ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

今日は〝三月尽〟ですが?

2022年03月31日 | 俳句

 とうとう3月が終りますね。今日は俳誌「早苗」の運営委員会で広島へ行って来ました。年度替わりの総括と新年度へのスタートを切るための会議なのですが、昨今の状況からなかなか難しい問題が多く、10時45分から16時までみっちり討議をしましたので、とても疲れました。でも、朝の内降っていた雨も早々と止んで、広島は今を盛りと桜が見事でしたよ。

 広島駅ではカープの試合を見に行く人たちと擦れ違い、いつもながらその人の多さにビックリ。このところのカープは、開幕から信じられないような快進撃ですものね。当然フアンの応援にも熱が入りますよ。

 先ほどお婆ちゃんちから帰ってきましたが…今日も、阪神に3-2で逆転勝ち!なんと6連勝ですよ。嬉しいのは当然ですが、こんなに勝ち続けると気持ち悪い!なんて言って…ゼイタクですよね!

 さて、昨日はラジオ体操でお別れ会があったんです。本当は今日の予定だったんですが、雨という予報で変更。いつもお世話になっているふれあいセンターの館長さん初め4人の方が退職や転勤だというので、お礼にお花の鉢を差上げようということに。

 そのお返しを貰って…昨日はみんなニコニコ顔。終って信号を待っていると、通りすがりの人から〝皆さん、何だか嬉しそうですね!〟と声を掛けられるほど。幾つになっても何か貰えるというのは…全く子供と一緒です。でも、これがもし今日だったら、私は広島へ行くのでラジオ体操へは来られなかったでしょう…だからラッキー!ほら、こんなに…おまけに朝採りのほうれん草まで頂いて、いいでしょう。ついでに帰り道に見つけた〝土筆(つくし)〟も採って、お婆ちゃんへのお土産に。そうしたら早速土筆の卵とじを作ってくれました。懐かしい春の味が…

 ところで、今日は3月の終わり、即ち〝三月尽〟ということなんですが、私はいつも迷います。この句の〝三月尽〟はもしかしたら新暦なのではないかと。

 歳時記を見ると、主季語〝弥生尽〟として傍題には〝三月尽〟〝四月尽〟が出ています。その解説では、〝旧暦三月の晦日をいう。春が尽きるという感慨がこもり、惜春の情の深いことばである〟と。

 しかし、〝新暦になってからは春が尽きる感慨を四月尽として詠むことも増えている。三月尽は新暦三月の終わりの意でも使われる〟とも書かれていますから。

 ちなみに旧暦では、1月~3月が春、4月~6月は夏、7月~9月までが秋、10月~12月が冬ですから、季語もそれに則っています。だから〝三月尽〟は当然春の終わり。ところが新暦では季節が約1ヶ月以上ズレていますので、4月の終わり(実際は5月5日の立夏の前日までが春)の〝四月尽〟が春の終わりということで詠まれるのです。ちょっとややこしいですが…。

 俳句を詠む人はそこをしっかり理解して使わないと、この句の〝三月尽〟はどっちを詠んでいるのかと鑑賞する方は迷ってしまうのです。

  桜日記三月尽と書き納む   正岡子規

  三月尽人それぞれの旅鞄   大橋通男

 さて、この2句を比べて、皆さまはどう思われますか?前のは、明治35年に亡くなった子規の句ですから当然旧暦での〝三月尽〟でしょう。桜日記というのは主に桜のことを書いた日記なのかしら、それとも桜の絵や色の日記?とにかく春というのはやはり桜に代表されるもの。その桜もみんな終ってしまって、これで来年まで見られない…ああ、春も終わったなあ…と。

 ところが、後句は〈人それぞれの旅鞄〉と、ポイントは〝旅鞄〟にあります。そうするとこれから旅へ…それは人生の旅へとも思われますので、春が終わり…即ち夏へ向って出発するということになります。そう考えてもダメとは思いませんが、それは惜春の情とは違うような…。だとすると、年度替わりの新暦の〝三月尽〟…4月からは社会人として新しい世界へ旅立つ…そのときの鞄にはみんなそれぞれの人生への思いが詰まっていると考えれば感慨も一入でしょう。更に何となく旅立ちへの期待と不安も詰まっているように感じますし。

 とまあ、私なりの解釈をしましたが、いかがでしょう。なにかご意見があればご教示を、よろしく!

 それでは、あなたも〝三月尽〟で一句どうぞ!さて、どちらの意味で詠まれますか?

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〝霾〟という字読めますか?

