【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

【追記あり】菅直人総理、内閣総務官と面会のなぜ?

2011年05月07日 23時59分59秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

(このエントリーの初投稿日時は2011年5月8日午前1時半)

【追記 2011年5月12日(木) 午後5時半】

 このエントリーは、予想以上にけっこう反響を呼んでしまいました。ブログというのは、まったく読まれないとさみしいし、逆に反響がありすぎると手に負えない気持ちにもなります。まあ、あくまでも自分が書きたいなと思ったことを書いていくという基本方針で、受け止めていただきたく思います。いずれにしろ、第46回衆院選まで、特段の事情がないかぎりは、ブログは続けていこうと思います。

 5月10日午後5時50分からの首相記者会見は「原子力災害収束まで、首相としての歳費を返上する」というものでした。

 さて、5月10日の首相動静では、菅首相は、皇居で、両陛下に「内奏」(国政に関する報告)をしています。内奏はたいてい、30分ぐらいのことが多いのですが、今回の内奏は1時間半~2時間と長いものでした。あくまでも推測ですが、両陛下に、災害の現状報告と、政府・国会としての動き、とくに第1次補正予算について説明し、ご質問に答えたのだと考えます。もちろん、内奏を見たことはありませんが、国会審議と違って、他の閣僚や官僚の手助けをもらうわけにはいかないのでしょう。さらに、被害現況にしろ、予算にしろ「数字の多い内奏」になりますし、ご質問をいただいたさいに、どこに資料があるかも、さっと自分で見つけないといけないでしょう。とにもかくにも、菅さんとは言え、かなりプレッシャーを感じる公務となります。なので、休日の夜、公邸でリラックスしながら、内閣総務官を入れて、資料の確認などをしていたのだと思います。

 あくまでも推測ですが、ほぼそういうことになると考えます。すわ総辞職か、解散か、とお騒がせしましたが、あくまでも私の考えは「危機管理として、まずは最悪の事態を想定する」。ということで、「まあ、何もなくて良かった」ということでご容赦いただきたく存じます<(_ _)>

【追記おわり】

 ゴールデンウィークももうすぐ終わりですが、2011年5月7日(土)の菅直人総理の首相動静に興味深い人物が登場しています。

 午後6時26分から内閣官房の枝野、福山、瀧野正副官房長官に加えて、細野首相補佐官、そして原勝則内閣総務官が総理と会っています。この後、午後7時28分に「細野氏が出た」となっています。そして、午後7時42分に「滝野、原両氏が出た」となっています。その後、午後7時46分に「枝野、福山両氏が出た」となっています。

 こうなると、午後7時28分から午後7時42分までの14分間、首相公邸では、菅直人首相、枝野、福山正副官房長官と、瀧野欣弥官房副長官(事務、前総務事務次官、昭和46年自治省入省)に加えて、原勝則・内閣総務官(昭和54年厚生省入省)だけだったことになります。

 ちなみに、新聞の過去記事によると、菅首相が内閣総務官と会ったのは、民主党新代表に選ばれた直後、宿泊先のホテルで、2011年6月7日の午前9時55分から午前10時50分、それと翌8日の午前8時50分から昼頃まで宿泊先で会っています。このときは前任者の千代幹也・内閣総務官(当時、昭和51年運輸省入省)でした。そして、この日の午後6時から皇居で認証式を受けて、内閣総理大臣に就任しています。

 そして、その後の首相動静では、千代幹也→原勝則・内閣総務官が総理に会ったという報道はありません。もちろん会っているのに、分からなかったり、あるいは、首相動静は官僚は基本的に局長級以上の場合があるので、名前が出ていないのかもしれません。

 菅さんが総理に正式就任後に、内閣総務官と会ったという首相動静はこれが初めてのようです。

 内閣総務官は、天皇の国事行為の際に、首相官邸と皇居を行き来する仕事です。とくに最大の見せ場は、衆議院解散の詔書を天皇陛下からいただき、国会議事堂に行き、衆議院議長サロンで、内閣官房長官に手渡す、という一般職国家公務員としてとてもすごい晴れ舞台があります。内閣総務官(橋本行革前は、首席内閣参事官)の経験者には、羽毛田信吾・宮内庁長官、江利川毅・人事院総裁ら、厚労省など旧内務省系官僚のトップになるコースに乗った中堅幹部が起用される傾向があります。原さんは一つ経歴が異例で、彼は東大卒ではなく、私立大学である早稲田大学政治経済学部の卒業生です。

 下の画像は、前任者の千代内閣総務官が、2009年7月21日、解散の詔書をふくさに入れて、お盆に載せ、河村建夫・内閣官房長官を待っているところの、NHKニュースの映像からキャプチャさせていただいたものです。

 
[画像]千代幹也・内閣総務官(当時)。「日本国憲法第7条により衆議院を解散する」と書かれた詔書を携えている=2009年7月21日、衆議院内の議長サロン=NHK映像から。

 政局が動きやすい、ゴールデンウィーク明けを前に、菅直人首相が内閣総務官と会った理由は次のいくつかになります。

 一、近く内閣総辞職する。
 一、近く衆議院を解散する。
 一、仮に内閣不信任決議が衆議院で可決した場合の69条解散について説明を受けた。

 そして、もう一つとして、内閣総辞職や衆議院解散をちらつかせることで、党内を引き締め、野党をけん制する。そのいずれかです。

 とくに、仮に今、衆議院を解散した場合、同じく天皇の国事行為として第46回総選挙を公示した場合、比例東北ブロック全体が選挙事務(選挙人台帳の作製など)ができない可能性があります。この場合、当然、岩手県第4区でも選挙ができず、小沢一郎氏が立候補できない可能性があります。憲法判例では、憲法7条の「衆議院を解散すること」について、東京高裁は昭和29年9月22日に「憲法は、いかなる場合に解散をなし得るかについては何らの規定も設けておらず、政治的裁量にゆだねている」、最高裁は昭和35年6月8日に「国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為は」「裁判所の審査権の外にあり、その判断は主権者たる国民に対して政治的責任を負う政府、国会などの政治部門の判断に任され、最終的には国民の政治判断にゆだねられている」との判決・決定を出しています。興味のある人は、「統治行為論」、「苫米地訴訟」などのキーワードでグーグル検索してください。

 すなわち、東北ブロックが選挙事務ができない状態での解散は、合憲だと考えられます。

 私としては、菅直人一流の高等政治テクニックだと信じたいところです。それと、この後に、菅さんの親友である五十嵐敬喜・教授が3時間22分間、午後11時過ぎまで公邸で話しているのも気になるところです。それから、正副官房長官のうち、仙谷由人さんだけがいないのも、菅さんから仙谷さんへのけん制球なのかもしれません。まあ、これ以上、せんさくするのはやめておきましょう。

 まあ、エントリーにしようかどうか迷いましたが、あす以降、なんかあったら、「あっ書いてあったな」と思ってもらえるための、私なりの「危機管理」として、エントリーをアップしました。危機管理は最悪の出来事を想定して逆算するものです。

 私は菅内閣続投を支持します。前に進もう。

 あすはゴールデンウィーク最後の日曜日ですから、リラックスしましょう。

首相動静(5月7日) (時事通信) - Yahoo!ニュース



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