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METライブビューイング2015-16第6作プッチーニ「トゥーランドット」を観て。(音盤派のオペラ鑑賞記)

2016年03月03日 17時04分05秒 | エッセイ(クラシック音楽)

 先日、東京・東銀座の東劇で、METライブビューイング2015-16の第6作、プッチーニの『トゥーランドット』を観てきた。1月30日にニューヨークのメトロポリタン歌劇場で上演されたばかりのものの収録で、キャスト、スタッフは以下のとおり。この半年ほど、縁あって『トゥーランドット』を映像で観る機会が重なっていたので、ことさらに思う事も多々あったので、それらをいくつかを書き連ねてみよう。

 

指揮:パオロ・カリニャーニ
演出:フランコ・ゼフィレッリ
振付:チン・チャン

 

トゥーランドット:ニーナ・ステンメ(ソプラノ)
カラフ:マルコ・ベルティ(テノール)
リュー:アニータ・ハーティッグ(ソプラノ)
ティムール:アレクサンダー・ツィムバリュク(バスバリトン)

 

 スタッフ一覧を見てお気づきの方も多いと思うが、これは、世界に冠たるメトロポリタン歌劇場が1987年から上演しているゼフィレッリ演出の伝統の舞台である。すでに過去に発売されたDVDで幾度も鑑賞している人も多い。実際、私が観た日にも、客席のあちらこちらで、その話が交わされているのが聞こえてきた。この演出の舞台装置の豪華さがよく話題になるが、私は、この演出の最大の成果は、チン・チャンの振付による「京劇」の舞台を思わせるような、あるいは、時として、中国曲舞団を思い出させるような舞踏場面的演出を、全体にふんだんに取り込んだことだと思っている。
 ゼフィレッリが残したこの演出のもうひとりの功労者である振付師チャン・チン氏が、今回のライブビューイングの幕間インタビューに登場したので、思わず見入ってしまった。もう70歳になったという彼女は、ゼフィレッリから突然依頼を受けたときのことを、淡々と語っていたが、その言葉の端ばしから、この二人が、ある芸術的必然で結ばれていたのだということが感じられた。ゼフィレッリにとって、あの第一幕の、途方もない大群集の大合唱の中から、リューとティムールが忽然と浮き出てくる瞬間を支える視覚的処理と音楽的処理を両立させるものとして、かつて観た中国の音楽劇の要素を取り入れる事は、絶対的な条件だったのだと思う。そして、有名な第2幕第2場の、まばゆいばかりの宮殿の場面。ライトが一斉に点いて大歓声が客席から漏れるお決まりの瞬間。これが、伝統的演出の、伝統たる所以である。

 

▲メトロポリタン初演の1987年から22年後、2009年のメト公演を収録したBD。指揮はネルソンスに代わっているが、基本の演出はゼフィレッリのもの。この演出が、レヴァイン指揮で残されている1987年映像から進化を遂げて、完成の域に達したことが伝わってくる舞台だ。

 

 だが、せっかくの伝統に水を差すようだが、もうそろそろメトも、この、ある意味で「完成された」ゼフィレッリ演出を超える手立てを考えなくてはならないだろう、と思ったのは、おそらく私だけではないだろう。

 数ヶ月前だったと思うが、NHK-BS放送の深夜枠で、2015年ブレゲンツ音楽祭の『トゥーランドット』を放送していたが、その演出、衣装、舞台上での人物の配置や動きを、新鮮な驚きを持って観た。たまたま、その数週間前だったと思うが、ズービン・メータが北京の「紫禁城」を舞台に見立てて行なったフィレンツェ五月音楽祭の引越し公演DVDを観る機会があったので、なおさらだった。ブレゲンツの「湖上舞台」での幻想的な上演の印象が消えないまま、その後、今度は、人に勧められて2001年ミラノ・スカラ座の『トゥーランドット』まで観てしまった。プレートル指揮、浅利慶太演出版だ。メータもプレートルどちらも、どうにも消化不良だったのは、音楽的にもさることながら、加えて演出のやりきれない陳腐さだ。浅利演出には、同じスカラ座での『蝶々夫人』の舞台のような潔い鋭さがなくて、何か中国的な要素への媚のごときものまで感じてしまった。その点、ブレゲンツの演出は中々のものだった。
 ある意味で、ゼフィレッリ演出は、不動のスタンダードという地位を得たのだと思う。だがそれは、いずれ、それを受け継いだ者たち自らが、乗り越えなければならないのだ。数年後のメトでの『トゥーランドット』新演出の登場を期待しよう。

