内的自己対話-川の畔のささめごと

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「冥きより冥き途にぞ入りぬべき」― 和泉式部歌についての一断想

2024-05-04 08:24:42 | 詩歌逍遥

くらきより くらき道にぞ いりぬべき はるかに照らせ 山の端の月

 この和泉式部の代表作は、『拾遺和歌集』巻第二十「哀傷」に雅致女式部の名で入集し、平安時代から名歌として知られる。『古本説話集』や『無名草子』は、罪障深い和泉式部がこの歌を詠むことで成仏したとする。『沙石集』など、他の説話集類も同歌にまつわる説話を伝える。鴨長明の『無名抄』にも式部の名歌のひとつとして言及されている。
 『拾遺和歌集』の詞書には、「性空上人のもとに、詠みて遣はしける」とある。『和泉式部集』の詞書は、「播磨の聖の御許に、結縁のために聞こえし」となっている。「播磨の聖」は性空上人のこと。性空上人は「播磨の書写山円教寺を創建した名僧。」(岩波文庫版注)「比叡山で天台教学を究め、日向・筑前の山で修行の後播磨の書写山に留まって、円教寺を創建した。」(岩波文庫版『和泉式部集・和泉式部続集』脚注)「花山院・円融院・藤原道長・公任らの尊信を受けたが、都へ上ることはなかったという。多くの女人が結縁を求めたという説話も伝えられている。」(新潮日本古典集成版頭注)「結縁」(けちえん)は、仏教語、「受戒・写経・法会などをして、仏道と縁を結ぶこと。未来に成仏する因縁を得ること」を意味する(三省堂『詳説古語辞典』)。
 上の句は、『法華経』化城喩品「従冥入於冥、永不聞仏名」(くらきよりくらきにいりて、ながくぶつみょうをきかず)を踏まえる。結句の「山の端の月」は性空上人を指し、下の句は「上人が導師となって、はるかに真如の世界へ導いて下さい、と願う意。」(岩波文庫版脚注)
 三省堂『詳説古語辞典』は同歌に「私は煩悩の闇から闇へと入り込んでしまいそうだ。はるか遠くまで私を照らしてほしい、山の端にかかる月よ」と訳を付している。角川『全訳古語辞典』は参考欄で、「「暗き」とは、煩悩をいい。「山の端の月」とは「真如の月」(=不変の真理)をさし、その体現者である上人をなぞらえているという。迷い多き自分の煩悩を、仏法の真理の力で取り払ってほしいと願うのである」と説明している。新潮日本古典集成版の現代語訳は、「私はいま闇の世界を冥府に向って進んでいるようです。どうかお上人様、はるか彼方からでも、あの山の端の月のように、私の足もとを照らす真如の光で、私をお導き下さいませ」。塚本邦雄は、『淸唱千首』(冨山房百科文庫)で、「調べの重く太くしかも痛切な響を、心の底まで傳へねばやまぬ趣。[…]女流にしては珍しい暗い情熱で、一首を貫いてゐるのは壯觀である」と評している。
 「くらき」をそのままひらがな表記する版もあるが、漢字をあてる場合は「暗」を採っている版が多い。手元にある『和泉式部集』の諸版では清水文雄校注の岩波文庫版(一九八三年)のみが「冥」をあてる。
 ただ、近藤みゆきも、『和泉式部日記』(角川ソフィア文庫、二〇〇三年)の補注37に同歌を引用するとき、「冥」をあて、さらに「みち」には「途」をあてている。その補注は、日記中の歌「山を出でて冥き途にぞたどりこし今ひとたびのあふことにより」のなかの「冥き途」に付されている。そのなかで近藤は、「「冥途」は本来、死者の霊魂が赴く地下世界をいうものだが、ここでは煩悩に満ちた俗界の意で用いている。また同じ語を用いた和泉式部の代表作「冥きより冥き途にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月」(拾遺集・哀傷・一三四二番)は、この前年の長保四年(一〇〇二)頃に詠まれたものである」と説明しており、この説明に依拠するならば、和泉式部において、「くらきみち」とは、いわゆる冥途のことではなく、煩悩尽きぬばかりか深まりゆくほかないこの世俗世界にほかならない。そこからの離脱は絶望的に困難である。そうであってこそ、救済願望も痛切を極める。
 なお、「冥き途」については、二〇一九年四月二八日の記事「和泉式部の「つれづれ」、あるいは存在の空虚と共振する言葉(三)」でも言及している。