2022年03月26日 | 俳句

 昨日は晴れてはいても強風で荒れた天気でしたが、今日は予報どおり朝から雨です。気温は昨日と同じ17度とやや高めで寒くはありません。

 さて、プロ野球の開幕が昨日…例の如く我家(義母宅)では広島カープの応援です。DAZNを見るまでもなくBSでも放映していましたので、食事しながら6時30分からはテレビに釘付け。

 オープン戦を見る限り投手はまあまあなのに、4番の鈴木誠也が抜けた打線は全く盛り上がりません。いいところでの一本が出ずに、また出ても凡打と…その貧打のおかげで勝てそうな試合も負けてばかり…

 〝これじゃあ今年もカープにはもう期待できんね!〟と、101歳のお婆ちゃんにも呆れられるほどでした。それが…どうしたことでしょう。昨日は本塁打こそ出ませんでしたが、17安打と…DeNAに3-11の大勝です。

 私は、5回裏1-3のところで我家へ帰りましたが、試合終了を見てビックリ!お婆ちゃんも主人も今朝は喜んでいました。さて、今日の14時からの第2戦は???

 カープは最初があまり上手くいくと、大抵後が続かないで…〝やっぱり鯉幟の季節だけなんだよね!〟と、よく言われてきましたが、今年はそうなりませんように…お願いしますよね。

 さて、先日の句会の兼題は〝黄砂〟でした。これは、本季語は「霾」で、〝つちふる〟と読みます。他にも〝よな〟とか音読みでは〝ばい〟などがあります。春の季節風によってモンゴルや中国北部の黄土地帯で舞いあがった大量の砂塵のこと。3月から5月にかけて西日本に多く飛来し、特に九州では空がどんよりと黄色っぽくなり、太陽も霞むほど…。

 写真はお借りしました。スミマセン!

中国北部を黄砂襲う、この10年で最大規模…日本列島にも到達 ...の画像

黄砂の画像

 宇部でも、黄砂の酷い日は車がザラザラになり、その後に雨でも降ろうものならとっても汚くなってしまうんですよ。

  ひねもすを本に嵌(はま)りて霾や  五島高資

 作者は、長崎市に生まれ子供の頃は五島列島にも住んでいたという。とにかく高校卒業までは長崎で暮していますので、毎年春には黄砂の洗礼を強く受けて育ったことでしょう。だからこの句の制作がいつ頃なのかは知りませんが、〈霾や〉の「や」には作者の実感が非常に籠っていますね。春休みでしょうか、一日中本に没頭している作者。黄砂も終日降り続けて…まるでその黄砂に何もかもが埋もれんばかり、そんな黄土色の世界が見えてきませんか。

 さて、教室の投句はというと…実は今回は会員10人の内5人が欠席で、選句も5人だけでは今一つ盛り上がりません。それで高点句といっても…ねッ!だから…今回はなし!

 これを書きながら、カープの応援をしていますと、4回裏4-1のところでピンチが…4-2となり、さて森下がここを切り抜けられるか?ちょっと目が離せなくなりました。が、どうにか2点で押さえたようです。

 これからが正念場でしょうか?アレッ、今度は菊池のホームランですよ!その後ちょっと目を放していたら、いつの間にか3ー10と…。昨日は大瀬良が、今日は森下がと…投手が自腹を切って活躍しています。これこそがカープの全員野球なんですよ!

 それでは今日のブログはここまでに…いいとこですから。では、また…

 写真は、〝菫〟(すみれ)で春の季語。特にこれは〝香菫〟(においすみれ)と言って、ヨーロッパ原産の一種ですが、芳香が高く香水の原料になるものです。

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今夜はDAZNに加入してて、ヨカッタ!

2022年03月24日 | 俳句

 今朝ラジオ体操へ行くとき手などがとても冷たくて、今日も1日中寒いのかしらと思っていると、昼間はポカポカ陽気に…最高気温も17度でした。

 午前中は医大の半年検診で血液検査と腹部エコー。午後からはお婆ちゃんと一緒にいつもの月1回の定期通院へと、病院のはしごでした。相変わらずどこも患者さんでいっぱい。コロナも今のところ高止まりの感じですね。時々沈静化の傾向を見せたりして期待させることもあるのですが、今一つすっきりしません。またいつ急に増加してくるやら…???

 しかし、病院へ行く途中の桜並木は今にも開かんばかりに膨らんで、この気候なら月末にはちょうど花見シーズンになりそう。

 ところで、さきほど〝Yahoo!Japan〟を見ていましたら、次のような記事が…

 インターネット動画配信「DAZN」によると、24日に行われたサッカーのワールドカップ(W杯)カタール大会アジア最終予選で、日本が7大会連続のW杯出場を決めたオーストラリア戦のライブ視聴数が速報値で過去最高を記録した。  これまでの最高は昨年11月11日にハノイで行われた同予選のベトナム―日本戦。敵地シドニーで行われた一戦は、地上波などのテレビ中継がなく、視聴できるのはDAZNの加入者のみだった。過去、日本が本大会出場を決めた瞬間はテレビ中継されていた。

