友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

また今夏、ガンバレと声援を送る

2024年03月22日 17時42分39秒 | Weblog

 「こんにちは。70歳の古希を祝う時に開催するはずだったクラス会も、何とか開催出来そうな気配となりました」と、案内状を頂いた。案内状には1年の時の、クラス写真が載っていた。私が愛知工業高校のデザイン科の教員となって、初めて担任したクラスで思い出深い。

 昭和42年に教員となったが、1年目は担任が無く翌年、新任の7人はそれぞれ担任となり、張り切っていた。デザイン科は皆、個性的で面白かった。留年して1年を再びやり直すことになった生徒もいたし、父子家庭で遅刻の常習者もいた。私は軽自動車で通勤し、毎朝、彼を迎えに行った。

 お父さんが何をしていたのか、授業料が滞納になっていた。「就職したら返す」と言うので、私が支払ったが約束は守られなかった。進んでルーム長に立候補した男に遠足の時、「カメラを貸して」と言うので渡したが、それっきり戻って来なかった。

 音楽好きの子も何人かいて、よくギターを弾いて歌っていた。今度のクラス会でも歌ってくれるようだ。この子たちの1年の秋に、私は結婚した。デッサン室でお祝いの会を開いてくれたし、何人かは私の新居であった江南団地まで遊びに来てくれた。

 私は、昭和48年に小牧工業高校へ転勤となるまで、愛工での担任は1年が4回、2年と3年が1回だったが、クラス写真は1枚も持っていない。卒業アルバムは教師にも配られると思っていたからだ。後から聞くと、「注文して、金を払う」ことだった。

 愛工は今、東山工業高校と統合され、愛知総合工科高校となった。私が在職していた時のように、デッサンすることも面相筆を使うことも無く、もっぱらパソコンを使った作業を学習しているようだ。時代は大きく変わってしまった。

 選抜高校野球で愛工大名電は、兵庫の報徳学園に延長戦で負けた。6回に先取点を上げたが7回に追いつかれ、延長戦になった。10回に1点入れた時は勝ったと思ったのに、その裏に2点入れられ終った。また今夏、ガンバレと声援を送る。


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