2011年11月11日。
1のぞろ目は縁起が良いのか悪いのか?
11で連想される3.11と9.11は穿った見方?
2011年11月11日。
石川県では野々市市(ののいちし)が誕生。
山地を持たない金沢市のベット・タウンは今後も発展しそう。
かと思えば過疎が深刻な市町村も多々あり、
その多くが能登の地域や加賀の山間部。
山地を持つと市町村の財政は圧迫される。
と今年の同年会で話題になった議題。
まあ、その話は置いといて。
TV画面は3夜連続のクロスロード・ギター・フェスティバル。
でも先程までアイルトン・セナの“音速の彼方へ”との映画を鑑賞。
ブラジル人であることやセナとプロストの確執など当時の記憶が頭を過ぎる。
フジテレビではセナが亡くなった日の夜に追悼特番を放送。
先日その話を友人としていたら“ビデオ持ってるよ”とのこと。
其々にそれぞれの思い出があって。
流行ったよね~F1。
鈴鹿のチケットを手に入れることがステイタスの時代。
そう言えば一昨日かの新聞に、
“ジョー・フレイジャーの死”が掲載されていた。
アリ vs フレイジャーのM.S.G決戦。
幼心に強い印象が残ってる。
マスコミの騒ぎは子供時代の思い出でもね。
本当に当時は大騒ぎだったのだろう。
個人的にはアリ VS ファーマンのキンシャサ。
後に、
劇画:『愛と誠』でも採り上げられていた世紀の一戦。
アリを中心に回ったヘビー級の黄金時代。
今年に入ってBS1でラリー・ホームズの番組があって。
不人気だったチャンピオン:ラリー・ホームズの心境。
その後はマイク・タイソンの時代を画策したドン・キング。
そのタイソンが東京ドームでのまさかの敗北。
その後のホリフィールドの耳を噛み千切った事件。
私にとってのヘビー級への興味はその辺りまで。
アレッ?と思うほど毎日が早い。
巷では色々な話も聞くが…。
今夜は重い話はやめよう。
明日に希望を!
なんてね
~以下Web記事転載。
【野々市市民5万1885人】
町から市に昇格した「野々市市」が11日スタートした。
人口は県内6位の5万1885人(昨年10月1日現在)。
県内で11番目の市になることや、
「物事の始まり」「野々市の『いち』につながる」として、
2011年11月11日と1並びのこの日を市の「誕生日」に選び、
市制施行記念式典も午前11時に始めた。
庁舎前で午前8時すぎからあった開市式では粟貴章市長らが、
新設された銘板を除幕した後、くす玉を割って新市誕生を祝った。
市文化会館で始まった記念式典には約700人が出席。
野々市明倫高、野々市中、布水中の吹奏楽部員が演奏を披露した。
野々市市が誕生したことを受け石川郡が姿を消した。
平成の大合併以前の石川郡は野々市町に加え、
美川町、鶴来町、河内村、吉野谷村、鳥越村、尾口村、白峰村
の3町5村で構成されていた。
2005年2月に野々市町以外の町村が松任市と合併して白山市となり、
野々市町だけが石川郡として残っていた。
野々市市の面積は13・56平方キロで県内の自治体では最小だ。
市内に海や山はなく平らな土地が多い。
歴史は古く御経塚(おきょうづか)遺跡(国史跡)は縄文時代の大集落跡。
平安から江戸時代にかけては北国街道が通り宿場町としてにぎわった。
隣接する金沢市のベッドタウンとして1970年代以降人口が急増。
昨年10月の国勢調査で市制移行の条件である5万人を超えた。
増え続ける人口を背景に財政は健全だ。
市によると自主財源比率は09年度は62・5%で県平均の38・9%を大きく上回る。
昨年度決算では、
自治体の標準的な財政収入に対する借金の返済額(公債費)などの割合を示す、
実質公債費比率は8・2%で県内自治体で最も低い。
金沢に近く地価水準が高く固定資産税など税収が多いことが理由という。
(2011年11月12日:朝日新聞・石川県版)
【野々市市:41年ぶり単独移行、誕生(石川)】
野々市の「いち」にちなみ「2011年11月11日」を移行日とした。
粟貴章・初代市長は市制移行の記念式典で、
「『1』は物事の始まりで記憶に残る日となる。
『市場』のように人が集うまちを目指す」
と語った。
また粟市長は、
「野々市人の力を結集しまちづくりの喜びを共有しながら、
市の魅力を掘り起こしてブランド力を高めたい」
と意気込みをみせた。
1955年に旧野々市町と富奥村が合併した、
当時の野々市町は田園が広がる農村地帯だった。
その後積極的に土地区画整理事業を進めた結果が、
定住人口の増加と大規模店の進出をもたらし住環境が向上した。
さらに、
金沢市に隣接する立地条件の良さも相まって人口増加率は県内トップクラス。
1965年に1万人だった人口は4万人を超えた。
昨年、市制移行の条件となる5万人を達成した。
平成の大合併の波を受けた03年の町長選では、
金沢市との合併への賛否で町が二分された。
単独での市制移行を訴えた安田彦三前町長が合併推進候補を破り議論が決着。
2007年に町長に就任した粟市長は安田氏の路線を継承し、
単独の市制移行を果たした。
(2011年11月12日:毎日新聞・石川版)
【野々市が市制移行】
野々市町は11日市制に移行し県内で11番目となる野々市市が誕生した。
同市は名前に「市(いち)」が二つ付くことに因み11日を移行日に選んだ。
市内ではこの日、各地で記念式典が行われた。
■開市式
野々市市役所前では午前8時10分。
粟貴章市長、市職員、市議会関係者らが出席した「開市式」が開かれた。
粟市長は、
「市の誕生は先人や市民の皆さんの努力のたまもの。
新しくスタートを切った野々市市が永遠に繁栄することを願っています」
と挨拶。
野々市市役所名が入った銘版の除幕や記念の薬玉割りも行われた。
式後には早速、職員が住民手続きの窓口業務にあたっていた。
■記念式典
午前11時からは、
野々市市文化会館フォルテで谷本知事や県関係国会議員ら約700人が出席し記念式典が行われた。
谷本知事は、
「本県の発展には若い活力のある野々市市の発展が不可欠。
3年後の北陸新幹線金沢開業を見据え個性あふれる地域づくりを進めてほしい」
と祝辞を述べた。
式では金沢市との合併を選択せず単独市制の方針を貫いた、
安田彦三前町長(73)に市制記念特別表彰が贈られた。
一方、市内7校の小中学校では野々市市への思いや将来の夢などを書いた、
風船約5000個が児童・生徒の手で一斉に打ち上げられた。
(2011年11月12日:読売新聞・石川県版)