松実ブログ

松実の教員が書き込んでいます。面白い先生がたくさんいますよ☆

「まだ」

2011年01月28日 21時19分07秒 | Weblog

中3生のみなさん

残りの登園日数も残すところ27日になりました

 

 

でも、「まだ」27日あります

 

 

私は、「もう」ではなく「まだ」と思いたい

 

 

まだまだやってないことがたくさんある

 

 

まだまだ達成してないことがある

 

 

最後まであがきます

 

 

後悔したくないから

 

 

中3生のみなさん

 

 

自分自身の中学校生活、どのように振り返りますか

 

 

様々な思いがあるなかで、「まだ」時間はあります

 

 

最後の最後まであきらめないで

 

 

変わるって「素敵」なことだよ

 

 

誰かがいいました

 

 

まだ変身できる

 

 

私は最後まで見届けたいんです

 

 

あともう少し・・・

 

 

待ってるからね

 

        うっちー


卒業式

2011年01月27日 20時33分36秒 | Weblog

 気がつけばもう2011年になってから1カ月が過ぎようとしている。

 冬期休業明け集会、スキー・スノボー学校、高3生の後期試験がすでに終了した。

 

 時間は淡々と、しかし着実に過ぎていく。

 

 すぐに3月を迎え、卒業式がやってくるだろう。

  『卒業』という名の巣立ち。

 

  担任はどのような気持ちでその日を迎えるのだろうか。

 

 自分の存在をかけて全力で向き合ってきたからこそ、

 涙を流して抱き合えるのである。

 

 そして、過去にその経験をしたものだけが、

 また一歩教師として成長していくのだろう。

 

   S


My heart leaps up when I behold a rainbow in the sky

2011年01月26日 16時43分10秒 | Weblog

My heart leaps up when I behold
A rainbow in the sky:
So was it when my life began,
So is it now I am a man,
So be it when I shall grow old
Or let me die!
The Child is father of the Man:
And I could wish my days to be
Bound each to each by natural piety

                                                                   William Wordsworth

空に虹を見ると

心は知らず知らず 跳び上がっている

僕の人生が 始まった頃も

今 こうして大人になっても

また 何年かたって 年をとっても

いつまでも いつまでも 同じ心をもちたい

だが、もしそうでなくなったら 僕はどうなるんだろう

子供の心は人の父だ

だから僕の1日と1日がいつまでも

自然への驚きによってつながっているように

Translated by N.K.

10年前の今日、僕の従兄弟がJR大久保駅で、日本人のサラリーマンと韓国人留学生を救出しようとして線路に飛び込んだ。僕は同僚の見舞いで築地にいた。だからそのニュースを聞いたのは、翌日の出張先の福岡のホテルだった。あれから10年、いろいろなことがあった。

彼の影響をものすごく受けた。小学生の時にグローブをくれたのも、多摩川の土手の風の爽やかさと横浜へのサイクリングの楽しさを教えてくれたのも、みんな従兄弟だった。少年時代を楽しくしてくれたのは従兄弟だった。

一粒の麦もし死なずば

彼の人生を思う時、いつもこのことばが僕の心に響く。


 

 


「感じて動く」

2011年01月25日 20時54分47秒 | Weblog
1月2日、何年ぶりかの書初めをした。

前職では、月1回発行の機関紙に、この時期になると、毎年、新年の挨拶とともに、抱負を筆で書き、掲載をする機会があったが、忙しさを言い訳に、あれから何年も書から離れる年月が過ぎてしまった。



その日は、ちょうど、越谷にあるレイクタウンで、書道家武田双雲先生の書道パフォーマンスがあった。

以前、某テレビ番組で武田先生の書道を観たことがあり、感銘を受けて、彼の本を購入。当日は、サイン会にも出席をした。


約2時間半の書道パフォーマンスを見て、早速、家に帰り、久しぶりに筆をとってみた。
なかなか上手に書くことはできなかったが、「字は上手い下手ではなく、心を込めて丁寧に書くものだ」と自分に言い聞かせ、私が大切にしている言葉の1つを、新年の抱負として書いてみた。



「感じて動く」-。



人は誰でも、何かを感じ、考え、思うことができる。
しかし、その「感じ、考え、思ったこと」を「行動」として表現することができない人が、自分も含めて、いかに多いことか。


今年こそは、言葉だけではなく、行動で表現をする。
相手に感謝をしたのならば、きちんと行動で表す。
何かで失敗し、反省をしたのならば、きちんと行動で、相手に表す。


-そんな1年にしたいと思う。






高等部2年生は、2月7日(月)に授業の1つとして、書道を行います。
時期がだいぶ遅くはなってしまいましたが、今年1年の抱負を改めて考え、漢字1字で表現しましょう。

そして、「課題研究」の授業で、年末に毎年行っている「今年はどんな1年であったか」を、漢字1字で書いてもらい、今回の1字と比較をしてみてください。



たくさんの生徒が、2月に抱いた決意を高校3年生の12月には実現できていますように…。





 AA 

あと何日?

