京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

朴散華

2018年05月31日 | 日々の暮らしの中で
人は現在を生きながらも過去を生き、未来への祈り、期待もあって、様々な「時間」を内に抱いているのだろう。「今今と今という間に今ぞなく 今という間に今ぞ過ぎ行く」。明日から6月。忘れないように書き残しておきたいことがある。


今月初め、朴の花を見た。道路端に作られたスペースに車を止めて歩み寄ってみると、もしや!?の期待通り朴の木だった。、大きな木に花は真っ盛り。ただ時刻の関係で、花びらは閉じ加減だった。福田翏汀に「樹上の花を日に捧ぐ」と詠まれた泰山木の花と同様、朴の花も太陽への捧げものといった感がある。純白で肉厚の花の中心に、真っ赤なシベを立てているのが美しい。

  日のみちを月またあゆむ朴の花   藤田湘子
  朴咲いて山の眉目のひらきけり   きくちつねこ


  
  朴散華即ちしれぬ行方かな     

「茅舎浄土」と呼ばれる世界を詠う川端茅舎の、この句は好きだ。散ることなく、朽ちて残っているのを先日再び見ることになった。茅舎はそれを「散華」と見立てている。こうした句を引いていると楽しい。人々の浄土へのあこがれを背景に平安時代から行われるようになったという散華。持ち帰った先も浄化されると。ひと枝欲しいと思ったけれど、手が出なかった。届かなかったこともあるが、捧げ物を盗るようで。

「人の一生は記憶でできている。地層のように長い時間が積み重なり、現在がある」と映画監督の談にあった。「朴散華」、一つの記録に。
コメント (2)
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