【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

宮沢洋一影の厚労相、「自民党の野党時代は長くない」

2011年10月25日 05時55分46秒 | 第179臨時国会(2011年10月)議員立法

[写真]自民党参院議員の宮沢洋一影の厚労相。

 さて、今週の国会は委員会で大臣の所信聴取とそれに対する一般質疑が中心となります。補正予算は11月10日(木)成立が最短となる見通しです。

 いわば野田内閣の閣僚が店開きをしている状況で、つくづく、2011年6月1日の菅内閣不信任案(自民党・公明党・たちあがれ日本)に賛同する「小沢一郎(氏)と71人の国賊」の集会によって、かくも長き政治空白が生まれてしまったことをつくづく悔しく感じます。自分で自分の首を絞めたことに気付いていない政治センスの無いバカ議員。このなかで、第46回衆院選で小選挙区で当選しそうなのは、小沢一郎(氏)、田中眞紀子(氏)、牧義夫(氏)、三井辨雄(氏)、奥村展三(氏)、階猛(氏)、横山北斗(氏)の7人くらいで、後は原口一博(氏)ら5人くらいが比例復活で、残りは消えると考えます。うち50人前後は二度と戻れないでしょう。

 私には、今週の一般質疑は、内閣交代による、政治空白のようやく終着点に感じます。仮に内閣が続投していても、「3・11」のストレスと疲労で閣僚がいっぱいいっぱいになっていたので、第3次改造内閣になっていたかもしれませんが、総理がかわらなければ第178臨時国会の所信表明と代表質問はやらなくもてよかったのです。

 また、第177通常国会の延長国会では、各委員会で一般質疑や集中審議が多かったです。とくに放射線に関しては、いろいろな委員会に関係するので参考人質疑も多く、ことしは一般質疑はお腹いっぱいに感じます。このブログは更新しますが、基本的には具体的な議案がかかっていない質疑は、今国会ではとくだんチェックしないという方針です。ぜひご理解いただきたく感じます。

 まあ、しばらくは私は自ら「臥薪嘗胆の助(がしんしょうたんのすけ)」を自任して、次のステップに進んでいきたいと考えます。

 参院議員の、宮沢洋一影の厚労大臣は、ブログの中で、「私は(自民党が)野党の時代もそう長くはないだろう」との認識を示しました。宮沢さんは、戦後政治の証人である宮澤喜一元首相の甥で、首相秘書官として旧官邸に勤めました。宮澤解散による第40回衆院選で、初めて自民党が結党以来38年目にして野党に転落(ただし衆参とも第1会派)するのを目撃しています。東大法学部卒の大蔵官僚出身です。

 宮沢さんは「私は野党の時代もそう長くはないだろうから、ゆっくりと頭の整理でもしておきたいと考えていたのですが、案に相違して忙しい役職が回ってきてしまいました。まず、シャドウ・キャビネットの厚生労働大臣です」とし、談論風発な自民党の「年金、医療、介護から障害者福祉、雇用に至るまで自民党の政策をまとめる責任者ですから大変です」としました。そして、「野党の議員というものは、もう少し暇かと思っていましたが、還暦過ぎた体に鞭打ち頑張ります」と書いています。

 この野党かつ参議院の宮沢さんがなぜ忙しいかというと、政権交代後は、霞が関は野党にも比較的資料を渡したり、「ご説明」をしている一方で、自治体からの要望は、むしろ民主党よりも自民党や公明党の方が直接受けている状況で、情報が集まれば忙しいということになるでしょう。

 長妻昭さんが「私の野党時代は霞が関の資料を出す出さないの押し問答で7割の時間が過ぎてしまった」としていますが、政権交代が常態化すれば、野党も情報を持った上で質疑することができるでしょう。この辺で、民主党の1期生が初めから与党という「竹馬に乗って政界デビュー」したことから、よく分かっていない人が多いようです。前執行部時代、復興財源として、税外収入(埋蔵金発掘)を探すプロジェクトチームがあり、城島光力さんが座長で、当時党幹事長だった岡田克也さんも同席していて、財務官僚が国債整理基金特別会計に関して説明しているときに、「岡田さんがメモを取っていた」と鬼の首を取ったかのように喜んでいる1期生がいました。これはおそらく、岡田さんが勉強不足だ、と指摘したかったのでしょうが、岡田さんは羽田内閣退陣後15年間野党だったので、とくに情報を隠しがちな財務省理財局に関する特別会計の実態を知ることができなかったのは自明の理。このように、「情報があるのが当たり前」という前提で、政治をやっている民主党1期生は、野党として2期生になった場合、苦労するのではないかと感じます。ただ、政権交代が常態化すれば、野党にも「ご説明」をするようになるでしょうから、国会での審議は活性化すると考えます。

 さて与党・自民党時代の岡田さんや、石破茂さんらに、「政治改革断行」について東京・渋谷の私邸に夜討ちをかけられた宮澤首相・自民党総裁は、事前に電話連絡があったにもかかわらず、「おやおや(若手議員がそろいもそろって、)これはどうしました?」とおとぼけ上手でしたが、宮沢洋一さんは正直に「野党時代もそう長くないだろう」と書いています。

