福田の雑記帖

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ネコ談義2016(4) ネコも教えてくれた一酸化炭素中毒の姿

2016年04月26日 17時53分48秒 | 近況・報告
 昭和20-30年代は我が家では熱源として薪が中心であったが、補助的には木炭を多用していた。本家の大将が岩手県森林組合、木炭組合の会長であって、安く入手できたことも理由の一つであったらしい。練炭、豆炭も用いていた。石油ストーブは昭和38年の冬、私の受験勉強のために初めて購入した。 

 木炭に関連して一酸化炭素中毒、あるいはそれに近い状況は頻回に経験した。
 木炭使用中には頻回に換気するのであるが、それでも危険性は高い。

 第一の体験として、ある夜、居間の棚の上で飼っていた小鳥がことり、と音を立てて止まり木から落ちた。見たらすでに死んでいた。祖父は全窓を開けて換気を指示した。この時初めて木炭による一酸化炭素の怖さを知った。
 これに関連して、我が家の井戸は径2m、深さ10mほどで、年に1-2回掃除したが、その際は点火したろうそくを先に降ろして安全を確認した。親から一酸化炭素がたまっていることもあるからと聞かされていたが、一酸化炭素は空気より軽いから他のガスの貯留のことだと思う。こんなこともあって子供頃からガス中毒には敏感であった。
 田沢湖や湯沢では山のくぼみで何名か酸欠のために命を落としている。

 第二は、当時の我が家の風呂は薪で沸かし、その後木炭で湯温をキープしていた。外の風向きによっては煙突から若干煙が浴室内に漏れていた。ある夕方、入浴していた祖母がなかなか戻って来ないので見に行ったところ浴槽の中で意識を消失していた。家族数人で風呂から引っ張り出した。当時の風呂は縦に深い構造しており、かつ意識を失った祖母の体は異常に重く、グニュグニュし、かつ濡れていたので滑って大変であった。体に帯やロープを巻いて風呂から上げた。
 新鮮な空気のもとで横にしていたら10分ほどで徐々に意識を取り戻した。浴槽内に沈んでなくてよかった。
 全介助状態にある患者の入浴介助の大変さを子供の時に経験した。

 第三は、冬季間は母親が毎朝炬燵の炭火に火を入れるのであるが、最初は不完全燃焼状態で、炎が出て危ないから布団もかけないで様子を見たものである。ネコにとっては暖をとる格好の場所でもあった。初代のネコは炬燵の傍で頻回に意識消失した。いつもは本人が、本人とはネコのことであるが、自分でよろよろと千鳥足で炬燵から離ればったり倒れた。いつもは15分ほどで元気になった。ある時は炬燵の傍で完全に意識を失っていた。呼吸も弱くなっていて死ぬかと思ったが、炬燵から離し、ウチワで顔面に風を送りながら名前を呼んで、体を刺激していたら30分ほどで回復した。

 煙は見えるが一酸化炭素は見えない。だから怖い。
 一酸化炭素検知器があれば問題にならないエピソードである。こんな経験があるから機器を購入しておいた。祖母にも、小鳥にも、ネコにも感謝している。
コメント
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