竹内貴久雄の部屋

文化史家、書籍編集者、盤歴60年のレコードCD収集家・音楽評論家の著作アーカイヴ。ときおり日々の雑感・収集余話を掲載

ジャノーリのモーツァルト「ピアノのための変奏曲全集」(第3集)のためのライナーノート「後半」です。

2011年06月21日 10時40分01秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)


 以下は、昨日掲載分の続きです。合わせてお読みください。

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(ライナーノート、後半)


《演奏曲目について》

〔1〕モーツァルトのクラリネット五重奏曲(K. 581)の6つの変奏曲 イ長調K. 追加137
 前段の解説に「偽作説が濃厚」とある通り、モーツァルトの『クラリネット五重奏曲 K. 581』終楽章のピアノ独奏版といったものである。モーツァルトは、ウィーンでフリーランスの作曲家として生活を始めてしばらく経った1784年頃から、自分を売り込む材料にするためか、自作目録を几帳面に作成するようになった。完成した日付もほとんどに記載され、冒頭の4小節が添えられているというもので、モーツァルトの全作品を整理した最初の人物ケッヘルも、大いに参考にしている。そこに、このピアノ版の記載がなく、もちろん直筆譜も発見されていないので、モーツァルトの真作が疑われているものである。原曲の『五重奏曲』は、クラリネットの名手だった親友シュタドラーのために1789年9月29日に書き終えていることが、モーツァルト自身の記録にもある。

〔2〕アレグレットの主題による12の変奏曲 変ロ長調 K. 500
 ジャノーリの演奏が収録されたオリジナルLPの解説でも「モーツァルト自身の主題による~」と記されており、しばしばそのような表記を見かけるが、あくまでも「推定」であるようだ。わずか8小節という短く軽やかな舞曲風の主題が、てきぱきと多彩に変奏されていく練達の作品。1781年に始まったウィーンに定住してのフリーランス作曲家生活が、予約演奏会や家庭教師などの収入の道も順調に推移していた1786年に書かれている。

〔3〕パイジェッロの歌劇『哲学者気取り』の「主よ、幸いあれ」による6つの変奏曲 ヘ長調 K. 398 (416e)
 ジョバンニ・パイジェッロ(1740~1816)は、ロッシーニに先行するイタリアの歌劇作曲家。その新しい傾向の音楽によって、18世紀以降の音楽に大きな影響を残したことが評価されている。最盛期には、その人気はヨーロッパ全土のみならずロシア宮廷にまで伝わったと言われる。パイジェッロが書き上げた歌劇は90曲以上ある。
 この『哲学者気取り』と訳されたオペラは喜劇仕立てのもので、その中のアリアを主題に、1783年に行われた演奏会でモーツァルトが即興演奏したものをもとに、後に出版された作品。この時期、モーツァルトの人気は上がる一方で、演奏会は満員の盛況だったという。即興的な音型の上機嫌な変奏が繰り広げられるのも、そうしたことが背景なのだろう。モーツァルトの音楽の自在な魅力が横溢している。なお、ここに言う「哲学者気取り」のニュアンスは「占星術師」を意味している。哲学者も天文学者も数学者も祈祷師も錬金術師も占星術師も区別がなかった西洋の「中世」という時代を思い起こしていただきたい。

〔4〕デュポールのメヌエットの主題による9つの変奏曲 ニ長調 K. 573
 1789年の作品。この頃になると思惑と異なり、モーツァルトの生活は苦しくなる一方だったらしい。この年の春、安定した高額収入の道を模索して、ウィーンを旅立ち、ベルリンに向かった。その途上の都市ポツダムで、チェロ奏者でベルリンの宮廷音楽監督というジャン・ピエール・デュポール(1741~1818)に会ったモーツァルトは、この人物の作品を主題にして変奏曲を書き上げ、取り入ろうとした。モーツァルト自身の目録では「6つの変奏曲」となっているが、直筆譜が未発見で、後の出版譜が「9つの変奏曲」となっているため、追加の3曲がモーツァルト自身によるものか、それとも他人が書き加えたのかがわからない。しかも、追加部分がどの変奏かもわからないという、やっかいな作品である。最後に主題が再現されるという、構成感にあふれたまとまりを持っている。

〔5〕オランダの歌「ヴィレム・ヴァン・ナッサウ」による7つの変奏曲 ニ長調 K. 25
 ケッヘル番号が示す通り、モーツァルトが10歳の少年時代の作品である。父親に連れられてヨーロッパを西へと大旅行中のオランダで書かれている。当アルバム「第1集」に収録されたK. 24と同じ頃に書かれている。「ウィレム・ヴァン・ナッソウ」はオランダ王家の始祖の名。彼を称える歌として16世紀半ば過ぎから歌い継がれており、モーツァルト父子がオランダに立ち寄った頃、父親の書簡にも「国中の誰もが口ずさんでいる歌だ」と記されている。オランダ地域の愛唱歌として人々に長く親しまれ、紆余曲折の歴史を経て1932年にオランダの国歌に制定され現在に至っているのも、この旋律である。

〔6〕フランスの歌「美しいフランソワーズ」による12の変奏曲 変ホ長調 K. 353 (300f)
 これも「第1集」に収録されているK.265 の「きらきら星変奏曲」と1対になる作品。したがって、第1集の解説で触れたように、従来はパリで書かれたとされていたものが、最近の研究で、ウィーンに戻ってからの作品と考えられるようになっている。( )で改訂された新ケッヘル番号「300f」を併記したが、一方の「きらきら星」は、最近の新しいケッヘル番号では「300e」と直近に改められている。
 主題に選ばれた旋律は、この時代のパリの人々の間で流行していた歌で、おそらくモーツァルト自身がパリで聴いて覚えていた旋律だろう。誰のために書かれた変奏曲か判明していないが、1781年から1782年と推定されている作曲時期から見て、ウィーンの貴族の夫人か令嬢のピアノ教師としての実用に供するものと思われる。だが、ジャノーリが録音を行った時代には、「一連のパリ時代の作品のひとつ」と信じられていた。ジャノーリの3集にわたる「変奏曲全集」が、こうして「パリ趣味」を匂わせて終えているのは、制作者たちのそれなりのこだわりか、とも思う。
(2011. 5. 13 執筆)



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