ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

兼題は〝稲刈〟でした!

2021年09月27日 | 俳句

 今日はふれあいセンターの使用が許可されましたので、久し振りのラジオ体操でした。何だか随分遠ざかっていたので、身体が重たい!でももうそれほど暑くはありませんので、少しは身体を動かして却って気持がいいくらいだったかしら。

 午後からは俳句教室、これも久し振り。これで多少は脳も疲れたでしょう。だったら今日は心身ともに快い疲労で、きっとぐっすり眠れるに違いないわ!ああ、いやいやまだ寝るわけにはいかないんだった。実は明日も俳句教室なんですよ。(>o<)

 ところで、今日の兼題は〝稲刈〟、中秋の季語です。会場へ行く途中にももう稲刈りが済んでいるところとまだの所がありました。先日の台風のせいでしょうか。稲が倒れているところもたくさん見かけましたが、そんな句も出ていましたね。〈倒伏の稲を難なく稲刈り機〉という句。

 さて、この句の〈倒伏〉という言葉…そんな語があるんですかという質問が出ていましたが、広辞苑にあります。〝とうふく〟と読んで、〝稲・麦・樹木などが台風や肥料のやりすぎで倒れること〟と。だから間違いではありません。

 しかし、俳句に用いる語としては似合わないでしょう。耳で聞いたらこれはどういう意味?と思ってしまいますもの。それでは損をします。ここでは〝倒れ伏す〟といえば、聞いても見ても一読明快でしょう。

 更に〝稲〟という語が重なっているのもクドいです。そこで、この句は〈倒れ伏す稲も難なくコンバイン〉と添削。

 最近の稲刈機はスゴいんですよと、それからはワイワイとコンバイン談義。だってここは宇部の米どころ…酒藏もあって酒米を作っていますからね。

 ちなみに、〈稲刈り機〉は稲刈機と書きましょう。この送り仮名を付けるか付けないかというのは、ある意味大事なことなんですよ。歳時記の例句を見ると付いていたりいなかったりと、どちらでもいいようですが、わが結社では原則的に区別しています。要するに動詞の時には付けるが、名詞には付けないと。しかし、名詞でも送り仮名がないといけないのもありますから、そこのところは臨機応変によく吟味してから使ってくださいね。

 実は今日の句に、〈刈終り遠目に赤き道祖神〉というのが出ていました。皆さんならこの句どう思いますか。これを採っていた人が4人もいましたが、それも中堅どころがですよ。先ず〈刈終り〉は、やはり〝刈り終り〟でないといけないでしょう。しかしそれよりもっと大事なことを見落としているんですね。私が〝季語は?〟と聞くと、〝刈終りです〟と自信たっぷりに作者。〝じゃあ何を刈り終るの?〟〝そりゃあもちろん稲ですよ!〟と…そこで、やっと気がついたようで、〝刈るだけでは稲とは限りませんね…〟と。

 これこそ盲点ですね。作った人もそうですが、採った人も。兼題が稲刈りだからという色眼鏡を掛けて見てしまったんです。こういう時は「田刈」や「刈り終へし田」とか、〝田〟を入れれば稲と言わなくても通じます。

 ついでに、先ほどの送り仮名の問題を、私が選をしています「あしかび抄」の句について先月書いていますので、それを見てみましょうか。それは、〈梅雨の晴れ河原の風の透き通る〉という句…

 〈梅雨の晴れ〉は、「梅雨晴れ」という名詞か、〝梅雨が晴れて〟の意味か。名詞の時は送り仮名を付けなければいい。例えば「や」などの切字があれば間違えないが、どっちにもとれる場合は要注意。動詞なら「梅雨晴れて」とかにすればいいだろう。

 これでお分かりでしょうか。こういう問題が起り得るので、名詞には送り仮名は付けないというポイントを知っておけば、お互いに悩まずに済みます。だからといってこれはあくまでも原則ですからね。100%ということではありませんのでご了解を。

 もう一つ、とても珍しい句が出ていましたので、ご紹介しましょう。それは〈手間換への稲刈の昼わりご飯〉という句。意味が分からなかったからか、採った人は1人しかいませんでした。ここの〈手間換へ〉(てまがえ)というのは労働を交換し合うことで、昔の田舎では農作業の大変なときにはお互いに助け合うというしきたりがあったんだと。一種の結いのようなものですね。それで昼時にみんなでわりご飯を食べているという景です。作者は昔を思い出して詠んだんだと。そう言われると景が見えてきていい句だと分かりました…などと後から言っていましたが。アレッ、今度は〝わりご飯〟が分からないって?そりゃあ…それこそ自分で辞書を引くことです。

 俳句をする以上は、やはり何でも知っているに越したことはありませんからね。それでは皆さん、さあもっともっと勉強しましょう…ネッ。(^▽^)

 ついでながらこの句、昔ながらの農村の人情がわりごの飯という具象に感じられてとてもいいのですが、リズムがちょっと苦しい…。そこで〈手間換への田刈や昼のわりご飯〉と直しました。

 きょうの写真は、我家の庭の椅子。風に乗って、そこへやって来たのは柿紅葉のお客さんでした。もう間違いなく秋ですね!

 

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〝荻(おぎ)のこゑ〟にも生かされて!

2021年09月25日 | 俳句

 もう9月も後5日、早いですね。今日の最高気温は27度と、外に出ると風がとっても爽やかで、果物も美味しいし、久し振りに秋を満喫しました!でも、我家の無花果は終ったし、柿は今年は不作で殆ど生っていません。ああ、栗を友人に頂いて…梨も買いました。それにバナナにプラムも…シアワセ!

 しかし、このところ俳句教室や句会がなく、俳句大会までなくなって、一番忙しいはずだった9月が一番暇な月になってしまいました。ある意味確かに追いまくられていた気持ちは楽にはなった気がしますが、その分気も抜けて…

 これは余りいいことではありませんよ。こういう状態が続くと何もかもが億劫になってやる気が起らなくなりますもの。もういい加減にこのような状況から脱出しなくては…、ファイト!

 ちょうどいいことに、宇部市…いや山口県はどこもでしょうが、やっと来週から公共施設の閉鎖が解除されて、自由に使えるようになりました。よかった!もう少しでボケかかるところでしたよ。(笑)

 ところで、この頃になると私には思い出す句があるんです。

  生かされて生くると知れり荻のこゑ

 私の句集『風聲』(ふうせい)に収めた、平成5年の作です。以前にも書いたことがあるかも知れませんが、季語は「荻のこゑ」で、初秋。荻の葉に吹く風の音のことです。荻は芒(すすき)によく似ていますが、湿地に群生するイネ科の大形多年草で、高さ1~2メートルになります。古来この荻のことを「風聞草」(かぜききぐさ)とも呼んで、歌に詠み特別の感興を覚えていたようです。

 それは、オギの語源が神や霊魂を招く意味の「招ぐ」(おぐ)から来ているといわれ、荻の歌にも招代(おぎしろ)として詠まれているものがあるということ。写真はお借りしました。ゴメンナサイ!

