【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

菅首相、トップダウンの政治決断 中部電力の浜岡原発を停止 篠原孝さんに聞く

2011年05月10日 22時18分04秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

 菅直人首相は2011年5月6日(金)に記者会見し、中部電力浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市の太平洋沿い)について、「これから30年以内にマグニチュード8程度の想定東海地震が発生する可能性は87%だ」として、「国民の安全と安心を守るために」「すべての原子炉を停止すべきだと私は判断した」として、「中部電力」に「要請」をしました。これを受けて、中部電力は5月9日(月)に臨時取締役会を開き、総理の要請を全面的に受け入れることを表明しました。また、菅直人首相は、5月10日(火)にも記者会見し、「原子力災害を引き起こした責任は東京電力だけでなく、国にもある」として、東京電力福島第一原子力発電所災害の収束まで内閣総理大臣としての歳費を全額、国庫に返納することを表明しました。

 菅官邸は4月上旬から検討をすすめてきたと報じられていますが、2011年4月8日(金)の午後7時半から8時半の1時間、農林水産副大臣の篠原孝さんが菅総理と官邸で2人で話し合った際に、「食品の安全性を考えると、原子力発電は高くつく」として、中部電力浜岡原子力発電所の停止を進言していたことが分かりました。

 「浜岡停止」に関しては、当ブログは4月中に情報を入手していました。が、なかなか東京住まいの私も「3・11」の精神的ショックで、取材が遅れていました。当ブログが5月10日、篠原さん本人に直接取材し、確認することができました。当ブログとしてはスクープを逃したわけですが、「3・11」以降、情報の混乱への不安が自他ともにある現状ですので、確報としてお伝えする結果となったことを、かえってスッキリ思っております(^_^)v

 4月8日(金)の1時間で、エネルギー問題だけでなく、TPPなども含めた当面の課題について、いろいろ話し合った篠原さん。4月10日(日)の菅首相の被災地訪問の際に、航空自衛隊のU4他用途支援機(およそ19人乗り)が空いていると聞き、自ら申し出て、政治家としては菅総理と唯一同乗しました。機中では菅さんは、政務秘書官(民主党本部職員出身)と隣りに座っていて、とくだん話せなかったようですが、現地で待ちかまえていた他府省の副大臣らと、被災地を視察したい際にも、「主に水産業の話を中心に、いろいろ話した」そうです。

 さらに4月15日(金)にも午後2時32分から30分間、菅直人首相と会いましたが、これは水産行政に関する話で、官僚同席でした。

 その後、篠原さんは民主党国対の許可も得て、チェルノブイリ事故25周年国際会議に参加しました。もともと外務副大臣の高橋千秋さんが政府を代表して参加していましたが、ウクライナに行き、科学者会議で特別に15分間英語でスピーチ。「ヒロシマ、ナガサキ、チェルノブイリ、フクシマ・・・」との日本からの報告に対して、イギリス人学者から「日本がこの25年間、イチバン真剣になって、チェルノブイリ(の作業)を援助していたのを知っている。ここには、(原発災害の収束の)知見がある」として、ウクライナ政府の責任者も「私たちが持っているデーターを全部、日本(Japan)に提供する」とのスピーチを引き出しました。

 この後、4月26日(火)にも、震度6強の「3・12」長野県栄村地震についての菅首相への阿部守一・長野県知事の要望活動に、北澤俊美防衛大臣とともに同席した後に、阿部さん、北澤さん退席後に、午前9時55分頃から、20分間ほど総理とサシで話し、チェルノブイリ訪問の報告などをしたようです。

 4月8日~4月26日までの間に、菅さんは篠原さんと延べ2時間以上二人で話したことになります。篠原さんによると「総理大臣というのは、周りが遠慮して、アポイントを入れなくなるから、意外と暇だ」として、「歳が近いし、お互いやり合うから、(総理にとって篠原さんとの話し合いは)いいストレス発散になっているようだ」とのこと。篠原さんによると、菅首相は篠原さんのアドバイスをそのまま受け入れて政策を実行することがありますが、今回の浜岡の中長期的な停止については、「菅さんも頑固だから。原子力のプロだし」として、篠原さんの「廃炉」のシナリオその通りではなく、かなり官邸内で検討があったようだとしています。

 まあ、「他の人も言っていたと思う」ということで、篠原さん以外にアドバイスをしていた人がいるかもしれません。ただ、それならそれで、菅側近は頼もしいということで、別段、だれが最初に言ったかという問題ではないでしょう。

 篠原さんは、郵政選挙で議席を守り2回生になった直後の2005年11月、衆院外務委員会の視察の際に、チェルノブイリを訪れています。そして、4月にチェルノブイリ事故25周年の国際会議のため、再訪しています。 篠原さんは農水省勤務時代から「日本の有機農業」についての研究を進めるうちに、「原子力発電は安いが、食品の安全性を考えると安くない」との考えを持ち、脱原発で知られる広瀬隆さんらの著作を読んでいたそうです。1985年に書いた篠原さんの著作「農的小日本主義の勧め」にも、脱原発を訴えていたそうです。ですから36年越しの政策実現になります。また、2007年5月に菅直人代表代行、山田正彦前農相と3人でドイツの黒い森(シュバルツバルト)に林業やバイオマスなどの自然エネルギーの視察に行った際にも、原発について、かなり議論したそうです。菅首相が「原発のプロ」というのは、篠原さんの言によると、どうやらホントウのようです。

 篠原さんは長野1区ですので、中部電力管内になりますが、「中部電力は原発依存度が低いからちょうど良かった」と、「浜岡停止」を支持しています。

 また、これはまだ、菅首相には伝えていませんが、選挙区内の長野県栄村の「3・12」の地震被害を5月1日(日)に視察した際に、「地震被害よりも東京電力柏崎刈羽発電所が近いことが気になる」との声を聞いたそうです。その後、地図などで調べた結果、柏崎刈羽にも地震被害の可能性が高い(すでに中越地震がありました)ことが分かったそうです。「仮に柏崎刈羽で放射能漏れがあり、冬の雪が降ったら、全員避難しなければならない」として、“放射雪”の可能性があるとしました。できれば菅総理に「柏崎刈羽の停止」も決断して欲しいとしましたが、この件は菅総理に直接話してはおらず、東京電力社内が混乱していることもあり、今後の課題として取り組んでいく構えです。

 篠原農水副大臣は「菅政権の中でイチバン歴史に残ることだ」としています。

 



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