【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

それでは! 

2009年08月30日 19時59分59秒 | その他
 さて、これを書いている時点で開票結果はまったく分かりませんが、このエントリーをもって、「国会傍聴記by下町の太陽」のブログ更新は停止させていただきます。逆転の夏第21回参院選の後初めての国会(江田五月議長就任)があった2007年8月4日からスタートしたこのブログ。2年間、たくさんの方にお読みいただき、応援していただきありがとうございました。

 逆転の夏(2007年7月29日)の夜、小沢一郎代表がまったくTVに出なかったのを覚えていらっしゃいますか。選挙に勝った当人が笑顔で、その勝因を話すのは感じが悪い。というわけで、僕もここで、ブログはやめ、開票特番をビールを飲みながら楽しみたいと思います。

 2年前、調べましたが、英米にも国会傍聴ブログというものはないようです。また、支持政党をハッキリ示すジャーナリストというのも、米国のフリーランスの政治ジャーナリスト・アナリストでは当たり前、むしろそうでないと逆に信用されなくなってしまいますが、日本ではほとんど初めての試みでした。

 これは社員記者時代に「公平中立」というスタンスが、結果として情報をたくさん持つ政権政党に有利になると感じていたことが原点です。みなさんは時の官房長官がマスコミにスキャンダルを暴かれた記憶はありますか? 長妻さんの国会での追及で、森内閣の官房長官が辞任したことがありますが、それ以外は情報交差点である官房長官がマスコミ、少なくとも新聞に叩かれることはない。これが論より証拠です。

 党派色を出す試みは大成功で、「宮崎さんは味方だ」と、民主党の議員・総支部長・秘書・スタッフのみなさんからたくさんの情報をいただくことができました。ありがとうございました。

 まあ、まだ分かりませんが、政権交代すると思います。

 今後も民主党支持ジャーナリストではあり続けますが、「国会傍聴記」は無理です。なぜなら国会とは、野党(政権準備党)が与党(政権政党)を攻撃する場だからです。与党(民主党)びいきの「いよっ!大臣、おっしゃるとおり」「さすがは総理、名答弁!」という国会傍聴記など、クソつまらないでしょう。だからといって自民党系に転向する気は、さらさらありません。

 実は私は新しい首相官邸には一度も入ったことがありません。首相官邸の記者会見場の非クラブ員への開放やネット中継があるかどうかなど、様々な条件が変わりますので、その辺も見極めないといけません。また、政権党の場合は、首相官邸、党本部、国会議事堂内など、様々な場所で同時刻に情報が発生し、それが絡み合いながら政治が動いていきますので、一人でやっているとどうしても、限界があります。

 特別国会が始まれば、ご挨拶に行きますが、しばらくは体と心を休め、気が向けば、この2年間の取材を少しずつ、整理していこうと思います。こういうことは社員記者時代にはできませんでしたから、楽しみながら生きていこうと思います。

 この2年間は休まず走り続けてきたので、本を読んだり、映画を見たりしながら、自分の言論活動の再構築を図っていきます。

 仮にジャーナリスト活動を再び本格化するとしたら、自分の媒体・メディアを持っていないと、インタビューしたりするのが不利になります。ですから、あくまでも例えばですが、落ち着いたら、会員制メールマガジンだとか、そういったことなどを模索して、やってみようかなと思っています。今後の活動について何か決まれば、このブログにいずれ掲示しますから、時折、月に1回でも、のぞいてみてください。

 私にとって、「書く」ことは人生。そして、二大政党デモクラシーはきょう出発点を迎えたばかりで、完成にはおそらく10年以上かかります。いずれ自分にあったメディアで再び、情報発信をしていこうと思います。

 その節は、またごひいきのほど、謹んでよろしくお願いいたします。

 引き続き、予算書の読み込みは続けていこうと思いますし、いずれ地域主権・地方分権がなしとげられた、地方財政を中心とする自治体周りの仕事もしてみたいと思います。希望でいっぱいです。

 さて、私が政権交代にここまでこだわった原動力は、かつて新生党学生塾メンバーとして、細川・羽田内閣をわずか10ヶ月間で倒された悔しさです。羽田内閣総辞職の5日後、羽田前首相は新生党学生塾の会合に突然、顔を出されました。私は学校の関係で不在だったのですが、仲間たちと「次の総選挙の後に、また総理大臣になる人がこんな気さくに顔を出してくれる。日本の政治は変わるね」と話し合いました。このとき「すぐに政権を取り戻せる」という雰囲気だったこと、そしてそれが甘かったことは、岡田克也さんも自著の中で認めています。

 その日から野党一筋、なんと15年もの歳月が経ってしまいました。そして、私たちは多くの人、多くの物を失いました。

 私たち日本人はこんなにキツイ選挙戦を2度と経験すべきではありません。もっとスムーズに一人一人が政権を選択できる、二大政党デモクラシーを確立しなければいけません。

 ところで、私の使っていたアバターは米俳優のジャック・レモンです。意外と知られていないようです(^^;) 私がジャック・レモンが好きなのは苦悩する姿がかっこいい男だからです。僕にとっては苦悩することは楽しいこと。これからも様々な分野で苦悩し、その成果を文筆で発表しようと思います。そのためには、しばし充電期間をいただきたく思います。

 さて、最後に「下町の太陽」とはどういう意味だったか、ご説明します。私は1998年4月頃、新しい民主党マークの発表を取材した経験があります。民主党の母体となった統一会派「民主友愛太陽国民連合(民友連)」の代議会では、下の円が不揃いな楕円になっていることについて、議員たちが「この下の円は政権を獲ったら、丸い円になるんだろう」と話していたことがかすかな記憶ですが、あります。

  フランスの詩人、ランボオの詩集「地獄の季節」に次のような一節があります(堀口大学翻訳)。

 また見つかった、
 何が、永遠が、
 海と溶け合う太陽が。


 太陽が海に沈むと、次の朝は、海から太陽が昇ります。これが「永遠」だ、と私は解釈しています。日本では気象観測史上、太陽が昇らなかった朝はありません。太陽が海に沈むことが永遠であり、この地球で数少ない「絶対」である。私は民主党のマークは、海に沈む太陽とその陰をを意味しているのだ、と自分なりに解釈しています。

 
 そこで「by下町の太陽」とブログに名付けることで、自分が民主党支持者(二大政党論者)であることを暗示したのです。また松竹映画「下町の太陽」の主人公を演じ、その主題歌を歌って大ヒットした倍賞千恵子さんが私と同じ自治体の生まれであることも掛け合わせています。

 さて、近いうちにまた、お会いする機会があるとは思います。きょうはゴールではなく、スタートです。これからも様々な報道で、日本の健康診断(統計)の数字が悪くなっていることに愕然とすることがあるでしょう。とはいえ、まずは国民の手に政治が戻りました。それだけで大丈夫です。日本は必ず甦ります。

 きょうまでのご支援、心から感謝します。
 またお会いしましょう。

 ありがとうございました。

 2009年8月30日午後7時59分

 宮崎信行


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