 ブログ内に「ただ本物の厚生労働大臣は、あの小宮山洋子ですから、やりがいはあるなと思っています」と書いていて、「あの小宮山洋子」ということは何か因縁があるのかなあ。宮沢さんは第45回衆院選で、広島7区の東大法学部卒・大蔵官僚対決で、民主党の和田隆志さんに破れ、完全落選ということで、第22回参院選に回り当選しましたが、衆院内閣委員会で小宮山さんと同僚だったことがあるようです。あるいは、元NHKアナウンサーの小宮山さんということかなと思って、ハッと思ったら、宮沢さんは1974年3月に東大卒業。小宮山さんの実父・加藤一郎さんが東大総長を務めたのは、1969年から1973年までということで、なんのことはない、宮沢さんが東大在学中のほとんどの時期の総長の娘だからやりがいがあるということのようです。なんとも宮澤ファミリー的な理由でした。宮澤喜一さんは話し相手が東大法学部卒と知ると、「どの先生のゼミ?」まで詳しく聞いたとか、竹下登さんに「当時の早大商学部には入学試験があったの?」と聞いて怒らせたとか、その辺の宮沢ファミリー特有の雰囲気がいまだにあるんですね。

 もちろん、私は菅直人首相から野田佳彦首相へと非二世・非世襲議員が2代連続で首相になったことに意義を感じています。とくに野田さんは54歳と50歳代前半で総理になりました。

 世界を見渡せば、チャーチルをはじめとして2世議員の有力政治家はたくさんいます。御厨貴さんの『聞き書き 宮澤喜一回顧録』には、1939年夏の日米学生会議に出席した際に、サンフランシスコの書店でエンゲルスの『共産党宣言』を買って船の中で読んでいて「これ横浜の税関で通るかな?」と心配になり、船内郵便局から家に送ったら届いたという日米開戦直前とは思えないのんびりした話。終戦後、大蔵省で、大平正芳さんと机を並べていて、「どうも日本は何もなくなっちゃったが、何かをかた(担保)にして金を借りるとしたら、日本の鉄道がちゃんと動いているけれど、どうだろう」という話をしたそうです。

 こういった開戦直前、終戦直後とは思えない話ができるというのは、宮澤さんが英語と漢学が堪能で、時代を大きな目で見ていたから右往左往しなくてよかったのでしょう。そういう意味で二世議員やお坊ちゃん議員は否定されるべきものではありません。読んでいませんが、小宮山さんの軽井沢の別荘についての雑誌記事が出ているようです。これもそういったもの、おそらく相続だとか、あるいは離婚だとか、そういった経験があるから、小宮山さんは民主党税制調査会(税調)のメンバーとして関心を持ったのでしょう。私は税制にこれだけ関心をもった女性議員というのはかつていないのではないかと考えます。

 JA・農政連や医師会・医師連盟から前回選挙で支持をもらっていないにもかかわらず、「次は応援してもらえるかな」「パーティー券買ってもらえるかな」との誘惑は分かるけど、それが小選挙区で勝つ決定打になるわけがないのに、「TPP反対」と叫んでいる議員を見ていると、こういうお坊ちゃん・お嬢ちゃん議員というのも頼もしく感じることがあります。小選挙区は相手がありますが、そういったデータを入れても、次の選挙で消える人、消えて第47回総選挙で復活する人、2度と戻ってこない人。2年経ち、任期が折り返して、自分の中では色分けができたので、第46回総選挙の前後を見すえて、次の政治を見ていきたいと考えております。

 少なくとも年内は、具体的な議案(予算・法案)がかかっていない審議については、基本的にチェックしない、「流す」という方針でやっていきますので、ご理解いただきたいと存じます。 

自民党の人事の季節が終わりました。 - 宮沢洋一 公式ブログ - Yahoo!ブログ

自民党の人事の季節がやっと終わりました。
総裁は任期が3年ですが、それ以外の役員は任期1年ということで毎年秋が人事の季節となります。

党の時代には沢山あった、閣僚を始めとする政府の役職がなくなってしまったので、党の役員人事は大変です。全ての議員を役職につけるためには与党の時代にはなかった代行とか代理とか筆頭とかが頭に着いた役職を新しく作っていかなければならないわけです。

私は野党の時代もそう長くはないだろうから、ゆっくりと頭の整理でもしておきたいと考えていたのですが、案に相違して忙しい役職が回ってきてしまいました。

まず、シャドウ・キャビネットの厚生労働大臣です。年金、医療、介護から障害者福祉、雇用に至るまで自民党の政策をまとめる責任者ですから大変です。ただ本物の厚生労働大臣は、あの小宮山洋子ですから、やりがいはあるなと思っています。

震災復興に関する特命委員会の責任者である座長も引き続きやることになりました。私が作った自民党案が95%取り入れられた復興基本法は成立しましたが、民主党政権で遅れに遅れている復興の枠組み作りをこれから我々が知恵を出してやっていかなければなりません。

自民党の行政改革本部の本部長代理も引き受けざるをえなくなりました。これから公務員制度改革などが佳境に入る中でなかなか忙しそうな役職です。

野党の議員というものは、もう少し暇かと思っていましたが、還暦過ぎた体に鞭打ち頑張ります。



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