私は前期高齢者寸前男である。
何やかやとすでに12月の第2週になろうとしている。
今年は・・・・イロイロあった・・・・。
本当に・・・・イロイロ・・・あった・・・。
たぶん今年はハッキリわかる「人生のターニングポイント」の一年だっただろう。
イロイロあったこと「その1」
親父をグループホームへ入所させたこと
である。
91歳の親父は昨年末頃から、一人で家に置くのがむずかしくなった。
一般的に言う「認知症」というものは、実は個々の認識によって違った受け止め方になる。
すでに自分がその初期であるような感覚さえ、少なからずある・・・。
ありがたいことに。。。というべきか、親父は「お金」のことにおいては一切ボケていなかった。(ある意味腹立たしいが)
また、私自身を認識できなくはならなかった。(息子に向かって「誰?」ってやつね)
家にいる時は目も耳も衰えてテレビに1mのところに寝転がってボリュームを「45」とかにしていた。
「眠れない・眠れない」と繰り返えして言うが、そのテレビの爆音の中でずっと横になってテレビが夜中の2時過ぎまで点いている。
実際は一日中横になっているから十分寝ていて、テレビなど観ていなくて11時過ぎには寝ているのだ。
その間2階の部屋まで爆音が響き眠れない。(タイマーなどを付けてみたが、そうしたことはちゃんとオフにする)
蛇口の出しっ放し・ライトの点けっ放しなんてのは当たり前で、冷房は設定18℃・暖房は30℃とかにしていた。
目が見えないのに、足が衰えているのに昨年の春先まで「自転車」に乗っていた。(その当時90歳である)
おふくろを自分の起こした事故で亡くして免許を失っていなければ、たぶん車を運転していただろう。
昨年末から急激に脚の衰えが目立ちはじめ、屋外・屋内で転倒するようになる。
あばら骨骨折や顔面挫傷を繰り返し、仕事中に電話が来て帰ってみると顔面血だらけなんてことが数回続いた。
病院に救急搬送・救急車要請も度々になった。
不幸中の幸いだったのが、上半身の怪我・顔面の擦傷などは多かったが下半身(脚)の骨折などがなくて「歩けない」状況になることがなかった。
たぶん、そこに怪我をしたなら「寝たきり」になっていただろう。
そして、この部分だけはありがたかったのだがグループホームへ入所させるについて「納得して」くれたこと。
元々が天然で楽天的な人なので切り替えが早い。
それは表面上だけだったかもしれないが・・・・。
・・・・今は淡々と書けているが、親父が入所するまで私の「感情的」な部分は千々に乱れていた。
「意気地のない人だ」とおふくろは、親父のことを度々そういっていたが。
なんのことはない私自身が「意気地のない男」であることを、親父の家にいる状況を細かくチェックしている自分で気が付いている。
彼がグループホームへ入所してから、40年以上住んでいる家が「まったく別のモノ」になった。
頭の上に載っていた「重石」が取れた。
両脚にハマっていた「足枷」が無くなったのだ。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、早く「重石」と「足枷」が無くなりますように。
May
その日以降、親父の使っていた「家の80%の部分の徹底的な掃除」が半年以上かかっても終わってないんですよね。