 ヘエッ、そうだったんだ…だってこの試合を見終ってから、私は8時半頃自宅へ帰ってきたんですもの。主人とお婆ちゃんと3人でしっかり応援していました。DAZNにはもともとカープの試合が見たくって加入しているのですが、でも今回のようなこともあるんですね。今日はオーストラリアに2-0で勝利し、W杯出場が決まったという一番いいところが見られて、何だか得した気分になりましたよ。

 前半にも後半にもチャンスがあったんですが、今一歩というところで点が入らず…クヤシイ!そんなイライラした気分でとうとう0-0のまま、時間も残り少なくなったとき、後半の39分から途中出場したMF三苫薫(24=サンジロワーズ)が2得点という大活躍。もう終わり2分を切ったところでの1点、これで後は守りを固めればいいだけという…そのロスタイムに更に1点追加。何だか最後のは余りにもあっけなくて…でも、本当にヨカッタ!これでまたW杯を見る楽しみが出来ました。「SAMURAI BLUE」アリガトウ!

 それにしても、100歳過ぎた義母はサッカーは見るわ、野球は広島カープの大フアンで放送があれば欠かさず…いよいよ明日から開幕ですよね。他にもフィギアスケートにカーリング、もちろん相撲なども、スポーツなら何でもOK。一体若い頃はどんな乙女だったんでしょう。きっと活発で面倒見の良いお姉さんタイプだったのかしら…

 広島に居た頃もそうだったようですが、ここに引っ越してからも同じ。もうここも11年になりますが、ご近所のIさんは70代かな…そのIさんがお婆ちゃんを頼りにしていろいろ相談に来られるんですよ。それをいつも聞いてあげてるのです。いかがです?本来なら反対で面倒を見られる側でしょうに…ほら、ビックリでしょ!さすが〝スーパーお婆ちゃん〟!

 でも、最近時々エッと思うことがあったりして…それで私、世話を焼きすぎないようにと気をつけているんです。だって人の世話が焼ける間は大丈夫というでしょう。そうそう、昨日は雨が降りましたが、偶然私もお婆ちゃんもそれぞれ行きつけの美容院へ行ったんです。私はカットだけですが、お婆ちゃんはパーマも掛けて…ほら、身だしなみにも気を配って、スゴいでしょう。これがボケない秘訣なんですよ。皆さんも是非見倣って…ね。

 今日の写真は、先日お婆ちゃんの希望で、また苺狩へ行ったときものです。同じ農園でしたが、今回は平日だったので貸切みたいでした。息子と娘も一緒で…一家5人で行き、またまた目一杯食べてきました。ゴチソウサマ!でも、前回のような大きな苺が少なくて、ザンネン!皆さん、苺狩へは1月とか早目に行った方がいいですよ。大きくて美味しいのがたくさんありますから…

  

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令和3年度最後の〝きらら俳句教室〟

2022年03月21日 | 俳句

  このところ雨が降ったり止んだりとハッキリしない日が続いていて、先日来の20度を超えるような天気がまるで嘘のよう…、一昨日頃から最高気温も13度に戻っていますし。

 今日は彼岸の中日で、祝日の「春分の日」ですね。だとすれば彼岸の入りは18日。実は19日の土曜日、きらら俳句教室の最初に…正岡子規の、〈毎年よ彼岸の入に寒いのは〉の句を例に出して話をしました。先ずこの句を知っている人は?と聞いたら、誰も手を上げませんでした…(笑)

 初心者ばかりなんですから、まあそんなものでしょうが、もしかしたら一人ぐらいは…と期待したんですけど…残念でした。

 この句には、「母の詞自ずから句となりて」という前書きがついています。子規が問いかけたのかも知れませんが、その時何気なくお母さんがつぶやいた言葉をそのまま子規が俳句にしたものなんです。

 昔から「暑さ寒さも彼岸まで」といいますが、〝毎年だよね。彼岸の入りが来てもこのように寒いのは…〟という日頃の実感がストレートに表現されいて、誰もが納得出来ますよね。常に四苦八苦して俳句を捻っている人はビックリします。これでも俳句になるのだということに…実は私もそうでしたから。

 このきらら俳句教室も、今回が今年度最後の教室になりました。また来年度からは新しくレンジャーTさんに代わり開かれることになっていますので、そのご挨拶もありました。

 さて、先月は雨で外に出られませんでしたが今回はどうにか曇…。さあ、吟行です。しかし、昨年見られた土筆や菫などがどこを探してもなくて、やっぱり今年の方が春が遅いのでしょうね。でも…あらら、〝ホーホケキョ…〟といい囀りが…。〝これ、私にとっては初音ですよ〟と説明していたら、今度は〝燕〟が…〝これも初燕ね!〟などと…。

 そうなんです。普通は〝初〟が付くと新年の季語になりますが、この〝初〟は違います。〝今年初めて聞いた…、見た…〟という意味ですので、鶯や燕と同じく春の季語になります。

