みどりの一期一会

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憲法70年 地方自治から考える:「沖縄」で問われる立憲主義 木村草太/大震災で役割浮き彫りに 今井照/「地域が決める」意識後退 片山善博

2017-09-01 17:34:59 | ほん/新聞/ニュース
玄関を出た右手に、葉の縁に沢山の子が並んで付いている
めずらしい形をした多肉植物の鉢があります。

子どもがたくさんできるので「子宝草」と呼ばれています。
その子を土に乗せるだけで簡単に増えます。

というか、ポロポロ下に落ちて、そこに土があれば勝手に増えています。
子宝草を育てると妊娠するという話があるそうですが、「ない」ですね(笑)。
  
この春まで小さな鉢に植えてあって、窮屈そうなので大きな鉢に植え替えてやったら、
びっくりするほど大きくなりました。
ベンケイソウの仲間なので花も咲くそうです。

前庭には、これから咲く花のつぼみも。

シュウメイギクとホトトギス。

もうすぐ花が咲きそうです。

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ところで、
少し前の毎日新聞に「シリーズ憲法70年 地方自治から考える」という
大きな特集記事がでていました。
登場されているのは木村草太さん、今井照さん、片山善博さんの3人。
わたしの好きな方ばかりです。

  【論点】シリーズ憲法70年 地方自治から考える
毎日新聞2017年8月23日

 現行憲法と同じ70年前、地方自治法は産声を上げた。憲法論議の中で、地方自治は9条改正問題の陰に隠れがちだが、沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題、東京電力福島第1原発事故に伴う住民避難の長期化など、地方自治のあり方を問うニュースには憲法について考えるべき点が多い。地方自治から憲法を考える。

「沖縄」で問われる立憲主義 木村草太・首都大学東京教授
 現行憲法は92条で、地方自治体の組織や運営に関する事項を「法律で定める」としている。地方自治に関する事項は、中央官僚が政令などで勝手に決めるのではなく、国民の代表である政治家の議論によって「地方自治の本旨に基いて」決めることとしたのだ。この観点から、沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設問題を考えてみたい。

 国内に米軍基地を置くことは、地元自治体の自治権を大きく制限するということだ。2015年に相模原市の米軍施設で爆発事故が起きた時、地元の消防局が当初、基地内で消火活動を行うことができなかったことは記憶に新しい。

 地方自治体の自治権を制限するには法的手続きをきちんと踏む必要があるが、辺野古への現行の新基地建設計画に関する国家の意思決定は小泉純一郎、鳩山由紀夫両政権の二つの閣議決定しかない。辺野古のように新しい基地を建設するなら、基地建設に伴い沖縄県や名護市の自治権をどのように制限するかについて「辺野古基地設置法」などの法律で定めるのが、憲法92条が求める本来の姿である。

 さらに憲法95条は、特定の地方自治体に適用される特別法を制定する際には、住民投票で過半数の同意を得ることが必要だとしている。この条文がなければ、国全体から見れば少数派である特定の自治体に不利益となる法律を国が安易に制定できてしまうからだ。憲法は、辺野古移設のように特定の地方自治体の自治権を制限する施策を実施する際には、法律と住民投票によって国会と地域住民の意思を示すことを求めているのだ。だが、閣議決定という内閣の意思決定だけで、移設が進められているのが実情だ。

 こうした事態を前に、しっかりとした憲法判断を下すのは裁判所の役目だ。だが、辺野古移設に伴う沿岸部の埋め立て承認取り消しを巡る国と県との訴訟で最高裁は昨年12月に県側の上告を棄却し、県側敗訴とした福岡高裁那覇支部判決が確定した。判決は、新基地建設に伴う自治権の制限は「日米安全保障条約及び日米地位協定に基づく」とした上で、「普天間飛行場が返還されることに照らせば、基地建設が憲法92条に反するとは言えない」と結論づけた。

 これでは、日米両政府が条約を結べば、憲法で求められている立法や住民投票を必要とせずに自治権が制限できてしまう。立憲主義を破壊する判決だ。国民が見過ごしていると、他の自治体でも沖縄基地問題と同じことが起こり得る。

