黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

「怒り」と「絶望」の日々(4)――この虚脱感は何?

2016-07-12 10:12:09 | 仕事
 10日(日)の深夜になって判明した参議院選挙の結果、マスコミ各社が一斉に「与党圧勝」、「改憲勢力3分の2超」と見出しを付けるだろうと予測しながら眠りについたのだが、ある程度予測できたこととは言え、与党=安倍自公「嘘つき」政権への余りに警戒心のない参議院選挙結果(国民の審判)に打ちのめされ、また自分の力の無さに虚しさを覚え、更にはテレビ画面に映った安倍晋三氏の得意満面の顔がちらついて、なかなか寝付けなかった。
 そして、一夜明けた昨日、気分転換も兼ねて痴呆症が進んで施設にいる義母を妻と一緒に見舞い(介護の手助けをして)、日頃から「低賃金」に甘んじながら使命感に燃えて献身的に働く職員の皆さんは、安倍氏が「道半ば、将来を見て欲しい」というアベノミクスに対して、本当はどう思っているのか、そのアベノミクスへの思いをどのように今回の選挙に反映させたのか知りたい思いを抱きながら、帰宅してからもずっと考えていた。
 ちょうど今、週刊読書人から依頼されて、僕らが学生時代を過ごした1970年前後の「青春」を描いた小嵐九八郎の『彼方への忘れもの』(2200円+税 アーツアンドクラフツ刊)を読んでいたと言うこともあり、あの1970年前後の『政治の季節』を過ごした団塊の世代=全共闘世代を中心とした人々、及びその子供たちは今度の選挙に対してどのように対処したのか、又いろいろと考えざるを得なかった。
 しかし、出口調査や投票行動を行った人たちへの聞き取りなどで「50%以上」の人たちが「安倍政権下での改憲に反対」を表明しているのに、結果は「改憲勢力で3分の2超」の議席を確保ということになった。
 この「ねじれ」はどこから来たのか選挙期間中一度も「改憲」について触れなかった(触れることを禁じられていた)安倍氏や自民党の候補者やその人たちを支持した国民は、安倍氏が「秋の臨時国会における憲法審査会で議論していく」と言っているが、彼の「特定秘密保護法」や「集団的自衛権行使容認」(安保法制=戦争法案)などに対する「数の力」を頼った反対派に対する「有無を言わせぬ」政治手法を知る僕らとしては、必ずや彼は「改憲」の本丸である「憲法前文」と「第9条」の改正を急ぐだろうと思う。誰かが、2度あることは3度ある、と言っていたが、消費増税再延期に際して前が「再延期は絶対にない」と言っていながら、「新しい判断」ということで平気で前言を翻して(嘘をついて)恬として恥じない安倍氏のやることを信じろという方が酷である。
 その安倍晋三への警戒心の無さ、繰り返すが、それが今回の参議院選挙の結果なのだろうと思うが、いくらか救いなのは、「改憲勢力」の一翼を担う公明党が「第9条の改正」について「議論が煮詰まっていない」と言っており、またおおさか維新の会も「第9条の改正には反対」を表明していることである――しかし、権力側にいることの「甘い蜜」の味を知ってしまった公明党が、目の前にニンジン(甘い蜜)をぶら下げられたら、いつ「転ぶ」か分からないし、おおさか維新の会も彼岸の「大阪都構想」に自民党が賛成すると言うことになれば、これまた何時「転ぶ」かも分からない――。
 そしてもう1点、TPPに拠って壊滅的な打撃を受けるであろう農業が主要産業になっている東北地方で、野党統一候補が公明党が全面支援した自民党候補に競り勝ったこと、及びフクシマ(原発事故)からの復興がいっこうに進まない福島と普天間基地の辺野古沖移転(新基地建設)に反対の野党統一候補が自民党の沖縄担当大臣に大差で勝利したこと、さらに付け加えるならば、参院選と同時に行われた鹿児島知事選で「反原発」を掲げた候補が、事故が起こった場合の避難計画が不十分なまま川内原発の再稼働を認めてしまった現職を破って当選したこと、これらの国民(選挙民)の判断、まだまだ「希望」が持てるかも知れない、と思わせる結果であった。
 僕は経済について素人だが、先のバングラディッシュにおける「テロ」で明るみに出た日本経済が企業の「海外」進出に頼っており、内需拡大が飽和状態にある現実を知ると、安倍氏が何と言おうと、もうアベノミクスは限界だと思う。安倍氏は「前に進める」と言っているが、「遺された道は、国債の発行(=借金に頼った)「財政出動」しかないのではないか、と思う。つまり、大手ゼネコンや建設業界だけが潤う「借金経済」を続けていくということで、その「ツケ」は将来の日本人が背負うものでしかない。子供のいない安倍氏はいいかもしれないが、借金地獄に陥って社会保障制度ががたがたになる借金政策、もう期待するのは止めようではありませんか。