーツに関わらなければ、競技者の鍛え方も変わるはずだ。スポーツが本当に個人のあるいはクラブの努力の結果を競うものであれば見る側も楽しく見られるはずだ。

 明日と明後日は、夏祭りのためブログを休みます。

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東京都知事選挙の予想って

2016年07月28日 18時39分42秒 | Weblog

 フェイスブックを見ていたら、都知事選挙は小池百合子さんの当選と予想する人が多い。野党連合が成立し候補者に鳥越俊太郎さんが決まり、前回の知事選で96万票を得た宇都宮健児さんが出馬を取り消した時は、多くの人がこれで鳥越さんの当選だろうと予想したが、選挙戦が始まって予想は完璧に覆された。最も大きかったのは週刊文春が鳥越さんの女性スキャンダルを報じたことだろう。

 13年も前のことであり、事実かどうかも怪しいのに、「スキャンダルがあったらしい」というだけで一気に鳥越さんの人気は落ちた。週刊誌を読んでいなくても、週刊誌の広告を見ただけで分かったような気になってしまう。さらに記事に対する鳥越さんの態度がいっそう鳥越離れに拍車をかけた。「政治家ならきちんと説明しなさい」とジャーナリストの鳥越さんは追及してきた。だったら、事実はこうですと説明すべきだった。

 にもかかわらず、鳥越さんは週刊文春と週刊新潮を告訴した。権力におもねることはしない人のイメージが崩れた。いや、そればかりか出馬を決意した時、「どのように都政を変えるのですか?」と聞かれても、「まだ、考えていない」と答えたり、選挙の中盤で「秘密兵器は?」と問われると、「私自身が秘密兵器です」と驚くほどトンチンカンに答えている。

 鳥越さんは演説回数が極端に少ないし、具体的な政策はほとんど話していない。選挙を知らないのかあるいは軽んじている。自分を推した各野党が票を集めてくれるとでも思っているのだろうか。その点で、小池さんはうまい。彼女は「自己責任」と言い放つほど右寄りな保守だが、自民党の応援をもらえずひとりで戦っていると強くアピールしている。そして「政党のボスが決めていいのか、組織の都合だけでいいのか」と都民を煽る。

 この「小池の乱」に立ち向かっている増田さんは「都議会の解散は混乱を引き起こし、行政は前に進めない」と批判するが、都民は政党の都合で都政がぐちゃぐちゃになったことに嫌気が差していることが理解できない。投票まであと2日間だが、このままでは小池さんの当選は間違いなさそうだ。なんともイヤな雰囲気になって来た。

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相模原の障害者施設での殺害事件

2016年07月27日 20時10分38秒 | Weblog

 凄まじい事件が起きた。神奈川県の障害者施設で19人が殺害された。犯人はこの施設の元職員の26歳の男性だった。彼は今年2月に、衆議院議長に手紙を出すために2時間も議長公邸前に座り込み土下座していたという。その手紙の内容が中日新聞に掲載されていた。「常軌を逸する」ことだと自分でも「重々理解しています」とあるが、「全人類のために必要不可欠であるつらい決断をする時だ」と宣言し、「私が人類のためにできることを真剣に考えた答えでございます」と殺害の正当性を述べている。

 戦争にいった兵士のように、「革命」の名の下に銃を奪った赤軍派の青年のように、ジハードのために自爆テロを行うイスラムの人のように、この犯人は自分の残虐な行為が人類のためになると確信している。けれども、まだ子どもっぽいのは、「作戦を実行するに私からのご要望」として、「逮捕後の監禁は最長で2年までとし、その後は自由な人生を送らせてください」「新しい名前、本籍地、運転免許証等の生活に必要な書類。金銭的支援5億円」と述べている。マンガや映画にあるかも知れないが、現実社会にあるはずがないことが全く理解できていない。