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 この上掲の私の句…今読み返しても何ともクサイ句ですよね。普通こんな句を誰かが詠んでいたら、私だって〝止めなさい!こんな箴言のようなクサイフレーズは…〟というでしょうね。なのにその時はこの句をみんながいいと、先生も採って下さったんです。

 その時の私はまだ駆け出しですから、俳句の何も分ってはいませんでした。

 実は平成5年の9月…私はC型肝炎のインターフェロン治療中でした。夏休みを利用し9月一杯の有給を貰って、10月から復帰という手筈で。初期のインターフェロン注射というのは1週間に1日おきで3本、それを6ヶ月間続けるという治療でした。今でこそ飲み薬だけで治療できるようになって楽になっていますが、初期の辛さは経験済みの方ならきっとお分かりになるでしょう。また医療従事者の方ならもっとよくご存じに違いありません。

 この薬には鬱病を発症させるという副作用があると言うことは、聞いてはいましたが、その頃は鬱病というものを私は全く知らず、先生も〝あなたは大丈夫でしょう〟と仰っていましたので、フウ~ン、そうなんだと、深く考えてもみませんでした。とにかく、治療中の発熱と倦怠感…というより自分の身体ではない、まるで鉛のような感覚、動かそうと思っても自分の意思が伝わらない身体…どうなってるのよ?テレビを見ようという気も起らないし、あれだけ好きだった相撲を見てももうどうでもいい…感動というより感情そのものが失せていくようで…。私って何?なんで生きてるの?というそんなことばかり。

 自分がどんどん壊れていってるという感じだけでした。それを主人に説明することも面倒で、もうどうでもいいと…でも、無性に涙だけは流していたような気がします。それが何故なのかではなく、ただ涙腺が緩んでしまったという感覚かな。

 自分で車を運転して週3回注射を打ちに病院に通っていました。途中このまま谷に突っ込んだら死ぬかも、でもそれでもいいかなあなんて…全く死への恐怖がなくて、そんな不穏なことを考えていたような気がします。そんなある日のこと、カーラジオから流れてきた…詳しくはもう忘れましたが、確か11時頃に始まる朗読の時間があったんです。そのとき流れていたのが癌に冒されてもうダメだという人の、最後まで生きようとして書き残した手記だったような。それを何気なく聞いているうちに、もう涙が溢れてきて…。〝自分は一人じゃない!みんなが心配してくれて、それで生きている、いや生かされてきたんだ…〟という思いが、心に突き上げて来たんです。その時荻が風に揺れながら、まるでガンバレと囁いてくれているように目に映りました。だから頑張らなくてはいけない…みんなを悲しませてはいけないんだと…。

 確かその朗読されていた本を、家に帰る途中すぐに本屋へ買いに行って読みました。その本は探せばまだどこかにあるとは思うんですが…、もう25年以上も前のことですからね。

 その後、そんな私の様子をたまたま同じ治療を受けたことがある同僚の先生が気がついてくれて、主人や先生などに言ってくれました。すぐにインターフェロン注射をを止め、鬱病の治療を1ヶ月ほどしたんです。それからまたインターフェロンを再開。でもその時は母が健在で、心配して1ヶ月ほど来てくれていましたので、何とか学校に復帰出来ました。でも、注射が終るまでの…その間の苦しみは忘れられません。その後また2回目のインターフェロン治療。その次はキョウミノCの点滴を毎日授業が済んだ後に半年間も。最後の3回目は薬と併用のインターフェロン治療。まあ、仕事をしながらの治療でしたからいろいろなことがあって、言葉では言い尽くせません。そうしてたくさんの人に助けられながらも最後のが効果があって現在に至っています。

 病気知らずと言われたのは結婚するまでの20数年間。それから出産して以後の私は病気漬けで…確かにみんなに〝生かされて…〟、今があるのです。

 だからこの句を見るたびすぐにあの時を思い出します。この句は類想があるとかなんとか、人はいろいろ言うでしょうが、それはそれで構いません。しかし、私にとってはあの時涙を流したその実感を詠んだことは間違いのない事実なんです。俳句とはそういう実感から生まれてくるものではと思っています。即ち、良いも悪いも私の俳句への開眼の原点はこれだったんですから。

 一度はきちんと書き残しておきたいことでしたので、ここまで読んでくださった方々、ありがとうございました。それから全てに感謝です。

 写真は、黄色の彼岸花、リコリスです。白、赤に遅れてやっと咲き始めました。それぞれの色で花言葉があるそうで、この黄色いリコリスの花言葉は、「悲しい思い出」「元気な心」「深い思いやりの心」「陽気」「追想」などがあるそうです。 「悲しい思い出」というのは、もともとリコリスは墓地によく植えられていたからという説がありますが、亡くなった人を偲ぶ心は、やはり悲しげなものでしょう。今日のテーマに相応しかったかしら?

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今日は〝良夜〟ですよ!

2021年09月21日 | 俳句

 今日は〝中秋の名月〟、それも満月と重なるという、正真正銘の〝名月〟です。

 出先から夕方買い物をして帰る途中…ちょうど19時過ぎ、確かお昼に見た天気予報では午後は曇後雨と。今はこんなにいい天気なのに、じゃあ今夜はお月様はダメかしら?と思いながら、家に着くとナント赤い月の登るところがみえるじゃありませんか!ヤッターです。

 スマホではこの程度しかよう撮りませんが、まあなんとか…〝名月〟です。夕食の準備をして、冷凍の枝豆をチンし…今日は久し振りに日本酒で一杯。

 〝中秋の名月〟に相応しく、「大吟醸 賀茂鶴」ですよ。(笑) 主人はビールの方がいいと…2人でお月様に乾杯!

 〝中秋の名月〟は、陰暦八月十五日の月で、季語としてはいろんな言い方があります。「今日の月」もその一つで、それで詠まれた〈月幾世照らせし鴟尾(しび)に今日の月〉という秋櫻子先生の有名な句があるのですが、以前に書いたことがあるような…。そこで今日は「良夜」という季語、これも名月の夜のことなんですが、この季語で詠まれた秋櫻子先生の句の解説が興味深かったので、今回はそちらの方を紹介しますね。(『秋櫻子俳句365日』より)

  門とぢて良夜の石と我は居り

 戦争が終った夜、人々が集うこともままならぬまま、名月、十六夜、立待、居待、寝待と毎夜趣の違った月を詠んでみようと、思い立った。床に野口謙蔵の「湖山秋来図」を掛け、卓に富本憲吉の竹林月夜の染付の香炉を置いて、心の準備が整った。

 自分を追いつめての修業である。

 名月の晩、出先から戻ると、門の閂をさした後、庭に椅子を持ち出して、句を案じた。月は、庭の樅の梢の上に照り輝いていたかと思うと、雲に隠れるということの繰り返しであった。いつもは少し煩わしいと思っていた二十余りの石が、この夜の月の光の具合では、感じが薄らいで、木の影よりも石の影の方が面白く好ましかった。

 お茶が淹ったと呼ばれるまで、そこに坐っていたのだった。(昭和20年作・句集『重陽』所収)

 これを書き終えて、私も少し秋櫻子先生にあやかろうかしらと、庭へ出てみると…夕方はあれほど綺麗に見えていた月が、全く見えない!おまけに今にも雨が降り出しそうな気配…椅子に坐るどころの騒ぎではありません。早々に退散です。まあ…私なんですからこんなものでしょうけど。(笑)

 でも、〝自分を追いつめての修業…〟ということば、耳に痛いですね。大先生でさえここまでして俳句に立ち向われたということですもの。凡人ならもっともっと〝修業〟しなくては…ネッ、皆さん。頑張りましょう。

