ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

突然の電話!?

2020年06月29日 | 俳句

 今日は梅雨の中休み?午前中はで午後からは、でも夕方から夜、明日にかけては、それも大雨の予報が出ていました。しかし、洗濯物が溜まりますので、急いで洗濯して干しましたが、やっぱり15時過ぎにはパラパラと。まだすっきりとは乾いていませんでしたので、浴室の乾燥機へ…。

 今朝のことですが、珍しい人から電話がありました。かつて勤めていた学校の先輩です。随分会っていませんが、声は昔と変わらずとても元気そう。突然の電話で何事かと…いや、いや、きっと俳句のことではないかと予想はしていましたが、見事的中でした。

 そういえば、昔の同僚で俳句をしている人…結構いるんですよ。殆ど私をきっかけに、というか私が勧めて誘ったような人達なんですが、10人以上はいるかしら。そして、その人達が友人を誘ったりして増え…。また、俳句教室に入門してから始められた方なども合わせると100人は下らないような気がします。入門しても辞められたり亡くなった方などもいますので、それ以上の人々に、私は俳句の〝種蒔き〟をしてきたんですよ。それがやっと発芽して、花を咲かせようとしているのかと思うと、ウ~ン、これは感慨深い!

 では、そろそろ話を元に戻しましょうか…先輩の先生からの電話でしたよね。

 退職後は故郷へ戻って実家を守っておられたので、昔訪ねて行ったことがありました。山口の長門峡近くの篠目(しのめ)という田舎なんですが、そこで音訳のボランティア活動をされていると。

 今回句集の音訳を頼まれて、どういうことに気をつけて読めばいいのかを聞きたいとの電話でした。

 私も以前朗読の会で活動していましたので、多少は分ります。しかし、私が所属していた会は、市の広報を読んでテープに吹き込み、それを必要な方に配布するというもの。それらはみな伝達の文書ですので、一切感情は込めず、標準的に平常心で読むことでした。でも、小説や詩などの読み聞かせも練習はしていましたよ。

 彼女も小説などの文章はいつもしていることなので悩まないのだけど、俳句になるとその読み方でいろいろ変わってくるのではないかという心配でした。どういうことに気をつけて読んだら上手く伝えられるかということです。

 確かに詩や短歌などの韻文学の中でも俳句は最短。そのためその17音には多くの内容が凝縮されています。それを感受するにはある程度の俳句的素養が必要かも。だから、素人では先ず読めない句があるでしょうし、また、読めても意味の分らない句は多いことでしょう。それを目の見えない方へ音訳するということ自体もう大変なことだと思います。

 結社にも目の見えない方が…というより病気で見えなくなった方がおられます。しかし、毎月欠かさず投句されていて頭が下がりますが、俳誌はどなたかに読んでもらっているとか。要するに、聞く方も読む方も俳句に通じていれば、かなりの理解は可能でしょう。

 また、目の見える私にも意味の分らない句はたくさんありますが、でも文字が見えている分、理解の助けにはなっているはず。それを音声だけでどれだけ伝えられるのか。特に、熟語などは漢字である程度意味が分りますが、それを音声にすると意味の区別が付きにくい単語ってたくさんあるでしょう?

 更に、傍に居て読んであげられるのなら、質問も説明も可能でしょうが、録音したものをどういう人が聞くかも分らないとなると、これは本当に難しいでしょうね。

 私たち俳句を詠む側からは、自分の表現したいことを伝えるための表記にはかなり拘ります。17音しかないんですもの。ここは漢字にするか仮名にするかで悩みますし、助詞1音にも苦心するのです。そうやって苦心した句の発信情報をどれだけ受け取れるかも鑑賞者の力量なんです。

 いい鑑賞者によっていい作品になるという話は芭蕉にもありましたものね。要するに〝伯楽〟がいてこそ〝名馬〟が生まれるの話なんですが、芸術にはそういう部分が多分にあるかと。鑑賞も創作でもあると…。

 「音訳」の意味には〝視聴覚障害者などのために、文字情報を音声に変換すること〟とありますが、単純な変換では作者の心までは音訳できないでしょう。

 そこで私が彼女に助言したことは、〝間〟の取り方を工夫して…ということでした。いうなら余白です。言外に込められた意味を目でなく音で伝えるには、間しかないでしょう。他には音の強弱、抑揚にも込められますから、自分なりに句を読んで作者の気持ちになって読んであげることも。もし分らない句があれば、それには無理な抑揚は付けずにさらりと読みながすことだって必要かな…。あとは自信を持ってね。自信の無い声は聞く人にすぐに分るでしょうから。さあ、ガンバって!……なあ~んちゃって、エラそうに。(笑)

 俳句では〝吟行〟が一つの大きな要素ですが、〝吟〟とはそもそも〝詩歌などを作ったり声に出してうたったりすること〟なんです。だから音楽にも通じるところがあるんですよね。(カヌマ先生…わかるかしら…)

 写真は…やっぱり我が家の〝紫陽花〟。もう見飽きたでしょうが、ガマンして見てやって下さい。

コメント (8)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〝ら〟抜きことばは?

2020年06月27日 | 俳句

 今日は予報通りに雨が降ったり止んだり…あるときは集中的にひどくなって大雨注意報も出たりと、忙しい一日でした。今夜も雨や雷雨となるらしいのですが、明日の日中は天気が回復して、お日様マークも出ていましたよ。でもまだ梅雨明けは先なんでしょう。

 ところで、今年度からフォーユー馬酔木の句稿を主人が作ることになって、その準備の時の話。この句会には10人参加で、1人5句投句。それにいつも選句眼を養うため、兼題に近い季語で詠まれた名人の句を3句、私の2句と合わせて投句しますので、しめて55句になります。

 その時私が選んだ句に飯田蛇笏の〈月いでて見えわたりたる梅雨入かな〉がありました。

 主人がこの句を見て、〝うん、まあまあの句じゃの~。でも下五の字余りはもたもたしてあまりようないが…〟と。〝そんなことはないでしょ!〟とみてみると、〈梅雨入〉を「つゆいり」と読んだようです。そこで私が〝あら、こう書いて「ついり」と読むのよ。知らなかった?〟と言うと、〝それは俳人だけに通じる便利な言い方なんじゃろ〟というので、〝違うわよ。れっきとした古語での読み方なんですからね〟と、古語辞典を引いて見せました。主人は今始めたばかりの初心者でもないのですが…。聞くとそう読むのを知らなくて、ずっと「つゆいり」と読んでいたんですって。

 この時の兼題は「夕焼」でしたが、この季語も下五に来たときなど、例えば「大夕焼」を「おおゆやけ」とか「秋夕焼」を「あきゆやけ」とか、5音にして読んだりします。しかし、これは辞書には載っていませんから、俳人特有の読み方なんでしょう。

 他にも「大根」を「だいこ」と読んだり、逆に引き延ばして、「牡丹」を「ぼうたん」とか「蛍」を「ほうたる」とかも…。ちなみに、「だいこ」は広辞苑にありますし、「ぼうたん」は広辞苑と文語辞典にも、「ほうたる」はどちらにもなくて、歳時記のみでした。

 時々5音にするために、無理やりにそれを応用して何にでも当てはめて使う人がいますが、それはよくないでしょう。しかし、一昔「ら」抜き言葉が若者の間で流行して、社会でも学校でも問題視されていましたが、今ではもう当り前のように使われていて、あれこれ言う声も聞かなくなりました。私も現役の時はかなり抵抗して、生徒たちに指導したものですけどね。遠い昔のことになってしまいました。

 現在は俳句を間違った文法で詠まないように、また、文章を書くときも正しい表現をモットーにやっているつもりなんです。でもこのブログではあまり堅苦しくならないようにと、口語や略語、方言、隠語的な若者言葉(?)、絵文字なども使わせて貰っていますが、本来は〝美しい日本語〟を目指したいと思っているんですよ。

 しかし、言葉というものは昔から時代とともに変遷してきたものですから、新しい言葉や表現が現れるのも仕方のないことかも知れません。が、常に忘れてならないことは、時と場合を選んで使うということなんです。せめて俳句をする人は正しい文法を率先して使ってほしいし、また、決して言葉の乱れを引き起こすような言葉遣いはやめてほしいのです。皆さん、いろいろ勉強して、この表現でいいかどうかを判断し、よい句を詠んでくださいね。

 写真は、我が家のノウゼンカズラで、俳句では〝凌霄花〟として夏の季語。この木は、主人の実家が立ち退きになって壊される前、根を一株持ってきて鉢植えにしていたものです。芽は毎年出て枯れはしないものの大きくもならず、そこでやっと3年前地に下ろしてから初めてつけた花です。意外と色の濃い花でした。

  凌霄は妻恋ふ真昼のシャンデリヤ        中村草田男

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本当に〝完治〟したの?

