【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

お帰りなさい 土肥隆一さん 民主党・無所属クラブに復帰 

2012年10月16日 20時09分35秒 | 第181臨時国会(2012年10~11月)友情解散

[写真]民主党・無所属クラブに復帰した土肥隆一さん。

 うれしいビッグニュースが飛び込んできました。

 兵庫県第3区(神戸市垂水区、須磨区)選出の衆議院議員、土肥隆一さんが2012年10月16日(火)、衆議院会派「民主党・無所属クラブ」に復帰しました。安住淳・会派代表者が衆議院事務局に届け出ました。近く、民主党に復党するとみられます。

  岡田副総理は16日の記者会見で「いろいろなことがあって、御自身責任を明確にされたということだと思います。私は当時幹事長でしたけれども、土肥さんは同期だし、非常に親しい友人でもありましたが、彼のほうから潔く離党ということで、身を処されたこと、非常に残念な思いと、それから土肥さんらしいなと、そういう気持ちで見ておりました。今回、かなり時間もたつ中で、党に入ったということではありませんが、会派に入られたということで、個人的にはよかったなというふうに思っています」と述べました。


 私が衆議院本会議で確認していた範囲内では、土肥さんは、この1年半、すべての採決で民主党の党議と同じ投票行動をしていたと思われます。

 土肥さんは昨年2月、故郷で開かれた日韓のクリスチャン議員外交において、竹島の領有権をめぐり、韓国議員側に、トラップにはめられました。あたかも日本の与党議員が竹島の領有権が韓国にあると主張しているような情報発信となってしまい、日本でも3月9日から大きく報道されました。慣れない与党議員として軽率のそしりは免れません。猛省が必要でした。が、土肥さんは3月10日午後5時半に記者会見し、民主党を守るために、自ら離党届を出しました。たまたま土肥さんが国会内民主党幹事長室に離党届を出す場面に私も居合わせましたが、入閣経験がない当選7回生なのに、淡々としていたのが印象的でした。そして一晩あけて東日本大震災が起きました。

 土肥さんは、1939年、父親が勤めていた(旧)朝鮮総督府があった日本領京城(現在の大韓民国ソウル)生まれ。ちなみに、きょうの岡田副総理会見の中で、私は「日本領ピョンヤンの生まれ」と発言してしまいましたが、正しくは「日本領ケイジョウの生まれ」でした。日本に引き揚げた後、国内キリスト教最大の信者を持つ日本基督教団(プロテスタント系)の牧師を現在まで務めています。政治家としては「十字架委員長」と呼ばれたクリスチャンで、右派社会党の委員長を務めた河上丈太郎の議席をその子息をはさんで引き継いでおり、1990年おたかさん社会党から初当選し、7回連続当選(第44回郵政選挙では比例復活)してきました。

 土肥さんは「民主主義の成熟度は政権交代ある政治を国民がいつも保持できることにある」との持論を持っており、河上丈太郎が果たせなかった夢を現代政治に反映しています。(当ブログ内参照エントリー「50数年ぶりに獲得した政権交代という“宝”をドブに捨てるな」と語る土肥隆一さんの肩書きは?)。

 民主党では「菅グループ」ともよばれる「国のかたち研究会」の会長をつとめてきた土肥さんですが、複数立候補の代表選では結党以来初めて菅直人候補が立候補しなかった2009年5月の代表選で、同期とともに岡田克也候補を擁立し、選対を務めました。このときの残念会で岡田候補は「きょうここに(小沢一郎氏のしめつけにもかかわらず)お集まりいただいたみなさんには必ずご恩返しをしたい」との「ご恩返し発言」をしており、その8月に結党以来初めて与党になってからは、この残念会メンバーが人事面で優遇されています。一部には「ヘビーローテーション」「メリーゴーラウンド」と言われるほど優遇されています。ただ、衆議院議員の中で、現在まで適齢期でありながら閣僚や政務三役を務めていないのは土肥さん一人になっていますが、10月1日の内閣改造後というタイミングでの会派復帰は、土肥さんが「私なんていいんだよ」と言っているようにも思えます。


[画像]「土肥さんはこの後、午後5時半から記者会見をしますのでそれを待ってください」としながら、親友の離党に悔しさを隠せないようすの岡田克也・民主党幹事長、2011年3月10日(木)午後4時過ぎ=民主党ホームページ内動画からキャプチャ。

 土肥さんはホントウに間の悪い人です。1995年1月17日の朝日新聞1面トップは、「新会派「民主」旗揚げ きょう離党届 社党24人参加で分裂状態に」となっており、この記事では、山花貞夫さん、土肥隆一さんら社会党右派(旧政権構想研究会=政構研系)が同日に日本社会党を離党し、新会派を結成するとしています。そして、自社さ政権を支える社会党左派について、「村山富市首相側には、除名処分などによって山花氏らと決定的な対立関係になるのは回避すべきだとの意見も出ているが、村山政権が厳しい状況に追い込まれることは確実だ」との観測を報じています。ところが、この新聞が配られた直後に、神戸直下に阪神・淡路大震災が発生。村山富市首相と小沢潔国土庁長官(自民党)のコンビで、1000人死者が増えたと私は考えていますが、会派結成話も立ち消えになりました。その3年後、第2次民主党の代議士会で山花貞夫さんが一兵卒として、第4控室のイチバン後ろに座っていたことを思い出します。

 神戸選出の土肥さんが、東日本大震災の発生の20時間前に、土肥さんが自ら離党を申し出たのは、地味だけどしっかりした21年間の議員生活の積み重ねたことにより、不幸中の幸いということで、疳の虫が働いて、危機管理ができたのかもしれません。

 菅直人さんが代表・総理になったときには、枝野幸男幹事長起用の際に、民主党ベテランが不快感を示したとのニュースが流れ、小沢一郎氏の発言かとの憶測を呼びましたが、土肥さんの発言だったというハプニングがありました。菅総理が、グループ会長として長年支えてくれた土肥さんを冷遇した理由は、私はまったく分かりません。しかし、自ら党を離れたことにより、土肥さんはまた新しい活躍の場を得たんだと思います。つくづく政治家は引き際が肝心だと思います。土肥さん、これからもがんばってください。

 話は変わりますが、民主党政権において、長年党を支えてきた議員が生まれ故郷に与党議員として凱旋して、国益を損ねかねない行動を取ることが散見されます。そもそも、インターネットによる情報化、新興国の発展によるプレーヤーの増加、国際会議によるマルチ・ラテラル外交の比重が増えている中、議員外交は限界を迎えつつあります。また、議員外交にともなう不透明なお金の流れも国益を損ねる可能性があります。人と人とのつながりを持つことは、紛争を未然に防止する草の根になりますが、やはり与党国会議員として、外国を訪問すると、おもてなしに酔ってしまう面があるようです。

 自由党で小沢一郎氏の下、自由党副党首を務め、現在は民主党衆議院議員である、中井洽さんが生まれ故郷の満州国新京(現在の中華人民共和国吉林省長春)に元拉致問題担当大臣として、北朝鮮政府関係者と複数回会ったと報じられています。これについて、土肥さんとの関連で質問を受けた岡田副総理は「政治家ならずとも自分の生まれたところに行ってみたいというのは、気持ちとしては分かります。それ以上については、中井先生に関して、いろいろな事実関係を含めて私も詳細を承知しておりませんので、私もコメントすることは控えたいと思います」と述べるにとどまりました。

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