「称賛の嵐」と言っても好い「白熱教室」の放送を6回見ました。横浜市立大学の上村雄彦(たけひこ)准教授の授業を4回とハーバード大学の教授のサンデルさんの東大での2回の特別講義とです。サンデルさんのハーバード大学での講義は視聴していません。
結論として「50点」を付けました。それは大学の授業として及第点には達していないが、多くの授業が20点や30点であるから、これでも「好い授業」と喜ばれるのだろう、という意味です。
その判断の理由を箇条書き的にまとめます。
まず第1に、授業の目的は何か、ということがはっきりしません。
上村さんは第4回で、「考えさせ、議論をさせてから知識を与えると、学生の頭にズバッと入る」と言っていました。そして、実際、まるで問題の正解か授業の結論を出すような態度で、「デンマークがその目標を実現している」と言い、「デンマークがそうなったのは教育の力による」といった話をしていました(この考えは内容的に間違っていると思います)。
朝日(2010年12月15日)によると、「貧困や紛争など世界規模の問題に挑戦する人材の育成を目指す上村雄彦准教授」とあった。それなら、「正解」を与えるのではなく、「皆さんの目標と考える国は例えばデンマークです」と言い、「ではデンマークはどのようにしてそういう国になったのでしょうか。興味のある人は自分で調べて見るといいでしょう」と結べば好かったと思います。
サンデル教授の場合は、第1回の講義の目的は、正義についての考え方は3つあることを具体例での学生の意見を通して証明することのようで、強引にそこへと持って行っていましたが、なぜこの目的を立てるのか分かりません。
2回目では、「過去の、で悪ければ、現在も生きている政治思想のいくつかを理解させることが目的で、そのために現実の問題についての議論をさせる」と取れる発言をしていましたが、実際には、逆に現実の問題を考える力を涵養することが目的で、歴史上の考え方を理解することはその手段のように思えました。後者なら賛成ですが、この点が不明確です。
第2に、出した問題が適当でないと思います。上村さんの課題は、世界の貧困をどう解決するかとか、2050年の日本の首相になったらどういう日本を作るかとかで、問題が大きすぎます。横浜市立大学のホームページはどう作るべきかといった本当の問題にどうして気づかないのでしょうか。実際、横浜市立大学のホームページは滅茶苦茶です。
サンデルさんの場合は、1回目の具体例は、難破した4人が仲間の少年を殺して食べて生き延びて助かったという歴史上の実例、イチローの年俸などであったり、又、学力試験では東大に入れないが親に財産があり寄付の申し出があれば、入れた方が「善」であるかという問題で、上村教授の問題よりは小さい。生徒に合わせたということは分かるけれど、どうにでも考えられることで、実際に生徒は自分の仮定を付け加えて考えていました。
2回目の問題(親族の犯罪の責任を自分も負うべきか、オバマ大統領は広島への原爆投下を謝罪すべきか、等)も、その他の条件を加えて考えるべき問題で、適当でないと思います。
なぜこうなるかと言いますと、学生の知識及び経験と問題の難しさとが対応していないからだと思います。私は、学生の知っていることを取り上げています。特に学校や教育のことを取り上げることが多いのはそのためです。しかも、新聞に載った事例をそのまま取り上げるとかします。
もちろん生徒の知らない事を取り上げることもありますが、その時には事前にVTRを見せるとか、物を読ませるとかして、皆が同じ知識を持って考えられるようにします。
第3として言いたい事は、これが50点とする最大の理由ですが、大学はもちろんのこと、一般に学校は「書き言葉の府」であって、「話し言葉の府」ではない、ということです。発展途上国の子どもなどが、よく「学校へ行けて、字が読め書けるようになって嬉しい」と言いますが、日本でも学校での勉強を「読み書きそろばん」と言いました。この通りです。
本を読ませ、文章を書かせる、そして教科通信を出す。これが学校と大学の授業の主たる作業です。議論も悪いとは言いませんが、話し言葉での議論の他に書き言葉での議論のあることを忘れてもらっては困ります。
本を物凄く読ませる授業ないしゼミでは、たまたま知っただけですが、東大の苅部直(かるべ・ただし)さんのゼミと明治学院大学の原武史さんのゼミには驚きました。あれについて行けるのかな、と思いました。読書量を半分にして、教科通信を作らせた方が好いと思いました。
第4に、特に上村さんの講義について言うならば、この講義の市立大学の講義全体に占める位置と役割が分かりません。学校教育とは個々の教師が行うものではなくて、校長(学長)を中心とする教師集団が行うものです。
具体的に言うと、こういう議論のある授業を考えてみますと、その訓練の出来ていない学生を相手にこういう授業をするならば、その基礎訓練の授業と大学に相応しい内容についての議論型授業とを全体として配分しなければならないでしょう。上村さんの授業はこの両方を1つの授業でやろうとしたことに無理があったと思います。