2020年06月26日 | 俳句

 今朝はまだ昨夜からの雨が残っていて、ウッドデッキが濡れていましたが、主人は早朝からゴルフへ。また降るのかしらと思っていると、どんどんとよくなって、とうとう午後には洗濯日和に。でもまた明日からしばらくは雨ばかりの予報なんです。

 昨日は一日中雨で、朝のうちは大雨注意報まで出るという降りようでした。でも、3週間ぶりの骨折のレントゲン撮影が午前中でしたので、その土砂降りの中を整形へ出かけました。

 結果は…もちろん悪くなるはずがありませんので、先生から、〝この骨折の治療は今日で終りにしよう〟と言われたのも当然のこと。〝でも……〟と、ちょっと腑に落ちないような顔をしたものだから、先生が過去のレントゲン写真を順番に並べて見せてくれました。確かにそれを見比べてみると裂けたところが白くなって骨ができている様子がよく分りました。なのに何だかすっきりしないんです。〝まだ何かあるのかね?〟と言われ、〝ここの折れたところの段差のズレはこのままなんですか?〟と聞くと、〝人間の体は分らないからね。1年もすれば差がなくなっているかも知れないし、年だからもうこのままかも知れない…〟と。そりゃあそうでしょうけど…。まだズキズキと痛むときがあるし、腫れも完全に引いていないので、今までの靴も履けないし…。これで〝完治〟というのかしら?

 すると、気になれば1年後にまたレントゲンを撮って確かめてみたらいいよですって。手術をすればズレがないように金具で止めてきれいにはできるが、その手術のリスクの方が大きいからねえ…とも。これから後はもう〝自然治癒〟しかないということなんでしょう。

 ほんのちょっとした踏み外しからこんなことになり、それ以後あちらこちらから体調不良が出てくるという…これが年ということなんですよ。高齢者は骨折すると寝たっきりになるから気をつけないととよく言われますが、マコトそうですね。この程度でよかったと思わなくっちゃ!これでも全治4ヶ月なんですから。

 整形のリハビリが終って家に戻り、また午後は俳画教室へ。この日の画題は〝枇杷(びわ)〟でした。これも以前に何度か描いていますので、大体は分りますが、初めての人は困るでしょうね。今までは最初に先生の周りに集まって、手本を書くのを見てから各自が描いたのですが、それも密集になるからいけないと…。何にしても難儀なことです。終って帰る頃には雨も小降りになって、よかったんですけどね~。

 ところで、新型コロナウイルスの感染者が今日、また全国で新たに105人が確認されたとか。1日の感染者が100人を超えるのはナント5月9日以来の48日ぶりだそうです。それに東京の感染者54人のうち空港の検疫で感染が判明した6人は海外からの飛行機の乗客だったと。

 こちら山口県では5月5日以後一人も出ていませんが、それは他県への移動自粛のお陰でしょうから、移動が自由になればどうなるか分りませんし、他の所でも同じでしょうからね。本当にこの状態がいつまで続くのかしら。嫌になってしまいます。が、もっと大変な人もいるのだから…ガマン、ガマン!

 くさくさするので久し振りに日本酒を飲みました。空きっ腹に飲んだのでちょっと酔ってしまい、今度は眠たくなって…先ほど目が覚め、今こうやってブログ書いているんですよ。アハハハ…

 今日のお酒は味見に買ってきた「白牡丹」、広島のお酒です。口に合うかどうか分らないので、こういうのを買ってきては比べているのです。ウウ~ン、これはまあまあかな。(笑) 

コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どうして〝疼く〟の?

2020年06月24日 | 俳句

 今日はまた何といういいお天気…完全に梅雨を忘れそう。外は暑いかなと思って、洗濯物を干しに出ると結構風が強く、肌にさらっとした感じで、とても気持ちのいい日でしたね。

 ところが、昨夜は…というより夕方ぐらいからかしら、体中が疼いて、疼いて、自分の体を持てあましてうんうん唸っていました。よく言う身の置き場がないという感じで、何がどうしてそうなったのかさっぱり分りませんでした。

 これは、風邪などを引いて熱が出る時の感覚だわと、すぐに体温を測ってみましたよ。でも平熱…。じゃあ何か悪いものでも食べたかしら? 思い当りません。とうとうどうしようもなくて、早くに寝たのですが…それでも一晩中体が疼いて寝られなかったんです。もしかして暑いからかもとクーラーを入れてみてもダメ…とうとう鎮痛剤を飲んでやっとのことで眠れました。それで今朝は、〝もうすぐ9時やで~〟と、主人に起こされるまで寝ていたんです。

 夕べのあのどうしようもない〝疼き〟は、今朝はなくなっていましたので、ああ、良かったと…。でもあれは一体何だったんでしょ? 確か昨日は車内の温度が36度になっていましたが、その暑さのせいではなさそう…では忙しかったから? それだって熱を出すほどでは。昨日も俳句教室でしたので頑張りましたけど、あの程度のことならいつものことですし…本当にさっぱり分りません。

 こういことがちょこちょこ起こるようになったら…もう先が短いのでは…なんて考えてしまいましたよ。(笑)

 でも、この〝疼く〟という字を書いていて、やまいだれの部首になぜ〝冬〟?とふっと思ってしまいました。「疼く」というのは、〝ずきずき痛む〟という意味ですから、やまいだれは当然。でも、冬だけで他の春、夏、秋を使った漢字はないし、病気で痛むのは年中のことなのにどうして…と、疑問がわきましたので調べてみました。すると、音符の冬は鼕(太鼓の音)に通じ、つづみをトントンとうつの意味。それで〝間をおいてずきずき痛む〟と言う意味を表すのですって。

 ヘエッ、じゃあ太鼓の音なら季節での冬になぜこの字を使うの? という疑問がまた…。調べてみましたが、ここではやめましょう。知りたい方はご自分でどうぞ。こういうのを調べてみるととても面白いですよ。そうすると、今更ながら本当に知らないことばかりなんです。漢字一つとっても、まるで昔から知っていたかのように、何の疑問も持たずに使っているでしょう。でもこれを最初に考えた人がいたんですよね。それも紀元前1500年前後も昔に…もう何をか言わんやです。

 そう考えてみれば、全てのことが過去から今日に至るまでの無限なる人々の英知の成果であって、その恩恵のお陰で今があるということなんですね。そして、それは今後もまたいろいろな分野で受け継がれていき、さらに未来へとバトンタッチされていくのでしょう。私はそれらの恩恵をただ受けるだけで何一つ恩返しらしきものは出来ないのですから、せめてそれらへの感謝の心だけは忘れずに生きていきたいと思っています。

 今回の新型コロナウイルスに対しても、いま全世界の人々が英知を集めて解決策を講じているのです。やがて数年後にこのウイルスの撲滅法が見つかったとき、誰もが安心して暮らせるようになるでしょう。

 しかし、そういう人類への貢献ができる人というのは、ほんとに限られた人たちだけです。殆どの人が直接的に関わることなくその恩恵だけを受けて生きていく…そこで考えてみて下さい。一人一人が自分には一体何が出来るのかということを。自分の存在意義を考えて生きていきたいと思いませんか。

 今日のNHKテレビ「クローズアップ現代+」では〝回復したはずなのに…元感染者たちの悩み!〟を採り上げていましたね。せっかく治ったのに…なぜ肩身の狭い思いをして生きていかなければいけないのかと…

 人間って本当に勝手なところがありますから、自分のことだけ考えて知らずに残酷なことを言ったり、したりすることがあるでしょう。私は先日、最初の感染者の方が自殺していたという話を聞いて、ビックリすると同時に、すごく心が痛みました。その方だってどこかで移されたものなのに。それではその発生源になった武漢の人のせいなのかというと、それだって責められないことでしょう。好きで感染したわけでもなければ、わざとでもないんですから。なのに感染したのは〝自業自得〟だと考える人の割合が、日本人は他の国に比べるととても多いんだとか。また、回復してもその後の長引く体調不良を訴える方も多いと。だから心身共に辛い日々を過ごしておられるということでした。なんだかやりきれませんね。自殺された方のことは私も主人も全く知りませんでしたので、きっと報道にストップが掛かったのではと思いますが…。もしそういうことなら他にも犠牲者の方がおられるのではと…、また心配になります。

 何一つお役に立てないのですから、せめてその人の身になっての〝思いやり〟ぐらいは常に持っていたいものです。

 そう、そう、〝疼く〟には、もう一つ〝ある感情に刺激されて、心が落ち着かない〟という意味もあるんですよ。どうかこれからは心が〝疼く〟ことがないように。だってこれは鎮痛剤では治りませんもの…

 写真は、〝犬枇杷〟(いぬびわ)で、夏の季語。クワ科イチジク属の落葉低木。雌雄異株で、初夏無花果(いちじく)に似た花序をつけ、雌花の花序は受粉すると秋に熟して食べられます。あまり美味しくはないのですが、中を割ると無花果のようにつぶつぶがあります。なのになぜ〝犬無花果〟と言わずに〝犬枇杷〟と言ったんでしょうね。フシギ! 下の写真は我が家の無花果です。よく似てるでしょ!

コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月の兼題は〝葛餅〟ですよ!

2020年06月22日 | 俳句

 今日は梅雨ということを全く忘れさせるような晴天…というより〝もう梅雨が明けたんじゃないの?〟というような暑さでした。これはやっぱり夏至が過ぎたからだ…なんて主人は言いますが、それはないですよね。新聞の天気予報を見ると、明日までは晴天ですが、明後日の午後からは段々と崩れ、しばらくの間雨と曇りが続くんですって。やっぱり梅雨明けはまだまだなんです。

 車に乗ると30度を超す暑さを、主人とF俳句教室へ。ここも4ヶ月ぶり…。その兼題が2月の時でしたから〝草餅〟。3月も、4月もそのままにして再開を待ちました。やっと6月開催。となればいくら何でも春の季語ではねえ~と言って、夏の〝葛餅〟に変えました。

 この〝葛餅〟というのは、葛粉と水を練り合わせ、煮立ったものを箱に流して冷やし固めた菓子です。他に〝葛切〟や〝葛饅頭〟〝葛桜〟なども同じように葛粉をもとにした菓子ですが、葛の涼味とさっぱりとした食感で夏に好まれるものとなったのです。

  葛餅や吉野まぶしき空となり        茨木和生

  葛切の舌にはかなき午後三時        文挟夫佐恵

  宵は灯の美しきとき葛桜          森 澄雄

 私もそうなのですが、殆ど句会がないと句を作りません。よく言われるのに、〝先生はすぐに句が出来るんでしょう〟と。とんでもありません。さあ、句会があるから明日までに5句作らないと…、と考えて、やっと出来ることもあれば、一晩考えても1句もできないことだってあるんですから。何と言うこともなく出来るくらいなら苦労はしないのですがね。

 それに夜中に朦朧として考えた句なんて碌なものがなく、朝起きてみると、どれも使いようのないものばかり。こんなことなら寝た方が良かったなどと思ったこと、みなさんにはありませんか。

 だから4ヶ月もブランクができると、俳句的な頭に切り換えるのが難しくなります。だからせっかく調子を上げていたYさんも苦労して…ではその句を少し見てみましょうか。 

  潮騒のかすかな座敷葛桜       〈潮騒が座敷へかすか葛桜〉

  フルートの音どこからとなく葛桜   〈どこからとなくフルートや葛桜〉

  野良猫とちらっと合ふ目草の餠    〈野良猫とちらと目の合ひ草の餠〉

 どの句もよく分かりますし、詩情も感じられて、まあまあの句です。やはりここまで来るのに何年か掛かったはずですのに、勿体ないことです。ちょっとのことですがこの推敲が俳句にはとても大事なんです。助詞の1音や語順を変えたことで句ががらっと変わることってよくあるでしょう。それなんですよ。

 それでは見てみましょうか。俳句が文語でということはいつも言っていますので、Yさんもそれは分っていて、三句目の「合ふ」というように旧仮名遣いを用いています。それなのに1句目の「かすかな」は口語文法なんですね。文語ならば「かすかなる」と。でも字余りになるのでそうしたのでしょうが、これはやはり大事なところ。また、リズムの上では2句目の上五が字余りだけで問題はないです。なのに今ひとつすっきりしないのでは? それはYさんも気がついていて、…でもどうしていいか分らなくて…と、悩んだ末の結果だそうです。では、ちょっと手を入れてみましょうか。その句を原句の次に並べてみました。見比べて、繰り返して読んでみて下さい。いかがでしたか。何か気がつきましたか?

 これはどういうことかというと、要するに中七と下伍の繋がり方の違いなんです。3句ともここで切れが入っているのですが、それを名詞と名詞でぶつけている。更に大抵下伍に季語がきているので、まるで取って付けたように感じられるのです。せっかく切れているのに息が出来ない…即ち息苦しく感じるのです。そこで間を置いて、おもむろに季語へと転換させる、そう説明したら分ってもらえるでしょうか。

 特に2句目などは、上五が字余りのため〈どこからとなく〉が〈葛桜〉に掛かるように感じられておかしいと思うのです。

 以上で同じ言葉を使ってもその組み立て方次第では句が良くも悪くもなるということが納得できたでしょうか。Yさんも、〝ああ、そうだった!〟と、思い出してくれたようでした。だから、継続しないと、人というものはすぐに忘れてしまいますので、また振り出しに戻ってしまうんですね。

 このことは、何にでも言えることでしょう。即ち〝継続は力なり〟ということなんですよ。だから、みなさん休まずにガンバリまっしょ!

 写真は、〝ニワウメ〟で、花は春の季語、実は未だ歳時記には載っていませんが、よく似たユスラウメの実が夏ですから使ってもいいかと思います。

 この〝ニワウメ〟は、中国の北部を原産とするバラ科の落葉樹で、古い時代に日本へ渡来しており、万葉集にも古名ハネズとして登場します。花や果実の様子をウメに例え、庭に植えやすい小型のウメといった意味合いで名付けられましたが、実際の質感はウメとは異なります。

 花期は4月ごろで、葉と同時あるいは葉に先立って小花を枝いっぱいに咲かせ、花弁は5枚でその先端は丸みを帯び、多数のシベがあります。原種はピンク色ですが白花の品種もあり、開花期間は比較的長いです。6月ごろにできる果実は直径8~12ミリの球形。熟すと光沢のある赤色になり、生で食べることができます。中には淡い褐色の種子が一粒入っており、漢方ではこれを「郁李子」と呼んで杏仁などと同様に薬用とするようです。

 6月16日と21日に撮ったもの。キレイに色づいていましたので、食べてみるとまだ酸っぱ~い。鉢で枯れそうになっていたので地植えすると生き返って、この通り小さいながらも初めて実を付けました。やっぱり実の生るものはいいなあ。

  

コメント (7)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〝きらら俳句教室〟第2回目で~す!

2020年06月21日 | 俳句

 今日は六月の第三日曜日、ということは〝父の日〟ですね。更に今日は〝夏至〟でもあり、日食でもあって、賑やかな季語の日となっています。でも日食は季語ではありませんから気をつけて。

 今回の日食は部分日食で、夕方16時ごろから18時ごろにかけて、日本全国で見られるんだそうです。南西日本ほど大きく欠け、沖縄などでは深い部分食となり、インド北部や台湾などでは金環日食が起こるとか。

 また、日本の広い範囲で見られる日食は、次回は2030年まで起こらないということなので、出来れば見たかったんですが、気がついたらもう過ぎていました。さてこの宇部ではどうだったんでしょう。

  父の日の忘れられをり波戻る          田川飛旅子

  一代(よ)わが夏至のごと日のながかりし    森 澄雄

  青葉の香日蝕の潮流れけり           朝倉和江

 そんな日でも我が家はいつもと変わらず。でも娘が父の日にビールを送ったよと言ったので、私が今度からは日本酒にしてねと…。それも先日のお酒の話を書いたときの、日本酒のランキング1位の「小鼓」がいいと言ったら、それも送ってきました。私にじゃないけど…(*^-^*)

 じゃあ今夜飲もうよと主人に言うと、〝今日はビールの気分やから…〟と。残念!次回へのお預けとなりました。それは今度飲んだときにでも書きますね。

 さて、私このところ俳句漬けなんです。金曜日はK教室、土曜日宇部馬酔木ときらら俳句教室、明日F教室、明後日O教室…と連続。毎月ではないのですが、その月が何曜日から始まるかで今月のように連続になることがあります。そういう時はちょっとしんどいですが、その後が一週間から10日ほど何も予定がなくなりますので、気分的にはかえって楽かしら。

 では、今日は、第2回目の〝きらら俳句教室〟の話でもしましょうか。

 欠席者が3名いましたが、事務所の方が加わったので14名。前と違うところを回ることにしました。

 でも、前回に比べると一歩前進ですよ。お世話をして下さるレンジャーのSさんが、この教室のために参考資料を作って下さったんです。「6月のきらら浜で使える主な季語」ということで…。これから毎月作って下さるというので本当に助かりますし、たのしみですよね。

 それを見ると、鳥は夏鶯…アハハッ、ちゃんと季語として調べて下さっているんです。ここでは恐らく聞かれたら〝ウグイス〟と答えられるんでしょうけどね。他に蟹…これもここでは〝アカテガニ〟がよく見られるんですって。他には鵜や花なら捩花(ねじばな)や夏萩とか。捩花はやっと咲き出したところ…

 それから〝トンボ〟なんですが、これは秋の季語だから、夏の季語には〝蜻蛉生る(とんぼうまる)〟があるということまで調べてありました…ああ、もうプロ顔負けですよ。参った、参った!