 ついでにいうと、枝豆は「月見豆」といって、秋の季語なんですよ。でもこれは旧暦の十三夜の月に供えるからなんですけどね。

  枝豆を喰へば雨月の情あり   高浜虚子

 写真の1枚目は、今日の夕方スーパーの駐車場から、次の2枚は、家に着いて月が出た19時頃、最後の1枚が食事前の19時45分。いつものことながらボケボケですが、一応証拠写真として…許して下さいね。ここまではよかったんですよ。この後一杯飲んでちょっといい気分になって、さあ月は…と、22時過ぎに外へ出てみるともうダメ。ウウ~ン、残念!せっかく1句詠もうと思ったのに…ハハッ、ウソですよ。(^▽^)

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〝敬老の日〟と〝老人の日〟

2021年09月20日 | 俳句

 今日は9月20日、〝敬老の日〟です。以前は9月15日だったのが、平成15年(2003)、ハッピーマンディー制度により現在のようになりました。

  毎日が老人の日の飯こぼす  清水基吉

 この句の作者・清水基吉を、私は名前だけしか知りませんでしたが、なんとわが馬酔木の大先輩だったんですね。

 簡単に紹介しますと、昭和16年(1941)、句誌「鶴」の主宰、石田波郷の門に入り、昭和23年(1948)30歳のとき、「馬酔木」へ復帰した石田波郷に従い、その同人となったんだそうです。小説家でもあり、『雁立』が昭和19年の下半期芥川賞を得たほど。それで「馬酔木」へは俳句や小説を投稿し続け、昭和33年(1958)40歳から、句誌「日矢」を主宰したのだと。

 ところで、『増殖する俳句歳時記』で、この句についての面白いことを知りました。次のように…

日は「敬老の日」だが、「老人の日」でもある。前者は国民の祝日、こちらは第三月曜日と法律で決まっている。「老人の日」はその前の祝日であったが、この日を移動祝日化するにあたって「移動」に全国の老人クラブなどの反対の声が高かったため、時の政府は苦肉の策として2001年(平成13年)の祝日法改正の際、同時に「老人福祉法」も改正し、2003年(平成15年)から国民の祝日である「敬老の日」を9月第3月曜日に変更するかわりに、2002年(平成14年)から9月15日を祝日ではない「老人の日」、9月15日~21日の1週間を「老人週間」として、法律で定めることにしたのだった。「敬老の日」と「老人の日」とでは、大きく意味が異なる。句のように「老人の日」の主体は「老人」であるが、「敬老の日」のそれは老人には満たない年代の人々である。「飯こぼす」はよく見かける光景だが、当人は決してぼんやりしていたりするからではなく、注意はしていても止むを得ず「こぼす」結果になることを恥辱だとも思い、自身への怒りでもあるところが、なんとも切なくて辛い。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)

 「敬老の日」と「老人の日」は違う日だったんですね。私はてっきり同じだと…。そこまで考えていませんでした。ちなみに「としよりの日」は昭和25年に開始され昭和40年までの9月15日のこと。昭和41年から平成14年までの9月15日は国民の祝日としての「敬老の日」、平成15年からは9月の第3月曜日に変り、9月15日は「老人の日」なんですね。ナンとややこしいこと!これで間違ってないかしら…おかしかったらゴメンナサイ!

 この「敬老の日」は、宇部市では地域の自治会から招待されて、演芸を見たり籤を引いたり、お弁当が出たりと、何らかのイベントが催されます。でもコロナ禍により昨年同様全てが中止となりました。これは恐らくここだけのことではなく、日本全国同じ様なものではと思っていますが、いかがですか。

 こんな小さな楽しみでもなくなれば、淋しいもの。特に出掛ける機会のない高齢者ではせっかくの楽しみなのにそれがなくなって、我家のおばあちゃんも元気がありません。地域の馴染の方々や編み物サークルなどに行って、お喋りするのが何よりの元気の元でしたのに。家族だけでは限界があります。引き籠りになってお年寄りがどれだけ元気をなくしたことか…。この〝敬老の日〟を考えるよい機会にして、老人にとって何が一番いいのかを、今度総裁になられる方は是非考えて下さいよね。お願いします!

 何かちょっとしたものを貰っても…そういえば、宇部市では市長さんから、イベントなど何も出来ないからといって、高齢者一人につき500円のお買い物券を頂きましたよ。もう嬉しくって、雀の涙がちょちょぎれる~です。(笑)

 他の所ではいかがでしたか?似たり寄ったりかしら。このところ高齢者の数も益々増えているんだから、まあそんなものでしょうかね。

 ところで、1年前の今日のブログ記事がメールで届きました。〝驚き桃の木山椒の木〟のタイトルで「帯状疱疹」のことを書いていました。よろしかったら読んでみて下さい。

OGPイメージ

驚き桃の木山椒の木! - ちわきの俳句の部屋

今日の朝のナント涼しいこと、最高気温も26度。昨日も気持よく晴れて、28度まで…。こんなに違うんですね。やっぱり〝暑さ寒さも彼...

驚き桃の木山椒の木! - ちわきの俳句の部屋

 

 実は以前に主人がこの帯状疱疹に罹った話も書きました。その後遺症の恐ろしさを…。6月13日のぶろぐ、「ついでにもう一つ…〝コワイ話〟を!」に書いています。

https://blog.goo.ne.jp/kanekuti3515/preview20?eid=0f2183ca080fdd075d3da9090429e90d&t=1632137275631

 その後治ったと思っていましたら、また視界がぼやけておかしいのですぐに眼下へ行ったんです。そうしたらやはり帯状疱疹の後遺症だと。

 最近は何も言わないので、もうナンともないのと先ほど聞いてみましたら、生活に困るほどではないが、まだ以前のようには治っていないんだと。ほら、コワいでしょう。帯状疱疹後神経痛になった人もなかなか治らずに困っているようですし、とにかく罹ったかもと思ったら迷わずにすぐ病院へ行くことですよ。これは脅しでも何でもなく、経験者からの情報ですからね。〝信ずる者は救われる〟です!

 去年の写真も白の〝彼岸花〟でした。たくさんの方々が立派な写真を載せておられるので、珍しくもナンともないでしょうが、やっぱり時期ですので我家のも見て下さいね。紅白で、白の方が早く咲き、3、4日遅れて赤です。黄色はまだ出ていません。今年はもう出ないのかな…

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台風一過?いや、今日は〝子規忌〟ですよ!

2021年09月19日 | 俳句

 台風14号は昨日のうち温帯低気圧に変り、今日19日(日)は、高気圧に覆われて全国的に秋晴れの所が多いと。関東から九州では真夏日になる所もあるとか。

 しかし、昨日は東日本太平洋側で19日(日)午前中にかけて大雨となる所があるなどと報道していましたし、7月初めに起った熱海の土石流災害がまだ目に生々しく残っていましたので、何もなければと祈っていました。しかし、今朝のニュースでは土砂災害や河川の氾濫など、災害のニュースが流れていませんでしたので、ホッ!です。

 宇部市では一昨日午後4時半ごろに21.1メートルの最大瞬間風速を観測したらしいのですが、家の中に籠りっきりで…私は気づかず。夜も早めに寝て、昨日朝外を見ると植木鉢がいくつか転がり、柿の枝が折れてあちらこちらに散乱している程度。まあ、山口県も被害ニュースがありませんでしたので、今回の14号は無事に終ったと、よかったです。

 昨日は第3土曜日ですので、本当なら〝きらら俳句教室〟と午後から宇部馬酔木句会があった日。一昨日のK教室も中止になっていますし、9月25日(土)防府で開催の俳人協会県支部俳句大会も、昨年に続き中止になりました。27日(月)・28日(火)も俳句教室なんですが、閉鎖は26日(日)までですので大丈夫だろうと…が、どうでしょうか。

