黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

「ねじれ」を解消するためには……

2013-06-11 09:36:57 | 近況
 「ねじれ」の解消、と言っても、それは7月に予定されている参議院選挙で「与党」の自公政権が多数派を占めるためにはどうしたらいいか、というような話ではない。僕自身は、安倍自公政権が「憲法改正」や「教育再生」などで、これ以上暴走させないためにも、逆に参議院での「ねじれ」は必要だと思っている。右派政権やその同調者へのせめてもの「防波堤」、それが参議院の「ねじれ」だ、と僕は思っているということである。
 だから、僕が言う「ねじれの解消」は、その参議院(選挙)のことではなく、各種世論調査などに見られる人々(国民)の「ねじれた意識」をどうしたら解消できるのかということである。
 例えば、どのメディアの世論調査でも(保守よりの産経新聞や日経新聞でも)、「原発の再稼働反対」は60パーセント前後であり、「原発輸出」に対しても50パーセント以上の人が反対しているにもかかわらず、原発の再稼働を画策し、総理大臣が先頭になって原発輸出に精を出している安倍内閣に「60~70パーセント」という高い支持を与える。この国民の「ねじれ」意識はどこから来ているのか。
 原発輸出に関しては、フクシマが未だ収束せず、フクシマの「原因」究明もままならず、さらには福嶋第1原発の「廃炉」プロセスもはっきりいない現在の段階で、また高濃度放射性廃棄物の最終処分場も決まらず、核燃料サイクルも実験段階で泊まったままで、金食い虫の「もんじゅ」もそのずさんな管理で、「実験」の予定さえ目処が立たない現段階で、何故安倍首相は「フクシマを経験した<高い安全技術>」などと、どの面下げて言えるのだろうか――面白いのは、安倍首相の夫人「昭恵さん」は「反原発」だということ、もちろん夫婦だからといって「同じ考え」を持たなければ行けないというわけではないから、その意味では安倍家は大変な「民主的家族」と言うことになるが、原発を各国に「売り込む」首相の夫人が「反原発」というのは、いかにもご都合主義で、安倍自公政権が「経済(アベノミクス)」のことしか考えていないことを、よく露呈していると言える。
 あるいは、憲法改正についても、憲法改正の1丁目1番地である「第9条(戦争放棄・平和条項)」の改正についてはもちろん、憲法改正手続きの「第96条」の改正についても、「反対」が60パーセント近いのに、何故「戦争のできる国」を目指して、「国防軍の設置」や「集団的自衛権を認める」ことに躍起となっている安倍政権に、先のような高い支持を与えるのか。
 このような「ねじれ」は、知る限り今回の自公政権がが初めてで、その理由は二つあり、一つは言わずと知れた「政権交代」で浮かれきった鳩山由紀夫に始まり菅直人を経て野田佳彦に至る民主党政権が、いかに「ダメ」であったか、つまり「政権交代」によって生まれた人々の「夢・希望」をいかに彼らが潰してきたか、にある。
 もう一つは、これが中心だと思うが、現在に日本人(国民)は、「倫理(モラル)」よりは「カネ(モノ)」の方を大事と思う生活を送っており、「論理(理想)」など二の次、三の次の「経済優先社会」になっており安倍自公政権は、そのような「モラル・ハザード(倫理崩壊)」の現状の上に乗った政権というだ、ということである。
 「金で何でも買える」「カネで何でも手に入る」と豪語したライブドアの堀江貴文が登場したのが、いつ頃からだったろうか。彼の登場は、「論理・倫理」よりは「カネ」の風潮を増長し、現在のような国民意識の「ねじれ」を生み出したものと思われる。
 原発再稼働に反対する人もアベノミクス(経済・カネ)には何となく期待する、ここに「ねじれ」が生じる最大の理由があるのだが、「生活に困らない年金生活者が何を言うか」という批判を承知で言えば、ここはじっと「我慢」して、「核と人間は共存できない」という核問題の原点に立ち返って、人間の「未来(将来)を見据えた選択をする以外、現在の「ねじれ」を解消する――安倍政権からの「政権交代」を実現する。あるいは、「タカ派」の安倍政権から「健全保守」の別な政権にする――方法はないのではないか。僕らは、ここで「貧」を甘んじてう引き受けるという「決意」が必要なのではないか、と思う。
 つまり、安倍自公政権に断固「ノー」を突きつける必要がある、ということである。