 Sさんに〝面白いですか?〟と聞いてみると、もちろんと。しっかり俳句にはまりましたね。とても生き生きと行動されて…私も嬉しい。仲間が増えるということはいいです。

 先ずは吟行で外に出て、さあ皆さん、今日も天候に恵まれて…と言おうとすると、空には雲が多かったんです。じゃあ、今日のような空を詠むんだったら〝梅雨曇〟ですよお~。〝梅雨晴間〟や〝五月晴〟というのは、もっと青空が見えるような時に使ってくださいね~。

 あら、蜻蛉が…これは〝糸蜻蛉〟だから夏の季語で良いんです。普通の蜻蛉は秋ですが、このように夏に飛んでいる蜻蛉もありますから、よく調べて使うようにしましょう。

 今回の吟行で皆さんが見つけて、俳句に詠んだ季語には、他に〝雪加(せっか)〟〝天牛(かみきり)〟〝乱鶯(らんおう)〟〝蜘蛛(くも)の糸〟〝蝸牛(かたつむり)〟〝楊梅(やまもも)〟〝蘆(あし)の花〟〝茨(いばら)の花〟などでした。あとは〝捩花〟。

 それから今回感心したこと。第1回目では季重ねが多かったので注意をしましたが、今回はナント1句のみ。後は立派にクリアーされていました。〝わあ~、皆さん全員才能ありですね!〟と言うと大笑い。

 今回の最高点句は〈ねじれ花巻きつ遊びつ天めざす〉で、俳句は全く初めての若いHさん。〈巻きつねじれつ〉と言わずに〈遊びつ〉と言ったところ、また〈天めざす〉もいいですね。やれ右巻だ、左巻だと、しっかり観察してたもの。

 そうそう、もう一つ次点の〈抱卵蟹浜への途中自動ドア〉という句でしたが、〝これ、浜へ行く途中に自動ドアがあったの?〟(笑)〝蟹はどこにいるのかしら。ドアの中?それとも外?〟などと聞くと…実は作者はレンジャーのSさんでしたが、〝アカテガニがお腹に卵を一杯抱えてこの会館の自動ドアから入ってきたんです〟と。〝じゃあ、浜は遠くにあって見えないのね〟〝はい、浜から上がってきてここへ来たのだろうと…〟

 そうなんですね。作者はとっても珍しい景に出会って、これを是非詠もうと思ったのに違いありません。ここに勤めているからこそ分るなかなかいい句材です。でも、なぜそれがすっきりと理解されなかったのでしょうか。それがこの句の欠点。〝三段切れ〟になっているからなんです。五/七/五で切れた句を詠むと分りにくくなるし、また、今目の前にいる蟹だけを描写すればいいのに、中七で不要な説明を入れようとしたため却って複雑になったのです。

 初心の時はとかく何でも言わなくっちゃと思い、詰め込み過ぎて、三段切れになりやすいんです。そこで邪魔なものを除けて〈抱卵蟹自動ドアより入りてきし〉とすれば、間違って入ってきた蟹が見えてくるでしょう。〈抱卵蟹〉はちょっと固い表現ですが、ここでは大事なことですので、このままに…。すると、卵を産もうとして浜へ行くつもりの蟹が途中で迷って自動ドアを入ってきた…と、可笑しくもあり、また哀れでもあり…という気持ちが読者に伝わるでしょう。

 ということで、次回の課題は〝三段切れ〟のクリアーということにしましょうと言って、12時に閉会しました。ところが、この2回をやってみて、どうしても時間が足りないということが分り、来月からは始まりを30分繰り上げることに。皆さん本当に熱心ですよ。

 帰るときに館長さんから、〝ここの俳句教室はレベルが高いですか〟と聞かれたので、〝もちろん、みな才能あり!〟と、…無事終りました。お疲れ様でした! 

コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4ヶ月ぶりの吟行会で~す! その2

2020年06月20日 | 俳句

 今日は第3土曜日。3ヶ月の間通信でしていた宇部馬酔木会の恒例の句会がやっと開かれました。ところが、4月開講予定がコロナでできず、急遽5月30日に第1回を開いた「きらら俳句教室」、これが本来は第3土曜日の午前中でしたので、その第2回目があったんです。

 まあ、それなりにどちらも楽しくやれたのですが、その報告はまた次にでも。

 今日は、先日の吟行会の後半が残っていますので、それをどうぞ。

 〝乃木浜総合運動公園〟を後にして、次は近くの古墳群を見に行きました。

 下関市のホームページによれば、この古墳群について「和名抄(931~938)」に書かれている文献を見ると、厚狭郡九郷の中に松屋郷とあり、この松屋の丘陵地帯には大化改新(645年)前後には集落が存在し強力な地方豪族の一族が土着していたと伝えられいます。その代表的な古墳が工領(くりょう)古墳で、先ずはそこへ行くことにしました。

 ところが、車2台が迷ってしまって、田圃の中をぐるぐると…。しかし、それを句材に一句をしっかりものにしていました。さすがみなさん、やりますね~。

 またこの近くには点在する古墳群がたくさんあったのですが、厚狭・埴生バイパスの建設にともなって、路線に引っかかる傍示(ほうじ)古墳群7基のうちの3号墳、4号墳、5号墳の3基を移設して、王喜傍示古墳広場にしてありましたので、次はそこへ。

 この古墳は、古墳時代後期(約1400年前)の円形古墳で、切石を使った整美な横穴式石室(単室)が完全な形で残っていて、石室の広さは、奥行3.4メートル、幅1.9メートル、高さ2.05メートルで、羨門(せんもん)は東南に向いています。

 なお、工領二号古墳はこの西側至近の所にありますが未調査。この他、松屋地区には工領傍示(下関市最東端)に3基(うち1基未調査)、串大塚古墳1基(未調査)松屋八幡宮北側古墳1基(調査済)、串寺山山頂の王喜寺山古墳1基(発掘調査後一般公開の後解体除去)の古墳群があるそうです。

 12時になりましたので、昼食会場の〝花の海〟へ。ここには以前も何度か苺狩などに来ていますので、よく知っているのですが、句会が出来るような会場が併設されていたのは知りませんでした。コロナのお陰で空いていたようで、その点では助かりました。(笑)

 〝花の海〟は、山陽小野田市埴生にある西日本最大級の総合園芸農場です。野菜の収穫体験やいちご狩り・ブルーベリー狩りなどを体験することができます。また、地元農家が作った野菜などを販売する直売コーナーや、花の海で作られた果物を中心としたスイ―ツ・お土産を販売する売店、コーヒーなどを販売するカフェも併設されています。

 私たちはパスタのランチセットを、ソーシャル・ディスタンスよろしく広々と席を取って頂きました。その後会場を移して、そこに飲み物などは各自で取りに行くようにして…。要するに3密を避けてということです。

 その会場も勿体ないくらいの広い部屋で、定刻の16時30分には無事に終りました。もう少しすれば10万本の向日葵(ひまわり)畑が満開になるでしょうからまた来たいものです。いろいろとアリガトウございました。
 

コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4ヶ月ぶりの吟行会で~す!

2020年06月19日 | 俳句

 昨日はまた朝からよく降って、9時過ぎには宇部にも大雨注意報が出ていましたが…まあ心配するほどではありませんでした。でも、夜の11時過ぎにもまた大雨注意報が出て、夜中まで降っていたようで…

 しかし、今朝はすっかり雨も上がって、午後からは日差しまで…。気温は25度とまあまあでした。そこで、泰山木を見に行くと昨日の雨で花はもうダメになっていましたので、花びらで飲むお酒は来年までお預けということに…。残念!

