撮影場所 北海道 函館本線長万部
急行ニセコは山岳の多い函館本線を走っていた。
函館から札幌に向かう特急は平坦地の多い函館本線、室蘭線、千歳線経由だった。
函館本線の山岳コースはC62形の重連が力強く走るので大変人気があった。
しかし、このC62形ニセコも昭和46年秋に幕を閉じる。
蒸気機関車からDD51のディゼル機関車の重連運行になった。
若者の多くは北海道へ渡り数多くの写真とドラマを生んだとおもう。
私もそのニセコを追いかけて厳冬期の北海道を旅した。
長万部を発車するニセコ重連はC62形の2号機、3号機のコールデンコンビだった。
発車時刻は14時を過ぎていた。もう薄暗くなりかけていた。
シャッター速度1/250が辛うじて確保できた。
夜間の撮影は倶知安駅、もうあたりは真っ暗だった。C622号機スワローエンゼルを停車時間に長時間露光で撮影した。軽快なシリンダー音ドラフト音を残し北を目指し走り去った。
急行ニセコは山岳の多い函館本線を走っていた。
函館から札幌に向かう特急は平坦地の多い函館本線、室蘭線、千歳線経由だった。
函館本線の山岳コースはC62形の重連が力強く走るので大変人気があった。
しかし、このC62形ニセコも昭和46年秋に幕を閉じる。
蒸気機関車からDD51のディゼル機関車の重連運行になった。
若者の多くは北海道へ渡り数多くの写真とドラマを生んだとおもう。
私もそのニセコを追いかけて厳冬期の北海道を旅した。
長万部を発車するニセコ重連はC62形の2号機、3号機のコールデンコンビだった。
発車時刻は14時を過ぎていた。もう薄暗くなりかけていた。
シャッター速度1/250が辛うじて確保できた。
夜間の撮影は倶知安駅、もうあたりは真っ暗だった。C622号機スワローエンゼルを停車時間に長時間露光で撮影した。軽快なシリンダー音ドラフト音を残し北を目指し走り去った。