 本当にもうそろそろコロナから解放されたい!そう思うのは私だけ?いや、これは間違いなく全国民の願いですよ。でも専門家はまだ安心は出来ないと。

 さて、今日9月19日は言わずと知れた「子規忌」。正岡子規が明治35年、36歳で亡くなった日です。他に「糸瓜(へちま)忌」「獺祭(だっさい)忌」とも。

  老いて尚君を宗とす子規忌かな  高浜虚子

  叱られし思ひ出もある子規忌かな   〃

 子規は、慶応3年(1867)愛媛県松山市に生まれました。虚子も、明治7年(1874)松山に生まれて、7歳違い。虚子と子規の繋がりは、明治21年(1888)、伊予尋常中学校(現在の愛媛県立松山東高校)に入学して、1歳上の河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)と同級になり、彼を介して正岡子規を知り、兄事して俳句を教わります。「虚子」という俳号も本名の「清(きよし)」から、明治24年(1891)に子規が授けたもの。

 子規や虚子と碧梧桐のことなどはいろいろ言われていますし、今日のブログにもいろんな人が書いておられますので、私は書くのを控えましょう。

 しかし、子規の後継者になることを一旦は断った虚子が、その遺志を受け継いで、子規の「客観写生」という俳句理念を守り、「ホトトギス」を継承してきて、今日に至っているということは、考えてみれば子規に先見の明があったということになるでしょうか。

 もしこれが碧梧桐の方だったら、今日の俳句の様相も違っていたかも知れませんものね。でも、どんなに変化していったとしても、行き着くところは同じだったかも。それが時代の〝流れ〟なのかと思います。

  句修業の三十路に入りぬ獺祭忌  

 『秋櫻子俳句365日』(梅里書房刊)に掲載の、9月19日の秋櫻子の一句です。

 獺祭忌は、糸瓜忌とも言われる正岡子規の忌日。子規は、慶応三年九月十七日松山で生まれた。明治十八年頃から句作。二十五年に日本新聞社に「獺祭書屋俳話」を連載し、これが明治俳句革新の始まりになった。同三十五年宿痾の肺患で死去するまで、明治の俳句和歌に近代精神を確立するなど多大な業績を残す。獺祭の意味は、カワウソが捕獲した魚を食べる前に並べておくこと。転じて、多くの参考書をひろげ散らかすことである。自らの喀血から、子規と名乗った人の別号に相応しい機知に富んだ名前である。

 秋櫻子がこの句を詠んだのは三十六歳。二十七歳で「木の芽会」に入会して句作を始め、三十歳で富安風生、山口青邨、山口誓子と共に「東大俳句会」を復興。三十二歳の十二月「ホトトギス」雑詠欄で巻頭を占める。夢中で俳句にのめり込んだ三十路である。(昭和3年作・句集『葛飾』所収)

 ちなみに、初心者がよく間違って作句するのに、この「……路」という言い方があります。これは「……歳」ということで、「七十路に入った」というのは〝七十歳になった〟という意味。「七十代」の意味ではありませんので気をつけて使いましょう。

 秋櫻子は、この句を詠んだ自分と同じ年ごろに、子規が志半ばで亡くならねばならなかったという無念さを感じとり、今やっと俳句の修行の坂を上り始めてきたばかりの自分を振り返って…しっかりと虚子についていって学ばねばと、気持を新たにしたのではと…私は思います。

 だというのに、この句を詠んでから3年後の昭和6年(1931)、秋櫻子は「馬酔木」10月号に「『自然の真』と『文藝上の真』」を掲載して、虚子の「ホトトギス」から離脱します。このことについてはいろいろあり、書くと長くなりますのでまたの機会にでも…

 だから、何がどう動いてどう進んでいくか、その渦中にいるときには分からないことでも、いまこうやって〝俳句の流れ〟を時間をおいて歴史的に眺めてみれば、見えてくることも多々ありますよね。しかし、こういうことには正解だというものはないでしょうし、まして勝ち負けの問題でもないと思うのです。私にはよく分かりませんが、でも未だに…という所はあるようで、人の繋がりというのは本当にムズカシイ!

 写真は、「台風一過」の空。今日は最高気温28度、ちょっと蒸し暑いかな…。

 

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台風の中〝裸火での出産〟とは!

2021年09月16日 | 俳句

 今日の天気予報は一日中曇でしたが、昼前から日が差してきて、これはシメタ!とすぐに洗濯。久し振りの青空が見えて…でもまたヘンな雲が…

 そうなんです。しばらく停滞していた台風14号が、明日17日の午後には九州北部付近に上陸する見込み。その後も台風は、18日土曜日にかけて本州を横断する可能性が出ているんですって。

 夕方外に出てみると、もうかなり風が強くなっていましたから、ちょっと心配。それにしても、今日の19時前に石川県能登地方で震度5弱の地震が発生したというニュースが流れましたが、それも心配です。

 どうぞ台風と地震が重なって大きな被害が出ませんようにと祈るだけです。

 コロナが一段落すれば今度は台風や地震と、一難去って又一難と気の休まるときがありませんね。こんな状況の日本を救ってくれるような人が出てきてくれないと…金権欲や保身と、自分のことだけで汲汲としているような人にだけは国を任せたくないですね。今回の自民党総裁選挙の日程は9月17日告示、29日投開票だそうですから、果たしてどういう結果が出るのでしょうか。

 さて、見てみると水原秋櫻子先生にも台風の句がありました。

  台風の夜半ぞ医師(くすし)の用おこる

 この句について、『秋櫻子俳句365日』(梅里書房刊)に、德田千鶴子主宰は次のような鑑賞を書いておられます。

 分娩というのは、どうしてか夜半に起こる事が多い。そのための徹夜が産婦人科の医師には、付きものなのだが、こんな台風の夜、停電の中では、困る。

 廊下をわたって病院へ行く途中、屋根瓦が砕け落ち、花壇の垣が倒れているのが目に入った。風はますます激しくなり、病院へ馳け込んだ時は手術衣がびっしょり濡れてしまうほどだった。

  裸火に九月一日の男の子生る

 誕生の瞬間は、いつでも感動的であるが、台風の荒れ狂う中、蠟燭の火の下で処置したこの出産は実に厳粛で、湧き上がる感動に医師としての喜びも感じた。

 妊婦と新生児の安静を確かめてから、家へ帰った。夜が明けつつあり、風の勢いは少し弱まったようだ。頭が冴えて眠れそうにないので、印象の薄れぬうちと、句をまとめた。(昭和13年作・句集『蘆刈』所収)

 この文中の句に、「裸火」という語があったので、それを打ちながら…あれ、字が違うのでは?と、一瞬思いました。しかし、その後を読んで納得!私はてっきり戦前のことなので裸電球の灯と思ったんですが、〝蠟燭の火〟だったんですね。こういうところまで、秋櫻子先生は、さすが抜かりがないです。

 想像してみて下さい。蠟燭の明りで取り上げた嬰児…そのおぎゃあという産声が薄暗い産室に響いたとき、どんなにか神々しくて眩しかったことでしょう。それも〝九月一日〟、そう、厄日なんですよ。そんな日に誕生なんて、あの厩で誕生したイエスーキリストにも匹敵するのでは…。

 こういうことは台風だけでなく地震や洪水の時、また戦争中の防空壕の中でも起こり得ることでしょが、まさにヒューマンドラマのようですね。

 もちろんこんなことは滅多にないこと、今なら差し詰めコロナ禍で病院をたらい回しにされるなどということが起らないようにと願いたいです。今の少子化の日本にとっては赤ちゃんの誕生なんてこんな目出度いことはないんですから。

 とにかく台風が何事もなく過ぎてくれますように…さあ、一緒に心から祈りましょう。

 写真は、今日の空模様の、昼頃と夕方です。

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俳句の「散らし球」って何?

