私の出不精を心配したのか、今朝、友だちから電話が入り、「図書館には行ってる?」と訊いてきた。そう言えばもう久しく図書館に行っていない。「えっ、どうして?」と訊き返すと、「アイヌ関係の本を借りて来て欲しい」と言う。
なぜ、アイヌ関係の本を読みたいのか分からないが、「わかった。近いうちに行って来る」と答えた。彼は読書家で暇さえあれば読書しているというか、読書するしか時間の潰し方が無いのだ。
彼は私より歳下だが脳梗塞で身体が不自由となり、今は車も無くして施設の世話になっている。彼も私も、親は小学校の先生で、しかも彼も私も高校の教員だった。そんなことから私が地域新聞を発行していた時、「本の紹介」欄を書いてもらった。
明日にでも図書館に行って、アイヌの書籍を探してみよう。念のためと思って、我が家の本棚を眺めて見たが、アイヌ関係の本は無かった。私が子どもの時、父が『コタンの口笛』を学校から持って来てくれた。
ほとんど覚えていないが、アイヌだからと差別を受ける男の子の話だった。まだ、名古屋の柳橋には傷痍軍人が居たり、私の家にも乞食が物貰いにやって来ていた。母は嫌うことなく、あげられる物をかき集めて渡した。
どうして貧しい人がいるのか、戦争で傷ついた人が街にいるのか、なぜ人は差別をするのか、子どもの私の頭は疑問でいっぱいだった。しかし、いつの間にか世の中は豊かになり、「いつかはクラウン」の時代へと進んで行った。
私は「小市民意識が差別を助長する」と批判していたのに、スバル360を手に入れ、次にホンダの軽を買い、家族旅行を楽しむようになっていた。毎日が忙しく、充実しているように感じていた。
今朝の甲子園大会の決勝戦は、「沖縄尚学」の勝利だった。勝って欲しいと願っていたのに、本当にそうなってしまい、不思議な気持ちでいる。選手たちの一生懸命なプレイに、私の方が涙してしまった。