 ところで、一昨日の吟行会はグッドタイミングでした!その前の日に続き多少は暑かったのですが、意外と風があって青空の気持ちのいい一日でした。

 9時集合、この日の参加者は8人。吟行先は先ず下関市の乃木浜総合公園へ。その後近くにある古墳群などを見て回って、昼食場所の〝花の海〟へ。句会もそこの会場をお借りすることが出来ましたので、ラッキーでした。

 〝乃木浜総合公園〟というのは、池や干潟など野鳥が好む環境が整備された公園で、野鳥観察小屋もあり、気軽にバードウォッチングが楽しめます。平成16年には大規模な親水施設も完成しました。芝生公園や遊具、散策道などもあり、無料で1日中過ごせる大変お得なスポットなんです。

 しかし、まだコロナの影響もあってか、また平日だったからか、このだだっ広い公園には殆ど人影もなく、なんの心配も要りませんでした。でも、人間って…すぐに飼い慣らされるんですね。マスクなどしなくても全く大丈夫なところなのに、全員真面目にマスクを着けて歩いているんですもの。やっぱり私たちは田舎もんだからでしょうか。本当に従順なんですよ。

 野鳥観察小屋は事務所もありませんので自由に出入りが出来ます。でも、ちゃんと望遠鏡が備え付けてあるんですよ。もちろん持って帰られないように固定はされていますけれど。

 先日のきらら浜の野鳥観察所は県の管轄ですので入場料もいりますし、管理人もレンジャーの方もいますが、ここはそこまで大がかりではありませんし、説明してくれる人もいませんので、鳥の観察はイマイチでした。

 観察できたのは、鵜(ウ)と鴨(カモ)…といってもヒドリガモとマガモぐらい。他にツバメ、ヨシキリ、セキレイ、ヒヨ、スズメ、カラス…他には分りませんでした。

 公園の一面には姫女苑(ヒメジョオン)の白い花が風に揺れて、それに蝶たちがひらひらと…。都草もカワイイ花をつけていました。他には昼顔…ああ紫陽花も。遊具などは遊ぶ子どもがいないので淋しそう…。親水広場も勿体ないぐらい立派で。本当に空気がキレイでのびのびできて、心身共にリフレッシュできますよ。まだまだこれから手を入れて運動施設なども充実させるようですから、もっともっと立派な総合公園が出来上がるのでしょうね。

 近くには海上自衛隊の小月航空基地があって、海上自衛隊の全航空機搭乗員の基礎教育を行う小月教育航空群が置かれているそうです。この日もその練習機がしきりに上空を旋回していました。あまりに低く飛ぶので、その翼の日の丸がよく見えて、それを詠んだ句もありましたね。

 次に近くにある古墳群を見に行ったのですが、長くなりますし、写真もたくさんありますので、それはまた次にします。それでは…

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〝泰山木〟が咲いたよ!

2020年06月17日 | 俳句

 今日も昨日に引きつづいて快晴…、でも天気予報は午後からは曇りだと。

 実は2月に行った八代の鶴の吟行会から、コロナによる自粛で中止していた吟行会を、やっと今月から再開、その日が今日でした。その報告は次にするとして、今日は昨日のことを… 

 どこへ行っても三密対策がまだまだ大変のようで、美容院も例に漏れず。整形のリハビリではいつも週刊誌を読んでいるのですが、この美容院では週刊誌無しでした。また、パーマやカラーなどの時はいつも飲み物を出してくれていたのに、今回は紙パックのコーヒー。美容師さんも〝週刊誌がないと退屈でしょ〟と言って気に掛けてくれるのですが、致し方のないことですよね。みんなお互い様ですもの。でも、やっと〝夏バージョン〟に髪を切ってもらったので、さっぱりとしていい気分!コロナで我慢していたんですものね。

 ところで、なぜ昨日の午前中にも病院へ行ったのかというと、この外出自粛と骨折で全く運動をしなくなり、家に籠もってばかりいたからなのか、2ヶ月前ぐらいから朝起きると手の指がこわばって握りにくくなっていたのです。特に左手の中指がいつまでもこわばりが取れず、お茶碗でも持って洗おうとするとしっかり握れなくて落としてしまいそうになるんです。それで、いろいろ調べて貰ったのですが、原因が分らず…もしやリュウマチでは…と。それも違っていました。主人は〝もしかしたら筋萎縮…なんとかいうのじゃあないか?〟とか〝パーキンソンかも…〟などと言うものですから、心配になって見て貰ったのです。

 結局は、整形に戻って腱鞘炎ではないかということで、また、そのリハビリの電気治療をすることとなりました。本当にコロナのお陰であちらこちらと故障ばっかりで、嫌になってしまいます。厄年でもあるまいし…。そういえば、星祭のとき私の運勢は〝八方塞がり〟だったのかも…。今度夏越しの祓えのときには必ず〝茅の輪〟を潜りに行って、厄除けをしてきましょう。その時はまた、報告しますね。

 ところで、今日は我が家の〝泰山木〟のこと。以前ブログに載せたことがありますが、この木に傷を付けて芽吹きを促したという話。その泰山木が、伐りすぎて今年も花を付けていないのではと思ってみると、3つほど咲いていました。本来ならもっともっと花を付けてもいいのでしょうが、もしかすると主人が花芽の付いた枝を切ってしまったのかも。来年はそういうことがないようにして、たくさんの花を期待しましょう。

 泰山木は、北アメリカ原産のモクレン科の常緑高木。名前の由来には二つの説があって、一つは花の形が大きな盃に見えることから「大盃木」がなまり、タイサンボクになったという説。もう一つは「泰山」というのが中国山東省の霊山のことで、その名にふさわしい香気を放つ木ということからつけられたという説。日本には明治初年に渡来したのだと。

 この真っ白で香り高い大輪の花は、開花するとあっという間に終わってしまいますが、その美しい花びらを盃にしてお酒を飲むことができるんですって。言い伝えによると、その芳香漂う花びらでお酒を飲むと不老長寿になれると言われているそうですよ。ああ、じゃあ明日にでも早速飲んでみましょうか。でも、もう遅いかも。これが最後の花ですし、花びらが散ってしまっているかなあ…。もしそうなら来年に、乞御期待。

 ちなみに、花言葉は「前途洋々」「壮麗」「威厳」「真の輝き」とかで、みんな素晴らしい言葉ばかりです。

 この「泰山木」の季語には、一つ忘れられないことがあるんですよ。それは「馬酔木」の僚誌であった「早苗」に投句しだして数ヶ月後、初めて秀句として選ばれたのがこれを詠んだ句でしたから。その時の主宰は、馬酔木同人の秋光泉児先生。私がまだ馬酔木に入門していないときで、実際に2度ほどお会いしたことがありましたが、すぐにお亡くなりになられました。その後の主宰を奥様の秋光道女先生が引き継がれ、その道女先生のお陰で今日の私があるのだと思っています。

  泰山木星と語るや花白く       ちわき

 主宰を退かれた後、ご高齢のため東京のお嬢様の所へ行かれてからはお目に掛かったことがないのですが、先日104歳の天寿を全うされたとの報告を受けました。このコロナのご時世で、お悔やみも何もできずにただ遠くからご冥福をお祈りするだけでした。本当にありがとうございました。

 今思えば、まるで泰山木の花のように気高くて美しいステキな先生でしたね。 合掌

コメント (8)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〝びょういん〟と〝びよういん〟

2020年06月16日 | 俳句

 今日の暑かったこと!車に乗ってエアコンが唸りっぱなしなのに、車内の温度計はいつまでも31度から下がりませんでした。一日中晴天の、まさにこれぞ〝梅雨晴間〟。洗濯物もしっかりと乾きました。

 ところで、今日は午前中に病院へ行って、昼からまた整形のリハビリへ。その後美容院へ行くことに。

 お昼に戻ったら、主人が私の頭を見て、〝なんや、頭ぼさぼさで美容院へ行った感じせんの~〟と。ええっ、美容院は午後で病院へ行くって言ったでしょう…いかにいい加減に聞いていたか…ということ。

 でも、病院も美容院も仮名で書くと「よ」の大きさの違いなんですよね。俳句では、促音の「つ」や拗音の「や・ゆ・よ」などを大きく書くという約束があるのです。だとすると、仮名で書くとどちらも「びよういん」…ホント???