2021年09月13日 | 俳句

 夕方のテレビにテロップのニュース速報が流れました。見ると、将棋の藤井聡太王位・棋聖(19)が、叡王戦五番勝負の最終第5局で、豊島将之叡王(竜王、31)を破り、タイトル奪取に成功したと。これで藤井王位・棋聖は従来の記録を3年以上更新する、史上最年少の19歳1カ月で三冠を達成し、2016年10月のデビューから5年足らずで、史上初の「10代三冠」となったんですって。

 スゴいですね。若いということは素晴らしい!もちろん、若さだけでなれるものではないし、また、努力だけでもダメなものはダメでしょ。やっぱり天から授かった才能なんです。だから〝天才〟と…。

 先日いい言葉を教わりました。〝天才〟なんかとは全く縁のない人でもなれるものが…はい、私のような者でも。それは人生の「三カン王」!この〝カン〟は何だと思いますか?さあ考えてみましょう。

 分かりましたか?ハイ、そうです。「感」という字…〝感性〟〝感動〟〝感謝〟の三つを持って生きれば、人生は楽しく素晴らしいと。ほら、これだったら出来そうでしょう。だって俳句というのは、感性と感動から生み出されるものですもの。俳句を詠みながら後は全てに感謝して生きていく…まさしく〝三感王〟でしょ。

 ところで、前回俳句の季語などは句跨がりにして詠まない方がいいと書きましたが、今日はその続きのような話…

 ちょっとその句を忘れてしまったのですが、以前私がある季語を分けて使っていた句を見て、改めてほしいと言われたことがありました。同人たる者がそんな句を詠んだりしていたら、一般の人が見倣うかも知れないのでいけないのだと。要するに季語は離して使ってはいけないということでした。

 しかし、歳時記を見てると、次のような例句が…

  秋もはや日和しぐるる飯時分   

 これは正岡子規の句で、季語は「秋時雨」に分類されていますが、〈秋〉と〈しぐるる〉とに分けて使ってある句なんです。

 な~んだ、昔からそういう使い方をしている句が認められていたんじゃないのと思っていると、先日届いた「馬醉木」9月号に、「秋櫻子一句」として次のような記事が掲載されていたんです。

  人形がかざしてゆるゝ笠の菊  秋櫻子『葛飾』

 文化文政年間に始まって江戸の菊人形は安政三年からは千駄木の団子坂に移り明治末年まで続いた。それを想起しての作か。歌舞伎舞踊「京鹿子娘道成寺」の「笠踊」だろう。華やかな景である。「菊人形」などをこのように分けて詠むことを秋櫻子は「散らし球」と称した。この方法には是非が言われるが、「散らし球を使いましたな」。句会の講評で弟子の工夫を賞していたことがある。(小野恵美子)

 これを読んだとき、私の使ったあの「散らし球」を、秋櫻子先生だったら何と仰っただろうかと思うと、お目にかかれなかったことがとても残念!

 さてもう一つのニュース。まさかこちらには来ないだろうと思っていた台風14号が、上海付近で数日間停滞した後は、進路を東寄りに変えて週後半に西日本から北日本に接近する可能性があるというのを見てビックリ。確か去年もあったような…。迷走したり、急にヘンな進路変更をしたりした台風が。とにかくこの頃の台風の進路は予測しにくいと…。どうか大きな被害だけは出ないようにと…神さま、お願いします。

 写真は、〝ニオイバンマツリ〟。以前我家にも鉢植の大きくなったのがありましたが、枯らしてしまいました。このニオイバンマツリは熱帯アメリカ原産の低木で、花が美しく芳香もあるので、アメリカジャスミンとも呼ばれます。花色は咲き進むにつれて紫から白に変化するので、1本の木で2色咲きのようになります。英名では花色の変化を由来してイエスタディ・トディ&トモロー(昨日、今日そして明日)と呼ばれます。一斉に開花するのは4月下旬~5月上旬頃ですが、その後も断続的に少しずつ秋まで花をつける優れものですよ。

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俳句で使う言葉は要注意!

2021年09月12日 | 俳句

 今日の天気は一日中曇、最高気温28度、最低気温23度、降水確率10%…と、まあまあです。これで快晴なら言うことなしですが…でも、湿度は高そう…

 昨日はあの、2977人もの尊い命が失われた、9.11、アメリカ同時多発テロから20年目。東日本大震災も3.11で10年目でした…何というのか、この11という数字がしっかり脳に刻まれてしまって忘れられない…。ちなみに、娘が結婚したのも11月11日…アハッ、全く関係ありませんでした。(笑)

 しかし、この日を迎える前の8月15日には、アフガニスタンでイスラム主義組織タリバンが首都カブールを制圧し、大統領府を掌握したという衝撃のニュースが流れ…。アメリカが3.11の米同時テロをきっかけに一旦はタリバンを打倒したというのにもかかわらず、それまで駐留してきたアメリカ軍が完全に撤退するという時まで、タリバンは密かに力を蓄えて、その時期を狙っていたんでしょうね。これでまたテロとの戦いが振り出しに戻ったともいわれているようですし。

 また、「新型コロナウイルス感染症がもたらしている不況は、先進国では第二次世界大戦以来最悪の規模で景気が後退し、新興国・途上国では生産量が少なくとも過去60年間で初めて前年を下回る可能性が高い。」などとも報じられています。

 今や世界中が、いや地球そのものかもしれませんが、何か得体の知れない大きなものの流れに呑み込まれているような気がします。その流れが今後どこへ向いていくのか…私のようなものには測りしるべくもありませんが、でも今までは覚えたことがないような大きな不安を、私は感じるんです。

 そんなことより今は日本の政治の行方の方がコワい!などと…でもこれもいくら私が考えたって、埒の明くことではないんですから…もうそんな話は止めにしましょう。 

 とにかく私は〝私らしく〟、俳句で何かタメになる話でもしましょうか。

 そういえば先日の句会で、〈いそいそと二階より稲妻を見る〉という句が出ていました。これを見て一瞬…ううん?と思ったのですが、兼題が「稲光」でしたので分かりました。もしそうでなかったら、ちょっと考えものですね。

 もしこれが〈二階より稲妻と見る〉だったらどうですか?即ち〝稲を妻と見る〟という意味に受けとってもあながち間違いとは云えないでしょう。ちなみに〈いそいそと〉という語は意味的にはおかしいと思いますが、それは抜きにしても、ここはやはり〈稲妻を見るいそいそと二階より〉とするべき。

 このように575のリズムをあえて崩し、句跨がりにする必要があるのでしょうか。それも季語を。もしそれが定型のリズムに飽き足らなくなって敢てそうしたというのなら、それは間違っていると私は思います。ましてや読む人に誤解を招くような表現なら止めた方がいいでしょう。

  セルを着て肩にもすそに樹影かな

 この句は、水原秋櫻子の自伝ともいえる『高浜虚子』(講談社)の中で、秋櫻子が虚子の近詠として褒めた作品なんですが、検索しても出てきませんから、恐らく句集等には収録されていない句なのでしょう。