 彼は障害者施設の様子を「保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の描けた瞳」と表現し、「日本国と世界のため」であり、「世界経済の活性化、本格的な第3次世界大戦を未然に防ぐことができる」ので、「意志の疎通ができない人たちをナイフで刺した」というのである。「重度障害者の大量殺人は、日本国の指示があればいつでも実行する」と述べていた。障害者のためにどれだけの税金が使われているかと周りの人に話している。障害者を生きていても意味がないと彼はどうして考えるようになったのだろう。

 殺害された人の年齢は高い。私たちは他人事のように事件を見ているけれど、実際はいつ痴呆になるか分からないし、障害者になる可能性は極めて高い。彼は若いから自分が障害者になることなど考えられないから、役に立たないものは抹殺してよいと考えただろうが、この世界に不要なものは何もないし、人はそれぞれなのだからみんな受け入れて行く社会でなければならない。

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健康診査

2016年07月26日 17時26分24秒 | Weblog

 健康診査に行ってきた。私は4年前にペースメーカーの装着手術を受けたので、75歳からの後期高齢者扱いである。これにガン検査を加えての診査だった。これまでは「健康診断」とばかり思っていたが、「健康診査」であることに初めて気が付いた。日本では世界では珍しい車の定期検査が行われ、定期的に検査を受けることに慣れている。きちんと動くためには当然だとすら思っている。

 車とは違って、人間は自分の状態は把握できるから必ず毎年診査を受ける必要はないと私は思うけれど、自治体から診査の知らせが届くと、「健康維持のためには受けるべきよ。それに無料なのだから」と健康診査に信頼を置いているカミさんはさっさと申し込んでしまう。無料とはいえ、自治体は病院に診査費用を支払っている訳だから、医療費が膨らむことになるのに。

 私たちは子どもの頃から健康診断を受けてきた。学校では毎年、身長・体重・視力などの検査が行われ、街の医者が学校に来て子どもたちの胸に聴診器を当てていた。児童の健康診断は戦前から行われていたが、富国強兵を目指した日本は健康な兵隊が必要だったからであり、戦後も経済成長にともない企業は従業員の健康診断を行うことで健康な労働力の確保に努めた。普通に暮らしている人を対象とした人間ドックも普及し、健康への関心はいっそう高まった。

 昭和57年には高齢者の医療の確保に関する法律が生まれ、平成20年からは特定健康診査が実施され、該当者には自治体から「お知らせ」が届くようになった。健康診査を受けて精密検査を要すると診断されながら放置しておくと、自治体から受検するように催促されるとも聞く。そんなに高齢者を厚遇しなくてもいいと思うのは私だけかも知れないが、75歳を過ぎれた後期高齢者の余生は静かにさせてあげた方がいい。

 働き盛りの人が健康であることは大事なことだが、人生の終末にある人は病気があってもいい、高額な治療を受ける必要はない。大事なことはその人が満足した「死に方」が選べるかである。人はそれぞれ、みな同じように長生きする必要はないと私は思う。

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失敗は誰にでも起きる

2016年07月25日 18時57分28秒 | Weblog

 大和塾の最後の市民講座である姜尚中さんによる『成熟社会の在り方』のチラシとポスターが出来上がり、今日は封筒に宛名ラベルを貼り、チラシを入れる作業を8人の塾生で行った。市役所の市民団体用の部屋を借り、ワイワイと無駄口をたたきながら作業を楽しんだ。約束した場所にチラシが無くて焦ったし、あっても三つ折りにしてなくて、慌てて市の職員に折ってもらったりして、それでも何とか正午には仕事を終えることが出来た。

 金にならない作業をしていると、その働きぶりに人柄が出る。塾生の皆さんはさすがに歳を重ねてきているから、決して他人を非難したりしないし、作業のミスがあっても笑って他の人が穴埋めをしてくれる。若い時なら、「何やっているのだ!」と怒ったかも知れないことでも、見ないふりをしてくれるか、見ても見ないことにしてくれる。大人の思いやりがあるのはきっと、自らも失敗を重ねてきたからだろう。

