
2007年の今頃もこんな感じで春を迎えたくはないな、と思っていた気がする。来ても嬉しくも何ともなく、ただ過ぎ行く日に身を任せていただけだった。もうそんな事を思う春等来ないだろう、そう思っていたら、あっさりとそれはやって来てしまった。自らの失墜も実はこれで3度目でもう呆れるよりほかない。



↑美しく華やかで、人々の心に希望を与える筈のもの達の力は私には届かない。春が来ることはめでたい事であり、たとえ花粉症はあったにしても、縮まった寒い冬から解放され、大きく背伸びして未来を見つめようとする意志がもてる筈が、それからも見放されてしまった。
あの頃、日々をやり過ごした手段だった、ひとりカラオケに古いテレビゲイムの再プレイはもうそこに得るものなしで手をのばす気にはなれない。深夜アニメは相変わらず録画しながら観てはいて、それなりかな、と言う所。ブログの更新はその当時よりしやすくなったので、やりたいようにやっているのは言わずと知れた所である。
『急行特急TH発日曜深夜夜話』でよく語った心の深淵話でもしたいなと思いつつも、なかなか実行に写せずで今回に至るが、だから何だ的な話である。ヘタレ墜ち、もうどうしょうもなくて再起不能――甘えた言葉なら幾らでも出て来る。私の、私だけの冬は続きっぱなしである。何とも情けない話だが嘘ではない。
何もかもを放り出して身軽になったものの、そこには何もなく、空虚でただひたすらにもう誰にも理解されぬみっともない醜い自分自身がそこにいるのみだから、友達0でよかった~と今、本当に思う。変に励まされても、余計に敗けを突きつけられるだけなので、本当に良かった。頑張れなんて何の意味もない無責任な言葉なら聞きあきてもうかけて欲しくもないし、意味を成さない。皆それぞれ自分の事で手一杯、それで良いと思う。むしろそうであることが一番御互いにとって幸せな事だと今は強く思う。
歳月人を待たずでただ時間だけが過ぎて行く事と腐敗していく自分自身がなんて虚しい――と思う。この歳になってから余計に惨めさを強く感じはしても、牢獄に閉じ込められたようなもので、奪うだけ奪われ、なくすだけなくした代償を解放と言う身軽さをもって支払うしか出来ないなんて思いもよらない話であった。
誰もが渡った河や海の向こうを私は今日も指をくわえて見ている事しか出来ない。




あの頃、日々をやり過ごした手段だった、ひとりカラオケに古いテレビゲイムの再プレイはもうそこに得るものなしで手をのばす気にはなれない。深夜アニメは相変わらず録画しながら観てはいて、それなりかな、と言う所。ブログの更新はその当時よりしやすくなったので、やりたいようにやっているのは言わずと知れた所である。
『急行特急TH発日曜深夜夜話』でよく語った心の深淵話でもしたいなと思いつつも、なかなか実行に写せずで今回に至るが、だから何だ的な話である。ヘタレ墜ち、もうどうしょうもなくて再起不能――甘えた言葉なら幾らでも出て来る。私の、私だけの冬は続きっぱなしである。何とも情けない話だが嘘ではない。
何もかもを放り出して身軽になったものの、そこには何もなく、空虚でただひたすらにもう誰にも理解されぬみっともない醜い自分自身がそこにいるのみだから、友達0でよかった~と今、本当に思う。変に励まされても、余計に敗けを突きつけられるだけなので、本当に良かった。頑張れなんて何の意味もない無責任な言葉なら聞きあきてもうかけて欲しくもないし、意味を成さない。皆それぞれ自分の事で手一杯、それで良いと思う。むしろそうであることが一番御互いにとって幸せな事だと今は強く思う。
歳月人を待たずでただ時間だけが過ぎて行く事と腐敗していく自分自身がなんて虚しい――と思う。この歳になってから余計に惨めさを強く感じはしても、牢獄に閉じ込められたようなもので、奪うだけ奪われ、なくすだけなくした代償を解放と言う身軽さをもって支払うしか出来ないなんて思いもよらない話であった。
誰もが渡った河や海の向こうを私は今日も指をくわえて見ている事しか出来ない。
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