ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

今日は〝良夜〟ですよ!

2021年09月21日 | 俳句

 今日は〝中秋の名月〟、それも満月と重なるという、正真正銘の〝名月〟です。

 出先から夕方買い物をして帰る途中…ちょうど19時過ぎ、確かお昼に見た天気予報では午後は曇後雨と。今はこんなにいい天気なのに、じゃあ今夜はお月様はダメかしら?と思いながら、家に着くとナント赤い月の登るところがみえるじゃありませんか!ヤッターです。

 スマホではこの程度しかよう撮りませんが、まあなんとか…〝名月〟です。夕食の準備をして、冷凍の枝豆をチンし…今日は久し振りに日本酒で一杯。

 〝中秋の名月〟に相応しく、「大吟醸 賀茂鶴」ですよ。(笑) 主人はビールの方がいいと…2人でお月様に乾杯!

 〝中秋の名月〟は、陰暦八月十五日の月で、季語としてはいろんな言い方があります。「今日の月」もその一つで、それで詠まれた〈月幾世照らせし鴟尾(しび)に今日の月〉という秋櫻子先生の有名な句があるのですが、以前に書いたことがあるような…。そこで今日は「良夜」という季語、これも名月の夜のことなんですが、この季語で詠まれた秋櫻子先生の句の解説が興味深かったので、今回はそちらの方を紹介しますね。(『秋櫻子俳句365日』より)

  門とぢて良夜の石と我は居り

 戦争が終った夜、人々が集うこともままならぬまま、名月、十六夜、立待、居待、寝待と毎夜趣の違った月を詠んでみようと、思い立った。床に野口謙蔵の「湖山秋来図」を掛け、卓に富本憲吉の竹林月夜の染付の香炉を置いて、心の準備が整った。

 自分を追いつめての修業である。

 名月の晩、出先から戻ると、門の閂をさした後、庭に椅子を持ち出して、句を案じた。月は、庭の樅の梢の上に照り輝いていたかと思うと、雲に隠れるということの繰り返しであった。いつもは少し煩わしいと思っていた二十余りの石が、この夜の月の光の具合では、感じが薄らいで、木の影よりも石の影の方が面白く好ましかった。

 お茶が淹ったと呼ばれるまで、そこに坐っていたのだった。(昭和20年作・句集『重陽』所収)

 これを書き終えて、私も少し秋櫻子先生にあやかろうかしらと、庭へ出てみると…夕方はあれほど綺麗に見えていた月が、全く見えない!おまけに今にも雨が降り出しそうな気配…椅子に坐るどころの騒ぎではありません。早々に退散です。まあ…私なんですからこんなものでしょうけど。(笑)

 でも、〝自分を追いつめての修業…〟ということば、耳に痛いですね。大先生でさえここまでして俳句に立ち向われたということですもの。凡人ならもっともっと〝修業〟しなくては…ネッ、皆さん。頑張りましょう。

 ついでにいうと、枝豆は「月見豆」といって、秋の季語なんですよ。でもこれは旧暦の十三夜の月に供えるからなんですけどね。

  枝豆を喰へば雨月の情あり   高浜虚子

 写真の1枚目は、今日の夕方スーパーの駐車場から、次の2枚は、家に着いて月が出た19時頃、最後の1枚が食事前の19時45分。いつものことながらボケボケですが、一応証拠写真として…許して下さいね。ここまではよかったんですよ。この後一杯飲んでちょっといい気分になって、さあ月は…と、22時過ぎに外へ出てみるともうダメ。ウウ~ン、残念!せっかく1句詠もうと思ったのに…ハハッ、ウソですよ。(^▽^)

コメント (4)
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