【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

平野達男・復興相の「それから」を応援しよう!

2011年07月06日 08時48分43秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

[写真]菅直人首相と平野達男復興相、2011年6月5日、首相官邸ホームページから。

 2011年7月5日、坊ちゃん議員らしく、スパッと辞任した松本龍さんに代わり、復興相(東日本大震災復興対策担当大臣)に平野達男さんが起用されました。順調な人事で、歓迎します。平野さんは、参院岩手選挙区(1人区)選出ながら、昨年6月の代表選で、小沢一郎氏が推した候補ではなく、副総理の菅候補に投票しており、「政権の重荷」「与党の責任」を知っている人だと思います。おとといのエントリーで、参院本会議でノー原稿で演説(討論)した議員を松本龍さんが「へーやるねえ」と感心したエピソードを書きましたが、このときノー原稿で、政権交代後最初の予算の賛成討論に1年生議員を起用したときの筆頭理事が平野さんでした。平野さんはノー原稿演説について、「憲政史上初だ!」と褒めたそうですが(実際にはノー原稿は野田佳彦さんらたびたびありますが)、人を見る目がある、頼れる“現場監督”です。

 このときの政権交代後最初の与党としての参・予算委で筆頭理事を平野さんが務めたのですが、与党でありながら、野次る議員が多く、残念でした。しかし、あるとき、野党の質問中に、最前列に座る平野筆頭理事が左手を高く挙げ、掌を後ろに向けて、「止め!」のジェスチャーをすると、委員会室がさっと静まったことがあります。そして、高く挙げた手をしっかりと伸ばしながらサッと前にやると、今度は野党の議員が、次の質問に進み、審議がスムーズに動き出した場面がありました。平野さんはヒトコトも発していませんから、議事録には残っていません。が、これが平野達男さんの正念(性根)場だったと思います。復興の陣頭指揮も同じようにとってもらいたいと考えます。一方、退任した松本龍さんについても、多くの人から「ああいう人ではない」「ストレスではないか?」という声が次々とあがっているようです。龍さんの面倒見が良いという人柄があらわれた格好で、こちらも「正念場」ということになります。イチイチ言葉がなくても、政治家というのはいろいろな人と交わるのが仕事ですから、性根は分かるものです。

 とにかく余裕がありませんから、力がある人の背中を押して、日本復興を進めていきましょう。

 そのなかで、6日付東京新聞3面に気になる記事がありました。ベタ見出し(見出しが1行)の記事で、「小沢元代表『受けるな』平野氏に」。平野復興相が菅首相から就任を要請された際、首相と対立関係にある元代表・小沢一郎さんに連絡したところ、「受けるな」と言われ、入閣を辞退するよう促されていたと民主党関係者が明らかにした、とする記事です。東京新聞は「具体的な会話の中身は明らかではない」とことわりながらも、小沢の圧力は奏功しなかったとしています。そして、「入閣が正式に決まった後、平野氏は小沢元代表へ伝えようと、再び連絡を試みたが、返答は得られなかったという」としています。このように、小沢氏が電話の取り次ぎに一切応じることがなくなることは今までにもたびたびありました。かつては、岩手3区の佐々木洋平衆院議員が一切連絡をもらえず、黄川田徹さんに公認候補者をさしかえられ、佐々木さんは無所属で出馬しましたが小選挙区ではとうてい及ばず、その後国政に戻ることはできませんでした。新進党時代に船田元さんも同じようなことをされたみたいです。これはまさに、小沢氏の性根です。何とか、地方の方、高齢の方、貧しい方にも小沢氏の性根を知ってもらいたいものですが、なかなか支持者は根強い物があり、世襲グループ(田中眞紀子氏、鳩山由紀夫氏ら)への親しみが底堅いようです。

 平野達男さんは次の2013年6・7月の第23回参院選で改選を迎えます。選挙制度改革があれば、岩手県選挙区は他の選挙区と合区(がっく)したり、東北ブロック大選挙区などになったりする可能性があります。仮に平野さんが岩手県選挙区1人区ということで、立候補すると、小沢グループの嫌がらせや、自民党(鈴木俊一県連会長)の追い上げを受ける可能性が出てきました。平野さんは次の選挙の時点ではまだ59歳ですから、年金をもらうまで時間があります。たとえば、全国比例に転出するにしても、自民党にはJA組織内の山田俊男さん、民主党には岩手県連(元県会議長)の藤原良信さんらと支持層が重なります。衆参ダブルになれば、衆院という選択肢もありますが、いずれにしろ、参議院の岩手を中心とする選挙区が軸になります。ぜひ、平野さんの故郷への思い、復興に資する、国に報じようとする意気込みを私たちは買おうではありませんか。復興相としての実績で、仮に岩手県内で小沢氏が妨害しても、しっかりと押し上げる。有権者の識見が問われます。

 こう思うと、まさに平野復興相は「平成の長井代助(ながい・だいすけ)」と思います。長井代助とは、漱石(夏目漱石)が明治42年に朝日新聞に連載した『それから』の主人公です。代助は義侠心からかつての恋人・三千代を友人に譲りますが、「自然の児(こ)になろう」と決心し、三千代に告白し、三千代はそれを受け入れます。そして、代助は、兄から「貴様は馬鹿だ」「おれも、もう逢わんから」と言われながらも、立ち上がり、「僕はちょっと職業を探してくる」と言い、真夏の炎天下に飛び出します。そして、飯田橋から電車に乗り、まっすぐに走り出した電車のなかで「ああ動く。世の中が動く」と言いました。そして、「代助は自分の頭が焼け尽きるまで電車に乗って行こうと決心した」という一文で『それから』は終わります。昭和60年の東映映画では松田優作さんが演じています。

 平野復興相の『それから』を応援したいし、また被災民の方々のなかにひょっとして、立ち上がれるのに立ち上がろうとしていない人がもしもいるのなら、どうか炎天下のなかでも代助のように立ち上がってほしい。東北の『それから』、日本の『それから』。一体となって、もう一度立ち上がるために。志のある人をしっかりと応援し、偽者の政治家(おもに世襲グループの一部)をしっかりと抑えつけましょう。

 一人一人の有権者にとっても「正念場」の夏、あなたの性根がみられています。



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