しかも、4回で完結ということはTV放映のための特別の授業だったようで(板書する人が別にいたのも違和感を覚えました)、こんな事までするのは間違っているでしょう。普段の授業を放映するべきです。
第5に、TV放映と言いますと、それの弊害で悪ければ、その「偏り」を考えなければなりません。どういうことかと言いますと、TV放映されるのは必ずしも本当に好い授業ではなく、絵に成る授業だということです。
義務教育の授業でも、例えばかつてNHKは杉並区立和田中学校での藤原和博さんの「世の中科」の授業を放映しましたが、私の知る範囲では愛知県犬山市の「学び合いの授業」は放映しませんでした。
書き言葉での議論型授業は絵に成らないので放映しないが、話し言葉での議論は絵に成るから放映した、そしてその視聴率を高めるために「白熱教室」と銘打って宣伝したのでしょう。学問とは関係のない事柄です。
学問とは無関係どころか非学問的な事の象徴は、サンデルさんの講義の最後の異常な興奮です。会場全体を興奮状態に持って行くような運営は政治集会か宣教師の伝道集会です。学問的情熱は内に向かい持続するものです。
白熱教室への称賛の嵐は、「こんな授業でも称賛される」ということで、全体のレベルがいかに低いかということを証明しただけでしょう。
参考
「天タマ」
「哲学の授業」
「哲学の授業」のレヴュー
議論の認識論
結論として「50点」を付けました。それは大学の授業として及第点には達していないが、多くの授業が20点や30点であるから、これでも「好い授業」と喜ばれるのだろう、という意味です。
その判断の理由を箇条書き的にまとめます。
まず第1に、授業の目的は何か、ということがはっきりしません。
上村さんは第4回で、「考えさせ、議論をさせてから知識を与えると、学生の頭にズバッと入る」と言っていました。そして、実際、まるで問題の正解か授業の結論を出すような態度で、「デンマークがその目標を実現している」と言い、「デンマークがそうなったのは教育の力による」といった話をしていました(この考えは内容的に間違っていると思います)。
朝日(2010年12月15日)によると、「貧困や紛争など世界規模の問題に挑戦する人材の育成を目指す上村雄彦准教授」とあった。それなら、「正解」を与えるのではなく、「皆さんの目標と考える国は例えばデンマークです」と言い、「ではデンマークはどのようにしてそういう国になったのでしょうか。興味のある人は自分で調べて見るといいでしょう」と結べば好かったと思います。
サンデル教授の場合は、第1回の講義の目的は、正義についての考え方は3つあることを具体例での学生の意見を通して証明することのようで、強引にそこへと持って行っていましたが、なぜこの目的を立てるのか分かりません。
2回目では、「過去の、で悪ければ、現在も生きている政治思想のいくつかを理解させることが目的で、そのために現実の問題についての議論をさせる」と取れる発言をしていましたが、実際には、逆に現実の問題を考える力を涵養することが目的で、歴史上の考え方を理解することはその手段のように思えました。後者なら賛成ですが、この点が不明確です。
第2に、出した問題が適当でないと思います。上村さんの課題は、世界の貧困をどう解決するかとか、2050年の日本の首相になったらどういう日本を作るかとかで、問題が大きすぎます。横浜市立大学のホームページはどう作るべきかといった本当の問題にどうして気づかないのでしょうか。実際、横浜市立大学のホームページは滅茶苦茶です。
サンデルさんの場合は、1回目の具体例は、難破した4人が仲間の少年を殺して食べて生き延びて助かったという歴史上の実例、イチローの年俸などであったり、又、学力試験では東大に入れないが親に財産があり寄付の申し出があれば、入れた方が「善」であるかという問題で、上村教授の問題よりは小さい。生徒に合わせたということは分かるけれど、どうにでも考えられることで、実際に生徒は自分の仮定を付け加えて考えていました。
2回目の問題(親族の犯罪の責任を自分も負うべきか、オバマ大統領は広島への原爆投下を謝罪すべきか、等)も、その他の条件を加えて考えるべき問題で、適当でないと思います。
なぜこうなるかと言いますと、学生の知識及び経験と問題の難しさとが対応していないからだと思います。私は、学生の知っていることを取り上げています。特に学校や教育のことを取り上げることが多いのはそのためです。しかも、新聞に載った事例をそのまま取り上げるとかします。
もちろん生徒の知らない事を取り上げることもありますが、その時には事前にVTRを見せるとか、物を読ませるとかして、皆が同じ知識を持って考えられるようにします。
第3として言いたい事は、これが50点とする最大の理由ですが、大学はもちろんのこと、一般に学校は「書き言葉の府」であって、「話し言葉の府」ではない、ということです。発展途上国の子どもなどが、よく「学校へ行けて、字が読め書けるようになって嬉しい」と言いますが、日本でも学校での勉強を「読み書きそろばん」と言いました。この通りです。
本を読ませ、文章を書かせる、そして教科通信を出す。これが学校と大学の授業の主たる作業です。議論も悪いとは言いませんが、話し言葉での議論の他に書き言葉での議論のあることを忘れてもらっては困ります。