 俳句はおおむね文語体の旧仮名遣いで表記するというのが普通です。(これは我が結社でのことですが) だから、平仮名で書く場合は、「屑(くず)」は「くづ」や「恥(はじ)」は「はぢ」などと。また、「小(しょう)」などは「せう」や「習慣(しゅうかん)」などは「しふくわん」などと書くのです。でも、発音が同じだからといって全部同じように書くというわけでもありませんから、その都度辞書で確かめる方がいいですね。

 結社によっては口語でも新仮名遣いでもいいというところもあるでしょう、その辺のところは臨機応変に。しかし、一つだけ守って欲しいことがあります。それは、文語体を用いているのに新仮名遣いで書くというのは絶対に可笑しいということです。

 要するに、俳句を始める場合には、自分は文語ですると決めたらどんなに慣れなくても旧仮名遣いを用いるようにして下さい。そうすると徐々に慣れてきて身にもつきますので、大丈夫ですからね。

 ところで、先ほどの「病院」と「美容院」なのですが、本当の旧仮名遣いは、「びやうゐん」と「びようゐん」なんです。ビックリでしょ!

 だから、旧仮名でどう書くかと聞かれても、私も迂闊には答えられないんです。必ず確認して答えたり、書いたりするようにしています。 

 ところで、今日も〝○○さんの1年前の記事〟のメールが届いていましたので、開いて読んでみると、あら、なかなかいいこと書いてるじゃん!と、自分ながら感心(?)しました。…アハッ

 よろしかったら読んでみて下さい…と、よくどなたかがやっていらっしゃるようにコピーして貼ってみましたが、いかがでしょうか。読めましたか?

 今日はカラッとしたいい天気になり、洗濯日和でした。洗濯物を干しに外へ出ると、日差しが頬に痛いぐらいに感じられてまこと夏らしい!久し振りに草取りもしました。 好きなようにさせてほうって置いた十薬を、そろそろ花も終りに近いので抜きましたよ。昨日の雨で土が軟らかくなっていて、オモシロいように抜けましたが、根はや......>続きを読む

 これを見ると、去年の今日も真夏のような良い天気だったんですね。

 写真は、フォユーの講座のときに撮った〝サツキ〟。漢字では〝杜鵑花〟と書いて、なかなか読んでもらえない字なんです。ピンクと赤があったのですが、2本の木がまるで手鞠のように絡まって、とってもキレイでした。

  満開のさつき水面に照るごとし        杉田久女

コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〝梅雨〟の話あれこれ…

2020年06月15日 | 俳句

 今日は午前中は日が差して暑そうですが、午後には曇りになるとか…。やっぱり梅雨ですね。 

 そういえば土曜日から昨日にかけては、降ったり止んだりの梅雨らしい天気でした。…と書くと、なんだか梅雨を肯定しているようないい感じでしょう。ものは言いようですね。〝男らしい〟〝子どもらしい〟などは、いい意味で「らしい」といっているんですもの。

 でも本来「らしい」というのは、「根拠や理由のある推定を表す」や「確かな伝聞などに基づく推定を表す」助動詞で、〝明日は雨が降るらしい〟や〝あの家に泥棒が入ったらしい〟というように使う方が多いのです。それが接尾語に転じて〝いかにもそのようである〟というふうに使われるようになりました。

 だから私が「梅雨らしい」といったのは、日本各地に梅雨前線が停滞して雨のよく降る時期にふさわしいことだわという意味であって、もし、この時期に殆ど雨が降らなかったとしたら梅雨らしくないじゃないかと。

 そもそも〝梅雨〟という季語は、地域による多少のずれはありますが、おおむね新暦6月10日前後から約1ヶ月間雨の降り続く期間をいうものです。

 しかし、「梅雨」にも災害をもたらすほどの集中豪雨となることがあり、その場合は「荒梅雨(あらづゆ)」といいますし、年によっては全く雨が降らず梅雨らしくない時もありますから、それは「空梅雨(からつゆ)」とか「旱梅雨(ひでりづゆ)」などというんです。他にも木々が葉の色を濃くする時期なので「青梅雨」とも。「梅の雨」とは、梅の実が熟す頃に降る雨ということ。

 更に、梅雨の最中に気持ちのよい晴間が見られることがありますが、それを「梅雨晴間」とか「五月晴(さつきばれ)」といいます。ところが、昨今はこの「五月晴」を、梅雨の前の陽暦5月の晴れのことだというのが一般化してきています。しかし、それは誤用ですので、俳句を詠む人は間違って使わないようにしましょう。

 そもそも「五月(さつき)」というのは、陰暦5月の異称ですから、陽暦でいえばほぼ6月にあたり、梅雨の時期になるのです。だから、この時期に降る雨のことを「五月雨(さみだれ)」というのも頷けるでしょう。あの芭蕉の有名な句のように。もし陽暦の5月にたまたま降った雨だったらこうは詠めなかったしょうから。

  五月雨を集めて早し最上川       芭蕉

 他の梅雨に関する句などを見てみましょうか。

  降る音や耳も酸うなる梅の雨      芭蕉

  荒梅雨や山家の煙這ひまはる      前田普羅

  空梅雨の塔のほとりの鳥の数      宇佐美魚目

  青梅雨の金色世界来て拝む       水原秋櫻子

  かしは手の二つ目は澄み五月晴     加藤知世子

  病者睡て足裏くろし梅雨晴間      石田波郷

 梅雨を使った季語にはまだいろいろあるでしょうが、やはり日本という農耕を主体としてきた民族や風土にとっては、この季語はどんな形にせよ、絶対になくてはならないものでしょう。

 今のところまだ完全には終息していないコロナの災禍に加えて、更に梅雨の大きな被害が出ないことを心から祈りたいものです。どうぞ穏やかな梅雨でありますように!そして、梅雨が明けて、次の句のように気持ちのいい日本晴れが迎えられますように。

  梅雨明けて大和青垣入日どき      堀田知永

 写真は、「ネズミモチの花」ですが、これもちゃんと夏の季語なんですよ。漢字では「鼠黐」や「女貞」と書きます。昔の社宅の生け垣にありましたが、秋には黒紫の実がたくさん付いて、ネズミの糞に似ていたので私は嫌いでした。でも、よくよく見ると真っ白で結構可愛い花です。花言葉を調べると、〝名より実〟なんですって!とってもいい言葉。ことわざにも〝名を捨てて実を取る〟というのがありますものね。

 この花を詠んだ句に、〈ねずみもちの花散りて地を浄めけり   松崎鉄之介〉がありました。

  

コメント (8)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いよいよ〝俳画教室〟が始まりました!

2020年06月12日 | 俳句

 昨日は梅雨入り…見事によく降りました。それもかなり強い雨で…。この梅雨入りは、平年より6日遅く、昨年より15日も早いんですって。そういえば昨年は確かに遅かったような。雨が降らず暑い日が続いて、植木などが枯れてしまった記憶があります。

 ところが今日はもう雨が降るどころか、太陽まで顔を出して、とても蒸し暑い1日でした。車に乗ると30度を超していましたものね。

 昨日の気温は25度前後でさほど高くはなかったのですが、なんせ湿度が高い上に、マスクはしているしで、不快指数がぐっと高くなりましたが、そんな中でやっと令和2年度フォーユー文化講座の〝俳画教室〟がスタートしました。

 やっぱり今までの教室ではなく、2階の広い部屋。見た瞬間、ここで〝俳句入門教室〟もするの?と、ガックリ。なんて言うんでしょうか。机1つに1人というのは、他でもそうでしたからいいのですが、一人一人にパーテーションの衝立が置いてあって、先生のところには大きなビニールカーテンが下がっていましたよ。

 どうしましょう?今まで通りの句会は出来ないし…この土曜日の13日が初日ですので、どのようにするか早く考えておかなくてはと、焦ってしまいました。

 ただこういう状態ですので、俳画もいつもなら24名のところが19名。私のところも本来15名がキャンセルなどで、11名だと。まあ、私にとっては少ない方がありがたいんですけどね。アハッ…

 俳画の題は〝芍薬〟(しゃくやく)でした。でも蕾だけの絵ですからちょっともの足りなかったかなあ。こんな鬱陶しいときですからもっと豪華に花でも描きたかったんですがね。

 〝芍薬〟は夏の季語で、ボタン科ボタン属の中国東北部原産の多年草。牡丹も同じ科ですが、これは落葉低木で草ではないんですよ。

  芍薬の後ろ姿が気に入らぬ        鳴戸奈菜

 この花を見ればすぐに思い浮かぶのが、〝たてば芍薬坐れば牡丹、歩く姿は百合の花〟という、美しい女性を形容する言葉。これは1人の女性を形容したものでしょうか、それとも3人?などと考えてみると、これはきっと男性から見た理想の女性像を言ったんではないのかしら?でも。こんな女性今どきいますかね???