 例えば、20年東京五輪開催のための新国立競技場の建設費の負担が当初想定を上回り、国は15年、東京都に500億円の負担を義務づける法律を制定しようとした。だが、これに対して、舛添要一知事(当時)が「憲法95条に基づく住民投票が必要だ」と指摘し、法制定の動きは止まった。

 政府や裁判所が憲法に反して自治権を制約しようとしていないか、国民自身がしっかり認識すべきだ。そうすれば、国によるおかしな自治権の制約を国民の手で止めることも可能である。【聞き手・尾中香尚里】

大震災で役割浮き彫りに 今井照・地方自治総合研究所主任研究員
 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故は地方自治に関しても多くの課題を提起した。基礎的自治体の役割、住民の再定義の2点について述べたい。

 原発事故直後、規模の小さな双葉郡の町村では国からの情報が途絶えているにもかかわらず、いち早く多くの住民が避難できた。人口約1500人の葛尾村は役場が世帯ごとの事情を把握していたので、高齢者など自分では避難できない住民を含めて声を掛け、100キロ離れた会津坂下町まで誘導している。一方、2006年の合併で南相馬市の一部となった旧小高町では避難指示の放送はあったものの、住民は自力でバラバラに逃げるしかなかった。

 日本は明治以降、国策として市町村合併を繰り返し、「町」や「村」を国の仕事まで担わせる行政組織に再編してきた。現行憲法に地方自治の章(第8章)が新設された意義は大きいが、大合併はその後も繰り返され、日本の基礎的自治体は世界にまれなほど大規模・広域化してしまった。憲法が目指した「地域のことは地域の住民が決める」という地方自治の理念と現状との間に乖離(かいり)が生まれている。

 東日本大震災や原発事故を体験し、住民の生命や生活を守ることが基礎的自治体の使命だと改めて思い知らされた。大規模・広域化した市町村は緊急時、住民にどれだけのことができるだろうか。

 原発事故による住民の長期避難は「住民とは何か」という問題も提起した。避難生活の支援や生活再建の局面で自治体が自分たちの住民の姿を見失っているように見える。今、原発被災地の自治体が取り組んでいる復興は、土地という「空間の復興」が中心だ。役場は国から流れる大量の予算を消化するのに汲々(きゅうきゅう)としている。急ぐべきは住民の生活再建なのに、戻りたくても戻れない避難先の住民を住民として認識できていないのではないか。現在の「空間の復興」では、ますます戻りたくない町を作り出すだけだ。

 原発避難者特例法は避難先での行政サービスに対する国の財政措置を定めたもので、緊急対策としての意味はあったが、避難者に対して避難先の住民としての地位を法的に保障するものではない。いまだに避難していることを周囲に言えず、避難先の学校に要望を伝えることすら遠慮しがちな人もいる。避難指示の拙速な解除によって、事故をなかったことにしようとすれば、こうした人権問題をさらに多発させる可能性がある。避難元と避難先の両方で住民としての権利と義務を持つ「二重の住民登録」も必要だ。選挙権や課税権について問題点が指摘されているが、現行制度の運用で十分に実現可能だ。

 憲法改正に向けた議論が一部で始まっているが、地方自治の分野で改憲しなければ解決できない問題は今のところ存在しない。それでも改憲が不可避であれば、地方自治に関する条文は、主語を「住民」にして書き直すべきだ。地域における住民の自己決定権を明記し、その補完義務を国に課すべきだろう。求められているのは改憲ではなく、現行憲法の実質化である。【聞き手・尾中香尚里】

「地域が決める」意識後退 片山善博・早稲田大公共経営大学院教授
 まず、今の憲法で「ぜひ変えるべきだ」という条文はない。外国と比べると相対的に少ない条文数で解釈の余地が大きく、社会の変化にも対応できる。地方自治の条文もよくできているが、改良の余地はある。92条の「地方自治の本旨」の明確化はその一つだ。「地域のことは地域の住民が責任を持って決める」のが本旨だが、かなり遠い運用になってしまっている。