  ちちははのごと山二つ初音かな  小原啄葉

  棹歌の水路かがやく初燕     水原春郎

 どちらの句も優しいですね。特に前句の小原啄葉は岩手の人ですので、寒い寒い冬を耐えてきて、心から待ちわびた春の訪れがやっと来た…その喜びが〈ちちははのごと〉に。また、後句は〈棹歌〉とありますからどこなんでしょう。もしかしたら春郎先生は、潮来かどこかの手漕ぎ舟にでも乗ったのかしら?。〈水路かがやく〉に春が溢れんばかりですね。しかし、これらの句にはどこにも〝待ってたよ!〟とか〝やっと来たんだね!〟などと一切言っていないでしょう。でもこの季語に付いた「初」という言葉が全てを伝えてくれているのです。これが〝言わずに語る〟という俳句の醍醐味でしょうか。

 〝何が何してなんとやら…〟とくどくどと述べられますと、〝はあ、そうですか〟とよく分りますが、〝それがどうしたの?〟と、何の感慨も湧かないことが多いのです。それが〝ただごと俳句〟ということ。内容が平凡でありきたりのことならわざわざ575にしなくても。またそういうことはいくらでも言えますし、その時の季語さえ入れて575にすれば、一見俳句らしく見えますもの。〝もし、あなた方が本物を目指したいと思うのなら是非勉強して下さい。ただの遊びの自己満足でも構わないのならお好きなように…人それぞれですから。私は是非皆さんに本物を志してほしいんです…〟などと、エラそうなことをこの教室の最後に話しました。皆さん、分って下さったかしら?

 〝それではまた、来年度お会いしましょう。「継続は力なり」ですよ!〟と言って、12時に解散。一年間お疲れ様でした!

 写真は、今回が最後になったレンジャーIさんの〝雉(きじ)〟の帽子。これを被って案内してくれました。Iさん、一年間有り難うございました。雉も春の季語なんですよ。また、葦原の〝野焼〟が済んだ後の〝末黒野(すぐろの)〟も見えていて、これも春の季語です。

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あなたは〝一山〟をどう読みますか?

2022年03月19日 | 俳句

 一昨夜は…炬燵でうつらうつらして目が覚めてみると、何だか地震のような報道が…。福島・宮城という文字が目に飛び込んで、エッ、まだ先日の東北大震災のことをやってるのと、一瞬思ってしまいました。目を擦りながらよく見ると、今し方起った様子…時計を覗くと夜中の12時前でした。

 昨日の朝起きて一番にニュースを見ると、夜中で状況がまだ分っていなかったのが徐々に分かり…やっぱり震度6強という被害は相当大きなものでした。それを見るにつけ被災された地域の皆様方には度重なる震災で、何と言っていいものやら言葉が見つかりませんが、とにかく心からのお見舞いを申し上げます。

 新幹線の脱線や高速道の通行止めなど、また断水で困っている人々をニュースで見ていると、今回は東北大震災のような大きな津波やそれによる死者などはないと…それで少しはホッとしました。でもあちこちでの数々の被害を見ていると、〝私たち4度以上の震度を知らんから6強というものがどんなものか分らんのやけど…何だか申し訳ないようやね~〟と、お婆ちゃんと話し、地震に余り縁の無い所に住んでいるのを感謝することしきりでした。

 さて、今日は先日の句会で気になったことを…。その前に昨日のアクセス解析のトータルアクセス数を見ると、〝トータル閲覧数1000789PV・トータル訪問数544028UU〟になっていました。最近気になってちょこちょこ見ていたのですが…とうとう閲覧数が100万を超えていました。訪問数も既に50万は超えていましたが…、やっぱりウレシイ!読んで下さった方々、有り難うございます。

 5年ばかり前、思うところがあって急に始めたブログ、それも見よう見まねで最初はどうなることやらと心配しながら。でもどうにか今日まで続けてこられたのも、ひとえに皆さまの閲覧があったればこそ。心から感謝、感謝!です。いつまで続くか分りませんが、これからも頑張りますのでよろしくお願い致します。

 では、句会で気になったことを…それは、漢字の読み方なんです。例えば昨日の投句の下五に〈…右左〉という句がありました。これは間違いなく〝みぎひだり〟と読みますね。ところがこれを上五に〈左右へと〉としたらどう読みますか?〝さゆうへと〟ですよね。このように意味は同じでも置かれた場所によって読み方も変わり、それでイメージが変る句も多々あるのです。

 私の句に〈一山を日溜りにして蜜柑黄に〉と〈月掲げ一山一寺おぼろかな〉〈一山の秋気集へり千木の空〉というのがあります。それぞれ順番に〝ひとやま〟〝いっさん〟〝いちざん〟と読みます。