2011年01月24日 20時02分41秒 | Weblog

あと約30日登校すると(3年生はもっと少ないですね)、松実のみんなは新しいステージへと進んでいきます。

 

今日、高等部1年生は授業の中で松実で生活をしたこれまでについて考える機会がありました。

 

 

不安を抱えながら臨んだ入試。

不安に少しだけの期待が混ざった入学式。

そうして、4月から始まった高校生活。

 

誰とどのように話せばいいんだろう。

いい印象を持ってもらえるかな。

周りの子が大人にみえて怖い。

でも、友達がほしい。

話したい、話せない。

話したい、話せた、仲良くなれた。

 

 

さまざまな行事を通して、今までに話したことのないような友達ができる。

そしてまた、その沢山の行事や学校生活の中で、

何かを行うということの大変さを知った。

それらを乗り越えて自信がついた。

 

 

 

 

 

今の仲間と一緒にいろいろな物事を感じ取れる時間は限られています。

 

だから1日も無駄にはできない。

 

さて、あと30日、

みなさん、思い残すことは?

 

 

もしあるならば、残さぬよう。

 

 

あつみ


日常

2011年01月21日 23時48分58秒 | Weblog

目の前に迫りくる出来事に追われ続け、あっという間に今日この日を迎えています。

未だに実感があまりない。

というより、実感したくない。の方が適切かもしれない。


「卒業」というものを意識し始め、1日1日と時間が過ぎていくなかで、残された物事を着実にこなしていく。

高校3年生の進路だなんだで、慌しい毎日を一生懸命に過ごしてきて、気がついたら離れ離れになるまであと少し。

これからも一緒に過ごしていく気がしてならない。

まだ、思い出を沢山残したい。

それが素直な気持ちなのだと思っていた。


けれども、十分に思い出はあった。

振り返ってみると、私達が担任になってからもうすぐ2年が経ちます。

高校3年間という大切な時期の2/3を共にしてきた。

私達が出会う前の高校生活より、共に過ごした時間の方が長くなっていた。

日々入ってくる情報や出来事が多すぎて、強烈に覚えていることや掠れてしまいそうになっていた記憶、頭の片隅にそっと置かれていた物語を広げてみると沢山のものがあった。


なんだ。

こんなにも多くの時間と出来事を共有してきたんじゃないか。

これでまだ足りないとか、言っていたらきっとバチが当たるや。

 

あなた達の卒業文集を読んでいると、あの日あの時の瞬間が鮮明に蘇ってきて。

懐かしさとも嬉しさとも違う、なんとも言えない温かな気持ちに包まれるのです。


他愛のない話をしたり、
沢山笑ったり、
本気で怒ったり、
苦しくて切なくて涙をこぼしたり、
感情をむき出しにして、本音を叫んだり、
ふがいない姿に嘆いたり、かと思えば胸を張った凛々しい姿に感動したり、
言葉はなくとも目と目で思いを伝えたり、
互いに譲らない主張をしたり、
本当の気持ちが分からずに苦悩したり、
口ではなんだかんだと言い、行動も素っ気ないけど、実は大切に思っていたり。


そんな、共に歩んできた幸せな時間を思い出しながら。


満面の笑みではないけれど、

どこか笑顔をつくるのが苦しいけれど、

それでも私は、涙をこらえながら自然と微笑んでしまうのです。


冬来たりなば

2011年01月20日 19時54分45秒 | Weblog

冬来たりなば 春遠からじという諺があります。

もとは、イギリスの詩人が書いた、とある詩の一節が翻訳されたものだそうです。

 "If Winter comes, can Spring be far behind?"というものです。

冬が来たのであれば、春がやって来るのもそう遠くはないだろう。

くて辛い冬のあとには、暖かい春がやってくる。

今はたとえ辛くとも、やがて明るく幸せなときがやってくる。

 

