黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

明けましておめでとうございます

2013-01-01 05:51:23 | 近況
 昨年は、久し振りに外国(中国・武漢)で教師生活をするなど、個人的には起伏に富んだ年でした。
 今年も、3月と9月に中国(武漢)を再訪することが決まっており、忙しい1年になるのではないかと思っているが、昨年末の衆議院選挙で自民党が圧勝したという結果を考えると、果たして日中関係が昨年と同じようなものであるか、不確定要素が多く――7月の参議院選挙までは、安倍首相は「タカ派」色を出さないようにしているようだが、もし仮に参議院選で自民党がまた圧勝したら、中国と日本の関係はどうなるか分からない――、安倍政権の出方によっては、中国にいる10万人以上の在留邦人がどのような扱いを受けるか、全く分からず、従って僕が9月に武漢を再訪することができるかどうか。
 もし9月以降、中国へ行くことがままならないとしたら、個人的には先の総選挙で自民党に1票を投じた人に対して、その「経済再生=金儲け主義の復活」を見抜けなかった浅はかさを「絶望」的な思いで嘆くしかないのだが、民主党政権下で増してきた「閉塞感」を安倍自民党や石原慎太郎・橋下徹の日本維新の会といった「右派」を支持することで突破(解消)できると思った日本人の国民性に対しても、また「絶望」的にならざるを得ない。
 安倍政権(とその支持者)の在り方に対して、年頭から「上から目線」で言わせてもらえば、昨年末に福島(大事故を起こした原発も)を訪れ、フクシマの復興を声高に言い放つ一方で、原発の再稼働や新増設を公言するという、何とも奇妙な(矛盾した)安倍政権の原発=エネルギー政策は、「美しい日本の実現」などときれい事を言っていながら、実は「目先の利益」しか考えていない刹那主義(この社会に蔓延する「ニヒリズム」と言ってもいいが、安倍首相は全くそのことに気付いていない)としか考えられず、これまた「絶望」的にならざるを得ない。活断層が縦横に走る敷地(僻地)に原発を作り続けてきた自民党は、フクシマに対してどう思っているのだろうか。もし仮に、もう一度この国のどこかで「フクシマ」が起こったら、と思うと、「蛙の面に小便」の自民党ではあるが、許せないと思う。
 こうなれば、7月の参議院選挙で自民党に苦汁を飲ませるしかないと思うが、果たしてそれが可能か。僕としては、「民意」を信じるしかないと思っているのだが、どうなることやら……。
 さて年頭から「暗い」話になってしまったが、批評家としての僕の仕事に関して言えば、今年は、刊行は春先になるのではないかと思うが、昨年1年断続的に書き継いできた吉本隆明と村上春樹の言説批判を中心とした、文学者の「核・フクシマ」論について論じた『反核(反原発)と文学者―吉本隆明・村上春樹・大江健三郎』(仮題)をできるだけ早く仕上げることを皮切りに、ここ10年ぐらい求められるままに書いてきた原稿(井伏鱒二と「戦争」との関係を論じたもの)を整理し、刊行したいと思っている(たぶん、7月初め頃には本になるだろう)。
 他には、「1大学教師が見た中国」といった本の執筆を頼まれているということがあり、それは秋頃までには仕上げたいと思っている。予定では1年に3冊も自著を上梓することになるが、果たして実現するかどうか。ただ、これは年頭にあったっていつも考えることなのだが、あの60年代末から70年代初めの「政治の季節」も青春を送った者として、どのような形で「世代としての責務」を果たすか、それは批評家としての僕にとって、「時代との関わり」を見失うことなく文学の在り様を考えていくことだと思っているのだが、「持続する志」ということを忘れず、ニヒリズムに陥ることなくただひたすらに書き続けるしかないのではないか、とも思っている。ただ、出版不況と同時に進行している「電子書籍」の普及で、読書環境は近年著しく変わってきている。僕のような者の本が今後も出続けるためには、購買者が増えることが必須である。どうぞ、僕の本を店頭で見かけたら、手にとって欲しい(図書館にリクエストしてくださってもいいのですが)、と切実に思っています。
 そんな僕の思いを内在化させてこの「ブログ」は書いているつもりだが、読者の存在が「持続」の励ましになってきたことは確かで、その意味では一度でもこのブログを訪れてくれた人に感謝、と思っている。
 今年もどうぞよろしくお願いします。
 窓の外にはきれいな青空が広がっており、「初日の出」も眺められます。
 もう一度、明けましておめでとうございます。
 では、また明日以降、お目に掛かりましょう。