本を物凄く読ませる授業ないしゼミでは、たまたま知っただけですが、東大の苅部直(かるべ・ただし)さんのゼミと明治学院大学の原武史さんのゼミには驚きました。あれについて行けるのかな、と思いました。読書量を半分にして、教科通信を作らせた方が好いと思いました。
第4に、特に上村さんの講義について言うならば、この講義の市立大学の講義全体に占める位置と役割が分かりません。学校教育とは個々の教師が行うものではなくて、校長(学長)を中心とする教師集団が行うものです。
具体的に言うと、こういう議論のある授業を考えてみますと、その訓練の出来ていない学生を相手にこういう授業をするならば、その基礎訓練の授業と大学に相応しい内容についての議論型授業とを全体として配分しなければならないでしょう。上村さんの授業はこの両方を1つの授業でやろうとしたことに無理があったと思います。
しかも、4回で完結ということはTV放映のための特別の授業だったようで(板書する人が別にいたのも違和感を覚えました)、こんな事までするのは間違っているでしょう。普段の授業を放映するべきです。
第5に、TV放映と言いますと、それの弊害で悪ければ、その「偏り」を考えなければなりません。どういうことかと言いますと、TV放映されるのは必ずしも本当に好い授業ではなく、絵に成る授業だということです。
義務教育の授業でも、例えばかつてNHKは杉並区立和田中学校での藤原和博さんの「世の中科」の授業を放映しましたが、私の知る範囲では愛知県犬山市の「学び合いの授業」は放映しませんでした。
書き言葉での議論型授業は絵に成らないので放映しないが、話し言葉での議論は絵に成るから放映した、そしてその視聴率を高めるために「白熱教室」と銘打って宣伝したのでしょう。学問とは関係のない事柄です。
学問とは無関係どころか非学問的な事の象徴は、サンデルさんの講義の最後の異常な興奮です。会場全体を興奮状態に持って行くような運営は政治集会か宣教師の伝道集会です。学問的情熱は内に向かい持続するものです。
白熱教室への称賛の嵐は、「こんな授業でも称賛される」ということで、全体のレベルがいかに低いかということを証明しただけでしょう。
参考
「天タマ」
「哲学の授業」
「哲学の授業」のレヴュー
議論の認識論
NHK白熱教室の流行と、それにのっかろうとする上村准教授と大学教育のあり方、いろいろ考えさせられました。
この先生は、連帯税の布教には熱心で、そういう点では、サンデルの伝道師、宣教師と姿が重なる。政治集会という点では、上村准教授はその手の集会にたくさん出て話しているので、いわずもがな。
いずれにしても公共放送を利用して、連帯税を広めるキャンペーンをしていた気がする。財源を使うであろう国連や世銀の援助もよく吟味しないで。
もっとこの人の過去に書いた論文を読もうと思ったけれど、研究者登録情報に何も載せていませんでした。こういう場合、思いつくのは、何か見せられないものがある。インチキ?恥ずかしい?
政治的正義はやはりリベラリズムの考え方で扱い、そこから洩れる種々の義務、忠誠心、連帯などの問題は道徳的正義の問題として考える。政治と道徳の問題は分離するのが妥当と俺には思える。道徳的に許せない奴(例:不倫クリントン、小沢一郎)は政治的にも許せないとするのはいかがなものかとさえ考えるのだ。道徳は個人の問題、政治は公共の問題なのだから。http://doyoubi.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-3591.html
ご笑覧頂ければ喜びます。ではでは。
「『聖書』と『モルモン書』の大切さについて」
http://plaza.rakuten.co.jp/righteousness/diary/201012120001/
「シオンの平和憲法」ってなんなんですか。上村先生のいう連帯と正義、サンデルの正義、千葉大小林正弥先生とのつばがりは何なのでしょうか。宗教哲学つながり、スピリチュアル?坂本龍一も番組に登場するようですが、その関係もよくわかりません。
モルモン、キリスト教、平和運動、グローバル連帯税、宣教師、上村先生謎が多いです。
誰か教えてください。
私も初めは理想主義すぎると思っていましたがきちんとした検証の上になりたっていることを研究されています。
確かに具体例として北欧の国々やコスタリカなど具体的な国名を出すと聞くものに疑問を抱かせてしまいますが・・・
上村先生は世界を良い方向に変えるために自分ができることを模索しているだけです。一気に変えようなどとは思っていません。自分が生きてる間に少しでも変えられることを一生懸命やっているだけです。
下記のリンクがそうです。大変なことが日本や欧州、アメリカ政界で進んでいるような気がします。この件はもっと大勢の人に知られるべきです。ですがgoogle検索では上村雄彦の問題よりはグローバルタックスのプロパガンダの方が検索にでるようになっています。
https://reveryearth.blog.so-net.ne.jp/2010-11-21