 実は私の第二句集『甘雨』には、第一句集の反省から全ての句に読みを付けています。それは、初心の方たちや友人たちが、句集を貰ってもどう読んでいいのか分らないのが多いと言っていましたから。だから鑑賞する以前のところで躓いていたのです。読めさえすれば意味も調べられますが、漢和辞典で調べても読み方の分らない言葉が俳句では屡々出て来ます。それで私も散々苦労しましたのでよく分ります。そのため第二句集は初心者の方々の勉強にでもなろうかと全てに読みを付けたのでした。

 だから教室の生徒さん達にはとても喜ばれました。が、プロの句集としては邪道だとも…。でも、私はわたしですもの。それで十分に所期の目的を達しましたから満足です。

 先ほどの「一山」も、二番目の句のように〝いっさん〟と読むと、〝同一の境内にある本寺、末寺などすべてを含めた寺院の集合体。全山〟という意味になり、単なる一つの山ということではなくなるのです。また、最初の句は〝ひとやま〟と読ませることによって、〝くだものなどを山の形に積み重ねた一かたまり〟の意味を含ませて、蜜柑山がまるで蜜柑の〝ひとやま〟のように日を受けて、オレンジ色に染まっているという情景を思い浮かべて欲しくて詠んだものなんです。最後の句は季語「秋気(しゅうき)」という音に呼応しての読み方なんです。

 このように、読み方にもあれこれ考えて作句しているのですから、読者に正しく読んで貰えないというのは作者にとってはとっても残念なことなんですよ。

 他にもまだ書きたいことがいろいろありますが長くなりましたので、この続きはまた。今日はこれから午前と午後とダブル句会がありますので…オシマイ。

 写真は、ときわ公園にある椿苑のいろいろな〝椿〟、春の季語です。花言葉は「控えめな素晴らしさ」「気取らない優美さ」、いいですね。

 

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満開の河津桜へGo!フォーユー合同吟行会

2022年03月13日 | 俳句

 今日の天気は曇りから雨の予報なんですが、どんよりはしていてもまだ雨の降る気配はありません。このところこちらでは全く春の陽気で、今日も20度近くあり、とっても暖かです。

 さて、昨日は予定通りフォーユー合同吟行会で、防府市の海が見える公園「花の園」(新築地緑地公園)へ。宇部からは12名がそれぞれ車に分乗して、9時出発、10時過ぎ到着。そこで現地集合組2名と逢い、計14名の参加でした。

 ここは、工業団地の傍の縦長い公園で、「想い出の広場」として、130本の河津桜をはじめ、120本の紅白の梅、他に寒緋桜、陽光桜、紅枝垂桜などが植えられています。先日下見に行ったときが八分咲き、それから毎日暖かで、今日はほぼ満開でした。

 更に今日は週末という事もあって、たくさんの人で賑わっていました。桜にはそれぞれ記念樹としてのプレートが付けられていて、還暦や古希、誕生祝に卒業記念などと様々な記念日がありました。それで、句会にも〈人の世に記念日多し桜咲く〉というのが出ていましたね。

 青空の下、海から吹いてくる爽やかな風や可憐なピンク色の花が風に吹かれる様は、とても心が和みます。これらは全部記念樹として植えられたものですから、どれもちょうど見やすい高さに揃っていて、その満開の桜にたくさんの目白が蜜を吸いに…それが間近に見られましたので、私にしては珍しく鳥が撮れました。ちょっとボケてますが…でもウレシイ!…ということは、私のような者でも撮れるほどたくさんいたということでもありますけど。

 まさにひと足早い「春」を満喫できる、癒しのスポットでした。また、公園内には遊歩道も整備されていて、道に沿って紅白の梅が…これもまだまだ見頃で、いい香りを公園中に振りまいています。

 下の一枚目の写真は、一本の梅の木に紅白の花が咲くというもの。こういうのは源平咲きというんでしょうか。椿だったら源平椿といっていましたけど…

 また、河津桜のある広場とは別の広場には、寒緋桜、陽光桜、紅枝垂桜などの桜も植えられていて、自分たちの出番が来るのを今か今かと待ってるみたい……。

 解散して自由に散策し、11時30分には集合。次は昼食会場になっている、道の駅「潮彩市場」へ。ここには新鮮な海の幸や防府のお土産などがズラリと並んでいますので、あれもこれも買いたいという欲望をぐっと抑えて、さあ、2階の食堂「潮彩」へ…。ここは、新鮮な瀬戸内の海の幸を堪能できる食堂で、中はセルフサービス。ボリュームがあるのに値段も手頃というので、土日の昼時には、店の外に待つ人がいるほどの人気店です。案の定昼前でしたので客であふれかえっていましたが、私たちは予約をしていましたので…OK。日替わり定食1100円(税込み)なりと…貝汁にお刺身と、今日は鰆の塩焼きに小鉢と炊込みご飯…もうお腹いっぱいになりました。特に刺身…今日は鯛に鮪にハマチだったかしら…その一切れの分厚いこと、更にプリプリとして新鮮なこと!さすがは魚市場にある道の駅〝潮彩市場〟でした。

