私は枕が変わると眠れないので、地方出張は原則日帰りにしていますが、今週は2泊3日で出かけますので、セカンドマシンのノートPCにウィルス・ワクチン・ソフトとOSをアップロードしました。この作業が昨日1日かかりましたので、昨日は久しぶりに更新しませんでした。
先週木曜夜放送のBS11「インサイドアウト」の中で、藤井裕久最高顧問の発言に看過できない「ウソ」がありました。
自民党経世会→同改革フォーラム21→新生党→新進党→野党自由党→与党自由党→野党自由党→民主党
と小沢さんと同じ党歴を歩んできたのは藤井さんただ一人です。
大連立もあるのでは?といううんざりするような質問に対して、
「小沢一郎は1993年の自民党離党以来、一貫して野党一筋に歩んできた」という趣旨の発言をしました。
これはおかしい。
野党第2党だった小沢自由党は小渕自民党と連立政権を組みました。自社さが崩れ自民党単独の不安定な基盤だった小渕恵三内閣を助けて、自民党を延命させました。また、これにより、公明党への入閣を呼びかけやすくなり、小渕自自公連立政権となり、自公政権は10年間経ったいまも続いています。
仮に小沢自由党による自民党延命がなければ、政権交代がもっと早く実現し、小泉構造改革もなく自民党は死に絶えていたでしょう。
小沢のこの罪は万死に値します。
このことは、羽田孜、渡部恒三、石井一、岡田克也といった面々が「野党一筋」で来たこととはまったく違います。
「野党一筋」というと、あまり格好良くないけれど、「非自民一筋」で二大政党による政権交代可能なデモクラシーを目指していることは15年間という長い時間が説得力を持って証明しています。
藤井さんは小沢さんの「自民党との連立の罪」を消してあげたいのでしょう。が、私は「新進党解党の罪」と「自自連立の罪」は一生忘れません。ですから私自身「民主党と心中」「政権交代と心中」するつもりはあっても、「小沢と心中」するつもりはまったくありません。
その上で、第45回総選挙は小沢民主党でいかなければ、51%をとれないと思って、西松事件発生以来、小沢擁護を続けています。
ところが、小沢さんはなかなか説明しようとしません。せめて、総務省ホームページから「陸山会」の収支報告書をダウンロードして左手で持つ。それだけでも説明しようとする姿勢が国民に伝わります。
つまり、小沢側近という存在はいつも変わらないという構造的な問題がある。新進党時代は加熱した小沢側近のため、「羽田vs小沢」という私たち新生党をルーツとする支持者には耐えられない党首選があり、奥田敬和先生に背中を押された羽田さんらは「太陽党」を結党しました。新進党解党のとき、小沢さんを諫める小沢側近はいなく、一人「解党反対」のビラを配る岡田克也青年代議士を「空気の読めない奴だ」とあざけりました。そして、民主党に軒を貸してもらって復活した今も、積極的に情報発信することで小沢を守るということがまったくできず、ひたすら貝になっています。
新進党時代の小沢側近、自由党時代の小沢側近、民主党での小沢側近というのはそれぞれ別のメンバーです。とくに新進党時代の小沢側近は今でもご健在のはずですが、今どこで何をしているのか?国会には藤井さん以外ひとりもいなくなりました。
小沢一郎衆議院議員というのは、小沢事務所では裸の王様です。小沢秘書は小沢代議士に自ら話しかけてはいけないとされています。小沢側近といわれる山岡賢次、奥村展三、松木けんこうといった議員も小沢さんに厳しいことを言ったという話は聞きません。
ところが、民主党代表の小沢さんということになると、心強いパートナーがいます。鳩山由紀夫幹事長です。この2人は東京都立小石川高校の5年先輩後輩の間柄です。また小選挙区の区割りを借りて説明すれば、ともに東京2区で生まれ、東京2区で思春期を過ごしました。小沢さんは初当選後も国会があるときは夫婦で東京2区で過ごし、やがて東京5区の一戸建てに越しました。
自民党は昨年3週間にわたって猿芝居「総裁選」を繰り広げましたが、3月3日以降、「民主党代表=ネクスト総理」の名前を争う小沢政局は1ヶ月半経っても収まりません。これはメディア露出としてはおいしいのですが、さすがに疲れつつあります。
このところ、私はあまり国会に行っていないのですが、このまま国会に行っても見えてきそうにありません。
そこで、火曜日から地方に行きます。私は1995年の統一自治体選挙の東京・板橋区議選で尾名高勝さんの告示直前の日常活動で新進党機関紙号外ないしは後援会入会を求めるリーフレットを配って以来、ビラ配りをした記憶がありません。ですから14年ぶりにビラを配って、「小沢続投」の是非を確かめてみたいのです。国会内を取材するより、街でビラを配った方がはるかにそれが分かるはずです。
