なかなか興味深いサイトを見つけた。
■「おまえも空気の奴隷になれ」って?「空気読め」の扱い方次第で人生台無し
この中に書いてある内容を読んでいて、少し前に某試験を受けるために読んだ論理学の参考書のあとがきを思い出した。そこにはこのように書いてあった・・・
「最後に一つ忠告です。この本でトレーニングした論理の力を、奥さんや家族や友人に対してむやみに使ってはいけません。ほとんどの場合に人間関係に摩擦を生じます。人間は論理のみで生きているのではないのです。」
****サイトの引用****
だから、人々の間で複雑に絡み合う感情と利害の構造を読み取り、それを調整し、組み立ててやることでしか、相手は納得しないのだ。
そもそもの間違いは、どこから来ているのか?それは、人間の本質が「論理の機械」であることを前提としていることから来ている。論理的な正しさというのは、利害と感情の構造を組み立てるときの、脇役であって、それを中心に据えてしまうのは、本末転倒意味不明である。家来が殿様の席に、どっかりと腰を下ろしているようなものだ。
論理的に正しければ、相手は納得するのか?そうじゃないだろう?感情と利害の構造をうまく調整することによってのみ、人間は納得するのであり、論理的に正しいから納得するというのは、あくまで、感情と利害の調整が終わったあとの話である。完全に優先順位が間違っている。土台を作らずに家を建てようとしているようなものだ。論理は、あくまで、利害と感情の構造を組み立てるための道具でしかないのだ。要するに、人間が生きる理由、人間が働く理由、いや、人間の利害と感情に関わる一切の行為の理由は、論理的な正しさなどからは生じない。一切は、利害と感情の構造から生じているのである。
****終わり*****
確かに。。。
また、このエントリーもなかなか面白い。
子供の「どうして勉強しなきゃいけないの?」→ 勉強することの具体的で直接的で切実なメリットを説明
■「おまえも空気の奴隷になれ」って?「空気読め」の扱い方次第で人生台無し
この中に書いてある内容を読んでいて、少し前に某試験を受けるために読んだ論理学の参考書のあとがきを思い出した。そこにはこのように書いてあった・・・
「最後に一つ忠告です。この本でトレーニングした論理の力を、奥さんや家族や友人に対してむやみに使ってはいけません。ほとんどの場合に人間関係に摩擦を生じます。人間は論理のみで生きているのではないのです。」
****サイトの引用****
だから、人々の間で複雑に絡み合う感情と利害の構造を読み取り、それを調整し、組み立ててやることでしか、相手は納得しないのだ。
そもそもの間違いは、どこから来ているのか?それは、人間の本質が「論理の機械」であることを前提としていることから来ている。論理的な正しさというのは、利害と感情の構造を組み立てるときの、脇役であって、それを中心に据えてしまうのは、本末転倒意味不明である。家来が殿様の席に、どっかりと腰を下ろしているようなものだ。
論理的に正しければ、相手は納得するのか?そうじゃないだろう?感情と利害の構造をうまく調整することによってのみ、人間は納得するのであり、論理的に正しいから納得するというのは、あくまで、感情と利害の調整が終わったあとの話である。完全に優先順位が間違っている。土台を作らずに家を建てようとしているようなものだ。論理は、あくまで、利害と感情の構造を組み立てるための道具でしかないのだ。要するに、人間が生きる理由、人間が働く理由、いや、人間の利害と感情に関わる一切の行為の理由は、論理的な正しさなどからは生じない。一切は、利害と感情の構造から生じているのである。
****終わり*****
確かに。。。
また、このエントリーもなかなか面白い。
子供の「どうして勉強しなきゃいけないの?」→ 勉強することの具体的で直接的で切実なメリットを説明