 失敗は誰にでも起きる。失敗に気付いているなら叱る必要はないが、自覚がないなら注意してあげることは上司の務めだ。どんな風に注意するかで、上司の人柄が現れる。学校の先生たちの中にも登校できなくなってしまう人が増えていると聞く。子ども相手にどうして?と思うけれど、子どもが相手だからこそ「教えられない」悩みがあるようだ。それに教師は国一城の主の意識があって、みんなで助け合うことが少ないから、相談できずに落ち込んでしまうのだ。

 やたらと威張る先生にも困ったものだが、そういう先生は教える技術がヘタだ。威厳にしがみつくのは自信がないことの表れである。中学に入ってすぐ学校へ行けなくなった子がいる。明るく茶目っ気があったからまさか登校できなくなるとは誰も思わなかった。何があったのか分からないが突如学校へ行けなくなった。高校受験を前にして、その子が自ら「学校へ行きたい」と言い出した。

 全く人前に出なかったが、「夏祭りも手伝う」と言ってくれた。姜尚中さんの本をプレゼントするとすぐ読んでしまい、「『遠回りしてもいいんだ』とあったので安心した」と言った。そうさ、人生はやり直せばいい、失敗は取り戻せばいい。他人のせいにしたり、他人を傷つけたりしない、そのことに気付けばそれでいい。

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祭りは伝承の場

2016年07月24日 17時54分40秒 | Weblog

 ジリジリと太陽が照りつける、そんな暑さではないが、校庭で子どもたちが朝から野球の練習をしている。私が小学校6年生になった頃、私の街でも野球が盛んで、全ての子ども会ではなかったがクラブチームがあった。学区外から通っていた私は一番近い子ども会に入会させられ、ここの野球チームに入れられた。夏休みは朝から学校のグランドで練習があり、私はそれが苦痛だった。

 チームのコーチをしていた若い男の人に可愛がられて、アイスキャンディを奢ってもらったりしたが、それより早く帰りたい気持ちの方が強かった。チビだったけれど運動が出来て足が速かったので、コーチは選手として使いたかったようだ。真面目に参加して練習はするが、意欲がなかったからコーチとしては扱いにくい子どもだったろう。

 昨日は夏祭りの第1弾で、早朝に食品の材料を受け取り、続いて午前8時からは会場のテント張りを行い、私はいったん帰って値札書きをした。午後3時には再び集まって会場へ出かけ、それぞれが持ち場の準備にかかる。3歳から77歳の女性が7人、小1からこちらも77歳の男性が12人の合計19人が、格別割り振ったわけではないのに自分の持ち場を決めて動き出す。私はただそこに居るだけで何もしなかった。

 屋台を始めてもう10年になる。周りの人から「チームワークがいいねえ」と呆れられるくらい手際がいい。そしてまた、世代交代も着実に進んでいる。水遊びついでに「冷たい飲み物はいかがですか」とビールやコーラを売っていた子どもたちが、焼き鳥を焼いたり焼きそばの手伝いをしたりしている。私たちの世代が後方に回り、私たちの子どもの世代が料理手となった。ただ、そこに血のつながりはなく、それぞれが別の家族であることも珍しいだろう。

 私が気になったのは、次の担い手である高校生たちが料理を手伝うが、後片付けに自ら動かないことだ。「おいおい、年寄りに洗い物をさせて君たちが休んでちゃーダメだぞ」と私は注意する。自分の孫ではないけれど、やっぱりここは誰かが気付かせないといけない。年寄りが子どもたちに伝えることで、小さな文化も伝承されていく。

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抱える課題は数多い

2016年07月22日 20時30分21秒 | Weblog

 カミさんの妹が「私、そんなに長くは生きられないと思う」と言うので、「えっ」と聞き返した。「なんとなく分かるものじゃーない」と真顔で言う。死の予感ということを聞いたことがあるが、義妹からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。「まあ、いずれはやって来るけど、それは神様が決めることだから」と言うと、「そうね、死ぬまではちゃんと生きなくちゃー」といつものお茶目な顔で言う。