       *

 ――と、演出のこと、舞台のことはさておき、今期のメトの『トゥーランドット』の音楽上のことについて。
 今期メト版『トゥーランドット』の最良の収穫は、なんといっても二人のソプラノの素晴らしさだ。まず、アニータ・ハーティッグのリュー。これは、ほんとに美しく儚[はかな]げな魅力があふれ出ていた。一途さがいたいたしいほどのか細い顔から、芯のある伸びのある声でメトの大合唱から抜け出てくる。そして、「お聞きください、王子様」の名唱――。圧巻は第三幕、リューの死に至る「氷のような姫君の心も」だ。思えば、稀代のオペラ作家プッチーニもまた、この名旋律を書いたところで息絶えたのだと思った瞬間、不覚にも涙腺が緩んでしまった。これまでに私が見、聴いた最も美しいリューの歌声だ。これだけでも、今年度の『トゥーランドット』は価値がある。
 そして、ニーナ・ステンメのトゥーランドット姫。このワーグナー作品で何度か聴いたソプラノは、この姫役に、新たな魅力をかもし出した。もともと、プッチーニの革新的な作品の極めて個性的な役柄であるこの役には、イタリアオペラにはめずらしく、ドラマチックなワーグナー歌手が合うとしばしば言われるが、今回のステンメは、それだけにとどまらず、終盤では、氷のような心の溶け出した後の屈折した心情の裏に隠れた乙女の恥じらいをも、表現し得ていた。この落差は、プッチーニが書いた音楽上の書法にも合致している。演技としての表情やしぐさだけでなく、第2幕と第3幕との音楽的な大きな違いが、くっきりと歌い分けられているのだ。
 これほどの二人の歌唱だからこそ、惜しいのがカリニャーニの指揮する全体のサウンドの平板さだ。じつは、このところヨーロッパ各地の歌劇場にしばしば登場しているというこの人、先に触れたブレゲンツ音楽祭の公演でも、ウィーン交響楽団とプラハ歌劇場合唱団を振っている。その時から感じていたことだが、カリニャーニの指揮には、いかにもイタリアオペラといった押し出しの良さはあるが、こまやかさが欠けている。分厚い絵の具を塗りたくったような響きで絢爛たる音の洪水となっているのだが、それらが細心の注意深さできめ細かく配置されている様子が、丁寧に扱われていないのだ。
 こうしたアプローチならば、音盤派の私としては、1955年録音のアルベルト・エレーデ指揮サンタ・チェチーリア音楽院管弦楽団盤(英デッカ=ロンドン)を越えたものはない、と思っている。エレーデのメロディアスなオーケストラ・コントロールは超一流だし、何しろリヒャルト・シュトラウスの『サロメ』『エレクトラ』で名高いインゲ・ボルクのトゥーランドットにテバルディのリュー。とにかくよく通る声のデル・モナコのカラフと、歌手陣にも文句がないという決定盤である。

 

 ←エレーデ盤


 これを「いや、ちょっと待てよ」と思わせてくれたのが1981年のカラヤン盤だ。そして、その方向に向かって決定的に、このプッチーニ最後のオペラのイメージを修正させられたのが、マゼール指揮の1983年~84年シーズンのウィーン国立歌劇場プレミエ公演の記録である。これはCDもLD(その後DVD)も発売された。


 ←カラヤン盤

 ←マゼール盤

 

 マゼール盤の凄さは、プッチーニの『トゥーランドット』が、まぎれもない20世紀の作品であることを実感できるところにある。この作品が生まれた1924年、日本は大正から昭和に変わる時期。既に第一次世界大戦は収束し、翌1925年にドイツではアルバン・ベルクの革新的なオペラ『ヴォツェック』が初演される。プッチーニはこうした時代の流れの中、先行するワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の和声に刺激を受け、更に、ドビュッシーの『ペレアスとメリザンド』の書法に嫉妬していたと言われている。そうした、かつての時代のイタリアオペラの限界を感じながら一作一作を慎重に書き続けていたプッチーニが、最後に目指した新しいサウンド実験が随所に刻まれていることを、マゼールの棒はつぶさに引き出している。これは、マゼール盤と同じくエヴァ・マルトンがタイトルロールを歌ったレヴァイン指揮の1987年メト盤DVDでは、やはり食い足りない。
 せっかく、ニーナ・ステンメとアニータ・ハーティッグという逸材を組み合わせて起用し成功しているメトなのだから、今度はもっと才能ある若い指揮者と演出家を大抜擢して、新しい世界を見せてくれることを期待している。

 

  

 

▲1987年にメトロポリタン歌劇場で行なわれたレヴァイン指揮によるぜフィレッリ演出のDVD。同演出初登場の年の公演。今年の公演は、2009年版に限りなく近く、この演出バージョンが年月を重ねて進化したのだということが実感できる。

 

【付記】(2016.3.23)

ハーティッグに夢中になったあまりに、マゼール盤でのリュー役のリチャレッリのことをないがしろにしてしまった。彼女のリューは、映像を離れて声を聴くだけでも、その儚げな美しさが伝わってくる名唱。か細い声の使い方が、とにかくうまい!彼女をその2年前の録音でトゥーランドット役に起用しているカラヤンは、間違っている! 何を考えていたのか、と思ってしまう。エヴァ・マルトンのタイトルロールと言い、配役は、完全にマゼールの勝ち!

 

 

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