松実ブログ

松実の教員が書き込んでいます。面白い先生がたくさんいますよ☆

元号よもやま話

2020年01月28日 17時18分11秒 | Weblog

元号は古代中国の前漢の武帝の時代に始まったとされています。これは、皇帝の統治権を象徴する称号であり、皇帝権力の集中を内外に示すこととなります。したがって、政権の批判勢力はこれを否定するために、独自の元号を建てて使用することもあったようです。

日本でも、天皇による統治の正当性の証として元号が使われましたから、室町幕府と対立した古河公方足利成氏が改元を無視して以前の元号を使い続けたという例もあります。もっと遡れば、平安時代の南北朝時代にはそれぞれが天皇の直系を示すために、独自の元号が用いられました。北朝では、暦応(りゃくおう)・康永(こうえい)・貞和(じょうわ)・観応(かんのう)・文和(ぶんな)・延文(えんぶん)・康安(こうあん)・貞治(じょうじ)・応安(おうあん)・永和(えいわ)・康暦(こうりゃく)・永徳(えいとく)・至徳(しとく)・嘉慶(かきょう)・康応(こうおう)、南朝では延元(えんげん)・興国(こうこく)・正平(しょうへい)・建徳(けんとく)・文中(ぶんちゅう)・天授(てんじゅ)・弘和(こうわ)・元中(げんちゅう)がそれぞれの勢力範囲で使われました。

南北朝が統一された後、南朝の元号はなかったのもにされたのですが、明治天皇が自身も属する北朝の正当性を否定したので、逆に北朝の元号が皇統から外されました。

明治期から元号は天皇の存命中のみ使用すると皇室典範で決められていましたが、戦後皇室典範が改められたときに法律的根拠がなくなりました。しかし、元号法の制定により昭和の元号の法律的根拠が成立しました。

そして、平成が新しい皇室典範で民主的に選定され、生前退位により平成から令和に時代が移りました。今回の生前退位は1度限りの制限付きで法的に認められましたが、今上天皇の代替わりではどのような処置がとられるのでしょうか。

女性・女系天皇の問題もまだ決着がついていません。令和の時代では新しい日本の皇族の在り方が議論されることになるでしょう。


最新の画像もっと見る