様々な解釈がありそうですが、どれもやがて到来する明るい未来に希望を持つ点では共通しているといえそうです。

 

今日は暦の上では「大寒」です。

凍てつくような寒さの中では、冬は延々と続き、春まで非常に遠く感じるものです。

  

ところで、私が昔住んでいた幸手市では、権現堂桜堤という場所が有名です。

春になると花見客で賑わい、テレビの中継が時折やってくるような場所です。

幸手市のマークもサクラをモチーフにしていますし、権現堂は幸手市の象徴的な

場所だといえます。

 

花見の名所は全国各地にいくつもありますが、そこが賑わうのは桜が咲く3月からの数週間でしょう。桜の花が散るころには人もまばらになっていきます

 

 春の訪れを『桜前線』で知り、春の喜びを桜の下で共有するという季節を、

冬の今では想像することが難しいでしょう。

しかし、冬の今時期、人がまばらな桜の名所では、人知れず静かに桜のつぼみが

膨らみ始めているのです。下から桜の木の枝を見上げると、桜のつぼみの一つ一つが空を背景にして大きくなってきていることを実感します。

 

高校3年生は、冬休み明けに卒業文集の提出が課されていました。

 

松実での生活を振り返り、ある人は前にいた学校との対比、

ある人は友達との関係の変化、ある人は自分と家族との関係の変化など、

十人十色の卒業文集がそろいました。

 

読ませてもらって、少し泣きました。

思わず身も心も縮まる冬の寒さのような、そんな悩みを抱えている人もいました。

身動きできないほどの寒さを感じるように、心配事で動けない人もいました。

 

『いました』というよりも、まだまだ冬の真っ只中の人も実はいるといえそうです。

 

冬の寒さを耐え忍び、または冬を満喫しながら、温かな陽射しを感じ春を待つ。

境遇や条件に関わらず、誰もが自分の身の回りの環境を嘆きながら生きていく。

そんな中、人知れず桜のつぼみが膨らむように徐々に春に近づいているのかもしれません。

  

冬来たりなば、春遠からじ。

その言葉を噛み締めながら、大切にデータ打ち込みをしていきます。

マリオ


2011年01月19日 20時33分47秒 | Weblog

道。

今までどのような道をたどってきただろう。

これからどんな道をたどるだろう。

 

人は今この瞬間選択をしています。

 

今お風呂に入ろうか、入るまいか。

カロリーが高そうだけど好きな食べ物を食べるか、我慢するか。

といった小さな選択から

どんな進路を目指すかといった大きな選択まで

大なり小なり「今」この瞬間に選択をしている。

その選択した道の結果が現在地です。

 

意識的にか無意識的に無数の選択をした結果の「今」の自分。

たどった道は変えられないけれど、これからたどる道は決められます。

どんな道を歩いても、そこで見た景色や出会った人から得られることは自分の財産になると思う。

 

3生はあと35日で卒業です。

一歩一歩踏みしめて歩んだ道があなたの道です。

一緒に歩んできた仲間とお互いを高めあい、笑って過ごせるようにしようね。

 

だから、体調に気をつけて!また明日も待ってるよ。

 

みち


LOVE IS THE MESSAGE

2011年01月18日 21時20分32秒 | Weblog

昔はすぐに順番が回ってきて、
「またオイラの番か!!」と驚いていたブログ当番。

しかし今では先生の人数も増え、当番はなかなか回ってこなくなった。
今回の当番もかなり久しぶりだ。


オイラにとって、ブログはメッセージだ。
ブログを読んでくれている松実の生徒、保護者さん、同僚、卒業生へのメッセージ。
それだけではない。このブログがネット空間に公開されている以上は、
大げさに言えば、世界中の人々へのメッセージだ。

今日はどんなメッセージを発信しよう。


ある日の放課後。
女子生徒2人(AさんとBさん)が教務室に入ってきた。
1人は談話コーナーの椅子に座り、もう1人はオイラの横に突っ立っている。
そんなことはよくある光景なので、そのまま放っておいたところ、

「横に立ってんのに気がつかないの?」
とツッコミを入れられた。

「気がついているに決まっているでしょうが。」とオイラが応えてから、
彼女たちとの会話が始まった。

「センセイ、暇だから話そうよ~。」と素直に誘ってくればイイものを、
「横に立ってんのに気がつかないの?」だから困ったもんだ。

彼女たちとの話はそこから1時間半位続いたが、その内容が面白かった。
教務室にいた他の先生方も、その話を聞いて思わず表情を緩めていた。

「面白い話」といっても、ただ単純に笑いが起こるだけの馬鹿話をしていたわけではない。
やはり教師にとっての「面白い話」とは、そこに生徒の成長ぶりや変容ぶりが、うかがい知れることができる話だ。