行く先は静岡3区の小山展弘(小山のぶひろ)総支部長の所です。小山君は私のゼミの後輩ですから、公示前に応援に行きたいと考えていました。取材というよりも手伝いです。彼と活動することで、僕は小沢政局に対する考え方をしっかりつかめると期待しています。
先週木曜夜放送のBS11「インサイドアウト」の中で、藤井裕久最高顧問の発言に看過できない「ウソ」がありました。
自民党経世会→同改革フォーラム21→新生党→新進党→野党自由党→与党自由党→野党自由党→民主党
と小沢さんと同じ党歴を歩んできたのは藤井さんただ一人です。
大連立もあるのでは?といううんざりするような質問に対して、
「小沢一郎は1993年の自民党離党以来、一貫して野党一筋に歩んできた」という趣旨の発言をしました。
これはおかしい。
野党第2党だった小沢自由党は小渕自民党と連立政権を組みました。自社さが崩れ自民党単独の不安定な基盤だった小渕恵三内閣を助けて、自民党を延命させました。また、これにより、公明党への入閣を呼びかけやすくなり、小渕自自公連立政権となり、自公政権は10年間経ったいまも続いています。
仮に小沢自由党による自民党延命がなければ、政権交代がもっと早く実現し、小泉構造改革もなく自民党は死に絶えていたでしょう。
小沢のこの罪は万死に値します。
このことは、羽田孜、渡部恒三、石井一、岡田克也といった面々が「野党一筋」で来たこととはまったく違います。
「野党一筋」というと、あまり格好良くないけれど、「非自民一筋」で二大政党による政権交代可能なデモクラシーを目指していることは15年間という長い時間が説得力を持って証明しています。
藤井さんは小沢さんの「自民党との連立の罪」を消してあげたいのでしょう。が、私は「新進党解党の罪」と「自自連立の罪」は一生忘れません。ですから私自身「民主党と心中」「政権交代と心中」するつもりはあっても、「小沢と心中」するつもりはまったくありません。
その上で、第45回総選挙は小沢民主党でいかなければ、51%をとれないと思って、西松事件発生以来、小沢擁護を続けています。
ところが、小沢さんはなかなか説明しようとしません。せめて、総務省ホームページから「陸山会」の収支報告書をダウンロードして左手で持つ。それだけでも説明しようとする姿勢が国民に伝わります。
つまり、小沢側近という存在はいつも変わらないという構造的な問題がある。新進党時代は加熱した小沢側近のため、「羽田vs小沢」という私たち新生党をルーツとする支持者には耐えられない党首選があり、奥田敬和先生に背中を押された羽田さんらは「太陽党」を結党しました。新進党解党のとき、小沢さんを諫める小沢側近はいなく、一人「解党反対」のビラを配る岡田克也青年代議士を「空気の読めない奴だ」とあざけりました。そして、民主党に軒を貸してもらって復活した今も、積極的に情報発信することで小沢を守るということがまったくできず、ひたすら貝になっています。
新進党時代の小沢側近、自由党時代の小沢側近、民主党での小沢側近というのはそれぞれ別のメンバーです。とくに新進党時代の小沢側近は今でもご健在のはずですが、今どこで何をしているのか?国会には藤井さん以外ひとりもいなくなりました。
小沢一郎衆議院議員というのは、小沢事務所では裸の王様です。小沢秘書は小沢代議士に自ら話しかけてはいけないとされています。小沢側近といわれる山岡賢次、奥村展三、松木けんこうといった議員も小沢さんに厳しいことを言ったという話は聞きません。
ところが、民主党代表の小沢さんということになると、心強いパートナーがいます。鳩山由紀夫幹事長です。この2人は東京都立小石川高校の5年先輩後輩の間柄です。また小選挙区の区割りを借りて説明すれば、ともに東京2区で生まれ、東京2区で思春期を過ごしました。小沢さんは初当選後も国会があるときは夫婦で東京2区で過ごし、やがて東京5区の一戸建てに越しました。
自民党は昨年3週間にわたって猿芝居「総裁選」を繰り広げましたが、3月3日以降、「民主党代表=ネクスト総理」の名前を争う小沢政局は1ヶ月半経っても収まりません。これはメディア露出としてはおいしいのですが、さすがに疲れつつあります。
このところ、私はあまり国会に行っていないのですが、このまま国会に行っても見えてきそうにありません。
そこで、火曜日から地方に行きます。私は1995年の統一自治体選挙の東京・板橋区議選で尾名高勝さんの告示直前の日常活動で新進党機関紙号外ないしは後援会入会を求めるリーフレットを配って以来、ビラ配りをした記憶がありません。ですから14年ぶりにビラを配って、「小沢続投」の是非を確かめてみたいのです。国会内を取材するより、街でビラを配った方がはるかにそれが分かるはずです。
行く先は静岡3区の小山展弘(小山のぶひろ)総支部長の所です。小山君は私のゼミの後輩ですから、公示前に応援に行きたいと考えていました。取材というよりも手伝いです。彼と活動することで、僕は小沢政局に対する考え方をしっかりつかめると期待しています。