 義妹は68歳、ひとり息子とふたりで暮らしている。障害のある男の子の介護を仕事にしてもう長い。朝6時から送り出すまでの世話だが、男の子は身体を動かすことの出来ないし、言葉を発することも出来ないし、食べるものも流動食のようにして食べさせているそうだ。優しく面倒みがいいからその子の家で頼りにされている。義妹も男の子を小さな時から世話しているので、可愛く思っているみたいだ。

 先日もテレビで、兄妹が共に障害のため寝たきりの家庭のことが報道されていたけれど、よく世話できると感心した。私ならきっと、決してよくならない我が子の世話に疲れ果ててしまうだろう。エライなあと思うし、社会がもっと手助けすることが出来ないのかと思った。昔、中学のクラス会に、成績がいつも1番だった女の子が子どもを連れて参加してきた。その子には障害があり、「この子より先には死ねない」と言った彼女の言葉が重く胸に残っている。

 神様は残酷なことをする。それは罰とか戒めではなく、人間に対する問題提起である。人間は世界を征服したけれど、抱えてきた課題は数多いのに気づかないふりをしてきた。人間が自ら解決しなければならない諸々が何であるかを神様はいろいろな形で示している。戦争も貧困も病気も差別も‥。人間の弱さをカバーするものは、愛という感情だろうけれど、愛もまた不確実なのはどうしてなのだろう。

 明日は夏祭りの第1弾のため、ブログは休みます。

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企画力は時代を感じる敏感力から生まれる

2016年07月21日 19時01分39秒 | Weblog

 NHKテレビの朝のドラマ『とと姉ちゃん』の戦後編が始まった。戦災後の東京はもっと荒んでいたのではないか、人々の服装や暮らしぶりも考証が足りないように思うけれど、絶望的な環境の中でも黙々と生きていく人々のたくましさは感じられる。1964年は東京オリンピックの年だが、都心からちょっと離れた練馬区ではまだ「ドボントイレ」だった。

 「女性の暮らしに役立つ」ことを念頭に、「とと姉ちゃん」たちは雑誌作りに取り組んでいく。雑誌が闇市で売られるものだとは知らなかった。本屋そのものがまだ多くなかったのだろう。本屋に並べられる雑誌になるにはある程度の知名度というか信用がなければならなかったのだろう。それにしても、3姉妹で始めた雑誌がどのようにして全国誌になっていくのか、興味深い。

 ドラマは『暮らしの手帳』の第1号が発行されるところなのだが、なんとなく手がかりらしいものがある。それは雑誌作りに対する「とと姉ちゃん」たちの態度だ。雑誌の記事を書くために取材を行うが、その取材が徹底している。見たものをきれいにまとめ上げるのではなく、納得するまで聞き調べ、みんなが分かるように書く。そんなことは当たり前のことだが、実は取材もしないで記事を書く記者もいる。

 私がこの土地で地域新聞を始めた時は、自分一人で取材し記事を書き割り付けをした。それに広告集めと集金まであったから、休む暇がなかった。ひとりで5年間続けられたのは、記事を自分で見つけ、取材させてもらい、納得いくまで聞き、記事にしたことだと思う。発行したばかりの新聞に向こうからネタが来ることはないから、街を歩き回って探す他ない。それを5年も続け、「取材に来て」と言われるようになった。

 「とと姉ちゃん」たちの苦労が我が身と重なる。社会から認められるようになることの大変さがよく分かるだけに、こうすれば絶対に認められるだろうというものを感じることがある。企画力は時代を感じる敏感力から生まれるからだ。

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大橋巨泉も旅立った

2016年07月20日 18時40分11秒 | Weblog

 永六輔に続いて大橋巨泉が亡くなった。若い人たちには馴染みがないが、ふたりは私よりも10歳か11歳年上でテレビやラジオで活躍した時代の寵児である。大橋巨泉はテレビのイレブンPMの司会で有名になった。永六輔は「上を向いて歩こう」「遠くへ行きたい」「こんにちは赤ちゃん」などの作詞で名を上げたが、私にはラジオ番組『7円の旅』が心に残っている。