 ははは…、これは何もいいところを持っていない身から見た僻みでしょうか。でも誰にでもどこかに何かの欠点があるはず…〝ほら、前はいくらキレイに繕っていても、見てご覧なさい。あの後ろ姿を…〟と、人の欠点を見つけて溜飲が下がることってありますよね。この句も芍薬にいちゃもんをつけて一人で悦にいっているのかも。それならもしかしたら日頃から敵視している女性のことを暗示しているとも考えられます。ならば、かなりプライドの高い人なのかも!見ると、同じ作者に次のような句もありました。

  不覚にも美女と呼ばれし亀鳴きぬ

 この句で、美女と呼ばれたのは誰?やっぱり作者でしょうね。でも〈不覚にも〉が、くせ者。呼ばれるつもりはなかったのに…つい油断をして…ということは、自分が美人であることは認めているのでしょう。でもそんな外見だけの美しさではない…もっと本質的なところで自分という人間を見て貰いたいという、嬉しいけれど嫌だという葛藤が〈不覚〉という語をもたらしたのでは?だから、現実にはあり得ない〈亀鳴く〉という季語を使って、〝亀が言ったのよ〟とお茶を濁した…と考えると、本質的に女というものが持っている深層心理、そういうものが垣間見えてきて面白いと思いませんか。

 昔よく〝バックシャン〟という言葉を使っていましたが、皆さん覚えているでしょう。ほれぼれするような均整の取れた後ろ姿…。でもこの言葉にも、ある意味前から見た姿は余り良くないけれど、…という微妙なニュアンスが込もっているような気がします。褒められることは誰でも嬉しいことでしょうが、逆の意味で褒められると、コンプレックスを持っているものは却って人間は〝外見より中身〟なのだからそんな見た目だけで判断して欲しくないわと言うでしょ。特に女性なら。ハハハッ…男性もかしら?

 でも男女に限らず、どこから見てもナント美しい!スタイルといい、容貌といい…これに頭も良いとなると、神様を恨みたくもなりますよね。〝天は二物を与えず〟というのはウソだんたんですか!っと…

 私は鳴戸奈菜さんを、現在活躍中の俳人だということぐらいしか知りません。調べてみますと、家庭的にも俳句的環境の中で育ち、1997年に第49回現代俳句協会賞を受賞。1998年に同人誌「らん」を創刊、発行人となられたスゴイ人だということ。また、著作物も多数あり、英米文学者で大学教授でもあると。まだお顔を見たことがありませんので、今度は俳句雑誌でも気をつけて見てみましょう。もし、見当外れのことを述べていましたら…ゴメンナサイ!〝何言ってんのよ〟と笑ってください。

 ところで、〝芍薬〟からとんだ話になってしまいました。さあ、今から私は明日の教室の準備をしておかなくっちゃ!大変なんですよ。夜の句会もあるんですからね~。

コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は〝時の記念日〟だと…

2020年06月10日 | 俳句

 〝きいて、きいて〟です。やっと今日我が家にも「アベノマスク」が来ましたよ。なんともケチクサイ!あれだけ散々に腐されまくったからか、なんと小さいこと。昨日の句会で口先だけのマスクをしていた人がいたので、〝それ、まさか?〟と聞いたらアベノマスクだと。本当にみんなのいう通りでした。

 今頃こんなものを手にしても…いや、あのコロナに恐れおののいて、マスクを買いあさっていたときに来たとしても、これではきっとそんなに感謝しなかったでしょうね。もし家族が4人だったらどうするのよ!と怒りの方が先立つでしょうし、このマスクの後ろには万円札の把がワンサカワンサカ見え隠れしますもの…460億円?…修正されて260億円。それってどれくらいの嵩になるのかしら…なんだかアホらしくって、これ使うのもクヤシイ!捨てるのもクヤシイ!じゃあどうすりゃいいの?

 なんて書いてみても、今更で気の抜けたビールみたいですよね。アホラシ…

 ところで、今日は「時の記念日」ですよ…解説は去年のブログに書いていましたので省きます。でも、例句を見ていると…

  時の日の四十路半ばの子の電話   石田小坡

  時の日の時計見詰めて待ち惚け   田中光子

 どちらも歳時記に載っていた句ですが、…なんだか胸が痛くなったんです。

 その子は〈四十路半ば〉じゃなくて、生きていれば今はいくつなんでしょう。もう五十路半ばではと思うのですが…その子の〈電話〉をどんなに首を長くして待って、待って…とうとう最後まで〈待ち惚け〉を食わされてしまいました。そう、この5日に87歳で亡くなられた横田滋さんのことです。

 今日の読売新聞を見ると、「全身全霊で頑張った。いいお父さんだった」という見出しで、妻の早紀江さんが開いた記者会見の様子を報道していました。拉致被害者の救出活動の先頭に立って、半生をささげてこられた滋さんの姿は、直接にはお目に掛かったことがなくても、早紀江さんと一緒にすぐに目に浮かんできます。

 その子・横田めぐみさんが拉致されて姿を消したのが1977年、13歳の中学1年生の時で、滋さんが45歳の誕生日の翌日のことだったと。その誕生日プレゼントにめぐみさんから〝もっとおしゃれに気を遣ってね〟といって貰った鼈甲の櫛。それを42年余りという長い間、眺めてはきっと涙を流し、また、どんなことをしてでも〝子どもを取り戻す〟と信じて戦ってこられたことでしょう。そのちっとも古びていない櫛をケースから出して、嬉しそうに見せておられた映像が目に焼き付いています。

 この拉致問題というとてつもなく大きな事件を、私のようなあやふやな頭であれこれ書いたとしても支離滅裂になりそうですので、ちょっとお借りしました。それを、どうぞ…内閣官房 拉致問題対策本部事務局よりのものです。

 1970年代から1980年代にかけ、多くの日本人が不自然な形で行方不明となった。日本の当局による捜査や、亡命北朝鮮工作員の証言により、これらの事件の多くは北朝鮮による拉致の疑いが濃厚であることが明らかになった。1991年以来、政府は、機会あるごとに北朝鮮に対して拉致問題を提起したが、北朝鮮側は頑なに否定し続けた。しかし、北朝鮮は、2002年9月の第1回日朝首脳会談において、ようやく初めて拉致を認め、謝罪し、再発防止を約束した。同年10月には、5人の拉致被害者が24年ぶりに帰国した。

 しかしながら、残りの安否不明の方々については、2004年5月の第2回日朝首脳会談において、北朝鮮側から、直ちに真相究明のための徹底した調査を再開する旨の明言があったにもかかわらず、未だに北朝鮮当局から納得のいく説明がなされていない。残された被害者たちは、今なお全ての自由を奪われ、長きにわたり北朝鮮に囚われたままの状態で、現在も救出を待っている。

 確かここには書かれていませんが、めぐみさんはもう亡くなっていると言われて遺骨を受け取ったことがありましたよね。ところが、それは他人の骨だったということ。また現地の人と結婚して女の子が生まれ、その子に面会できたことがありました。それが2014年3月のモンゴルで、ご夫妻が孫のヘギョンさんと初めて面会したというニュース、めぐみさんとよく似た女の子でしたのでよく覚えていますもの。

 これは事件が起こって約半世紀にもなろうかという日本の歴史の一つです…いや、いや、まだ終ってはいないのですから歴史の途上にあるということでしょうか。だったら、どうか一日も早い解決を!

 こんなちゃちいマスクなんかで国民の気を引こうなんて、ちゃんちゃらおかしい!…あら、あら、だんだん口が悪くなりますね。でも、なんだか考え出すと…いや書き出すと、どんどん怒りがこみ上げてきて…ああ、見苦しいからもう止めましょうね。ゴメンナサイ!

 でも、でも、でも…どうにかして上げたい。お金で解決出来ることなら…マスクも10万円も寄付してもいいからね。

 そもそも〝時〟というのは、だいたいが人の心の傷を癒やしてくれるものでしょう。私も〈(とき)といふ万能薬や年暮るる〉(平成19年)という句を詠んでいますもの。

 でも、拉致被害の方々は、当事者はもちろんのことその親族の方々にとっての〝時〟とは、惨いものですよね。決して癒やされることのない時間でしょう。そして、その関係者の方々がその〝時〟に押しつぶされて、最近は次々と無念にも亡くなっておられます。辛いですよ、どう考えたって。アベさ~ん、いい加減に何とかしてあげてよね!