 これは〝セル(薄手の毛織物で、夏の季語)を着ていると肩だけでなく裾の方にまで樹の影が映って、それがいかにも涼しげなことだよ〟というような意味でしょうか。セルというのは、サラリとして感触が軽やかな、着心地もよい、男女ともに当時の普段着として着用された単衣。ということは、虚子が外出から戻ってセルに着替え、くつろいだ気分で庭にでも出ての景を詠んだものではないかと。さすれば、そのセルはきっと白地か薄い色だったでしょうか。

 実を言うと恥ずかしながら、私はこの句を読んだ瞬間、〈肩にも裾に〉と受けとって…コレ、おかしくない!と思ってしまったんです。天下の虚子様がこんな表現をするなんて!とも。しかし、もう一度読み直して…ああ、そうなのか…、〈肩に裳裾に〉の意味なんだと。では間違われやすいのになぜ漢字を使わなかったの?それは「裳裾」という字がきっと女性を想像させるようでイヤだったのではないかと。これは私の単なる推測ですけどね。

 何年俳句やってても、こんな早とちりはしょっちゅうなんですよ。まして俳句を始めたばかりの人でしたら、もっと勘違いして意味が分からない???なんていうことも。こういうことって、結構多いと思うんですよね。だからこそ俳句では一字一句も疎かにはできないということ。また、漢字で書くか仮名にするかという表記などの問題も重要になってきます。

 自分ではこれできっと分かってもらえるはずと思って句会に出しても、とんでもない解釈をされることって屡々ありますものね。これからは一音一文字の重みをしっかり考えること。そして、吟味して言葉を選び、それから詠むことに務めましょう。

 写真は、先日も載せましたが、我家の〝ジンジャーの花〟。これは真っ白なんですが、調べると他の色もあると…。すると、この前句会場にした旅館の玄関にこれが飾ってありましたので、パチリ…。これらの花はみな観賞用で、食べる生姜とは違います。ちなみに、ジンジャーの花言葉は、「豊かな心」「慕われる愛」なんですって!

 

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何事も〝流れ〟に乗らなくっちゃ!

2021年09月11日 | 俳句

 今日の予報では1日中曇だったんですが、今はいいお天気です。昨日の天気は間違いなく曖昧な空で…洗濯どうしようかと悩んだ末に実行。その後リハビリへ。その時まだ完全に乾いていない洗濯物をどうしようと思ったのですが、何となくこの雲はヤバイぞと、家に入れてから出掛けました。すると、病院へ着く頃フロントガラスにポツリポツリと…ヤッター!大正解でした。予想が当たるというのは気分いい!でも、お湿り程度で大した雨にならなかったのが少し残念でしたが…。

 ところで、12日まで公共施設が使えないので、9月はまだ一度も句会がありません。今日のダブル句会も午後の部は中止、夜の部は通信と。それで気分的には解放されていますので、ゆったりしています。でも本当は通信の方が手間が掛かるので、句会の方が楽なんですがね。しかし、出掛けなくていいのと時間に縛られることがないというのはゆったりするものですね。

 去年の第1回目の緊急事態宣言の一ヶ月半は、いくら句会が中止になったからといってこんなにゆったりした気分では過ごせませんでしたもの。感染者数からすれば今の35分の1以下だというのに。これは私たちがいかにコロナ禍に馴らされてきたかという証でしょうね。考えれば怖いことです。

 また、更に緊急事態宣言が30日まで延長ということが9日に決まりましたから、それを受けて山口県も12日までの公共施設等の閉鎖が26日まで延長という連絡が昨日入りました。これでまた来週の火曜日、金曜日、土曜日と、句会が出来なくなりました。

 今月はもう殆ど句会なしです。みんなも嫌気が差してきたのか、通信でもやらなくていいなんて言うし…。みんなの気力が萎えてくれば、私までやる気がなくなります。こういうのって、ホント疲れるんですよね!

 人間って何事にもリズムが大切です。何かをやろうとしたときに、リズムに、そう上昇気流に乗れるか乗れないかでその先の結果は大きく違ってきます。だからやる〝気〟だけではダメ、その時の〝流れ〟を自分に引き寄せ掴まなくては…

 よく言われました。今この流れに乗って同人にならなければ、この先は恐らくもう来ないだろうと。そんなには流れというものは来ないのだからとも。

 そうですね。言うならば〝チャンス〟ということかな。人生には誰にでも公平に幾つかのチャンスが巡ってくると。それを掴むか掴まないかは本人次第…。先ずチャンスであることが見抜けなかったり、もしくはチャンスと分かっていても躊躇して逃したりと、人それぞれ。それが全てではないにしても一理はあるかと。即ち、それがなんであれ、その時の流れを、即ちチャンスを逃さず捕まえたからこそ今があるという人はたくさんいるのではないでしょうか。

 あの時ああすればよかった…という後悔で終ることだけはしたくないというのが私の生きる哲学です。これは父の死に教わったこと…それからの私は何でも〝やってみる〟という生き方になりました。俳句との出会いもそうでした。ダメでも…やらないよりはマシ。そこまで努力してきたものは絶対ムダにはならず、必ず己の成長に役立っているでしょうからね。ナント偉そうなことを…ゴメンナサイ!

 今年は我家の無花果(いちじく)がよく出来ました。が、鴉との競争です。最初の1、2個は美味しく食べましたが、その後鴉に見つけられてからは…。もう一日待ったら完熟かなと…するとその前に食べられ、次はちょっと早いけど狙われる前に採ろうと思っていると、それを察知してその前にもう食べている。それも頭の熟れているところだけを囓って…。クヤシイ!とうとう袋を被せて…と待ったら今後は雨でじゅくじゅくに…。ついにこの前は主人が枝を剪って小さくしてしまいました。ナント鴉の頭のいいこと!人間様の先を先を見越して行動するんですもの、マイッタですよ。

  鳥に食われぬ先に無花果喰う暁闇  金子兜太

 ナルホド!こういう手があったんですね。この句を早く知ってたら…。来年はそうしましょうか。エエッ、鬼が笑う?(^0^)

 下の写真の無花果がかろうじての〝戦利品〟。見た目はイマイチ、でも甘くて美味しかった! 

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〝言葉遣い〟は生き方のあらわれですって!

2021年09月08日 | 俳句

 今日の昼頃、宇部市に豪雨注意報が出たとメールが来ました。しかし、外に出てみると全くそんな気配はなく、青空は見えてるし太陽まで燦々と…どうなってるの?最近の天気予報はどうもズレてるような気がするのは私だけかしら。午後はリハビリと毎月の通院で夕方帰りましたが、空を見るとヘンな雲行きでしたね。(写真1枚目は午後3時頃、2枚目は午後5時頃の空)

 昨日もあまりパッとした天気ではなく夕方から雨も降り出したんですが、植木鉢などに水をやらなくてよかったのはラッキーでした。

 この頃は余程のことがない限りもうエアコンもいらなくなりました。でも関東のように寒いというほどではなし…では秋の代表的な季語〝爽やか〟というような日和かというと、そんな日はまだ少ないんですよ。

  爽やかや風のことばを波が継ぎ  鷹羽狩行

 さすがですね。〈風のことば〉なんてもう〝詩〟そのものでしょう。おまけにその風のことばを波が〈継ぎ〉と、きちんと音声にして聞かせるんですね。本当に何気ない言葉遣いなのに、それがまるで音楽を奏でるように詩の世界を醸し出すのですね。

