【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

第2次田中角栄ブームの盛りに出版された、田中真紀子「父と私」日刊工業新聞社は、人間・田中角栄の正史だ、田中真紀子さんが洋ブー(河野洋平)との縁談に横槍を入れたのは佐藤首相夫人

2017年03月14日 18時54分29秒 | 人物

[画像]田中真紀子著「父と私」の扉絵から。

 田中眞紀子(田中真紀子)さんが、「父と私」を出版されました。日刊工業新聞社、2017年3月6日発行。

 出版の理由について、「かねてから父に関する思いや出来事の数々は、胸に秘めたまますべて黄泉の国まで持ち去ろうとずっと心に決めていた」(2ページ)としながらも「今や世の中はかつてないほどの田中角栄ブームであり、全国の書店の棚には父に関する本や、雑誌があふれ、テレビ等のメディアでも関連事項が度々取り上げられている。そうしたなかには、揣摩臆測や伝聞、自己宣伝目的と見受けられるものもある」(同ページ、以下略)ことがきっかけだとしました。

 父・田中角栄の口癖は「お前には、世界中を見せてあげよう、それがお父さんの夢だ」であり、そのおかげで、バッキンガム宮殿でエリザベス女王にも会えたし、学生時代にニューヨークのタクシーで「ロックフェラー頭取の家まで」と行き先を告げて笑われた話などが載っています。

 田中角栄先生の長男は、田中正法(たなか・まさのり)さんで、名前の由来は、「仏教の正しい教法」という意味だそうです。1947年9月に、正法さんが満4歳で生涯を閉じた時、両親は「名前負けした」と悔やんだそうです。真紀子さんの名前は、訓読みすると「まさのりこ」になり、正法さんの命を継いでほしいとの意味が込められているそうです。

 真紀子さんは、家の近くの私立女子小学校(宮崎注・日本女子大学付属小学校のこと)ではなく、千代田区立富士見小学校に。男の子のようにたくましく鍛えたということだったようです。かつての九段衆議院議員宿舎(現存せず)に近い、この学校には、その後、田中角栄先生の一番弟子である羽田孜先生の長男、羽田雄一郎参議院議員も通いました。

 本では、女性参政権が認められた総選挙の後、「大沢君」という人に、「やーい、やーい女代議士!」といじめられ、帰宅後「女代議士とはどう意味?」と聞くと、お母さんに「近藤鶴代先生のような方だ」と教えられた、というやはり政治家一家育ちのリアルな話が満載です。

 父の初入閣では、岸信介首相(自民党総裁)から「田中君にはいろいろ無理を言って仕事をやってもらった。君を必ず入閣させる」と伝えられながらも、反故にされかかったものの、角栄さんは「自分は若いから大臣になれる」と意に介していなかったそうです。ところが、ここで、河野一郎さんが「角さん、一緒に来い」と言われ、河野さんが岸首相に「お前は若い政治家をさんざん利用しておきながら、閣外に外すきか。これでは有言不実行、不誠実の極み、信用ならん」と怒ったところ、入閣することになったとか。帰宅後、「おーい、モーニング、モーニング」と話す父に、母も「あら、モーニングはどこにしまったのかしら」とのんびりしていた39歳の郵政大臣のエピソードがこの後、詳しく書いてあります。

 その河野一郎さんの長男である河野洋平さん(洋ブー)と真紀子さんの縁談に、佐藤栄作首相の寛子夫人が横やりを入れたエピソードも。これは高級官僚との演壇を持ち込むことで、洋ブーと真紀子さんの縁談をやめさようとしたそうですが、真紀子さんは、首相夫人の勘違いだとしています。その後、真紀子さんの初入閣の時に、閣議で花押の書き方が分からず、隣の橋本龍太郎通産大臣に聞いたら、「そっちに聞けよ」と河野外相に聞け、と言われたとのこと。

 池田勇人首相は田中角栄さんと気が合い、国会内で、「お互い、家に石灯籠がある」との話になり、現職の池田首相が官邸から自宅に帰る途中に、公用車で、田中邸を訪れ、お母さんと真紀子さんの2人でひっしに対応。帰宅後の角栄さんに「首相は、自分の家の方が立派だと言っていた」と報告したら、なら見に行かないと、と角栄さんが翌日、池田私邸を訪れたとの話。その後、池田首相が亡くなった後、奥さんが、池田邸の一部をアパートにしたいとして、田中角栄さんが何も条件を付けずに、連帯保証人の判子を押す姿を、見ていた、といった話もありました。

 外にもいろいろあるんですが、私・宮崎信行は公職の経験がないわけで、当然、宮中に参内したことはありませんが、昨年来、宮中の夢を見ます。ことし、参内歴のある人に「たいしたことないよ」とは言われるのですが、やはり宮中の話は興味深いところです。天皇誕生日の午餐会は国会議員でも抽選だが、元日の午餐会は希望すれば行け、宮殿から豊明殿に移って食事会になった後のこと。自民党女性議員が「天皇陛下万歳」と叫び、皇族も含めてどよめいた。その翌年と翌々年は、男性の防衛大臣経験者が叫び、その翌年は、それとは別の自民党女性参議院議員が叫んだという話。

 木曜クラブからの創政会(経世会)の話は「時は大騒ぎをして、頭上を通り過ぎて行った」という章立てで書かれています。

 田中角栄事務所には3系統ありますが、そのうち「元新聞記者」のルートについては厳しく書かれてあります。しかし、佐藤昭(さとう・あき)さん・朝賀昭(あさか・あきら)さん系統については、とくに記述もなく、平日の昼の大臣室や事務所内の話は、朝賀昭さんの著書・講演は聞きごたえがあるのもうなづける、というのが私が見て取ったところです。

 ほかにもいろいろあります。ここで書いた記事は、やや、どちらが角栄さんで、どちらが真紀子さんか、分かりにくかったかもしれないので、ぜひ著書を直接読んでみてください。

 ただ、まあ、これはビシッという感じですが、次の2文は引用させていただきたい。

 「父のまわりには、お金儲け目的で利用する人がどれほど多いかということを実感した」「現在出回っている、いわゆる、田中角栄本もそのたぐいであろう」(199ページ)。

 「日刊工業新聞社をはじめ関係者の皆様に、心から厚く御礼申し上げたい」(305ページ)。

 このエントリー記事の本文は以上です。



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