黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

「怒り」を武器に!(16)――喝采と義憤と

2016-05-25 09:22:25 | 仕事
 沖縄県うるま市で起こったアメリカ軍軍属(元海兵隊員)による20歳の女性への暴行・殺人事件に対する沖縄県内は元より全国の心ある人たちの怒りと抗議の気持を、安倍首相(日本政府)伝えるために上京し、安倍首相及び菅官房長官と面談した後の翁長沖縄県知事の発言は、特定秘密法の制定から集団的自衛権行使容認と続いてきた安倍極右内閣のファシズム的姿勢に対して蓄積されていた国民の鬱憤を一挙に吹き飛ばすような、痛快極まりないものであった。
 「安倍内閣は『できることは全てやる』といつも言うが、『できないことは全てやらない』としか聞こえない。米軍普天間飛行場の問題に関し『県民に寄り添う』という言葉も、実感として一度も感じられない」
 「今の日米地位協定の下では日本の独立は神話だ」

 安倍首相がこれまで、自分が発した空疎な観念的な言葉に酔いしれるだけで、決して国民の切実な願いや欲求に添ってこなかったことは、この欄で何度も指弾してきたことだが、翁長知事の今回の発言は、そんな安倍首相の三百代言(嘘つき)的な空疎な言葉の虚を一発で射抜いたものと言ってよく、久し振りに痛快な思いがした
 反面、以下は「義憤」になるが、翁長知事との面談を終えた菅官房長官(安倍首相)が、忌まわしい悲惨な事件について「遺憾である」と言いながら、(あのような悲惨な事件があっても)普天間基地の辺野古沖への移転(新基地建設)の方針は変わらない」と断言したことである。人の命よりもアメリカへの追随外交(従属化の進展)の方が大事だという安倍自公政権の性格がもろに出た菅官房長官(安倍首相)の発言、この政治家たちに人間の心の底からの訴え(叫び)など届かないということを、改めて痛感させられた。
 同じく「義憤」。マスコミ・ジャーナリズムは「政府の公報」の如く、オバマアメリカ大統領の「広島訪問」を「歴史的出来事」とか「未来志向の日米関係の構築」、「核無き世界への第一歩」などと喧伝しているが、オバマがヒロシマ・ナガサキによって20万人を超える犠牲者(死者)とそれを上回る被爆者(負傷者)を出した広島市・長崎市への原爆投下について「謝罪しない」ということが象徴するように、過去=歴史の「罪」について反省しない者に、どうして「未来志向」が可能なのか、と思わざるを得ない。 この過去の「戦争犯罪」について「謝罪しない」というアメリカ大統領の態度は、オバマに随行して参院選のためにいくらかでも「点を稼ごう」としている安倍首相(自公の政治家たち)と同じで、安倍首相が先のアジア太平洋戦争中に日本(日本軍)が行った蛮行(南京大虐殺をはじめとする中国大陸での「三光作戦」やシンガポールでの住民虐殺や「マニラの悲劇(住民虐殺)等々)について「謝罪しない」態度と通底している。
 「未来」は、「過去=歴史」を直視するところからしか見えてこないはずである。先日テレビで中国の「PM2.5」問題を取り上げていたが、その時あるタレントとタレント弁護士が身を乗り出して「日本に被害をもたらすPM2.5を放置している中国政府は、けしからん」と憤っていたが、日本も高度経済成長時代「公害」をまき散らしていたこと(その後アジア各地に「公害」を輸出していたこと)や、5年前のフクシマから放出された放射性物質が海洋汚染を引き起こし、その影響は日本国内にとどまらないという事実等忘れたかのような振る舞い、過去=歴史を直視しないという点では、安倍首相らと同じで、モラル・ハザード(倫理の崩壊)も極まれり、という現実を目の前に突きつけられた感じがした。
 明日(26日)、明後日(27日)と開かれる「伊勢志摩サミット」、政府は全力を挙げて成功させると言い、その成果を参議院選挙に結びつけたいと思っているようだが、冷静になって考えてみれば分かることだが、このサミットには核超大国のロシアとGDP世界第2位の中国が参加していない。このような「歪な」サミットで、何ができるのか。「広島訪問」と共に、この秋で退任するオバマ大統領の「花道」を飾るための会合でしかないのではないか? 成果など得られようはずがない(「嘘つきの」安倍首相がどんな「成果」を声高に言うか、楽しみである)。