 最近読んだものに次のような文章が…

 文章で世に立つことなど念頭になくても、日常、生活の土台に言葉をおいて物を見たり考えたりしている人とそうでない人の言葉遣いには、おのずからの開きがあるようです。そこでは、言葉遣いは単なる上手下手の次元のことではなく、その人の生き方のあらわれとしての象徴性をもつことになります。(竹西寛子著・「茶の間の辞典」より)

 要するに〝日常の言葉使いが、その人の生活の基礎をつくる〟ということなんですね。俳句においてもそれは通用するのではと思います。

 昔よく先生から言われたことがあります。〝句を読めば、その作者の生きる姿勢が見える〟と。そういう生き様の見える俳句を詠みなさいと。いくら綺麗な言葉を用いたからといっても生きる姿勢が悪ければ、いずれメッキが剥げてボロがでてくるものだよとも。

 つまり生き方が正しく美しいと、自然に言葉遣いもそうなると言うのでしょうか。そうすれば技巧を凝らさなくてもそのような人はいつも〝詩人〟なんですね。俳句でも短歌でも詩でも…。子供の頃から言葉の教育が大事ということにもなりますか。豊かな自然環境で育つ子供たちには豊かな情操が自然と身につくように…。

 ところで、昨日の朝のニュースで富士山の初冠雪が観測されたと、テレビに映像が流れていました。これは平年より25日早くて、2008年以来13年ぶりの早さなんだそうです。

 俳句では、「富士の初雪」で、初秋の季語になっているんですよ。

  初冠雪富士山らしくなりにけり  清水初代

 やっぱり雪を被らなくっちゃ富士山らしくない…と、誰でも思うんでしょうね。でもあの太宰治はどうだったんでしょう。彼が書いた短編小説『富岳百景』では、富士山は好きではないと、〝まるで、風呂屋のペンキ画だ〟とクサしています。一方、「三七七八メートルの富士山と立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすくっと立っていたあの月見草は、よかった。富士には、月見草がよく似合ふ」と、月見草のことはべた褒めです。皆さんよくご存じでしょうが、この文章から〝富士には月見草がよく似合う〟という言葉が有名になったんですよ。

 この小説は、御坂(みさか)峠の天下茶屋(富士河口湖町)にいたときの体験をもとに書かれたものですが、太宰治がここにいたのは昭和13年9月13日から同年11月15日までの約2ヶ月間でした。ということはこの時期に「月見草」が咲いていたということになりますよね。ところが月見草は夏の季語なんです。更に、本来の月見草は少なくて、大待宵草(おおまつよいぐさ)が一般的には月見草とよばれていて、きっと太宰の見た月見草もこれだったのでしょう。その時の富士山はもう初冠雪していたのでしょうか?

 今の温暖化と違って、その当時の9月中旬ならもう雪が降っていても当然かも。でも月見草は?とも思うのですが、これは創作なんでしょうか…。この写真はお借りしました。ゴメンナサイ!

英人の単車魂 月見草

z10906.png

 ところで、最近の関東方面では雨が多くて気温も25度前後だと。先日は急に11月頃の気温になって寒くって…という東京の方のブログも読みました。もしかしたらこのまま超特急で秋を通過し、あっと言う間に冬へ突入ということもあるかも。だって思い返せば去年もヘンな気候で、急激に寒くなって早々に落葉してしまったかと思うと、また夏のような暑さがぶり返し、木々たちがビックリして今度は新芽を出すということにもなったんでした。そのお陰で昨年はキレイな紅葉が見られませんでしたものね。さてさて、今年はどうなんでしょうか。とても気になるこの頃です。

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吟行では嘘をついてもいい?

2021年09月05日 | 俳句

 昨日は確か天気予報では曇のち雨だったのに、昼前からもう日が差して、青空が見えるよい天気になりました。洗濯する予定はなかったのですが、急遽変更。湿度が低かったので、サラッとしてキレイに乾きました。ウレシイ!

 今日も朝の内は曇ですが…。そういえば、先日の吟行句会での話…

 私の句の季語が「厄日前」だったので、〝今日は厄日なのにどうして前なんですか?〟と聞かれました。すると〝今日は厄日じゃなくて昨日がそうでしたよ〟と言う人がいて、エエッ、どうして?と聞くと、今年は立春が1日早かったからだと。ナルホド!

 今までは9月1日の震災忌や防災の日と同じ日が厄日でしたから、てっきり一緒と考えていました。しかし、この〝厄日〟というのは〝二百十日〟のことで、立春から数えて210日目なんですから当然のことなんですけどね。古来風雨の激しい日とされて、この時期ちょうど早稲(わせ)の花が咲く頃なので農家ではこの大風を恐れていたのです。中稲(なかて)の頃も〝二百二十日〟といって、秋の季語になっていますもの。

  枝少し鳴らして二百十日かな   尾崎紅葉

  移り行く二百二十日の群鴉    高浜虚子

  釘箱の釘みな錆びて厄日なる   福永耕二

 ところで、先ほどの私の話に戻って…その時の句はここでは紹介できませんが、なぜ厄日と(本当は厄日後でしたが…)しなかったかというのは、〝この情景からすると厄日当日より前の方が効くからですよ〟と。すると今度は、吟行なのにそんなことをしてもいいのですかという質問。

 さて、ここが問題なのです。吟行に行くと大抵の人がそこにあった物や咲いていた花、そこに見えたもので詠もうとします。すると殆ど似たような句が出来るのですね。今回も鉄工所の〝青い炎〟が3句、老漁夫の話になると4句も。おまけに季語も秋の〇〇というように似たり寄ったりで。

 吟行地が漁港というある意味限られた句材しかないような所ですから、目線を変えたり、工夫をしたりしなければ当然似たような句になってしまいます。情景が誰でも詠みそうなものなら、せめて季語の吟味をして即けることが肝要ですね。

 以前にも言いましたが、俳句では〝あり得る嘘〟は許せるということです。吟行も然り。吟行だからと言って正直に事実をそのまま575にするというのは初心の時だけにしましょう。かといって、秋なのに冬とかにするのはちょっとやり過ぎ。季節の変わり目とかであれば多少は許せますけどね。今回目に付いたのは、〝秋の海〟〝秋の空〟〝秋の雲〟〝秋の風〟など、秋を付けて季語にするもの。

 ここでちょっと考えてみましょうか。今回出ていた季語に、次のようなのがありましたが、〝送りまぜ〟や〝雁渡し〟では風が、〝鰯雲〟なら雲、〝葉月潮〟では海が見えてきますでしょう。それにプラスαも付いてくる。安易に大雑把な季語を付けると、景がしっかり見えてこないし必然性もないので、季語が〝動く〟などと言われるのです。もちろん大まかな季語の方がいい時もありますので、それは個々の俳句で考えるしかないんです。私の言っていることはあくまで一般論的なことですから…その辺の所はご了解を!

 写真は、吟行の時に撮ったもの。こんな句材もあったのに1句も出ていませんでしたね。もちろん私も詠まなかった…アハッ(笑)

上から「マテバシイ」「ユズ」「ペンタスにセセリ蝶」「ノブドウ」「ムラサキルエリア」。この中では、ペンタスやルエリアは外来種で季語としてはまだ使えません。でも〝椎の実〟〝野葡萄〟は秋、〝セセリ蝶〟は〝秋の蝶〟として詠めばいいかな。〝青柚子〟は夏、しかし〝柚子〟とすると黄色が感じられますので、やっぱり今は青を付けたいですね。

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吟行は〝岬漁港〟でした!

2021年09月03日 | 俳句

 今朝も雨が降っていましたが、午後は曇。朝夕は随分涼しくなりましたね。しかし、明日もまた曇のち雨とか…でも気温は30度に上がって、秋らしい天気はまだ当分望めないようです。

 今朝は足が筋肉痛で、立ち上がる度にイタッ、イタタッと、声を掛けないと動けない。なぜこんなに痛いのかというと、久し振りに筋トレをしたからなんです。昨日の吟行会で歩いたときはそんなに痛くなかったのに…今日痛くなるなんて歳なんですね。トホホッ…

 火曜日に整形のリハビリへ行き、日頃しているマシンは当然ですが、昨年足を骨折して以後しなくなっていた筋トレ…それぞれの足首に1㎏の重しを着けて、寝転がって上下、斜め、左右などと5秒間を20回ずつします。

 以前は週3回のペースで実施してこんな痛みの経験はないのですが、このところリハビリでも楽なマシーンばかりをしていましたから、1年以上も怠けた筋肉がビックリしたんでしょうね。やはり筋肉は鍛えないとすぐダメになります。まさに〝継続は力なり〟ですよ。この筋トレのお陰で今まで何度も膝を助けてもらったんですもの。また、筋トレガンバラなくっちゃ!

 さて、毎月第1水曜日の定例吟行会、今月は9月1日でした。行く先は宇部市岬漁港周辺で、参加者はいつもの7名。

 宇部市には小さな漁港が3つありますが、この岬漁港というのは、すぐ傍に海へ延びた山口宇部空港の滑走路が見えて、吟行中でも飛行機の発着の轟音が間近に聞こえます。

 何年か前の秋にこの漁港で、〝宇部さかなまつり〟が行なわれていたので来たことがありました。貝汁無料配布や活魚・鮮魚の直売、かに汁やうどんなどの飲食の提供など。また、小学生たちには「魚つかみ取り」競争などもあって大いに賑わったのですが、去年からコロナ禍でやっぱり中止のよう。

 宇部だけではないでしょうが、全国どこでも人が密集する祭やイベントが中止になっていますよね。長年培われた地元の伝統あるお祭など…実施する方もまた観覧する側にとっても本当に残念なことです。コロナが収束して一日も早い復興を願わずにはおられません。

 ちなみに俳句では〝祭〟だけでは夏の季語ですから、秋季に行なわれるのは〝秋祭〟。他に〝在祭・村祭・里祭・浦祭〟などと言っても秋の季語になります。祭は句材の宝庫なんですけど…去年から祭を見る機会がなく、ホント残念!

 この漁港では、今はアナゴやメバル、キスゴなどが獲れるらしいのですが、タコも有名で…〝ここのタコは明石へ出荷して明石のタコとして売られるんだよ〟とは漁師のおじさんの話。そういえば空の蛸壺があちらこちらに積み上げられていました。一応蛸は夏の季語なんですよ。

 この漁港を守る小さなお社がありました。七福神の一つ、海上・漁業の神を祀ったえびす神社だとか。

 他には小さな鉄鋼所があって、溶接の青い炎を眺めたり…と、狭い地域でしたから時間が余るほど。ところが、そこは俳句というのは便利です。句を考えて作っていると、いくら時間があっても持て余すということがないんですから…。これが俳句のいいところ、句の出来の良し悪しは二の次ですよ。

 12時に昼食を予約しておいた会場へ。食後はそこをお借りして句会。今回も無事に16時には終了して解散しました。皆さま、お疲れさまでした。

 写真の花は、〝カクトラノオ〟の色違いです。ハナトラノオとも言って、北アメリカの原産で大正時代に日本へ渡来した花なんですって。

 

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まるでコンピューターゲームみたい?

2021年09月02日 | 俳句

 今日はもう9月2日。昨日は大正12年に関東大震災が起った日で、俳句では〝震災記念日〟や〝防災の日〟として、秋の季語になっています。

  死と隣る過去いくたびぞ震災忌  小幡九竜

 そうでしょうね。この関東大震災以後にはあの第二次世界大戦もありましたし、以前にだっていろいろあったでしょうから。人生の中で〝死と隣る〟ことってそうは何度もあることでは無いと思うのですが、運悪くそういう経験をする年に巡り合わせればありうるかも。震災とかでなくても病気とかもありますもの。今回の新型コロナウイルスにしたってその一つかも。

 これは歴史的事実として必ず残るでしょうから、今後何十年か経ったら季語として詠まれるようになるのかしら? 

 全世界が新型コロナウイルスのパンデミックに見舞われている中で、1年遅れながらオリンピックとパラリンピックが開催されたという事実も今後の歴史にはどのように刻まれるのでしょうか。

 果たして成功だったと言っていいのか。確かにメダル獲得数では、アメリカ、中国に次ぐ第3位という史上初の快挙…これを単純に喜んでもいいのでしょうか。詳しいことは分かりませんが、このコロナ禍の中で強引に推し進めた結果には、日本経済へのツケが山ほど溜まっているのだと。

 経済のことはさっぱり分からない私なんですが、今日本の借金は、2021年時点で1212兆4680億円を上回っているなどという数字を示されるとギョッです。これは、2021年8月時点の人口で割ると、ナント国民1人あたり983万円も借金を背負っている計算になるんですって。これ私の1年間にもらう年金の何倍?もう言う言葉がありません!

 日本の借金が年々膨らんでいるということはいろいろなところで耳にしますから知っている人も多いと思いますが、これだけの金額になっているなんて〝(O_O)桃の木山椒の木〟でしょ。

 2019年度の世界の政府総債務残高(対GDP比)を見ると、日本のGDPはおよそ560兆円で、そのGDPの2.4倍近くの借金を抱えていることになって、なんとあの財政危機に陥ったギリシャを抜いて世界一の借金大国なんだそうですよ。

 こんな状態で、更に今回のオリンピック・パラリンピックでまた増えたことでしょうし、コロナ禍での倒産は今日現在でもう2000件近くになっているといいますよ。

 また、コロナウイルスの感染拡大は、東京都での新規感染者が今日は3099人と、徐々に減っているように思えるのですが、これで安心してもいいのでしょうか。これで終りになるのかもとぬか喜びに終ったのが今まで何度あったことでしょう。だって、重症者数は過去最高水準をまだ保ったままだというし、自宅療養で医療にかかれずに苦しむ人も多いのですから。

 おまけに伝染力が強いというデルタ株に恐れて自粛、自粛と叫びやっと少し落ち着きかかったら、今度はコロンビアで感染拡大のミュー株が入ってきたんですって。わあ、もう私にはついていけません。何がどうなっているのか…とにかくどんなものであれ、今人類が必死に闘っているよくないやつ…要するに敵であることには間違いありませんもの。闘ってやっつけるしかないのですが、敵もさるもの…手を変え品を変えて攻めてくるんですね。

 私はゲームなど殆どしないのでよくは分かりませんが、何だか子どもたちがしているあのコンピューターゲーム…まるでそれみたい!撃っても撃っても姿を変えて攻めてくる…インベーダー?笑い事じゃないんだけどねえ~

 ところで、今日は朝から雨で、午後は止んだかと思うとまた夕方からぽつりと…。久しぶりに植木に水をやらなくて済みました。ウレシイ!

 実は昨日は定例の吟行会だったんですよ。(笑) まだ句会場は当分使えないのですが、吟行する分には差し障りはありませんので実行です。

 その報告は…また長くなりましたので次に致しますね。では…

 写真は、もう終りましたが、〝夏水仙〟。今年はいつもより遅く出て、あっと言う間に終りました。黄色は今から出るのかしら…何もかも今年はヘンです!

 

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