 関係ないけど、山口は今日梅雨入りしましたって…。頑張らなくっちゃ!

 写真は、もう終ったんですが、我が家の〝蜜柑の花〟。夏の季語です。また、ボケてますね。ゴメンナサイ!

コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今夜は〝お酒の俳句〟でも…

2020年06月08日 | 俳句

 昨日はビックリしたことがあったんですよ。いつもアクセス解析で、「過去の日別ランキング」を見るのですが、6月8日(月)の訪問数は418UUで日頃とはあまり変わりませんでした。それなのに閲覧数が5232PVと…いつもは1000前後ですし、週別でも6000程度なんですから驚いて、もしかしたらなにかの間違いなのではと思ったのです。もし、これが事実なら私の過去のブログなどを見て下さったということですよね。アリガタイコト。ランキングに一喜一憂しているわけではないのですが、書かなければ訪問数が下がるのは当然のことですから、読んで下さった方々本当にアリガトウございました。

 今まで思いつくままにとりとめも無く書いてきたものですが、もし何か少しでも心に触れるようなところがあって読んで下さったとしたら、とても嬉しく思います。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

 さて、今日は午後から俳句教室でした。兼題は先週の教室と同じ〝茄子の花〟。これについてはもう省略しますが、今日はこの日のために捜し回って買ってきた〝フェイスシールド〟を、初めて着けて講義をしました。机が離れているのでマスクなしでもいいですよと言ってくれましたので、これだけ着けてやったんですが…なるほど息苦しくはありませんでした。が、邪魔ですね~。鬱陶しくて…これで梅雨にでもなったらたまりませんね。

 今日は窓を全部開けていましたので、良い風、〝薫風〟が入ってきてとても気持ち良かったです。1名骨折され入院中でしたが、後は全員出席。やっぱり皆さんも再開を待っていらっしゃったんでしょうね。これで他の教室でも以前のようにやっていけるでしょうからホッとしました。

 ところで、昨日はお酒の話をしましたが、さて私に酒を詠んだ句があったかしら?…と考えてみました。俳句を始めたのは病気をして以後のことですから、たいした句は残っていないような気がします。でもちょっと調べてみました。すると第1句集『風聲』には次の2句を収めていました。
 やはり俳句というものが実感を詠むものだということが、これを見るとよく分かりますね。どんなに禁酒でもお正月の〝屠蘇〟だけは、子供の頃から飲んでいましたし、後句は〈夫と〉とありますから、娘の婚礼後の晩酌に付き合って私もちょっと飲んだんです。これ以外にも酒の句を詠んだものがあるとは思いますが、たとえ詠んだとしても、それにはそれほど実感が籠もっていないでしょうから句集に残すほどのものはなかったということです。

  病後とて金粉あまた屠蘇の盃   (平成6年)

  嫁がせし夜や燗熱くして夫と   (平成11年)

 では、第2句集『甘雨』ではどうだったでしょう。やっぱりぐっと増えていましたね。特に平成28年にはナント4句も…。ちなみに、一夜酒というのは甘酒のことで、夏の季語なんですよ。

  湯はぬるめ燗は熱めの寝正月   (平成18年)

  青竹の杯やお箸や月今宵     (平成20年)

  酌み交す一夜明日香の濁り酒     〃

  辛口を一献義士の日なりけり   (平成23年)

  古酒新酒お国自慢の始まれり   (平成26年)

  減らず口叩き合ひつつビール酌む (平成28年)

  一夜酒口に含めば里ごころ      〃

  人肌の地酒に酔ひて寝待月      〃  

  煽てられ腐され古酒をかさねけり   〃

 以上、私の〝酒の句〟を見ていただきましたが、いかがですか?それほど飲んべえではないでしょう。まあ、昔から〝酒は百薬の長〟とも、また〝酒は百毒の長〟とも言われています。父も母も飲んべえではありませんでしたが、好きでしたね。

 要するに何事も〝ほどほど〟がいいということになりますかしら。ハイ!

 写真は、先日のきらら浜自然観察公園でまだ咲き残っていた〝車輪梅〟(しゃりんばい)です。これは歳時記にはまだないのですが、夏に香気のある白い梅形の5弁花を円錐状の花序に開きますので、夏の季語でもいいかも。

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今宵はお酒の話など…

2020年06月08日 | 俳句

 昨日も暑かったんですが、今日はそれ以上で山口県の最高気温は32度とか…宇部でも恐らくは30度近くになるのでは…と思っていましたら、やっぱり30度を超しました。もし明日もそうなら俳句教室がありますので、それは困る~!どうしましょう。マスク無しとはいかないでしょうからね。

 ところで、このところ私の生活で変わったこと…実は晩酌をするようになったんです。(笑) ある方のブログを見て影響を受けたんではないんですよ…(笑) 

 お酒は昔からそんなに嫌いではありませんでしたので、学生時代はまあよく飲んだ方かしら。結婚してから子どもが生まれ…その後血清肝炎になり、やがてC型肝炎と…、病気してからは禁酒でした。それが落ち着いたからもうそろそろ飲んでも良いかなあと夏にビールを飲み始めましたら途端に数値が上がって…やっぱりとまた飲まなくなりました。

 その後3度のインターフェロンにより正常値になっても、せいぜいお付き合いで乾杯の一杯ぐらい。後は時たま主人が風呂上がりや食前酒にと飲むビールやワインを家でちょっぴりお裾分けしてもらう程度でした。

 ところが今年に入ってやれコロナだの自粛だのといって家にいることが多くなり、せめて気分転換にでもと〝ちょっと一杯〟。ちょうど貰ったお酒があったので主人と飲んだんです。それが山口県のあの「獺祭」…これがとても美味しかったんです。空きっ腹でしたからお猪口2杯でいい気分になって、二人ともカワイイもんでしょ。 

 それまで殆どビールかワインでしたが、冬の寒い時に炬燵で飲むのはやっぱり日本酒がいい。ところが困ったことにほろ酔い気分になると二人ともすぐに寝てしまうんですね。だからブログも書けない日が多くなって、夜中に目が覚めたりするとそれから書いたりという有様。

 今年になってからですので、まだあれこれ飲んではいません。どれがいいとかは言えないのですが、でもその中で自分の口に合うのと合わないのとか…美味しいと思う酒があったりして、少しずつ〝これ、コクが無いわね~〟とか〝甘すぎる!〟とか、〝でも辛すぎるのもどうもね~〟などと、まるで通の人が聞いたらナント生意気なと思うようなことを偉そうに言ってます。だって誰も聞いてませんもの…アハハハ

 じゃあ、何飲んだのかって?エエッ…そうですね、「獺祭」(岩国)「東洋美人」(萩)「五橋」(岩国)「男山」(宇部)「貴」(宇部)「金冠黒松」(岩国)「西の関」(大分)「八鹿」(大分)「山頭火」(山口)「賀茂鶴」(東広島)「千福」(呉)「白鶴」(神戸)などかな?…昔飲んだんでは「越乃寒梅」や「八海山」とかもあるんですけど、その頃は日本酒は嫌いとか言って味を見る程度でしたので、うまさが解りませんでした。

 昨今の日本酒の酒蔵は、全国で1,400以上(参考:国税庁 清酒製造業の概況/平成28年度調査分)、銘柄は1万以上といわれていますよね。その中のこれっぽちを飲んだからといって何が解るもんですかね~。スミマセン<(_ _)>

 まあ、そのうち美味しいと思える自分の口に合う酒を見つけたら、これからはそれをチビリチビリと飲んで気長に生きていきましょうか。えっ、アル中になるかも?なんも、なんも、そんなに飲みゃあしませんから大丈夫ですよ。アハハッ

 でも、先ほど調べたら、〝【日本酒学講師が厳選】日本酒の人気おすすめランキング30選〟という石黒 建大(いしぐろたてひろ)さんの記事が載っていまして、その6位に「獺祭」10位に「東洋美人」が入っていましたよ。ちなみに、香り、飲み口、上品さという3拍子の揃った「これぞ逸品」という1位のオススメは「小鼓」(兵庫)でした。今度からその30選の飲んでないのを順番に買って飲んでみようかな。なんちゃって…まるでこれ酒飲みの言葉ですね。(笑)

 写真は「東洋美人」の酒瓶です。最近私が酒に嵌まっているというのを聞いた娘が、私の誕生日にプレゼントしてくれたもの。もうとうに飲んでしまったので、今は我が家で作った石榴(ざくろ)酒を入れて、冷やして飲んでいます。ソーダ水で割って飲むと美味しいですよ。石榴は体にもいいとか…

 

コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする