チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

祖母の絣

2017年07月05日 | 日々のこと

小雨、28度、81%

 日本に引っ越してきて以来、茶箱を開けて中のものを確認できないままでした。2つの茶箱には母が残した反物で私が使えそうな物、生地、タオル類が入っているはずです。母が着ていた和服も帯もほとんど全部捨てました。反物も私の趣味でないものは捨てました。5つあった茶箱は今では2つです。

 雨降りで家にこもっていた昨日、茶箱の蓋を取りました。古い衣類独特の匂いがします。使ったものは入っていないのに、茶箱の隅にこの家の匂いが染み付いているようです。簡単に入れておいた防虫剤の小袋は全部空っぽになっています。

 数本の反物、帯地、糸を切っていない八掛の生地、その中に解かれて洗い張りされたヨレヨレの絣が一本あります。埃だらけ、散らかり放題のこの家の整理をしていた5年前、この絣を手に取った時のことを思い出します。長年着古された絣です。昔なら赤ちゃんのオシメに作り変えられたはずです。なぜ捨てるゴミの山に放り込まず残したのか、瞬時で要る要らないを決めた荷物の整理でした。

 その後、何度かこの絣を手に取りました。母が着ていた記憶はありません。誰のものかしら、ずっと心の隅に疑問がありました。まだ香港にいる時のことです。私が中学の頃母が言った言葉を思い出しました。母方の祖母が亡くなってしばらく経ってからのことです。「おばあちゃまの形見に最後に着ていた絣だけをもらって来た。」その時絣は解かれていたのかどうか覚えていません。「ああ、あの絣はおばあちゃまのものだったんだ。」間違い無いと思います。

 祖母は高知県土佐市の生まれで、土地持ちの祖父に嫁いできて、6人の子供を産みました。末っ子が私の母です。小さい頃は母に連れられて年に2度、土佐の実家に帰ります。汽車に船また汽車を乗り継いでの1日がかりの旅でした。高知からのバスが着く頃には祖母はバス停に出て待っていてくれました。祖母が40歳の時の子供が母ですから、私の記憶にある祖母はすでに70歳を越していたはずです。小さな祖母でした。深いシワの顔の肌ツヤはよく、体の割には大きな手をしていました。祖母と何を話したか全く記憶にありません。覚えているのは夏の夕方、祖母がオジギソウに水を遣っている姿です。私がオジギソウを好きなのはこの祖母譲りです。

 雨の午後、古びれた一本の絣から遠い祖母を思いました。

コメント
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