 それに今日はおまけが付いて…車に戻ろうとすると〝先生、これ、これ!〟と言って、1000円のお買い物券とマスクに濡れティッシュを見せられ…どうしたの?と聞くと、〝あそこで健康チェックをしてもらうと呉れるんですよ〟と。そりゃあ私も行かないと…ということで、「血管年齢」と野菜摂取レベルの「ベジチェック」を測って貰いました。何と何と…血管年齢は9歳も若い!ベジチェックも野菜は充足されていて、とてもいいですよって!更に1000円で夜のお総菜を買って…まあ、いいことだらけでした。車に戻ってみると…それぞれみんなもルンルンでしたよ。我が主人様も…

 それから、街の方にある「ゆめタウン防府」へ行き、そこの3階で句会。ここも駐車場代がいらなければ、借りた会場も無料だと…良いことずくめ!

 句会は吟行句を3句投句。計42句の全句講評ですから忙しくって、とても疲れました。しかし、お天気も良く暖かで、花は満開、料理も満喫…後は俳句のできだけですが…それはまあ大目に見て…4時30分には無事終りました。

 帰るとき初参加の新人さん3名に感想を聞きましたら、〝頭に血が上って…パニック!〟〝とにかく、スゴく疲れました〟と。でもいい勉強になりましたという最後の言葉で…まずまずの成功だったかしら。

 夕方6時前には宇部に戻って来て解散。皆さま大変お疲れ様でした。オシマイ!

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体験!これは異次元の世界?

2022年03月10日 | 俳句

 前回のブログからあっと言う間に10日間が過ぎてしまいました。この間私は一体何をしていたんでしょう???いつもの俳句教室と恒例の吟行会…それに週2、3回のリハビリへ、ああ医大の検診もあったんだっけ。おまけに5日(土)は下関へ…

 昨日は、12日(土)に行うフォーユー合同吟行会の下見に防府へも行ってきました。とにかくあちらこちらと駆け回って、時間を細切れにして使っているものだから余計に忙しい感じなんでしょうか。一日何もせずにボーッとしている日は今のところ全くないです。朝食は息子と自宅で、昼と夜は必ず義母のところで食べていますので…毎日行ったり来たりの生活。それで夜は疲れ果ててすぐに寝て仕舞うという有様なんです。

 書きたいことはあっても…ついつい延びてしまい、いざ書こうと思ったときにはもう忘れていたりして…。(笑) でも、ブログを更新もしていないのに読んで下さっている方もおられ、アリガタ~イと…心から感謝、感謝です!

 ところで、今日は5日に行った下関のことをちょっと書き残しておきたいので、それについて書きましょうか。これは、私にとっては初体験のことでしたから。

 実は下関市長府にある市立美術館で、写真家の野村佐紀子さんと芥川賞作家、田中慎弥さんによる対談イベントが開かれたのです。

写真家、作家 同郷対談 下関市立美術館 特別展関連イベント 野村 ...

 田中慎弥さんは芥川賞授賞式での記者会見の発言が話題を呼び、名前ぐらいは知っていましたが、作品は読んだことがありません。野村佐紀子さんについては写真家というだけで全くの無知。ですが、友人の知り合いということで出席することにしたんです。また、お二人とも山口県・下関市出身ということでも。

 同館で2月11日(金・祝)~3月27日(日)まで開催中の、佐紀子さんの特別展「海」(毎日新聞社など主催)の関連イベントの一つとして、この同郷対談が企画されたのです。事前申し込み、多数の場合は抽選で40名。その抽選に当ったというので友人からの誘いがあり、娘と出掛けました。

 田中さんは、ご存じのように2012年に「共喰い」で芥川賞を受賞。特別展「海」の図録集も兼ねて刊行された野村さんの写真集「海 1967 2022 下関 東京」(リトルモア)には、田中さんの書き下ろしの短編小説も収録されています。

写真家・野村佐紀子が個展「海」を開催。故郷にある下関市立 ...

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 対談イベントでは、特別展にちなんで海の受け取り方などについて語り合い、また、野村さんは田中さんに短編小説を書いてもらうために、出身地の同市綾羅木などの写真50枚を田中さんに渡したという。それで写真を見て小説を書くのが初めてという田中さんは「野村さんの写真を意識し過ぎて、最初に書いた原稿用紙4枚から5枚は捨てた」と話し、「野村さんの写真と対峙(たいじ)しながら距離を取って小説を書いた」と執筆当時の思いを打ち明けておられました。

 丸い黒縁めがねがトレードマークの、〝アラーキー〟こと荒木 経惟【あらき のぶよし、1940年(昭和15年)生まれ】さんの唯一の弟子だと聞いていましたし、彼女の代名詞ともいわれるのが男性ヌード。私には写真の世界というだけで異次元の世界なのに、その対象がこれでは…という、戸惑いがありました。アラーキーの写真もテレビで観たことがありますが、余り好きではありませんでしたし…。

 だから、今話題の人気作家?の田中慎弥さんとどんな対談をするのだろうという一種の野次馬根性。分野が全く違っても〝芸術〟という部分ではどういう接点が生まれるのかを知りたいと思いました。…が、自分の未熟さ故に充分なものを得ることはできませんでした。なんだか身に合わない高級料理を食べに行って、それが消化出来ずに胃もたれになったような感じ…自分ながら情けない!

 しかしまあ、こういう経験も人生には必要かも。何にしても十分理解しうるにはそれなりの努力と時間が必要であるのは当然のこと。だから私のような門外漢に写真の良し悪しなど分るはずもないのですが、ただここに展示されていた作品群は、野村さんの30年以上前から撮りためてきた代表作ばかりの151点の写真だと…

 タイトルの〝海〟には、〝静かだけれども激しい、繊細でありながら力強い〟という野村さんの写真に潜むアンビバレントな魅力に通じているというW学芸員の話。ナルホド…確かにそういうものを私も少しは感じ取ることが出来たような。でも、一番私が心に感じたのは、〝待つ〟という膨大な時間のことでした。これらの写真にはこの瞬間を切り取るために、表には出ていない数限りない写真が眠っているのだと。その見えないものが背景にあってこその世界なのだと。だからこの一枚のために費やされたはずの無限の時の力を感じずにはいられなかったんだと…思うのです。

写真家・野村佐紀子が故郷の下関で初の大規模な個展「海」を開催 ...

 また、野村さんはこうも言っています。〝写真を撮るときに、意図を込めるのではなくそこにあるものを切り取るからこそ写真に意味がある〟と。商業化され見栄え良く手を加えて作られた作品とは全く違うところに、野村さんの立ち位置があるのだということが何となく分りました。

 いろいろ思うことがあっても、私に能が無くて上手く言葉に表すことができません。悔しいけど…

 この写真集のために書き下ろされた田中さんの短編小説「海風」が、写真集の最後に収録されていますが…はい、読みました。が、どういったらいいのでしょう。俳句でいえば可も無く不可も無く…という感じ。テーマは分りましたが…今一つ肉薄感のない既成概念的なものかな…彼のあの個性的な発言から想像していましたのでちょっと残念…ゴメンナサイ!

 野村佐紀子さんが言うには、自分の作品はメッセージを込めて撮ったのではなく、〝向こう(被写体)に流れている時間とこちら(作者)の時間がちょっと合うタイミングみたいな、その瞬間〟を撮ったということのようです。だから、私の作品にはメッセージ性は込めていないのだから、例えば抽象画の作家にこれは何ですかと聞くようなもので、解説は出来ないとも。結局それを鑑賞する受け手側がどう読むかということに全て係っているのだということのようでした。だとすれば…私の感じたままで鑑賞すればいいということで…それでいいんですよね。安心しました。

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〝卒業〟のとき、あなたが歌ったのは?

2022年03月01日 | 俳句

 一昨日の午後、車に乗ってみるとナンと気温17度と出ていました。天気予報で春めいた気候になるとは知っていましたが、これほどとは…。上衣一枚脱いでも暑いぐらいで、この暖かさをついぞ身体は忘れていたようでした。

 昨日は、朝のラジオ体操へさあ行こうと…見れば雨がポツポツ。それで行くのを止めましたが、それが正解!今日聞いてみると行った人もいたようで、段々ヒドくなったので中止だったとか。結局一日中ショボショボと降りましたものね。

 さて、本日は恒例の月1回の吟行会なんですが、お天気の方は…どうでしょうか。予報では晴れで14度とか…でもそのことは次のお楽しみ!ということにして、今日は昨日の句会のことを…

 とうとう月が変って、昨日は3月1日。ニュースを見ると、山口県下の高校は殆どが卒業式だったようです。そう、その「卒業」が今回の兼題でした。

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 「卒業」という季語には、傍題に「卒業式」、「卒業証書」、「卒業歌」などがあります。そして、それについてくるのが〝別れ〟や〝涙〟〝袴〟など…例に漏れずやっぱりここでも出ていました。決してそれがダメということではないのですが、結局ありきたりの発想になって、どこかで見たような、または言わずもがなの句になってしまうことが多く、面白くない。ここが難しいところなんですね。得てして易しそうにみえる季語ほど難しいもの。それは自分で作ってみて始めて分るものなんですよ。