 たとえば「地方創生」だ。政府が号令をかけて全国の自治体に一定のフォームに基づいた計画を作らせ、結果としてほぼ全ての自治体がプレミアム付き商品券を発行するという、ある種の自発的な中央集権になっている。こんな芸当は中国やロシアでもなかなか難しいのではないか。人口減少やデフレ脱却、地方の成長戦略といった巧みな言葉遣いに翻弄(ほんろう)され、自治体もメディアも、中央集権的な本質を見てこなかった印象がある。

 特に安倍政権下での地方自治は後退している。それまでは冗談交じりに「遅々として進んできた」と表現してきたが、今は制度的にも運用面でも意識の面でも、急速に後退している。

 地方自治関連の改憲では「道州制」が話題になるが、すでに道州制特区の北海道で「憲法との関係で進まない」という事情はなさそうだ。憲法改正を必要とする立法事実がそもそもない。

 地方での議院内閣制や、議会が「シティーマネジャー」を指名する制度ができればいいとは思うが、そのための改憲につけ込んで、他の条項がぞろぞろと付いてくるのも困る。現状では地方自治関連の条文に着手するのはリスクが大きい。一つ一つの課題を丁寧に模索し、超党派的な熟議に基づいて改正しようという流れの中ならば賛成する。議論の出だしには理想と識見が伴っているべきだ。

 その視点で見ると、自民党が議論している参院の合区解消のための改憲は不純だ。今は「1票の格差」しか判断材料がないから裁判所も(厳格な)判決を出しているが、法律に参院の位置付けなどを整然と書き込めば、解消できる可能性もある。それに合区の4県にしか適用されない改正公職選挙法は、(特定自治体が対象の法制定に住民投票を求める)憲法95条に基づく住民投票をすべきだった。それを省いたのは違憲だと思う。

 実は住民にも地方自治の意識が薄く、何かにつけ(上から世直しする)「水戸黄門」を求めている。たとえば「保育園落ちた日本死ね!!」の問題だと、落としたのは自治体なのに国会に(抗議に)行く。本来は地方議会にクレームを述べるのが筋だ。中学生の自殺があった茨城県取手市教委は「いじめはなかった」と言っていたのに、文部科学省に事情を聴かれるとすぐに「ありました」となるのも、悪代官がお白州で恐れ入るのと同じだ。

 私は「改革派知事」と呼ばれたが、黄門待望的な期待があることを踏まえ、むしろ情報公開とか議会での熟議といった制度面や慣行面での「インフラ」整備に力を注いだ。黄門的な一過性の改善ではいけないのと同じように、地方自治で改憲するにしても為政者たちの指針や戒めとなるものであるべきだ。【聞き手・田中成之】

具体的権限明示なし
 地方自治について戦前は法律でしか定められておらず、日本国憲法で初めて盛り込まれた。だが、憲法全103条のうち地方自治に関する条文は第8章の92~95条のみ。92条は地方公共団体の組織と運営に関して「地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める」としているが、具体的な機能・権限は明示されていない。今年4、5月の衆院憲法審査会の「国と地方のあり方」に関する討議では、国の法律に優越する条例の制定権を地方自治体に認めるかどうかなどが論点となった。

ご意見、ご感想をお寄せください。 〒100-8051毎日新聞「オピニオン」係 opinion@mainichi.co.jp

 ■人物略歴
きむら・そうた
 1980年生まれ。東京大法卒。同大助手、首都大学東京准教授を経て現職。専門は憲法。著書に「憲法という希望」、共著に「憲法の条件 戦後70年から考える」など。
 ■人物略歴
いまい・あきら
 1953年生まれ。東京大文卒。東京都教委、東京都大田区役所勤務、福島大教授を経て現職。著書に「地方自治講義」「自治体再建-原発避難と『移動する村』」など。=根岸基弘撮影
 ■人物略歴
かたやま・よしひろ
 1951年生まれ。東京大法卒。旧自治省の固定資産税・府県税課長などを経て鳥取県知事2期。旧民主党の菅直人政権で総務相を務め、慶応大教授を経て2017年4月から現職。  


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8月31日(木)のつぶやき

2017-09-01 01:59:58 | 花/美しいもの
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