 ふたりは共に東京で生まれで、早稲田大学を中退し放送関係を活躍の場に選んだ。体制に迎合せず、しかし過激に走らず、リベラルであることに徹した自由人である。大橋巨泉は10年近くガンと闘い、何度も手術を受けている。放射線治療と抗ガン剤治療の副作用はかなりきつかったようで、夫人は「本当によく頑張った」と認めている。本人は原稿も書けず好きなワインも飲めず、「生きていてもしょうがない」と漏らしていたらしい。

 一時代を築いたふたりである。80代まで生きて本望だろう。アメリカでは共和党の大会でトランプ氏が大統領候補に指名された。差別的な発言を繰り返していたトランプ氏が指名されることはないとの憶測は完全に外れた。使命を受けたトランプ氏は「今日は特別な日、決して忘れない」「雇用を取り戻し、軍隊を再建し、国境を強化する」「アメリカを再び偉大にする」と演説した。下院議長は「アメリカは変わる」と指名を称え、結束を呼びかけた。

 「チェンジ」を合言葉としたオバマ大統領に多くの人々が熱狂したが、期待した変化は起きなかった。イスパニック系の移民や密入国者によって、職が奪われるあるいは奪われるのではないかという恐怖が広がっている。イラク戦争を始めたのは共和党のブッシュ政権であったのに、他国のためにアメリカの税金が使われているのはケシカランという気持ちになっている。中国やロシアや北朝鮮が、アメリカの偉大さを理解していないと腹を立ててもいる。

 アメリカ人の中に湧き出しているもの、日本やイギリスやフランスやドイツなどの先進国にどこか共通しているものがある。永さんや巨泉さんはこんな世界の動きをどう見ているのだろう。大学4年の孫娘から「合格だった」と電話があった。よくやったネ。これからは子どもたち、そして孫たちの時代だ。

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『名古屋をアートで面白く』

2016年07月19日 19時08分00秒 | Weblog

 炎天下という言葉がぴったりの今日、伏見ライフプラザで行われた高年大学の講座に出かけた。ひと昔前なら、老人大学とか高齢者大学と言っていたのに、高年と言い換えているところが面白い。今日の講師は私の先輩で、現代アートの巨匠、山田彊一先生である。大和塾でも講師を引き受けてもらったが、堅苦しさの全くない芸術談義だったが、それでいてなるほどと皆さんを納得させる話術の持ち主である。

 今日の演題は『名古屋をアートで面白く』というものだったが、初めから脱線してエレベストに登った話、高校時代に女郎屋へ通う友人の話など、これでアートに辿り着くのかと思っていると、いきなり「面白くなくて何が人生か」と哲学めいた話になり、「名古屋は全く保守的な所で芸能と芸術の区別も出来ないアホばかり」と名古屋人をこき下ろす。山田先生は20代の最年少で、ニューヨークで行われた展覧会に選抜された実績があるから、怖いもの知らずだ。

 「絵は個性」と先生は主張する。しかし、「うまい絵は?」となると皆、写真のような絵を上げる。だから「名古屋はダメだ」と断言する。西洋美術も昔は写真のような絵を描いていたが、1830年代に写真機が発明されると写すだけなら写真機にかなわないから、ヘタな方が受けた。印象派の作品はどれも「絵がヘタ」と手厳しい。アングルやクールベやドガが写真をもとに絵を描いたというのは本当だ。

 昔の絵は宗教と密接に関係していた。言葉で表すよりも大衆が理解しやすいからだ。王や貴族や僧侶そして金持ちの商人が生まれると肖像画を残すようになったので、写真のように忠実な表現が求められた。だから写真機が生まれると役割を失ってしまった。市民が国家を掌握するようになり、科学が発展し、人々の価値観が大きく変わったので、絵画の方向も大きく変わった。

 先生が指摘するように、誰もしないことをやらなければ価値がなくなった。逆に言えば、現代アートは誰も思いつかないことを表現しなくてはならない。それは同時に、哲学的な意味を持つものでなければならない。講演が終わって控室に先生を訪ね、大和塾の季刊誌『風』最終号を渡ししてきた。

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