Bさんが言う。
「私は少し前まで不幸を作っていた。」
「悲劇のヒロインを演じていれば、松実の先生は優しくしてくれる。」

Bさんは更に続ける。
「自分の居場所が無い時や、さみしい時にわめき散らせば、
 松実では誰かしら先生がかまってくれる。」
「その優しさに甘えていたら、卒業した後が怖いよね。こんな場所ここ以外ない。」

オイラはぶったまげた。
今、Bさんは、数ヶ月前の幼なかった自分を客観的に見ることが出来ている。

入学当初、確かに色々とあった。
泣いたり、すねたりしている姿を見てきた。
しかし、最近ではそんな姿をめっきり見せなくなり、顔つきがすごく落ち着いた。
オイラはある先生と「Bさんはすごく変わったね~。」と話題にしていたくらいだ。


オイラは、Bさんに尋ねてみた。
「なんで、悲劇のヒロインや不幸作りをやめたんだい?」

するとBさんは、
「私は今こんなに苦しんでいるんです。こんなに不幸なんです。って、ずっとノートに書き続けてた。」
「でも、書き続けたらどんどんノートの残りページ数が無くなっていって、しまいにはノートが終わったの。」
「それで、もういいいやって思った。ノートが終わった時が、不幸づくりを止めた時だった。」

何が彼女に「悲劇のヒロイン」や「不幸作り」をさせていたのかは分からない。
でも、彼女は抱えた苦しみや悲しみを上手く言葉では表現できずに、ただただひたすらノートに書いた。
しかし時がたった今、ほとんどの悲しみや苦しみを吐き出し終えたのか・・・。
ノートの終わりと同時に、彼女は強くなることができた。大げさに言えば生まれ変わった。

オイラは、その変容ぶりに感動した。


しかし素晴らしいのは、彼女の変容だけじゃない。

彼女がノートに苦しみや不幸を書き続けていた時期、担任が寄り添っていた。
時に突き放しながら、笑わせながら寄り添っていた。

彼女がノートに苦しみや不幸を書き続けていた時期、同じクラスのAさんが、彼女に寄り添っていた。
時にケンカをしながら寄り添っていた。

担任や友だちに「寄り添われていた時間」は、Bさんにとって、
赤ちゃんでいられる時だったのかもしれない。甘えたり、泣いたり、すねたり。

でも、赤ちゃんのままでい続けることをしなかった。
担任や友だちの愛情をしっかりと感じていた。もちろん家族の支えもあったのだろう。
そうです。素晴らしいのは、彼女の変容の影に、担任、友だち、家族の存在を感じられることだ。

彼女は、今、素直に自分を語ることができている。
彼女は、今、自分の気持ちを偽らずに笑うことが出来ている。


人間、それができれば幸せなんじゃないかな。



 G 


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2011年01月17日 22時14分50秒 | Weblog

今朝、電車に揺られてipodに入れた「トイレの神様」を聴いていました。

この曲の中でふと気になった歌詞がありました。



「どうしてだろう?
 人は人を傷つけ
 大切なものをなくしていく」


私が今よりももっと幼くて、厚い厚い殻に心を閉じ込めていた頃、
こんこんと優しく叩いてくれる友を心無い言葉で傷つけたことが
何度あったかことか、と昔の自分を振り返りました。

たくさんの人との出会いや、幾度もの旅を経て少しずつ自分の殻を
破りつつある今、ようやく人の優しさに感謝できるようになってきました。



今日はこんな姿・・・

わざわざ狭いところに集まって大人数で坊主めくりをして盛り上がった2年生や、
たった2人なのに楽しそうに活動していた美術部部員や、
教室でお菓子を広げながら友人の恋の行く末を案じる生徒たち・・・

を見て心が温まりました。


こんな平和な毎日が続きますように。
それぞれが、それぞれの大切な人を傷つけずに生きていけますように、
と祈っています。


スキー・スノーボード教室を終えてからそれぞれが急成長したように感じます。
一人一人がパリパリと自分の殻を破る音が聴こえてきそうです。
この学年が終わるまで残りわずか!
もう少し成長できそうですね。
一緒に頑張ってみましょう。

明日もみんなと会えるのを心待ちにしています。


すづ