 さて、その中に〝卒業歌〟で詠まれたのが2句ほどありました。それで…〝この歌はどんな歌なの?〟と聞くと、〝そりゃあ仰げば尊しですよ〟と即答です。

 そうなんですね。私たちの年代では、卒業式といえば、先ず国歌〝君が代〟の斉唱から始まり、卒業証書授与、その後在校生の〝蛍の光〟と卒業生の〝仰げば尊し〟…最後に全員で〝校歌〟を歌って閉じるというのが式次第でした。でも、今はどうなっているんでしょうか。

 先日何気なくテレビを見ていましたら、卒業時に歌われる歌のランキングを、年代順に発表していたんです。1位から3位までの歌…20代~30代~は???40代~50代になると少しばかり知ってる歌。60代からはもちろん〝仰げば尊し〟がトップと…。私は、卒業する時は〝仰げば尊し〟を歌うものとばかりずうっと思っていたのですが、いつ頃から歌われなくなったんでしょうか。

  鉛筆で指す海青し卒業歌  寺山修司

 この句、何かノートに海のことでも鉛筆で書いていたのでしょうか。もしかしたら俳句…いや詩だったかも。そして、その海はどこまでも真っ青だった。折しも卒業の歌が近くから…。そんな景を私は想像しましたが、さてそのときの卒業歌とは?

 この作者が歌人,詩人,劇作家,演出家,映画監督であって、更に前衛演劇グループ「天井桟敷」の主宰でもあったという経歴から考えれば、この「卒業歌」は、もしかしたら最近の流行の歌やフォークソングのようなものなのではと思われる方もおられるかも。例えば、私は全く知らないのですが、卒業ソングの定番になっているという、ロックバンド・レミオロメンの「3月9日」という歌。また、かつては海援隊の「贈る言葉」やユーミンの「卒業写真」など…これは私も知ってますよ。(笑)更に、小学校などでは「旅立ちの日に」とか。

 卒業というのは、人生の一つの区切りです。それをもって人は成長していくもの。言うなれば、竹の節のようなもので、その卒業によって別れの悲しみを知り、またそこから新たな世界へと出発する起点にもなる。そして、その出会いと別れを重ねる度に人は一節一節と強くなり、天へ伸びて行く…そう私は考えています。

 殆どの人は、幼稚園から小学校、中学校、高校へと卒業を繰り返し…その先には就職して社会人になる者、大学などへ進学する者など、多種多様の人生が広がっています。そんな節目が「卒業」ならば、その時に歌う歌も意味深いものであるはず。それを歌っているときの気持ちは誰でもが経験済みでしょう。歌詞が古くて難しいとか思想的によくないとか…そんなことを考えて歌っている人はいないのでは。それよりもその旋律によって、6年間あるいは3年間、ともに過ごした仲間の顔、時には叱られたことのある先生の顔、慣れ親しんだ教室や運動場など…そんな諸々のものが髣髴し、そしてそれはもう2度と帰らないのだという感懐が入り交じって思わず涙する…その涙の味はきっといつまでも忘れられないと思うのです。

 そんなときに歌う歌は特別なもの。今思えば私も、あの〝仰げば尊し〟の歌詞をどうのこうのというほど理解はしていませんでした。確かに小学生や中学生には難しいかも知れません。が、あの旋律のもつ美しさや心にしみる情感はとっても好きでした。意味も分らずに覚えた歌であっても、それを歌うときはいつも心にジーンと響きましたもの。いつでもどこででも歌えるような今風の他の歌ではこの感覚は絶対生まれてきません。どんなに古くさくっても、卒業の時はこの歌だという生涯変らぬ歌が一つぐらいあってもいいのではないでしょうか。あの別れの歌である〝蛍の光〟とともに。そういう意味では今時の子どもたちにはそんな感情が生まれてくる卒業の歌はないのではと…心配になります。そうすると、それによって人との出会いや別れを大事に思う心…ひいては人を大切に思う心が希薄になってゆくような気がしてなりません。だとすれば強くて逞しい節など出来るはずがないでしょう。これからの日本を背負ってゆく若者たちが、すぐに折れてしまうような貧弱な竹ばかりでは…カナシイ!

 なんて、…つい話が飛んでしまいましたが、私は国歌と同じように、人生には永遠に変らぬ〝卒業歌〟があってもいいのでは?と思うのです。古今東西日本では、これが〝我が人生〟の節目の歌だといえるような歌があった方がいいと。

 そういう意味からしても、修司の卒業歌は〝仰げば尊し〟でしょう。ちなみに、寺山修司は昭和10年生まれで、昭和54年に47歳で亡くなっています。この〝仰げば尊し〟が急に歌われなくなったのは平成に入ってからということですもの。

 さまざまな表現活動で多くの人に影響を与えた寺山修司が、生涯を通じて求めたものの一つ、それは「対話すること、他人と関わりを持とうとすること」だったとすれば、彼にとっての〝卒業歌〟はやはり〝仰げば尊し〟でなければならないような気がします。

 

コメント (5)
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