内的自己対話-川の畔のささめごと

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フランクル『夜と霧』一九八四年版に付加された一節について ― 収容所所長を匿った三人の若いハンガリー系ユダヤ人

2024-05-05 08:16:31 | 読游摘録

 フランクルの『夜と霧 新版』(みすず書房 二〇〇二年)の「訳者あとがき」で池田香代子は、霜山徳爾訳の旧版との「もっとも大きな違い」として、旧版には「ユダヤ」という言葉が一度も出てこないことを指摘している。確かに、池田氏が訳した一九七七年版には、「収容所監視者の心理」と題された節に「ユダヤ人」という言葉が二回同じ段落で使われているのに対して、霜山訳(一九五六年)が依拠している一九四七年版にはそもそもこの節がない。
 この節のなかに「ユダヤ人」という言葉が出てくる段落を以下に引用しよう。引用文中の「親衛隊員」とは、フランクルが解放時まで収容されていた強制収容所の所長のことである。解放後にわかったことだが、この所長は、ポケットマネーからかなりの額をこっそりと出して、被収容者たちのために近くの町の薬局から薬品を買ってこさせていた。引用文はその後日譚である。

解放後、ユダヤ人被収容者たちはこの親衛隊員をアメリカ軍からかばい、その指揮官に、この男の髪の毛一本たりともふれないという条件のもとでしか引き渡さない、と申し入れたのだ。アメリカ軍指揮官は公式に宣誓し、ユダヤ人被収容者は元収容所長を引き渡した。指揮官はこの親衛隊員をあらためて収容所長に任命し、親衛隊員はわたしたちの食糧を調達し、近在の村の人びとから衣類を集めてくれた。

 ところが、池田訳が依拠している一九七七年版よりも後の版、一九八四年および一九九二年版では、この後日譚が注にまわされ、そこでさらに詳細に語られている。それだけでなく、一九八四年版にはフランクル自身が創始したロゴセラピーの要点がまとめられた小論が巻末に付加されている。この小論は、一九六二年版に付加されたより短いロゴセラピー紹介を全面的にフランクル自身が改訂増補したものである。
 新訳の依頼を受けたとき、池田氏はこれらの版について当然知っていたはずである。とすれば、なぜ一九八四年版に依拠しなかったのだろうか。池田氏はその理由に言及していない。版権の問題があったのかも知れないし、ロゴセラピー小論訳出による頁数増を避けたいという出版社側の事情があったのかも知れないし、ロゴセラピー小論なしの初版本体の歴史的価値と自律性を重んじたからかも知れない。しかし、これらの理由は私の推測の域を一歩も出ない。
 それはともかく、一九八四年版の増補された後日譚の英訳を読んでみよう。ちなみに仏訳もまったく同内容である。

An interesting incident with reference to this SS commander is in regard to the attitude toward him of some of his Jewish prisoners. At the end of the war when the American troops liberated the prisoners from our camp, three young Hungarian Jews hid this commander in the Bavarian woods. Then they went to the commandant of the American Forces who was very eager to capture this SS commander and they said they would tell him where he was but only under certain conditions: the American commander must promise that absolutely no harm would come to this man. After a while, the American officer finally promised these young Jews that the SS commander when taken into captivity would be kept safe from harm. Not only did the American officer keep his promise but, as a matter of fact, the former SS commander of this concentration camp was in a sense restored to his command, for he supervised the collection of clothing among the nearby Bavarian villages, and its distribution to all of us who at that time still wore the clothes we had inherited from other inmates of Camp Auschwitz who were not as fortunate as we, having been sent to the gas chamber immediately upon their arrival at the railway station.
                             Viktor E. Frankl, Man’s Search for Meaning, Beacon Press, 2014.

 この所長とは対照的に、同じ収容所の被収容者の班長(つまり被収容者の中から選ばれた監視者)は、収容所の親衛隊員からなる監視者のだれよりも厳しかった。この班長は、時と所を問わず、また手段も選ばずに、手当たり次第に被収容者を殴った。
 新版の「収容所監視者の心理」の最後から三番目と二番目の段落をそのまま引用する。

 こうしたことから、わたしたちは学ぶのだ。この世にはふたつの人間の種族がいる、いや、ふたつの種族しかいない、まともな人間とまともではない人間と、ということを。このふたつの「種族」はどこにでもいる。どんな集団にも入りこみ、紛れこんでいる。まともな人間だけの集団も、まともではない人間だけの集団もない。したがって、どんな集団も「純血」ではない。監視者のなかにも、まともな人間はいたのだから。
 強制収容所の生活が人間の心の奥深いところにぽっかりと深淵を開いたことは疑いない。この深みにも人間らしさを見ることができたのは、驚くべきことだろうか。この人間らしさとは、あるがままの、善と悪の合金とも言うべきそれだ。あらゆる人間には、善と悪をわかつ亀裂が走っており、それはこの心の奥底にまでたっし、強制収容所があばいたこの深淵の底にもたっしていることが、はっきりと見て取れるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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