すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

ブログを公開するには「あきらめ」が必要だ

2008-02-07 10:14:52 | へっぽこ文章講座
■アウトプットするには2つの難関がある

 ブログ記事を書いて投稿するまでには、2つの大きな難関がある。

 1つはネタを考えつくまでの産みの苦しみ。もう1つは「もっとよくなるんじゃないか?」と思いながら書きあがった記事を、思い切って公開する踏ん切りだ。

 前者については、ネタが思いつかなければ誰かの記事に反応することから始めてみるといい。創造物にインスパイアされ、他人の思考(記事)への感想から書き始めるのだ。すると自分にしかない発想って、案外、あとから湧いてくる。

 だが問題は後者である。

■完全主義者タイプは読ませるのをためらう

 世の中には2種類の人間がいる。

 完全主義者と、そうでない人だ。

 何か行動するに際してあまり構えない人は、気軽に何でもやってみることができる。トライ・アンド・エラーで、走りながら考えることが可能だ。だからサクッと記事を投稿するのもわけはない。

 だが走る前にあらゆる要素を熟慮してからでないと、スタートできない人もいる。完全主義な人である。

「半分くらい書いたが、なんかイマイチだな」

 そう考え、また冒頭の導入部に戻っていじり始める。

「ひと通り書き終えたが、このネタはもっと面白くなるはずだ」

 いったいどこが悪いのか? 何度も推敲しては各部分を修正する。あげく、現段階の原稿が果たしてベストなのか、だんだんわけがわからなくなってくる。

「とりあえず原稿を保存しておき、寝かせてから明日また読んでみよう」

 こうして書きかけの原稿ばかりがたまっていく。

 そうこうしているうちにタイミングを逃し、せっかくタイムリーだったネタが腐ってしまう。

■「公開してから完成させる」というブログ時代の新発想

 紙の媒体とくらべ、消費のサイクルが速いブログ記事は、内容もさることながらスピードが命だ。「書き直せばもっとよくなるはずだ」と思っても、思い切ってアウトプットしてしまう勇気も大切である。

 完全主義者はとかく、「非の打ち所のない最高のものを作ってみんなを驚かせよう」なんて考えるもの。

「パーフェクトなパッケージを作り、完成したらあとは見てもらうだけだ」

 だがその発想はブログには合わない。

 記事をいったんオープンにしても、あとから書き直すなんていくらでもできる。逆に読んだ人から感想をもらい、それに触発されて新しい何かを書き足すのだってOKだ。読み手とのコラボレーションって、いかにもブログらしい。

「完成されたパッケージを作る」というのは、そもそも紙の媒体しかなかった時代の発想だ。

 適当なところで見切ることも、ときには必要なのである。
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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
同感です。 (Z会スタッフ:寺西)
2008-02-17 23:37:49
はじめまして。友人に紹介されてこちらに来ました。

ブログは完成形でなくて公開して良い~本当に同感ですね。
僕も以前、似たような論調で書いたことありましたので、トラックバックさせていただきました。


完璧を求めるとCGMの良さが普及しませんよね。
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