岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

『りゅうりゅんれんの物語』茨木のり子詩 沢知恵ピアノ語り  

2023-07-23 05:00:51 | 沢知恵さん

2023年7月22日、岡山市陰涼寺にてライブ演奏があった。

 

長編叙情詩「りゅうりゅんれんの物語」については、沢知恵さんのCDを聞くまで知らなかった。

岩波文庫『茨木のり子詩集』に掲載されている。

りゅうりゅんれんは、劉連仁。

中国山東省にて1944年9月に日本軍にさらわれた中国人。

さらわれた一行は、青島の港では800人となり日本の門司港に送られた。

強制的に労工協会の契約に指紋を押され、門司に着くと捕虜とされた。

6日間の門司までの船旅では船底に閉じ込められ人間扱いされなかった。

さらに門司からは200人が北海道まで運ばれた。

飛行場建設と言われたが実際は石炭堀りだった。

戦争末期になって日本では労働者が不足し大陸から大量の「人さらい」をしていたのだ。

りゅうりゅんれんたちの待遇は過酷を極め脱走する人も多かったが捕まって仕置きをうけた。

昔の遊郭でよくあった話。日本人の「人の扱いのひどさ」が容易に想像される。

りゅうりゅんれんはついに便所の取り入れ口から脱出した。彼の苦しみを想う。

どこか地続きで朝鮮半島に繋がっていると思った。

北海道が海に囲まれていることも知らなかった。

逃亡のすえに海岸に出ては阻まれ、稚内、釧路と漢字で書かれた看板を見た。

逃亡が無理なことが分かった。

人里離れた山の中に穴を掘り12年間に渡って生き延びた。

戦争が終わったことなど知らなかった。

これは横井さんや小野田さんの話を思い出す。

ともに発見され保護され母国に帰ることができた。

りゅうりゅんれんは14年ののち故郷の村に帰った。

家族が待ち構えていた。

当時、どれだけ報道されたか知らないが、このことを知ったのは21世紀になってから。

これが強制連行の実態だ。

沢知恵さんのピアノ弾き語りは80分もおよび、大交響曲並みだった。

迫真の演奏で場に居合わせた人々は現場にいるような感覚に襲われた。

「茨木のり子からバトンを渡され2006年から毎年一度は歌ってきた」と。

お見事!

私もやっとライブで聴くことができた。

CD案内はこちらからどうぞ。

今、関東大震災の福田村事件の映画化が話題になっているが、この事件を中川五郎が唄っている。

こちらから。

まだ、感想がまとまらないです。

 

お読みいただきありがとうございました。

ウクライナに平和を!

 

 

 



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